参戦
王国の命運が風前の灯火となっていたその頃、大陸の西方――帝国と国境を接するもう一つの巨大な国家が、不気味な胎動を始めていた。
その名は「ハーケンクロイツ国」。
先の大戦において敗戦国となり、天文学的な賠償金と領土の割譲によって「全て」を失ったその国は、屈辱と貧困の底で、決して産み落としてはならない一人の怪物を誕生させていた。
「見たまえ。あの広大な領土と圧倒的な兵力を誇る帝国が、辺境の小さな王国すらまともに落とせずに泥沼の苦戦を強いられている」
ハーケンクロイツ国の首都。熱狂的な大衆の支持を集め、国の全権を掌握した狂気の独裁者ウォルフ総統は、王国の防衛戦――とりわけコラール川での帝国の無惨な失態を冷酷な目で分析していた。
「コラール川での敗北、そして絶対盾線突破に費やした膨大な時間と犠牲。これが何を意味するか分かるか? 帝国の軍隊は、図体がでかいだけの木偶の坊だということだ」
ウォルフは地図上の広大な帝国領土を、革手袋で覆われた手で乱暴に叩いた。
「腐った納屋は、入り口の扉を蹴り破るだけで全てが崩れ落ちる。奴らは物量こそ凄まじいが、戦術は硬直化し、末端の練度も低い。……我々の最新鋭の装甲師団ならば、あの巨大な豚を解体できる」
王国への総攻撃に全戦力を注ぎ込み、西方の国境(後背)が完全に手薄になっている帝国。ウォルフにとって、それは世界覇権を握るための千載一遇の好機に他ならなかった。
そして、世界を震撼させる凶行が幕を開ける。
「作戦名『バルバロッサ』――進え」
宣戦布告なき奇襲攻撃。
鉤十字の旗を掲げた漆黒の機甲師団と、空を覆うほどの急降下爆撃機が、怒涛の「電撃戦」をもって帝国の西方国境を蹂躙し始めたのである。
第23章:潮目の激変と去りゆく嵐
「なんだと!? ハーケンクロイツ国が我が国の国境を越えただと!?」
帝国の首都。最高司令官ヨーゼフとティモセン将軍のもとに届いた急報は、盤面を根底からひっくり返すものだった。
数十万の精鋭部隊と数千の戦車による、文字通りの背面からの奇襲。帝国の主要都市は次々と火の海に沈み、国境防衛線は数日で粉砕された。もはや、辺境の小国(王国)を攻めている場合ではなかった。
その影響は、遠く離れた極寒のコラール川にも直ちに表れた。
「……大尉。敵の砲撃が……止みました」
泥と雪にまみれた塹壕で、副官が信じられないという顔で空を見上げた。
絶え間なく降り注いでいた鼓膜を破るほどの鉄の暴風雨が、嘘のようにピタリと止んだのだ。そればかりか、目前まで迫っていた帝国の新型戦車隊や何万という歩兵たちが、大慌てで踵を返し、一斉に陣形を崩して後退していくではないか。
「……なるほどな。世界ってのは、どこまでもイカれてやがる」
ガルド大尉は無線で傍受した世界情勢の急変を聞き、血走った目で、後退していく帝国の巨大な背中を睨みつけた。
「本土が奇襲されたんだ。ティモセンの野郎、王国の攻略を諦めて、全軍を西方へ転進させやがった……!」
絶対的な絶望の淵にあった王国は、ハーケンクロイツ国による「帝国への背後強襲」という歴史の皮肉によって、首の皮一枚で生き残ったのである。
帝国軍の足音が雪原の彼方へ消え去り、静寂が戻ったコラール川。
生き残ったわずかな王国兵たちが、奇跡的な生存に涙を流して抱き合う中、レオンだけは一人、血と泥に塗れた銃を握りしめたまま、静かに立ち尽くしていた。
「逃がさない……」
虚ろで、それでいて狂気じみた執念を宿した瞳が、遠ざかる帝国軍の背中を見据えている。
「俺の復讐は、まだ終わってない……!」
世界は今、帝国対ハーケンクロイツ国という、巨大な二つの悪が衝突する未曾有の世界大戦へと突入しようとしていた。そして、復讐の対象が戦場を移したのなら、死神もまた、その地獄の中心へと歩みを進めることになるのだった。
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