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彩都という男

 私はこういった危機に対して取り乱すことはない。

 今まで何度も生命の危険に遭遇してきたが、それに慣れたわけではない。幼い頃からそうなのだ。自分の生命に固執していないのだろう。生命に固執するということについて考えたこともない。

 現在の状況を客観的に見れば、私の生死はこの運転手の腕にかかっていると言えなくもない。


 ふと気が向いたので、何気なく言葉をかけてみた。

「私の命はあなたの運転にかかっているんだ。よろしく頼むよ」

 すると男は私を一瞥した後、すぐに前方に目を向け、鼻で笑った。

「ガラにもねぇこと言うんじゃねーよ。わかってる。それが俺の仕事だからな」

 どういうことだ。

「ちょっと待ってくれ。それはどういう意味……」

「さあ、おいでなすった」

 私は反射的に前方を見る。


 轟音は一段と大きくなり、耳を塞ぎたくなるほどだ。

 そしてその黒く大きな角ばったフォルムは、今や目の前に迫っていた。

 人工衛星のような物は私の予想を大きく超えた速度で接近していたようだ。

 まっすぐこちらに向かってきていたために、読み違えたのかもしれない。

 そう、間違いない、まっすぐこの車に向かってきている。


 運転手の男が、急に大きくハンドルを右にきる。

 車は大きく道を外れ、今は耕されていない、雑草が生い茂る畑のなかへリアを振りながら突っ込んでいく。

 とっさの判断が間に合わず、私の身体は車の挙動とは逆の方向に振られる。

 しかし、頭のなかは結構冷静で、「畑のなかでもしっかり走れる車だったならすごいな。あ、やっぱりスピンした」などと考えている。

 人間とはそんなものだ。

 むしろこういった状況で冷静であることが、パニックに陥っている証拠かもしれない。


 我々の乗った車は、派手にスピンしながらも変針できたようだ。スピン中の車内、景色が横に流れるなか、ちょうどタイミング良く「人工衛星」が着地する瞬間をフロントガラス越しに正面に見た。

 小さなクレーターのようなものを形づくるように、地面が隆起し、躍動していた。

 飛散していく部品の運動速度がやけに遅く感じられる。

 我々がそのまま進んでいたら、確実に正面衝突していただろう。

 一瞬遅れて、衝撃波。

 そして、先程までのものとは別種の轟音が響き渡る。


 車は衝撃波に後押しされ、もう一回転ゆっくりとスピンしながら、先程走っていた道に対して直角に交わる道へと計算されていたように滑り込む。

 衝撃波によって推進力を増幅されたこの男の愛車は、そのまま何事もなかったかのように走り出す。


 男は車を少し走らせたが、すぐに止めた。

 しばしの沈黙。

 聞こえるのは、「人工衛星」墜落の残響音と、車のアイドリング音だけだ。

 男は急に大笑いしだした。

 はじめ私は驚いたが、その驚きも一瞬で、緊張が緩んだからか、つられて笑ってしまった。


 ひとしきり笑った後、未だ興奮冷めやらぬという口調で男は話し出した。

「どうだい、この計算された運転。ちょうどそこの角をこっちに曲がらないといけなかったんだ。それにやっぱりあれは人工衛星だろう。な、俺に間違いはないんだよ」


 私は男とともに車を降り、「人工衛星」墜落現場へと向かった。車から現場まで百メートルほどであったため、すぐに到着する。

 周囲には「人工衛星」の部品らしき物がかなり広範囲に散らばっている。どうやら布のような何かを引っ張りながら落ちてきたようだ。本体よりもかなり大きな布がワイヤーのような物で本体に繋がっている。

 私は呟く。

「これが人工衛星かどうか、何とも言えないな」

 原型はもはやわからないほどに、「人工衛星」の損傷はひどい。

 しかし、農地の損傷の方が遥かにひどいものだった。

 直径二十メートルから三十メートル程のクレーターができてしまっている。

 おそらくこの農地の持ち主であろう、近くの家から、中年の夫婦が血相を変えて出てくるところだった。


 私はできれば、彼らとは関わり合いにならずに退散したいと考えていたが、運転手の男も同様だったようで、既に車に向かって歩き始めていた。

 私は男に質問する。

「確かに、あなたはすごい。しかし、なぜ初見であれが人工衛星だとわかった? はじめに視認できた段階では、まだ黒い点にしか見えなかったというのに」

 それを聞いて男は口の端を吊り上げた。

 意地の悪い笑い方だ。

「視力には自信があってね。農家の男を舐めんなよ」



 車に乗り込むと男はハンドルを握り締めてにやにやとしている。

「さっきの俺の運転技術、素晴らしかったと思わないかい? なあ、感覚を忘れないうちにさっきの何回か練習してもいい?」

 どうやら、未だ興奮が冷めやらぬ、といった様子だ。

「できれば遠慮したい」

 私の返答は冷たく聞こえただろうか。できれば早く小柳氏がいるであろう都心に向かいたい。

「そうだな、ここでもたもたしてたら警察が、いや、軍が駆けつけて来そうだ。何か面倒なことになるかもしれないな。特にあんたはまずいんじゃないか? 何か人に言えない事情でもあるんだろ?」

