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農家の男と豊田車

 さて、ここは一体どこなのだろう。

 さっきまで私が立っていた場所が、つまり私がタイムトラベルした場所が、畑の真ん中だということしかわかっていない。周りは森だ。民家は見当たらない。

 ここは一辺五十メートルほどの耕作地のようだ。上空から見れば、森のなかにぽっかりと開いた広場のように見えるだろう。


 森に沿って農道がある。

 その農道はこの耕作地の外周をぐるりと一周している。この耕作地でデッドエンドのようだ。


 太陽がほぼ真上にあるため、時間は正午頃であろうと推測される。今日は一九四五年八月五日のはずだ。気温はかなり高いであろうと思っていたが、予想に反して驚くほどに涼しい。木陰に入ると肌寒いぐらいだ。

 標高が高いのか、緯度が高いのかはわからない。下手をすると東北地方か北海道にでも飛ばされたか、とも思う。


 とりあえず移動しようと考えた。ここでじっとしていても何も始まらない。

 最悪の場合だが、ここが東北地方もしくは北海道であったならば、一刻も早く動き出さねばならない。この時代には、現代のような高速移動のできる乗り物などないのだ。

 北海道まで新幹線が開通したのがごく最近の出来事であり、東北新幹線が盛岡まで開通したのが一九八二年のことである。ということは、私と同い年か。


 いろいろ考えを巡らせながら歩を進めていると、エンジン音が近付いてきた。助かったと私は思ったが、同時に微かな違和感を覚えた。行き止まりの農道を走ってくるのだから農家の人が乗っているのだろう。この時代の農家は、車など持っているのか。

 それに、気のせいかもしれないが、近付いてくるエンジン音は比較的静かな、むしろ現代で聞いた方が違和感なく聞ける、そんな音である。

 一体どんな車だろうと考えているうちに、遠くにその車が見えてきた。車との距離は思ったより遠かったようだ。それだけこの辺りが静かな証拠だ。


 その車の全貌がはっきり見えるようになって、私は少なからず驚いた。

 現代的とまでは言わないが、少々古めかしいと感じるくらいのデザインで、明らかに戦時中のそれではない。

 一九六五年式のフォードマスタングを見た経験があるが、それよりも遥かに現代的で独創的な、スポーティな流線型のデザインのボディである。


 本当に一九四五年にタイムトラベルしてきたのだろうか。もしかしてあの白衣の男がミスをしたのかとも思ったが、そんなことを考えても仕方がない。


 そうこう考えているうちに、その独創的なデザインの車が私の傍に停車した。乗っているのは運転手の男だけのようだ。

 運転席側の窓が開く。スムーズな開き方、パワーウインドウである。

「あんた、見たことない顔だな。道に迷ったのか?」

 運転手の男が話しかけてきた。私と同年代か、少し若いくらいに見える。

「ああ、そのようだ。ところで、今は西暦何年だった?」

 多少不自然だが、私は疑問を投げかけてみた。一刻も早く知りたかったのだ。

 運転手は怪訝そうな顔をして答えた。

「いきなりだな、あんた。記憶喪失とか、そんなノリか? 今年は一九四五年だよ。ちなみに今日は八月五日だ」

 やはり間違いないのか。

「そうだったよな。あなたの言う通り、道に迷ってしまったんだが、最寄りの駅にでも乗せていってくれないか?」

「おっと、そうくるか。まあ、いいよ」

 驚くべき事に、男は快諾した。

「ありがとう。あなたの作業が終わるまで時間を潰しておくよ。どのくらい待っていればいい?」

 私の問いに、男は一度肩を竦めて答える。

「いや、別にやることはないんだ。一昨日から昨日にかけて大雨が降ったから、畑の様子を見に来ただけだ。もう満足。乗ってくれていいよ」

 話が思うように進んでいくので、少し不安を覚えなくもないが、私は言われた通り助手席に乗り込む。


「これ、いい車だな。どこの車だ?」

 私は助手席に乗り込みながらきいた。

「あんた知らないのかい? この斬新なデザインは日本の誇る豊田車に決まっているだろう」

「へえ、そうなのか」


 どうやら、大幅に歴史が変化しているらしい。



 やはり、この豊田車のエンジンは現代でも通用する性能だ。それは助手席に乗っているだけでも感じることができる。舗装されていない農道を走っているのに、振動はさほどない。エンジンはトルク、馬力ともになかなかのもので、それでいてエンジン音は静かである。


