下級市民の同級生
雨だ、と水と土が交わるくすんだ匂いが鼻をくすぐる。
硝子の窓なんてほとんど無いこの学校では、室内にいるときその音と匂いでまず感じ取る。特殊なエーテル機で防御壁があるため、部屋の中には雨水が入ってくることはない。
既に強く降り始めているのが講義の教室外の窓格子から見えて、いくつかの生徒がため息を吐いた。この世界の特徴の一つともいえるのだが、雨が降る回数が少ないけれど、降る時は豪雨だ。
講堂内にいる限り雨水で濡れることは滅多にないのだけれど、湿度の高さや身動きの取りにくさを好む生徒は少ないだろう。
「ね、洗い物どうしてたっけ」
「お昼休憩の時忘れものがあって部屋戻ったら乾いてたから取り入れておいたよ」
こっそりと聞いてきたルオンに、こちらもこっそりと自信満々に返してやる。
凄く驚いた顔をされたが、なんたって私にはメティ先生という天気予報士がいる。
まず講義中に邪魔をしてくることはないのだけれど、プレートに午後から雨が降ると文字で教えてくれたおかげで朝一に干しておいた衣類などが被害にあうことなく済んだ。
流石だと聞こえないように拍手をしてくれたルオンと笑いあっていると後ろから雨の湿気よりも重いため息が聞こえた。
同じクラスの下級市民のアルビィエだ。
例の騒動があってから、下級市民がまとまって座る様になり気付いたら彼女はよく隣に座っていることが多くなっていた。
元々下級生徒が多いわけでもないから自然の流れと言えよう。
彼女の髪は天然で跳ね返っており、触ったらふわふわ柔らかそうな毛並みになっている。
本人はくせっけだと嫌そうに何度か言っているのをみかけたが、個人的にはその髪は長くて触り心地良さそうなんだけれどなとぴょんぴょんと毛先が動くその後姿を見てしまったのは一度や二度ではない。
だからって髪を触らせてほしいと言ってしまうと、この世界あまり接触の少ないのが常識になっているので同性同士であれど変態扱いされる可能性はあまりに大きい。
「アルビィエやらかしちゃった?」
「干してたの全滅だわ……」
「乾いているのないの?」
「お恥ずかしながら、溜め込んで洗っちゃって」
学校側が色んな支給品を与えてくれるとは言え、布などは貸し出し制。
恐らくこの状況なら他の生徒も干していて濡らしてしまった人数が多いだろうから、追加貸し出しを依頼する生徒も多いだろう。
上級生徒や中級生徒がおそらく下級の人間を押しのけてでもいくから、私たちが追加で頼んだところで残っているかどうか微妙なところだ。
ちらりとルオンがこちらを見てきたので、肩をすくめて頷く。
私は交流がほとんどなかったが、ルオンが彼女と仲がいい。勿論、困った時はお互い様だ。
「うちも溜め込んでたんだけれど、ユラのおかげで無事なのよ。分けてあげるからこの後時間ある?」
「え、いいの?」
メティが画面上で教えてたがどうやらこの雨、今日中には止むので明日は快晴らしい。
朝に濡れた洗濯物を洗いなおして、この蒸し暑い日に半日も干せば十分乾くだろう。私の方に目を合わせてきた彼女が、本当にいいのかと心配してきた顔をしていたが、たった一日で解決されることが分かってもいるのに、そんな狭量でもない。
頷いた私に、アルヴィエは酷く驚いた表情をしてじゃあお願いするわと小さな声で返してきた。
なんでそんな驚く?と思っていたらルオンも気になっていたらしく、部屋に来たアルヴィエが狼狽えながら涙目で勢いよく謝ってきた。
「私ユラってもっと怖い人だと思ってて」
「え」
「ぶっ」
眼を泳がせながらまた謝ってくるアルヴィエと、過去にも言われたことのあるそれに心底楽しそうに笑うルオンの差。
彼女曰く、ルオンはとても気さくなのに対して、私は優秀で誰とも関わることなく自分だけで生きているような印象があったそうだ。
これまでも中級市民のエレンと私が一緒にいたところを見ているだろうと言ったが、ルオンとは幼馴染だから仲が良く、エレンはルオンと仲がいいから致し方なく付き合っているのだと思っていたとのこと。
「聖女様と前に組んでいた時もあるじゃない?あれはきっと下級市民なのに優秀だから組ませてもらえたんだろうって私たちの中で話していたの」
「その……私たちってのは」
「同じ出身の子たちとよ」
私以外の下級市民の面子はここのところいつも固まって動いていた。すごく、嫌な予感がする。
「ユラは優しいよって言ってたんだけれどねー」
「面白がって適当に流してたでしょ」
「あ、ばれた?」
説明が上手いルオンだ。本気で私のことを伝えようとしたら、こんな変な誤解も生まれずに済んだはずなのにたまに下級市民の子たちから変な目で見られていると思ったらこれが原因か。
五枚ほど渡せば最悪は数日一人分くらいは何とかなるだろうと、彼女が来る前に纏めておいた布を手に取る。
「私優秀ではないし、やさし……いかどうかは置いておいて、怖くなんてないよ。何かあったら普通に話掛けてよ」
「う、うん……」
あ、だめだこりゃ。まだ警戒されてるわ。
そんな恐る恐る受け取らなくても、取って喰ったりなんかしないのに。