 この男の勘は正しい。だが私は、この男にも何か人に言えぬ事情があるのではないかと、なんとなくではあるがそう考え始めていた。


「人工衛星」墜落の件について、私は単なる目撃者でしかないが、「人工衛星」打ち上げ自体が、この男の言うとおりなら国家の機密事項なのである。

 素性を調べられる(私の場合は絶対に判明しないが)とか、そのくらいならまだいいが、最悪の場合は口封じというのか、生命の危機に瀕する状況にならないとも言えない。


「あなたはなかなか勘が鋭い。あなたの言うとおり、私はここに居るとまずいことになると思う。もしよかったら、ドライブの続きがしたいんだが…」

「そうくると思ってたよ。それに俺もドライブは嫌いじゃないからな。ただ気掛かりなのは、俺の愛車がさっきの衝撃でどっかにダメージを負っているかもしれないってことなんだが……」

 そう言いながら男はキーをまわす。何の問題もなくエンジンはかかった。

「さすが俺の愛車、丈夫なもんだ。よし、こいつの調子も良いようだし、このまま丸の内辺りまで行っちまうか」

「それはありがたいが、あなたは大丈夫なのか?」

 私は内心、少し驚いた。

 男は車を発進させながら話す。

「ああ、ここは田舎といっても都内だからな。ぶっ飛ばせば一時間ちょっとで赤坂とか永田町とかぐらいまで行ける。あまり道路が混んでなければ、だけどな。戦争も激化してるし、市民もそんなに出歩いていないだろうから、たぶん大丈夫だと思うよ」

 小柳氏がいるのはおそらく都心。永田町辺りで行動していれば、所在の手掛かりが見つかるのではないかと、楽観的に考えていた。確実なことなど何もない。

 最悪でも小柳氏の関わる話の一つくらいは聞けるはずだ。


 しかし、この男、さっきから私のことを見透かしているような言動をしている。

 本当に一体何者なのだろう。

 本当に今更だが、まだドライブが続くのなら、彼の名前を尋ねておこうと思った。

「ここまで一緒にドライブさせてもらって今更だが、名前を訊いてもいいかな?」

「名前か、そういや名乗ってなかったっけ。俺の名前は彩都だ。サイト。呼び捨てでいい」

「彩都か。珍しい名前だな」

 私は次第にこの男に心を開きつつある。私はかなり人見知りする性質である。

 そうでなくても、一応極秘任務を遂行している手前、人と親しくするのは控えようという心構えでいるわけだが、はじめからこの男にはあまり壁を感じず、一定の距離を保とうという意識も途中から消え失せていた。

 これではエージェント失格かな、と心の内で呟く。


「あまり聞かないけど、良い名前だろう? 結構自分でも気に入っているんだ。誰かと一緒ってのはあんまり好きじゃないし。名前ってのは思春期ぐらいで一度嫌いになって、それが転じて二十歳すぎくらいから好きになるもんだろ?」

 そういうものかな、と私は思った。

 確かに私もそうだった気がする。ありきたりであるとか、古めかしいとか、何らかの理由で、自分の名前は一度嫌ってしまうものかもしれない。


「私の名前は…」

 と私が言いかけたとき、彩都と名乗った男がそれを止めた。

「いいよ、あんたは名乗らなくて。何か特別な事情があるんだろう。そういう奴は名乗らなくていい。名乗ったとしても、それは高確率で偽名だしな」

 どうやら、彩都は私が思っていたよりもドライで合理的な男のようだ。

「名前も知らない者をドライブに連れていってくれるのか?」

 彩都は微笑し、何を今更、と言った。

「行ってやるさ。地主ってのは暇なんだ。それにあんたの仕事の手伝いをしてやってもいいぞ。何やら危険な香りがするからな。それに、さっきの人工衛星が落ちたのは俺の土地だ。家に居ると警察やら憲兵やらがいろいろ来そうだから、少しの間家を空けておきたいのさ」

 確かに、あと数時間もしないうちに、彩都の家には計画関係者が多数訪れることになるだろう。計画がどの程度秘密にされているのかはわからないが、下手をすれば訪問者らの目的は口止めだ。

 しかし計画の情報さえも漏れているほどの管理の甘さだ。そこまで大事にはならないのかもしれない。

「彩都、あなたは面白い人間だな。だんだん好意が持ててきたよ。しかし、私の任務の手伝いはしなくていい」


 彩都は楽しそうに、日が傾きつつある空に向けて言った。

「久しぶりの繁華街だな。ああ、楽しくなってきた。さあ今日は飲み明かそう」

 私には仕事があることをわかっているくせに、この男は。



 To be continued…

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