小柳氏との邂逅
本当に1時間で東京は新橋に着いた。
現在、私と彩都はとある酒場にいる。
彩都の、今日は飲み明かそう、という提案を実行しているわけではなく、あくまで情報収集のために酒場にいるのだ。
情報収集は酒場で、というのは黴臭い考え方かもしれないが、今私たちがいる酒場のような、常連だけで客層が構成されていない酒場では、これがなかなか通用するものである。
彩都の車はこの店の外に駐車している。
現代とは違い、首都の、しかも繁華街に路上駐車していてもまったく問題はないらしい。
かといって、道路を走っている車の数は少なくはない。むしろ、路上駐車している彩都の車のせいで、周辺が少し渋滞しているほどだ。
交通量に対して、法制度というか、取り締まりが追い付いていないというか、やはりアンバランスな印象を受ける時代になってしまっていると思う。
酒場では幾つか有益な情報を得ることができた。
情報収集には彩都の力添えもあった。
私は酒場に入る直前にも、彩都からの助力の申し出を丁重に断った。
収集する情報の種類を彼に教えるということは、私が何を探っているのかを悟られる危険を含むからだ。
それに、はじめのうちは収集する情報を限定したくなかった。まずは無作為に情報を集めて、今の社会について広く知っておきたかったからだ。
しかし、彩都の意思は頑なだった。
「俺の土地に人工衛星が落ちたんだ。それについて情報収集する分には文句言うなよな」
だそうである。
その件についても詳しく知りたいということだけは、彼に伝えてあった。
私にとって、今回の人工衛星開発から墜落までの一件は、純粋なイレギュラーであったので、単純に私の好奇心が騒いだのだ。
そしてそれはおそらく、根の部分で小柳氏の件と関係している。
私たちは酒場に入ってから一旦別行動を取り、手分けして情報を集めた。
有益な情報というのは、まず人工衛星についてのものだ。
どうやら人工衛星は、昼間私たちが遭遇したものの他に、もう一基墜落しているらしい。
場所は東北地方のどこかだという話だ。
そして豊田が開発した人工衛星は全部で二基であったという情報もあった。
ということは、豊田の人工衛星打ち上げ実験は完全な失敗に終わったということだろう。
やはり、一握りの人間の技術力では無理があったということだろうか。
また、人工衛星に関連した情報といえば、人工衛星墜落直後から連合国軍、特に米軍に気になる動きが出てきたらしい。
米軍は、以前から豊田の急激な技術力の発展に脅威を感じていたらしいが、人工衛星墜落の報告を受け、何かの最終決定をしたそうだ。
どうしてそんな情報が街の酒場に流れているのか、若干不自然な気もするが、日本国の中枢にほど近い場所だからか、もしかするとゴシップの類なのかもしれない。
ただ、もし確かな情報なのだとすると、人工衛星開発に関する機密情報管理の甘さも目立つが、米軍の情報管理能力の甘さも負けてはいない。あるいは、わざと情報を流布しているかだ。
小柳氏についての情報は、ほとんど誰からでも聞くことができた。
なぜなら小柳氏は現内閣総理大臣となっているからだ。日本の政治決定の中枢、内閣の首班。首相の話ならば誰でも知っていることだろう。
小柳氏は十年程前に衆議院選挙に当選、以後破竹の勢いで政界を上り詰め、異例の早さで内閣総理大臣となった。
それが今から一年ほど前の話だそうである。
内大臣の木戸幸一をはじめ、政財界の大物連中がこぞってバックについているとか、帝国陸軍にも多大な影響力があり、皇室関係者までもが彼の後押しをしているなどという噂も聞けたが、どこまでが真実か判然としない。
深く突っ込んで聞きはしなかった。
小柳氏はこの時代でもやはり“やり手”で、連合国とは和平条約を結ぶ方向で話が進んでいるらしい。
戦争は激化しているものの、それは表面的なもので、終戦は目前といった状態なのだろう。
しかしここにきて、数年前まで噂されていたが最近ではすっかり聞かなくなった米軍の新型爆弾についての話が、また蒸し返されるようになってきているという。
人々の間には、新型爆弾の話と、今回の人工衛星墜落の報告を受けた米軍が大掛かりな動きを始めたという話を繋げて考える者もいるようだ。
確かにそう考えることもできる。
