兄妹
※※※※※
肌を撫でる風がじっとりとしている。もうすっかり猛暑だ。
素直に感動したのは各講堂に設置されているエーテル機のおかげで、部屋全体は一定の温度以下に保たれており、所謂エアコンの機能を兼ね備えている。
どうやらあれは常に作動しているらしく、これらを動かすためのエーテルはどこから来ているんだろうと不思議に思いつつ、快適快適と講堂内に入った瞬間に思わず喜びのため息が出た。
目を細めてみてみると、冷気の混じった細かい霧状のものがふわりと浮いている。あれのおかげで冷たい空気が保たれているのだろう。
ルオンと一緒に早めに着いたのでまだ生徒は誰も着席していなかったが、揉め事を拾いに行くつもりもないので、いつもの下級市民がよく集まる側の方の席へ座る。奥の端の方だ。
「ほんの少し寮からここまでの道だけで汗かいちゃうね」
「家が恋しくもあるんだけれど、この暑さの時だけは実家に帰りたくないって思っちゃう」
「お父さんが泣くよユラ」
もうあと十分程度は誰も来ないだろうから気兼ねなく雑談にふける。
他の教室とも距離が離れているから、雑音も少ない。
「それで?最近どうなの?」
「どうって?」
「アルヴィエよ。一緒に自習したり、アラン先生の手伝いに行ったりして、てっきり数回だけで終わると思ってたのにユラったら急に面倒見がよくなっちゃって」
「誘った側なのに放置したり、途中で止めたりしないよ。相手が止めたがってたら話は別だけれど」
「それはないわね。この間アルヴィエと二人でたまたまあった時に、ユラのこと褒めて感謝してたから」
感謝されるようなことではないんだけれどな、と思いつつこれまでの様子を振り返ってみたが、言われてみると少しずつ溜まった違和感があった。
あの子、同じ部屋の人とうまくいっていないんじゃなかったっけってところだ。結構な頻度で私にくっついてきているがその辺の関係性は波風立っていないと良いけれど。
「それでも私あんまりアルヴィエのこと知らないんだけれどね」
「隠れエンヴィー様信者だと思うよ」
「え、なにそれ」
なんだその信者。
「エンヴィー様を見る目が他の人より目力強いのよ。誰も気付いてないけれど」
「そんなのみたことも本人から聞いたこともないけど」
「前に好きなのって聞いてみたら違うって否定された」
否定されてんのかい。
でも、ルオンの観察眼はなかなかのものだから、何かそう思ったきっかけがあったのは間違いない。あまり色恋にきゃあきゃあと黄色い悲鳴を上げるタイプにも見えなかったけどな。
そうこうしている間に生徒たちが順番に講堂に入ってきたので顔見知りに手を振るルオンを横目で見ながら、視線が合った時に微笑んできたアルヴィエに軽く手を振る。
その横にいるきつめの目をした長身の女性が同じ寮の人だと前に改めて教えてもらった。見た目で決めつけるのもなんだが、少なくともアルヴィエとはタイプが違いそうだ。
『マスター』
おや、とプレートの画面をみると小さく文字が並ぶ。メティだ。講義前とは珍しい。
来た友だちたちに挨拶をしているルオンに気付かれないようにどうかしたのかと声を掛けた。
『先ほどのルオン様がおっしゃっていたのもあながち間違いではございません。確かに彼女は彼をとてもよく見ていますから』
「?」
『あのお二人、兄妹ですわ』
はぁ!?と思わず大きな声が上がってしまって、幸いだったのは講堂に全員が集まる前だったということだけだろう。
※※※※※※
詳しい話は、結局その日の夜になってからだった。
『エンヴィー様は下級市民区域の生まれで、親を亡くして孤児院に入られたのですわ。その後エーテルの才能を見出されたエンヴィー様のみが国に引き取られ、同じ親から生まれたということで彼女も期待されたようですがそれがなかったために院では随分と蔑まれていたようです』
「どこからその情報を……」
『あら、私がマスターに危害を与える可能性のある人間を放置しておくとでも思いましたの?私と言っていますが、私は個人ではなく総称ですのよ』
