夜の出逢い
上級、中級、下級の生徒たちが己の階級の状況に憂慮するなか、驚いたのは教師勢の態度にはさほどの変化がなかったことだった。
アランほど関心のなさげに視る人もいなかったが、それを口に出すこともなく一瞥した後、強張った顔を一瞬して思うところがあるのを飲み込んで講義を始める教師ばかりだ。
以前から下級市民が講義を受けに来ていた時点で露骨に顔に出す年配の教師すらも、ふん、と鼻息を荒くするだけで講義態度が変わることもなかった。
ほー?と思って首を傾げながらルオンと夜二人で講義の内容を振り返りながらそんあことを話す。
いつもなら覗きに来ているエレンはあの日以降、ほとんど私たちの部屋に来ることはない。たまにこっそりとみんなが眠った後に抜け出して休みの前日に来るのだから結構肝も据わっているけれど。
「ここが国営だからかな」
「やっぱりそうじゃない?聖女が在籍することを国が許した場所だもんねぇ」
「他の学校がどうなっているのか知る方法ないしね」
だめだ、集中できないとルオンが背伸びしながら前屈で机の上に潰れる。流石に私も集中力が切れたから辞め時だと立ち上がり、温くなったお茶を入れなおそうと笑う。
給湯室へお湯を取りに行ってくると言って、空のポットを手に取り部屋を出た。
国営か、と思いながらエーテル機に灯された暗がりの廊下を歩きながら考える。
国直属の運営されている学校。前に話をしている国王を見たが内容は全て定例の文章だろうし、そこから国王の人柄を知る術はないのだけれど、存外良い人なのかもしれない。
かつての仕事でもそうだ、上に立つ人間で会社の雰囲気なんて全く変わっていた。
中級以上の人間からするとたまったもんじゃないのかもしれないが、それでも口には出さないのは彼らは彼らなりの国に仕えているというプライドもあるのだろう。
そのおかげもあって、私たちの学校ではさほどの階級の格差を感じることはこれまであまりなかった。
それが今後も保証されていると言うのは、一重にありがたい。
生徒たちの態度を見た時、このまま学校にいられなくなるんじゃないかと思いもしたが、教師勢が変わることがなかったのでやりようはある。
何度も言うようにここには学びに来ているのだ。無論、エレンのような友人は大歓迎だが、階級社会を知ることも勉強といえど、それに注力しにきたわけではない。
それにこんなことを言っては怒られるだろうが、私はあくまで下級市民。どうか揉めるなら上級と中級でやってもらって、私たちはこれまでも変わらず汗水流しながらでも働いて、家族と生活できればそれで良い。
奴隷社会や制度などもどれだけ私が嫌悪感を抱こうと、それに対して何か変革を起こそうなどとも思わない。
それは聖女の仕事だとか適材適所だとかは言わないが私はそれより自分の身が可愛い。
己の生活を守る方が優先順位は遥かに高い。
生徒たちが歩いていることのない廊下は私の足音が静かに反響した。外を見上げると、小さく光る星が瞬く。
この世界にも宇宙があるんだろうかと思ったが、それを知るすべはない。そもそもそこまでこの世界は解明されてはいないだろう。
夜は静かだけど夜行性の虫たちの声が聞こえる。じめりとした暑さが残る中、耳を傾けると声が聞こえた。
『静かな夜に』
『どうか安らかに』
楽しそうな歌うような声に、小さく笑う。私はこの声が好きだ。
どれだけ人間が疲れていても、悩んでいても、彼らはいつも変わらない。人の営みになど自分たちには関係ない世界だと彼らは知っているから。
ふいにぱたりと大きな羽を揺らして飛んできた羽毛の本体と白い鱗粉を舞わせて、綺麗な蛾が飛んできた。
蝶のようだけれど、花より光に寄ってくる。
「こんばんは」
ふるりと震わした身体はもふもふしてとても可愛い。軽い人差し指にちょこんと止まったそれは、遠慮なく私の指先に腰を据えた。
こらこら休むな。
「私、お湯を取りに来ただけなのよ。すぐ戻るわ」
明るい色が視界に増えて、振り返ると同じ種類の子が増えていた。
増えるな増えるな。
クリアに言われた可愛いものには弱いってのが否定できなくなる。
「部屋までだからね」
白い羽がエーテル機の光を反射してますます白い。
鐘塔からここの廊下は壁があり、鐘の光は届かない。けれどこの子たちの羽のおかげで不思議と明るくなっていた。
触れない限りは鱗粉が酷く付くこともないので、好きにさせてやる。
私の中にあるエーテルは隠しているはずなんだけれど、メティに言わせれば人よりエーテルで生きている動物たちは本能的に分かるという。
