聖マリアンナこども園
店を出ると外は強い風が吹いていた。
街路樹がざわざわと揺れる。
「綾子さん」
柊が足取りの覚束ない綾子に声をかける。
「先日のように頭は痛みませんか?送ります。ちょっと⸺いやかなり汚れてますけど」
と柊は自分の車を指差す。
そこにはちょこんと可愛らしい軽自動車が停められていた。
「その⸺旦那さんの車に比べたら、なんていうか…たぶん乗り心地は良くないですけど…」とモゴモゴいう柊に綾子はクスリ、と笑い答えた。
「お願いしてもいいかしら。少し、ふらふらするの。」
時刻はもうすぐ16時になろうというところだった。
少し⸺いやかなり物が積み込まれたその車内は確かに快適ではないが、どこか落ち着く雰囲気がある。
ところどころにメモが貼られている。
「崎山こども園=聖マリアンナこども園」
「火災事故=G県?」
「明日金沢部長に謝ること」
社内を見渡すと後部座席にはいつもクリニックで見る白衣が吊るされており、その他に毛布、脱ぎ捨てられた靴下、コーラの缶…。
(うん、これはちょっとではないわね…。)
綾子がそう思ったとき、後部座先の毛布の上にG県の地図が載せられているのが目に止まった。
「調べてくださってたんですね…。」
綾子がそう言うと柊は「ええ」と短く返してから綾子にこう告げた。
「前回、あなたの中の幼いあなたに⸺それもまたあなた自身なのですが⸺提示された3つのキーワード。自分なりに調べました。俺の視たものはあなたに共有されてると思いますが。」
聖マリアンナこども園⸺かつて崎山こども園と呼ばれたその場所はG県の田舎町に存在している。
都心に出てきた綾子がなかなか顔を出せなかった理由も物理的な距離があるためだった。
「こども園は一度閉鎖になって、その後所有者が変わっています。電話番号はそこのメモに」と柊が指差したメモには確かに電話番号が添えられていた。
「あちこちメモだらけですみません。俺ちょっと力を使いすぎると記憶が曖昧になることがあって。家のPCにもちゃんと保存はしてるんですが、その、なんていうか…フォルダが多すぎてですね…」ポリポリと頭を掻きながら照れ臭そうに言う柊と、少々ものが多すぎる⸺否、散らかった車内を見比べて綾子はまたクスリ、と笑った。
(整理整頓ができないタイプなのね…)
あって七癖、とはよく言ったものだ。
そしてはた、と思い返す。
柊が最近力を使いすぎてるのは自分のせいなのだと。
「ごめんなさい…私のせいね…」
そう俯く綾子に柊は短く「いえ」と返す。
「整理整頓が得意じゃないのは昔からで…よく学生時代に長谷川先生にも叱られたもんです。あの口髭を弄りながら「柊、君に片付けという概念はないのかね?」って。」
柊は長谷川がよくやるように口元に手をやり、髭を弄るふりをした。それを見て綾子はクスクスと笑いだす。
(ああ、この人は本当に⸺笑っている顔が素敵だ)
再び肚の奥が疼いた気がしたが、柊はそれを無視し、綾子の家の近くのコンビニで車を停めた。
「本当は家まで送って差し上げたいんですが…人の目がありますからね…」
柊が申し訳なさそうに言うと綾子は慌ててブンブンと目の前で手を振りながら
「とんでもないわ。ここまで送ってくださっただけでもありがたいもの。それに⸺あなたの意外な一面が知れてちょっと楽しかったの」と悪戯そうな笑みを浮かべた。
それじゃ、と車を降りた綾子は柊がコンビニの駐車場を出るまで小さく手を振っていた。
(崎山、いえ、聖マリアンナこども園⸺電話してみる価値はありそうね…)
柊からもらったメモを大事そうに財布にしまい込むと、綾子はそのまま家路を急いだ。
(本当に、日が落ちるのが早くなったわ⸺)
そして帰宅するといつものように証拠隠滅を図り、シャワーを浴び、専用端末をしまい込むとソファにどっと身を投げた。
(こども園の…あの子達は⸺どうしているのかしら…)急激に眠気が襲ってくる。
綾子はそのまま微睡みに飲み込まれていった。
外はもうとっぷりと日が暮れていた。




