背中
それはとても緩やかに、根強く広がっていった差。
力のあるものとないものの差。
半円形の形状の教室内の机は、席順など決まっておらず自由着席となっている。まず分かりやすかったのはここからだった。
教室に入った途端に、エレンに向かってきた中級市民の女性陣の視線が刺さる。
彼女が下手に動く前に、こちらから彼女の背を押した。
いまは流れに任せて、合わせておいた方が良い。当然私が動いたのを見ていたルオンも何も言わない。何をすべきなのか言わずとも分かっている。
中級市民たちが前の方から真ん中に広がって座っている中、私たち中級市民は端にしか座る場所がなかった。
早めに来ていた生徒もいるのだろうが、恐らく他の視線をみて席を譲って移動したことがありありと分かる表情をしている。
誰もがお互いに様子を窺いながら、波風を出来るだけ立てないようにする緊張感が走っていた。
「おはようございます」
そんななか、アランがやってきた。ちらりと生徒を一瞥して、雰囲気の違いが分かったのだろうが興味もなさそうに教卓へと向かう。
「早速ですが、先の騒ぎについての説明からになります。果樹園であった件はすでに通知があったかと思いますが、それに伴い聖女様のいらっしゃる寮の防衛の強化のため今後軍の人間が出入りします。明日、外部からの出入りがあるかと思いますので注意してください」
反応した中級市民たちが一瞬ぴくりと動いたが、当然声は上がらない。
「また、原因は現在国が調査している侵食植物によるもので、それを生徒が外部から持ち込んだことによる騒動です。本日そちらの資料を皆さんの資料にお送りしますから、必ず目を通して怪しいものがあれば教師に伝えてください」
全員のプレートが明るくなり、今言われたものが表示される。
凡そ先日アランが先に私に見せてくれたものと同様だが、エーテルに対しての細かい内容が一切記載されていない。ただ、侵食植物で危険とだけの言葉に収まっており、アランを見たが目は合わなかった。
答えるつもりはない、ということだろう。
隣に座っていたルオンが、先に事の詳細を話していたからかその資料を見ながらこれかと小さな声で尋ねてきたので頷いてやる。
かつての写真とは違うけれど、細かく描かれたそれは実物と相違ない。
「先日の騒ぎで多くの観覧者の方々から聖女様への保護を優先するべきだという声もありましたが、聖女様の意志はこちらに残られるものとなっております。皆さんの保護者方が騒いでいらっしゃいましたが、努々貴方方もそれを間違えないように」
それが、今回の騒ぎのもう一つの難点だった。
聖女を見たいために各所からの権力者が集まってきていた。それは当然上級市民の保護者しかり、中級市民の保護者も来ていたわけで、親同士の中である確執なんて、子供からしたら歯向かえるわけがない。
腹に溜まった嫌な息を、吐けるだけ吐いてこの現状を受け止める。
下級はそんな人たちに関わることは出来ないし、だからこそ親たちの思惑に従うように言われた人は本心は裏腹に、格差を意識するように動き始めた。
これまで私も、あのルオンも出来るだけ距離を置いていた中級の生徒のうちの一人が、手を挙げる。
アランは何かと問う。
「そのようなものが構内に入ってきているなかで、私達と下級市民が一緒にいるという環境が恐ろしいです。勿論聖女様の安全が第一ですが、私たちの安全は確保されないのでしょうか」
中級市民の中でも、彼女は上級市民の一部とよく話していたのを見掛けた。
仲良くというより、あくまで上級市民が媚びを打ってくる中級市民とほどほどに付き合っているという程度で、上っ面の関係にしか見えはしなかったのだけれど。
だだ、まぁこういう生徒がこれをきっかけに声高になるだろうとは思っていたのはアランも一緒だったらしい。声を荒立てることもなく、ただ淡々と優しく言い聞かせるように笑う。
「今回の騒ぎの物を構内に持ち込んだのは中級生徒です。そこは聞いていなかったんですか?」
「ですがその中級生徒の一族は下級市民の地域からそれを入手したと聞きました」
「噂はそうらしいですね」
それは私も初耳で、一部の生徒たちも食いついた。主に下級生徒が。
「僕の分野の話なのでこれもすでに国に報告を上げていますが、あれを下級市民の地域から採取できる可能性は非常に低い」
「どうしてですか」
「現状ではお伝えできません」
エーテルだ。
あれはエーテルを吸って育ち、それを溜め込む。しかも人工物になっているのだから、目的もそれに沿ったものでないとおかしい。
その理論でいくならば、確かにエーテルの収穫を見込めない下級市民のいる地域で見つかる可能性はあまりに低い。
あれは私たちの地域にあっても、育ちもしないだろう。
「ですが」
「これ以上は話すつもりもありません」
