白い悪魔
冬の訪れとともに、戦場は一面の銀世界へと姿を変えていた。
レオンたちが配属されたのは、大国・帝国軍の侵攻ルート上に位置する、国境沿いの「コラール川」流域。気温は零下三十度を下回り、吐く息は瞬時に凍りつく。その厳しい気候から来る補給の難しさと、山と渓谷に挟まれた、大軍を展開しづらいため、地形としては帝国側に不利と言える。
とはいえ圧倒的な戦力差は厳然として絶望的であった。
防衛線に布陣する王国軍の兵力は、わずか一旅団のみ。対する帝国軍は、戦車部隊を中核とした数倍の圧倒的大軍である。戦力差は100対1、誰もが「この防衛線は数日と持たない」と予想して、その後の戦略を考えていた。
「いいか野郎ども、上層部のクソ偉い連中は『一歩も退くな』だとよ」
急造された陣地の中で、ガルド大尉は凍りついた葉巻に火をつけながら不敵に笑った。
「だが、ただ耐えるだけじゃ芸がねぇ。この寒さと地形、そして俺たちの『新入り』を最大限に使って、帝国軍のドタマに消えない恐怖を叩き込んでやる」
ガルド大尉はレオンを振り返った。レオンは支給された白い迷彩服に身を包み、愛用のボルトアクション式猟銃を抱えて静かに佇んでいる。
「レオン、お前に課す任務は防衛じゃない。敵の『前進の意志』をへし折ることだ」
「わかりました」
銃のスコープを外しながら答える。
周囲の兵士たちがざわついた。スナイパーにとって命とも言える照準鏡を外している。その怪訝な視線に気づいたレオンの瞳は至って真剣だった。
「スコープのレンズは太陽光を反射して、こちらの位置を敵に教えることになります。それに、極寒の中ではレンズが曇る。……猟師は、己の目と照星だけで、風の息吹を読むものです」
ガルドはその言葉を聞くと、声を上げて笑った。
「ハハハ! 気に入った! おいレオン、お前は今日から自由遊撃だ。好きな場所で、好きなように獲物を狩れ」
地鳴りのような砲撃とともに、帝国軍の総攻撃が始まった。
雪煙を巻き上げ、鉄の怪物である戦車と、途方もない数の歩兵がコラール川の対岸から押し寄せてくる。王国軍の防衛陣地は激しい砲撃に晒され、悲鳴と怒号が飛び交った。
その喧騒から遠く離れた、川を見下ろす雪原のくぼみ。
レオンは雪の中に深く身を潜めていた。体にはうっすらと雪が積もり、完全に周囲の景色と同化している。彼は時折、冷たい雪を口に含んだ。体温で温められた吐く息が白くなり、敵に位置を察知されるのを防ぐためだ。それは、父から教わった「雪山の猟」の鉄則だった。
スコープのない剥き出しの銃身を、押し寄せる帝国軍に向ける。
肉眼で見つめる世界。数百メートル先を行進する敵兵の顔の皺までが鮮明に見える。
彼の脳裏に、激しく燃える故郷の村と、アリシアの悲鳴が蘇る。
(……まずは、群れを率いる雄鹿からだ)
レオンは静かに息を吐ききり、引き金を引いた。
タァン!
乾いた銃声が響くと同時に、進軍の先頭にいた帝国軍の小隊長が、眉間を撃ち抜かれて雪原に崩れ落ちた。
「敵襲! 狙撃手だ!」
敵部隊に緊張が走る。しかし、彼らが遮蔽物を探す間もなく、レオンの「人間離れした連射」が始まった。
タァン、タン、タン、タン、タン!
流れるような手捌きでボルトが引かれ、次々と次弾が装填される。ボルトアクション銃とは思えない速度で放たれる弾丸は、驚異的な正確さで敵の副官、無線兵、そして機関銃手を的確に仕留めていった。
一分にも満たない時間で、一つの小隊の指揮系統が完全に壊滅した。どこから撃たれているのかさえ分からない恐怖に、帝国軍の兵士たちはパニックに陥り、雪原に這いつくばるしかなかった。
「よし、かかったぞ!」
本陣の双眼鏡でその光景を見ていたガルド大尉が、机を叩いた。
レオンの狙撃によって敵の進軍スピードが落ち、陣形が乱れている。それこそが、ガルドの狙う「盤面」の好機だった。
「全砲兵、座標ブラボー4へ集中砲撃! 動きの止まったクソどもを雪ごと吹き飛ばせ! 歩兵第3小隊は右翼から迂回、混乱した敵の側面を突け!」
破天荒なガルドの指揮は、的確かつ苛烈だった。レオンという「見えない死神」によって足を止められた帝国軍は、ガルドの張り巡らせた罠(砲撃と奇襲)に次々と嵌まり、大損害を出して後退を余儀なくされていく。
その日の戦闘が終わった時、コラール川の防衛線は奇跡的に守り抜かれていた。
圧倒的な物量を誇る帝国軍を、わずかな兵力で退けたのだ。
前線から帰還したレオンを、兵士たちは畏怖と敬意の入り混じった目で見つめた。彼の白い迷彩服に。その手にある旧式の銃に。そのライフルは無数の敵の命を吸って鈍く光っていた。
ガルド大尉はレオンの肩を叩き、豪快に笑った。
「見事だ、レオン。敵の通信を傍受したが、奴らはお前のことを『死神』と呼んで恐れ戦いてるぞ」
死神。
かつて優しかった猟師の少年は、その悪名を受け入れ、静かに拳を握りしめた。まだ復讐は始まったばかりだ。この白い地獄で、一人残らず敵を葬るまで、彼の引き金を引く指が止まることはない。