警戒を解いてほしくて笑いかけたらますます警戒された。難しい。
「こらこらアルヴィエ、そんなにユラにびびるなら貸さないよー」
「それは困る……」
「脅し文句も辞めてあげなさい、構わないから」
はい、と差し出してあげたら、両手で大事そうに受けとった彼女はそれを見て、私と目を合わせてから苦笑する。
初めてまともに笑った彼女と目が合った気がする。
「ううん、ごめん。親切にしてくれたのに失礼な態度だった」
「気にしないで、周りと関わりを持たないようにしていたのは私の方だから」
どうして関わらないようにしていたのかと尋ねてくる彼女に、ここは勉強する場所だからと言うと急に眼を輝かせて私の手を布を持ったまま掴んできた。
急な接触に驚いてつないだ手と彼女のキラキラした目を往復して視ていると、ますます繋がった手に力が込められた。
「どうしたの?」
「そうだよね!やっぱり勉強をまずするべきよね!嬉しい……いままでそれに同意してくれる人いなかったのよ!」
ぶんぶんと手を振られて、さっきまでの警戒心はどこに行ったのかってぐらいに前のめりになってきたアルヴィエに私が押される。
ルオンが少し驚いた顔をして私たちを見比べているのが視界の端に見えた。
落ち着いてと何度も言うが、ますます興奮した彼女は紅潮した頬をもっと明るくして、食いついてくる。
「一緒の下級市民の子たちは、ずっとこんなの私たちに出来ないしって投げだすばかりで課題も出来ていなくても先生たちに何も言われないってわかってるから適当で……もっといろいろ考えたり、知ったりしたいのに」
「友達みんなそうなの?」
「なんだか、みんなそうじゃないといけないみたいな雰囲気になってて……私だけ違うことをするわけにいかなくて……」
同調圧力ってのはどこでもあるものだな、と凹んだ顔をするアルヴィエの手をさすってやる。
その中で彼らとうまく関係を続けているルオンの凄さに改めて気付かされたが、アルヴィエがそう考えていることをルオンも知らなかったのだろう。
「実はユラが少し羨ましかったの。休みの日にもよく一人で勉強していたりしてて、それでも周りの視線なんて気にならない様子で自分のしたいことを出来てる貴女が」
「気にならなかったわけじゃないよ。でも私たちに学んでいられる時間って少ないから」
「そういえるのって、いいな」
私よりいくつか下のアルヴィエは、アランからの質問にも頑張って答えているのを何度も見ていた。もともと勉強意欲は旺盛なのだろう。
非常に真面目で勤勉、だからこそ周りとの関係を意識せざるを得ない。
「中級市民の人たちが当たり前に出来ていることを私たちは出来ない。それって悔しいって、思う。エーテルとか持って生まれた才能なら私のせいじゃないからしょうがないって思えるんだけれど」
離した手で布を抱きしめて、瞳を閉じた彼女は改まって首を振った。
「結局これって言い訳ね。本当にやりたいなら、一人でもやるべきだったんだわ」
「それは難しいよ。私だってルオンがいなかったら、そうもいかなかったし。周りとの協調性がないと集合生活なんて成り立たない」
講義が終わり、ルオンと戻る時に気になっていたことを尋ねた。
寮は二人で一部屋だ。布の支給も部屋ごとに貸出されていて、困るのは彼女だけではなく同じ部屋に住む人もそうだろうに、焦っているのは彼女だけのように見えた。
曰く、同室の人間はアルヴィエより年上の人間らしく、ここのところ下級市民を取りまとめるような雰囲気を出してきている強気な人らしい。
名前と特徴を言われて、そういえば講義中に当てられても平気で答えられないと言っていた女子生徒がそんな人だった気がする。
短いながらにアルヴィエの性格はなんとなく察することが出来て、部屋での力関係もなんとなくわかる。
私なら胃痛がする状況だ。
「どんなことでも人間関係が上手くいかないと、他のことに集中できないってあるし」
「ユラでもあるの?」
「あるよ。大あり。そんなのばっか」
そんなのが嫌で距離を置いているのは、ある種逃げているのと一緒だって自覚だってある。
「今度、私図書室で勉強するんだけれど一緒に来る?私に無理に誘われたって言ってもいい」
「え……」
「私がアラン先生の手伝いをしているのはみんなもう知ってるでしょ。なら、その手伝いを助けてくれって言われたって言ったいい」
その布のお礼に付き合えって言われたっていえばいいと笑うと、あっけにとられた顔をする。
せっかく皆様勝手に私を怖がってくれているのだ、利用したらいい。
「それとも勉強は一人でしたい派?それならアラン先生に相談しておくけど」
一緒が良い!と元気に叫んだ彼女のひょこひょこ湿気も含んで跳ねる髪があまりに可愛くて、つい手を伸ばして頭を撫でた。思っていた以上に柔らかくて障り心地がいい。猫ちゃんみたい。
妹がいるならこんな感じかしら。
「へ」
撫でられたアルヴィエが真っ赤な顔をして固まった。
ルオンが呆れた顔をしながら、変なとこ人たらしよねと彼女の頭を撫で続けた私の手をむしり取った。