そのあたりの仕組みも分からないが、人でも本能的に好ましく思うものというのはあるだろう。
傍から見れば虫に好かれる変な女に見えるだろうが、こんな時間にこの廊下を歩く人もまずいない。
だから油断していた。白い子たちが一斉に私から離れて、何かあったかと思ったときだった。
「なんだそれは」
給湯室に着き、お湯を足して出たところにまさかエンヴィーが立っているとは思わずうっかり悲鳴を上げそうになったら、慌てた彼に口を塞がれる。
落ち着け、と言われてこくこくと頷くとそれはすぐに外してもらえた。
「こ、こんばんは……」
「なんなんだあの虫の量は。人に寄りつくやつじゃなかっただろう」
エンヴィーが来たからだろう。あっという間に夜空に飛んで行った子たちを見送っていると、怪訝そうな顔をしてこちらを見下ろす彼と目が合った。
説明したくても、虫に好かれていますとしか言えないんだけれど。
「さぁ?」
「……まぁいいか。こんな夜になにを?」
「友達と勉強していたので、お茶のお替わりのために」
コートなどの装備を全て外して割とラフな格好をした、けれど帯剣したままの彼はかちゃりと音を鳴らしながら近寄ってくる。
やっとこの距離で気が付いたけれど、足音なんてしなかった。だから驚いたのだ。
「エンヴィー様はどうしてここに?なにかあったんですか?」
「哨戒だ。とはいえいつもの恰好でこのあたりをうろついていると、君のようにあった生徒に驚かれるからな」
この程度の恰好でしかないのだけれどと、剣に手を触れる。
やっぱりだ、剣以外の音がしない。
「音……全然しなかったので気付きませんでした」
「ああ。悪かった、だからあんなに驚いていたのか」
音を消すようにしているんだという。虫たちは気付いたから、足音だけが消えていたのだ。なにかそういうエーテル機があるのかもしれない。
部屋まで送りたいが、送るとまずいだろうと言われて肯定する。そんなことをしてみろ、万が一誰かに視られた時にはただでさえ生徒勢が過敏な時期なのにどんな目に合うかわからない。
「……」
「な、なにか?」
言葉が少なく、かつ表情は無表情。
なのにじっと見降ろされたままなので、何かあるのかと見上げる。流石にこんなに意味ありげに見られたら、何かあったのかと思うじゃない。
「あの後、その……アランから変なことされてないか?」
「へ」
「君はエーテルの扱いに慣れてないのにエーテル機を使って力を吸引されたり」
「は」
「どこかに植物と閉じ込められたり」
止めないとまだ色々言いそうあったので、止めに入ると安心そうな様子で溜息を疲れた。私がそんな目にあってないと分かったらしく、随分具体的な話を聞いてくるから、なにかあったのかと聞くと過去に彼がさせられたことだったらしい。
知り合いだとは聞いていたが、一体どんな学生生活を送っていたのかちょっと気になる。
「植物園の手入れの手伝いと研究室の手伝いを頼まれてはいますが、それ以上のことはないですよ」
「そうか」
「気になっているのはあのインクとペンのことですか?有難うございました、お礼を改めて言いそびれていました」
「いや、それはいいんだ」
あの程度で構わないなら安いものだと彼は手を振る。
恐らく気になっていたのは、あのインクに仕込んでいたエーテルの仕掛けだろう。
あれのせいで私のエーテルが反応して、アランは私に特殊な力があるのではないかと考え始めたのだ。
彼の研究対象になったきっかけを作ってしまったと心配したんだろうが、彼が私に目をつけたのはそもそも私が収穫してきた薬草のせいだ。あれがなくともあのアランの性格だと何かしらの方法で私に行動を起こしていたに違いない。
「無事ならそれでいい。まぁ、下級市民で一定以上のエーテルがあるというのは苦労もあるだろうから、あいつ……アラン先生に相談するといい」
苦笑しながら、はいと答える。
おそらく、アランがこっそりと教えてくれたように彼も若い頃の下級市民時代の経験があり、私にエーテルがあるかもしれないと聞いて他人事と考えられなかったのかもしれない。
聖女がお茶とメッセージカードを喜んでいたと教えてくれた彼に改めて礼を伝えて、別れる。
早く戻らないと、部屋でルオンが待っている。遅くなっては心配するだろうと少し駆け足で戻った。
だから、別れた後の私が部屋に戻る後姿を、じっと彼が見ていたなんて私は気付くことがなかったのだ。