「何故。貴方は教師でしょう、生徒に答える義務があるはずです」
「ええ、そうですね私は教師ですよ」
アランの顔から表情が消える。
「だったら!」
それに気づかない生徒は、興奮したまま続ける。
一部の生徒は気付いて、すでに顔色を変えていた。
「そして僕は貴方より上級の地域の出です。この言葉の意味が分かりませんか」
ぴん、と糸を張ったような静けさが一瞬にして教室を包む。
位を笠に着て話すような人じゃないと思っていたわけではないのだけれど、初めて見る彼の表情に胸が掴まれた様に恐怖を感じたのは私だけではなかった。
当然、それを正面から受けたその生徒は、息をのみ立ち上がりかけた腰が抜けたのか勢いよく椅子へ落とした。
「人に物を乞う態度というものがあります。貴方は何か勘違いをしているようだ」
ゆっくりと歩いて、顔色を変えた生徒の正面に彼は立つ。
誰もが声を出すことが出来ずにそれを見守っていた。
「は……」
「おっしゃる通り僕は教師で貴方方は生徒で、貴方達に必要な情報や行動をお教えするのも仕事です」
いつもの態度で忘れていたけれど、この場で、この教室で最も階級が高いのは彼だ。
この世界では、この階級に逆らえるのは今のところあの聖女ぐらいなのだ。
「足りない知識は自身でまず考えるということを知りなさい。国民が誤った知識で誤った行動をしないようにという国の配慮に、貴方は泥を塗るつもりですか」
「い………いいえ」
「わかればよろしい。今日はこの植物に対する対処法を中心に行います。エーテルを使えない生徒も物理的な対処法をお教えするのでしっかり聞いておくように」
その生徒から背中を向け、教卓に戻った後私たちに向けたアランの表情はいつもの優しい笑みだった。
そこからアランは、本当は教えたくはないのだろう火炎のエーテルの呪文と、それを使えない生徒たちに可燃性の強い丁度一尺程度の木製の棒を配ってくれる。細長いそれは、中級下級のどの生徒にも配布された。
「着火剤はいりません、非常に燃えやすい性質の木になっていますので試しますから見ていてください」
アランがそれを一つ持つと床に向かいごり、という音と勢いよく擦った音がした。
ぼ、という音と共に、炎が上がる。炎の大きさは手のひらより少し大きいぐらいの火力だ。
「このように地面や壁に擦り付ける形でいけば女性の力でも着火可能です。ただあくまで着火しやすいように加工しています、同じ木だからと言って同じように火はつかないので気をつけて」
すん、と匂いを嗅ぐと確かに何かを染み込ませたような匂いがする。
一度その液かなにかを吸わせてから乾燥させたのだろう。持って触れただけでは全く分からなかった。
こうやって持っているとまるで魔法の杖のようだ。
「今回発見されている花は非常に熱や火に弱い性質を持っており、かつ、それ自体はあまり動きません。しかし、他の生き物に寄生するため、寄生された側はそうもいかない。あくまでこれは一時しのぎ、身の安全を確保するためだけのものです」
細長いと言っても、ある程度の太さがある。おそらく、これを花に刺せいうことだろう。
「力のある人は自惚れず、力のない人もこれがあるから大丈夫だと勘違いだけはしないように。量が用意できていませんが、一人が一度試す程度には作ってきました。これから外に出て一度試してもらいますからついてきなさい」
いつもより距離があるアランの目を、彼の隠れた髪の隙間から覗き見る。
元々彼は外に出ている割には肌が白い。髪で隠しているからみえにくいが、最後にあった時より少し隈があるように見えた。
多分、いや、きっと間違いなく彼は寝ずにこれを昨日の調査のあと作ったのだろう。
「……損な人だな」
「ユラ?」
先に席を立っていたルオンが振り返る。他の生徒はそこまでまじまじと彼の顔が見えたことはないだろう。私も先日あれだけ話す機会がなかったら気付かなかったと思う。
何でもない、と言いながらルオンと一緒に外へと向かう。
先程詰められた中級の生徒はまだ顔色が青かったが、彼が親にでも言いつけるのではないかと不安なんだろうか。
きっと彼はそんなしょうもないことはしないだろうけれど。
どれだけ生徒のためにとやっているか気付く人と気付かない人。
そういう人は前の世界にもいたな、と晴れた空を見上げながら思い出す。誰かのためにでもあるけれど、彼の場合は自分の矜持のためのように思えた。
「なんて、そんな付き合いも長くもなんともないのだけれど」
きっとあの生徒は気付かない。
逆らってはいけない人に逆らったという焦りだけで、アランが自分の身を自分で守ってほしいからと言い聞かせるために普段なら言わないだろう言い方をしていることに。
一番前を歩くアランの背中が見える。
孤独とかじゃない。生徒たちに慕われたいと思っているそれではない。
彼は護りたいと、思っているのだ。