このままでは米国にとって、いや世界にとって、豊田を擁する日本の技術力は脅威となるだろう。
この段階で降伏させて技術ごといただこうという腹づもりか、それが叶わないならば完膚なきまでに叩き潰そうとしているのかもしれない。
もしそうなったとしたら……歴史は変えられないということだろうか。
「で、これからどうするんだい? 別に、今日はこの辺で宿を取って、明日になってから考えてもいいけどな」
彩都はどうやら私と行動を共にしようとしているようだ。
「そこまでしてもらうわけにはいかないし、これ以上足を突っ込んだら私の目的を知ることになる。そうなったら、残念だがあなたを殺すしかなくなる」
彩都は飲んでいた洋酒を吹き出した。
「お前は小説に出てくるスパイか何かか? ああ、日常生活でそのセリフを聞くことになるとは思ってなかった」
私の行ったことは真実なのだが、そうか、普通の生活を送っている者にはそう受け取られるのか。
「明日は東京散策でもするよ。首相官邸の辺りにも行ってみたいし」
「首相官邸? ああ、官舎のことか? それなら場所はなんとなくわかるから連れて行ってやるよ。じゃあ、明日は永田町から赤坂辺りを散策だな」
実際のところ私は、任務の機密保持については、半ばどうでもよくなっていた。
私は任務が終われば元の時代に帰るわけだし、農家の男一人に私の正体や任務について知られてしまったとしても、それが歴史に大きく関わってくるとは到底思えない。
公私混同というか、プロ意識が足りないのかもしれない。
知り合ってまだ一日も経っていないが、私はこの彩都という男に、完全に心を許してしまっている。
それが酒のせいなのか、この不思議な男のせいなのかはわからない。
「おい、いい加減に起きたらどうだ。総理大臣官舎に行くんだろう?」
彩都の声で目が覚めた。
どうやら昨日の酒場での情報収集が一段落した後、近くに宿を取ったのだろう。
起きた瞬間、自分がどこに居るのかまったくわからなかった。
部屋のインテリアにもまったく覚えがない。
昨日は珍しく飲みすぎたようだ。
それに慣れない時間旅行で疲れていたのだろう。
おかげで夢も見ずにぐっすり眠ることができた。
私は夢の始まりで自分が眠りに入っていくことを自覚するほどに、意識がはっきりとしたまま夢を見る性質なので、まったく夢を見ない眠りからの目覚めというのはなかなか新鮮だった。
「ああ、そうだな。もう出るかい?」
私はできるだけ寝起きの声には聞こえないように発声した。
彩都に起こされたのだから、そうすることはまるで無意味である。
覚醒した印象を与えようとしたのだが、それこそ寝惚けたことをしてしまった。
「ああ、出ようぜ。昨日聞いた情報によると、小柳さんは毎朝官舎の前で国民の声を聞く機会を設けているそうだ。今から出れば、まだ間に合う」
なんだ、私より私の仕事に向いているのではないか。
というより、やはり私の目的を知っているかのような言動だ。
そういえば、昨日の記憶があまりない。
何かまずいことをしゃべってしまっただろうか。
「昨日、私は何か言っていたか?」
「いや、宿を取るかどうするかって言っているうちに酒場のテーブルで寝ちまったんじゃないか。しっかりしてくれよ、お客さん」
「迷惑をかけたなら、謝るよ」
未だあまり頭が働いていないなか、私は出発の準備を始めた。
「いやだなお客さん、水臭い。昨日一蓮托生だって言ってくれたじゃありませんか」
彩都が卑しい声を出すが、宿を取る話をしたところまではおぼろげながら記憶はある。
「それは君の想像のなかでだろう」
私は微笑みながら言った。準備は完了していた。
彩都は既に準備万端だったのか、上機嫌そうに勢いよく立ち上がって部屋を出ようとする。
「かもな。さあ、行こうか」
その言葉が合図となって、二人で部屋を後にした。
時刻は午前八時十五分だった。
広島への原爆投下はどうなったのだろうか。
「それにしても小柳氏はすごいな。このご時世で毎日公衆の面前に姿を現していれば、襲撃だ暗殺だといろいろ問題が起きそうなものだが」
「国民を信じてるんじゃないの? それか、国民を信じる自分を信じてるかだ。どっちにしても余裕があるんだろう。たぶん、今は国民より政治家や軍部の連中のほうが怖いだろ」
首相官邸までは見慣れない景色を眺めながらの道中だったので、何分かかったかは記憶にないが、さほど大した距離ではなかったと思う。
