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食堂娘の神様革命  作者: 春樹
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赤い池

 


 夜、誰もが寝静まった後にクリアとメティを手に、寮を出て例の池へと向かった。

 廊下などの外気と触れる場所以外の寮内も今も例の冷気が行き渡っている状態なので、いまもメティの言うマルチドールの霧は行き渡っているのだろう。


 寮を出て、塔の灯のおかげで迷うことなくたどり着けるだろうと思っていたら、塔の外に出た瞬間に塔の光がまた鳥の形を取って私の元へとやってきた。

 声があの塔の子だ。

「君は……」

『池の子が、苦しそうなんです』

「今行く」


 先導するように飛ぶ鳥の跡を走って追いかける。


『いいの?姉さん』

「なにが?」

『無視することだってできるんだよ』


 関わりたくない、知ってはいたい、でも巻き込まれたくない、目立ちたくない。

 私の本音はそんなところ。それが分かっているからクリアはそんなことを聞いてきたんだろう。


「私が先にあの子に頼って助けてもらったのに、苦しんでるのを聞いて無視っていうのはおかしいでしょ」


 探し物をしたときすぐに答えてくれた。声はなかったものの、つい先日私の指に懐いてきたあの感触を忘れるには日が浅い。

 池自体は近く、広いためすぐにたどり着いた。

 鳥がくるりと上を旋回して、さらに照らしてくれたが、そんな明かりが必要ないほどに池の様子は異常なほどに一変していた。


「前はこんな色じゃなかったのに、なんでこんなに赤く……」

『周りのエーテルを吸収して、溜め込んでしまっているんだね。池が持っていられるだけの量をはるかに超えている』

『その分、他の植物たちのエーテルが吸われてしまって……このままでは周りの植物も死んでしまいますわ』


 あの日、ルオンが池の周りを探しに行ったときに覆い茂っていた植え込みの葉は暗い中でも分かるほどに萎れており、小さな悲鳴のような音が耳に響く。一度聞こえてしまうと無視できなくて、眉を顰めながら池の方へと近づき、しゃがみ込んだ。

 気持ちよさそうな水面が、毒々しい色に変わっていて触れることもためらわれるほどの色。


 指先を少し、水面へと付ける。

 痛みなどはないが言い知れない不快感が指先から全身へと伝わる。

 気持ち悪い気持ち悪い!なんだこれは!?


『マスターはエーテルを今隠している状態ですが、その状態でも捕食しようとするだなんて……』


 捕食とはうまくいったものだ。

 薄く嫌な膜が身体の中を侵食していくような感触、みぞおちを目掛けてどろりとしたものが囲って覆われて、侵食していく感覚。

 溶かして、食われていく。触れただけの私がこれなのだ、池はこんなものじゃないだろう。

 前のように水が指先をくすぐることはない。弱っているのが言葉がなくても分かってしまった。


「吸ってしまった人の方はともかく、この子をどうにかしてあげるにはどうしたらいい?」

『前のように花だけ殺す、ってのは出来ないよ。もう池の水のエーテルに混ざってしまってる』


 殺せない、ならどうすればいいのだろうと手を池から話そうとした時、一気に視界が暗くなる。

 水がまるで生きているかのように轟音と共に襲い掛かってきて、声を上げようとする間もなく私は飲み込まれる。

 とっさにメティのいるプレートだけ池より離れたところに放り出したときの彼女の悲鳴と、姉さんと呼ぶクリアの声だけがはっきりと聞こえた。


「っ!」


 まともに息も吸えないまま、全身が水に覆われて地についていた足が浮いたのが何とか分かった。

 なんとかそれ以上の空気を失わないように必死に口を手で覆い、身体を縮こませてするのが精一杯。上下も分からないまま一気に水の流れに巻き込まれる形で、どこかに流されている。