メティは怒らせたらいけないタイプだってってクリアと同意したことがある。
改めて、絶対怒らせてはいけないタイプだわこれと冷や汗をかいた。ありとあらゆるエーテルと繋がっておりますの、と朗らかな声で言われるとますます怖い。
だから言ったろ、とクリアの声が耳から聞こえるが、分かっていたけれどもと頭が痛くなってしまうのは致し方ない。
『マスターに隠さずに言って欲しいと言われたら話さないわけにはいきませんもの。私の方で彼女が自然に亡くなったように見せかけてもよかったのですが』
「私のこと限定で過激になるのやめようよ……」
『マスターのことだからですわよ』
どうやってするつもりだったのか聞きたくない。けれど止めるように言うと、当然望まれていないことは分かっているからしないという。
「違うよメティ、私が望む望まないにしろ、人を消すとかいうことはやっちゃいけないんだ」
博愛と敬愛と慈愛と献身的な心があるのに、彼らの精神はあまりにシンプルだ。
人間はそこに欲や自己愛、いろんなものが混ぜ合わさって理性となって自分の心にに手綱を引く。
あの鐘の塔の子然り、メティ然り、欲望のようなものは見られない。
いや、私のために何かしたいとか、聖女のために何かするかもしれないというのは欲なのか?と首を傾げつつも
今の問題はそこではない。
『彼女が姉さんを殺そうとしてるのが確実になれば、僕も例外じゃないけれどね』
「確実じゃないんでしょ、ならだめよ。絶対ダメ」
『はいはい』
言い出したはずのクリアに、あの後彼女は具体的に何をしようとしているのか問い詰めるも精神の状態を読み取っただけだから詳細は分からないと言われたっきり。
『エーテルについての才能がないと分かった彼女はせめてがむしゃらに仕事に取り組んだようですが、その仕事もマスターに話している内容だけではないんですのよ』
「仕事?」
『戦闘、格闘、乱闘、戦場なんでもござれだったみたい』
「……は?」
『人間にしては大したものですわ。よほどお兄様に追いつきたかったのか、幾分無理もしたようですわね。……どれだけ欲しくてもエーテルを操る力は手にはいらなかったようですが』
なに、と止める隙間もなくメティは調べ上げただろう内容を話す。
脳裏に浮かんだのは笑ったアルヴィエの顔。指先や細かい肌の傷は家を作る仕事でついたものなのだと思っていたのに、そんなまさか。
この世界にも戦争が見えないところであることも、争いがあることも知っていた。けれど触れることがなかったし、触れるだけの機会もなかったのだ。
「メティ、教えて。私の知らない場所では孤児院ではそんな風に危ないところに関わることが多いの?」
『多くはありませんが、少なくもありません』
「そう……」
『一部の紛争地域に出向させられているのですわ。昔と比べれば、そう表立ってはおりませんがないといっては嘘になりますもの』
すっかり冷めたお茶に口をつける。下に溜まった分が、少し渋い。
瞼を閉じて、考える。アルヴィエが髪を上げた時に誰かに似ていると思ったのは、言われてみればエンヴィーに似ていたんだ。
無表情になれば、さらに似ているだろう。いつもアルヴィエは朗らかに笑っているから分からなかった。
「わかった。……それで?メティがわざわざ講義の時に声を掛けてきたのはそんなことを教えるためじゃないんでしょ」
彼女の生い立ちなど、別に後でも構わなかったはずだ。
それこそメティが傍にいたのだから、私の身に何かあったとしても何かしらで対応することが出来るだろう。珍しく慌てた様子の彼女だからこそ、私はあんなに驚いたのだから。
『私も彼女が何をしようとしているのか理解できたのが先ほどだったので、なにをしようとしているのか分かりませんでした。けれど、やっとわかったのでお伝えしたんですが……間に合いませんでした、もう仕込まれていますの』
「なに?何があったの」
『皆様の身体に毒が仕込まれています』
思考が止まる。何を言われたのか、一瞬全く分からなかった。