「本当にいい車だな。どのくらいの出力なんだ?」

 私は運転手の男に訊く。彼は愛車自慢が出来ると思ったのか、少年のような笑みで答えてくれる。

「お、なんだ、興味津々かい?この車は豊田の今年のコンセプトカーとして売り出されたものなんだ。一、六リッターエンジンを積んでるんだよ。百六十四馬力だ。車重がちょっと重いのが欠点なんだが、ある程度、腕でなんとでもなるし」

 運転手は陽気に答える。私はそれを聞いて正直に驚いた。

「それはすごいな」

 この時代では、明らかにオーバーテクノロジーなのではないか。しかし操作性は男の言うとおり、悪そうである。旋回している際にどこか鈍重な印象を受ける。技術力のバランスが取れていない。


 それにしてもこの男、先程から「コンセプトカー」や「メカニズム」など英語を多発している。この時代、英語は敵性語と言われて排除されていたのではなかったか。英語は完全に排除されていたわけではなく、少しは使われていたらしいという話も聞いたことがあるにはあるが。

 しかし、違和感がある。

 この男の英語の使い方に違和感はない。むしろ、英語や外来語が氾濫している現代的な使い方だ。違和感がないことが逆に違和感を覚える結果となっているのであろう。


 運転手の男の喋り方には年齢相応の軽さがある。この時代の若者の雰囲気について詳しいわけではないのだが、終戦間近で追い詰められている時期の人間は、もっと堅いイメージを持っていた。表情や声音からはどことなく理知的なものを感じさせる。農家というだけあって、体格は現代の若者よりしっかりしていると言えるだろうか。

 髪型は短髪で、精悍な顔付きをしているが、笑った顔には少年のようなあどけなさが混じっている。


「悪いね、車に乗せてもらって。私がどこの誰だかもわからないのに不安ではないのか?」

 男は答える。

「そう言ってくる奴は聞いても答えないもんさ。無駄なことはしたくないんでね。自分から名乗らず、こんな頼みをしてくる奴は、余程図々しいやつか、もしくは言えない事情があるやつだ」

「へえ。なかなか切れるんだな」

「どうも」

 男の表情は変わらない。


「それにな、今回みたいなことは前にもあったんだ。十年くらい前だったかな。俺が今日みたいに畑に行ってみたら、おっさんとじいさんの中間ぐらいの年のやつが、畑の真ん中に突っ立ってやがった。そいつも最寄りの駅まで乗せて行ってくれって言うんだ。もちろん乗せて行ってやったが、そいつも自分のことはしゃべらなかったよ」

 なるほど。小柳氏(この時代では首相ではないためこう呼ぶ)は、今から十年前にタイムトラベルをしたのか。そして十年かけて国の上層部に入り込む予定だったのだろう。その計画は成功しているのだろうか。


「今の総理大臣の名前を知っていないか?」

 私の質問に男は即座に答える。

「いや、知らないな。俺は農家だから、時期ごとの作物がどうやったらうまく育つのか。そんなことしか考えてないよ」

「そうか」

「悪いね、物知りじゃなくて。政治は特に知らないな。嫌いなんだよ、政治家さんが。どうにもいけ好かないんだ。だから政府の食料増産政策に、こういう形で反抗している」

 男は片方の口元を上げる。

 今更ながら、男の服装は農作業をしに来た格好ではないことに気付いた。本当に、ただ畑の様子を見回っていただけだったのだろう。

「忙しいところ、すまなかったな」

 形式的に私は謝罪した。

「さっき言っただろ。体制への反抗。これが楽しいんだよ」

 男は嬉々とした表情で答えた。


 かなりの距離を走行しているはずだが、見えるのは畑ばかりで民家は一軒も見当たらない。どうやらここは相当な山奥のようだ。

「ちなみにここはどの辺りなんだ?」

 私の問いに、男は前を向いたまま呆れたように答える。

「あんた、どんだけ彷徨ってたんだよ、っていうか本当にどこから来たんだ? ここは青梅だよ。ちょっと山に入ったとこだけど」

 なんだ、運悪く地方に飛ばされたのかと思ったが、都内だったのか。これは思ったより早く仕事に取り掛かれそうだ。



 To be continued…

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