彩都と話をしながら歩いているせいもあるだろう。
私は、私が他人と世間話ができる人格だということに今更ながら気付いた。
彩都は首相官邸の塀に車を寄せて停めた。
軍人のような恰好をした男がこちらをじっと見ていたが、特に咎められはしなかった。
数十メートル先に門がある。そこに人だかりができていた。
どうやら小柳氏が出てきているようである。
人だかりの近くに行ってみると、さすがに騒々しい。
背伸びをして前方を眺めてみると、門柱の間に立っている小柳氏が確認できた。
ガードが二人付いている。
人々は次々に小柳氏に質問をしている。
ほとんどが戦況についてだが、まれに苦しい生活を訴えている者もいる。
その一つずつ丁寧に対応していた小柳氏だが、質問や訴えが収まってくると、ふと我々に目を留め、大きな声で呼び掛けてくる。
「君たち、君たちも何か聞きたいことがあるのでは?」
正直、驚いたが、直接会話する良い機会に恵まれたと思い、当たり障りのない話題を振ることにした。
「この戦争はいつまで続きますか?」
小柳氏は真剣な眼差しで私を見つめてくる。どこか、人を見透かすような目だ。
私の質問を受けると彼は何か考えるように少し俯き気味になった後、顔を上げて言った。
「それは何とも言えないが、ただ、終戦は近いとだけ言っておこう。この戦争が一刻も早く終わるよう、私は全力を尽くすつもりだし、それが聖慮でもある」
そう言う彼の厳しい表情からは、決意が窺える。
「そうしてください。手遅れにならないうちに」
私は発言する。すると、珍しく真剣な表情で彩都が言葉を繋いだ。
「そう、その結果、日本が負けたことになろうが関係ない。こんな馬鹿馬鹿しい殺し合いは、さっさと止めるべきだ」
周囲の目が一気に我々に集まる。
軽蔑するような視線を送ってくる者、怒りの表情で睨みつけてくる者、脅えた表情で隠れるように我々を見る者……そして、小柳氏と我々を結ぶ線を境に、人だかりが左右に割れたようになる。
小柳氏は咳払いを一つして人々の注意を自分に向け、過激な発言だな、と言った。
「今の言葉を憲兵が聞いていたら大変なことになっていたよ。君は運が良かったな。しかしだ、私は君たちと同意見だ。本当に手遅れになる前に、何とか手を打たねば」
そして、小柳氏はふと何かに気付いたように表情を変え、質問を投げ掛けてくる。
「話し方から察するに……間違っていたら申し訳ないが、君たちは私と同郷なのではないかね?」
小柳氏の質問に、私が何と答えるべきか迷っていると、彩都が陽気に答えた。
「ええ、うちはすごく近所ですよ」
「そうだと思った。何となく雰囲気でそうかな、とね。発言が少々過激ではあるが、勇気ある同郷の者よ、若者はそうでなくては」
小柳氏は気分が良いのか、爽やかな笑顔でそう言った。
我々は首相官邸を後にし、一度宿に戻った。
「小柳氏と同郷だなんて、本当なのか?」
私は彩都に聞いてみた。
「いや、適当だよ。話を合わせてみたんだ。人間はお互いに何か共通点がある方が親しくなれるだろう?」
彩都はベッドに仰向けになり、天井を見ながらそう言った。
「なるほど」
私は何気なく相槌を打ち、この男はいつも飄々としているな、などと考えていた。
「まあ、人間は元を辿れば母なる海から生まれたんだから、同郷って言えば同郷だろう? 俺の言ったことの半分は本当だ」
彩都は満足そうにそう言って布団を被った。
我々はそのまま宿で昼過ぎまで何をするでもなく無益に過ごした。
実際、私にはこれといってすることはないのである。
小柳氏が関わることによって変化する歴史をレポートする役目なのだから、あまり動かずとも、情報収集さえできればいいわけだ。
遅い昼食を取ろうと近くのレストランに行き、そこのウェイトレスに何気なく、戦争はいつまで続くのでしょうね、と尋ねてみた。
そして、驚くべきというか、想定通りの答えが返ってきたのである。
「何だい、お客さん知らないの? ついさっき、広島に何やら新型の爆弾が落とされたって話だよ。間違いないよ、日本ももうおしまいだね」
やはり、投下されたか。これで、一つ目。あともう一つが長崎に投下されれば、小柳氏の過去改変は失敗に終わる。
To be continued・・・