 勢いが強すぎて、目も開けられない。


『姉さんっ』


 なんとか耳につけていたクリアは流されることはなかったらしいが、人間は水の中では会話は出来ない。

 息が出来ない上に流れこそ止まったものの、明らかに悪意を持った水が口から入ってこようとする圧力に耐え切れず、残りの空気がごぼりと口からこぼれる。

 だめだ、と思って手を伸ばしても池の深くまで来ていたのか、みえた視界に映ったのは遠い空。濁っていて、遠くで光がちらりと見えただけ。


 助けて、と頭の中で心の悲鳴が響く。

 これは私の声だったのか、池の声だったのか。


『呼ぶんだ姉さん』


 呼ぶって、誰を。


『貴女の望む姿を』


 意識が朦朧とした中、クリアの声だけが不思議とはっきりと聞こえた。

 耳じゃない、頭の中で聞こえているんだわ。赤黒い水の中、小さな金の粒が流れている。

 塔の光じゃない、池の光じゃない―――これは、クリアの光だ。


『貴女を助けられる身体、足、手、考えて―――その望む姿を』


 私を助けてくれるその姿。

 駆け抜ける姿は――――――白。


『これはいい』


 水とは違う感触が身体に触れて、とっさにそれを握りしめると私の身体を掬ってくる。しがみつくとそれが分かったのか一気にどこかへと勢いよく進む。

 水音が上がる。水面から飛び上がって、気管に入った水とやっと吸えた空気にせき込んだ。

 吐き出した水も黒く、来ていた衣服も赤黒く染まっている。

 咳き込みながら自分がまたがって掴んでいる”それ”を見て、長い毛皮の感触をみて瞬きした。

 濡れていない柔らかい、白く発光した毛並みと暖かさ。


「貴方、まさかクリア……?」

『やっと実体を持たせてくれて助かった。間に合わなかったらどうしようかと』


 頭部と思われる彼の上には、ひょこりとした三角が二つ……耳だ。

 丸々とした瞳、鼻先のそれは獣のそれ。

 でかい、犬だ。


「は、ははは……」

『見たことのない獣の姿だね。いいじゃん、気に入った』


 昔、本当に前の生きていた時の幼いときにあった経験のせいだろう。

 実は幼い頃に溺れかけて一度ゴールデンレトリバーに助けてもらったことがある。あの頃の幼い私からみたら、犬は私の身体よりずっと大きくてその意識の影響があったに違いない。嬉しそうな声のクリアに、あの頃の幼い私から見たら大きな存在が怖くて号泣したなんて間違えても言えない。


 眼に入った池の汚れが、痛みで流れた涙で洗われて何とか視界が開けてくる。


「ここどこ……?」

『池の中心の真上。かなり池の深くまで連れ込まれていたから、ただの人が同じ目に合っても池から逃がしてもらえなかっただろうね』

「メティは無事?」

『姉さんが放り出したおかげで無事だよ。悲鳴あげてるだろうけれど』


 全身が濡れているのに、クリアの身体が暖かくてあまり寒さは感じない。

 けれど全身の身体に付いた水の中のマルチドールの影響か、さきほどより嫌悪感が増している。胃の中をぐちゃぐちゃに探られている気分だ。

 ふわりと視界のそばを飛んだ白い鳥が肩の上に乗ってきて、ご無事かと声を掛けてきた。


『池の意識がもうなくなってきております……こんなに早いなんて』

「貴方達は大丈夫なの?」

『今は。ただ、ここまで池への浸食が早いとなると周りへの生きているものへの影響を考えると……水は全ての源ですからな』

『ここまできてたらエーテルが使える使えない関係なしに碌な影響を与えないだろうね』


 かなりの高さにクリアが空中で止まってくれているおかげで、池全体が見渡せる。

 夜でも塔の白い光を反射して、赤黒い色が池の中全体に広がりまるで生き物のように蠢いている。

 いったいどれだけの量のマルチドールを池に入れればこうなるのか。それとも、少量でも侵食して育っていくあの花の特徴のせいなのだろうか。


『メティ様からの御伝言で、現状の状態に例の教師が気付いて動き始めたようです。ご自身の体調が可笑しいと気付いて薬を煎じて飲んで』

「流石アラン先生」

『他の人間は逆です、エーテルを扱える人たちはいま意識を失いつつあります。エーテルを扱えない人は寝静まっているだけですが、その内凶悪化したこの池の空気を含んでどういう影響があるか分かりません』


 静まり返った夜。いつもより静かに感じているのは、じわじわと侵食されているからだろうか。

 眼を閉じて、隠している身体の中のエーテルを自分の身体の分だけ広げた。マルチドールの殺し方は、前に一度やっている。

 ぱち、と軽い音と共に嫌な気配は身体から抜けた。身体にまとわりついて残っているのはただの水。

 エーテルを感じられない、ただの水。


 髪の端からぽたぽたと落ちる水が、クリアの身体に落ちて弾けた。


「?」


 クリアの身体が纏う光がこの状況の中でも暖かく眩しい。

 ふわりと彼の光が私を包んで、私の身体に残っていた水が全て飛ぶ。暖かい空気が包んでくれて私の身体は池に連れ込まれる前の状態に戻っていた。

 彼が何をしたのかと尋ねると、なんてことない姉さんの力さと返される。


『僕の身体は姉さんのエーテルで出来ているから、他のエーテルなんかじゃ勝てないよ』

「どういうこと?」

『強いんだよ』


 ああ、なるほど言いたいことが分かった。


「……私のエーテルで、この池を全部上書きすることが出来るっていいたいのね」

『ご明察』




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