エレン
現在私たちが受けている講義の種類は大きく分けて三つである。
一つは薬草理学、もう一つは言語学、そして最後に世界史である。
大きく午前と午後に分かれて、講義頻度は先にあげた順になる。
凡そ薬草理学と言語学がほとんどで、数日に一度世界史がある程度の割合だ。
その説明を当初受けた時には、世界史の比率がこんなにも少ないのはなぜだろうと思っていたが、なんてことない。どうやら教師……というか国は生徒に教えたくないのだ。
「今の国名になる前はトラヴァール、今の国王の初代の名前から取って現在はイグニス国。私たち下級市民が住む街には名前はなくて、アルビオン地方という名称でまとめられてて……エレンの出身は……」
「ラクティスよ。ラクティス地方の中級地域。少し北の方だから、すこし寒いかも」
プレートに表示された地図に触れながら、エレンは場所を指さして教えてくれる。
山岳部が境にあるため、学校という場所がなければ私たちの町はその山を越えないとお互い知り合うこともなかっただろう。
大雑把な地図は実家でも見たことはあるが、その詳しい名称はあまり知られていなかった。
流石に国名と自分たちの地域名は誰もが知っていたが、他の地域名やその環境、風土、言語の訛り、食生活などを知るのはいつだって口伝いだ。
しかし、世界史と銘打ってはいるが、教えてもらえるのは実はその程度のことになる。
国境と地域ごとに分かれる名称、特産物。例えばそこの地域にはどんな領土があり、どういった治め方をしているかなんて全く教えてもらえない。
図書室に行ってそのあたりの資料も見てみたが、あまり納得のいけるようなものはなかった。
「ラクティスの領地はイグニス国が創立するときにその時の国王に従っていた方が統治分けをするときに治めて、その血筋が代々続いているのね。だから、他の領主が変わっていた話と比べると税や法も早々変わったりしないの」
「税の治め方はどうしてるの」
「金銭、物品、奴隷、家畜とか色々聞くけれど、奴隷は大分減ったってきくよ」
奴隷、と聞いて指先が震えた。
聞いてはいた、単語としてあることは知っていた。
きっとそれは前の世界でも国を超えれば知らないところで当たり前の常識としてあったのだと思う。それが、今はこんなにも近い常識として存在している。
講義の終わった後、エレンに教えてほしいと頼んで部屋まで来てもらったのだけれど、教師たちから聞く内容よりずっと中身のある話になっている。
恐らく、教師たちは知らないわけではないのだ。教えたくないだけで。
「十年ほど前に軍事形態の見直しと各領土への調査が入ったんだけれどあまりうまくいかなかったみたい」
「下級の地域じゃそんなの知らなかったな」
「私は逆に下級地域がそのあたりの影響がなかったことに驚いたな」
幾つかの領主は本来の課税額から大きく外れていたり、国外への流出を禁止しているものを使って金儲けをしているとかそんな人たちは捕まったって聞いたけれど、きっとそれだけじゃないものと熱いお茶を拭き冷ましながらエレンは苦笑する。
こういう時、育ってきた環境による知識の差が明らかだ。
私たちはそういった、搾取はされるけれどもされた後の中身まで知ることもなければ、町の人たちも知ろうともしていなかったように思う。
毎日の生活をどう過ごすのか、そこから何か大きく改善させるために何かしようとか、そういった話題があがったことはない。
「何も知らないから、誰もが聖女に縋るのかもね」
誰かが奇跡的な力で何かを変えてくれることを期待している。
きっと、誰もが。
「この学校の通学制度も、私正直ね……最初嫌だったの。下級市民と一緒に学校教育を受けるだなんて、きっと無駄なことが多いし、何が良いことあるんだろうって」
「私たちだってそう。下級市民の知識の中で、いきなり学校とか言われても格差が酷くて成り立たないんじゃないかって」
すこし、息を飲んだ後エレンはゆっくりと話し始めた。
「……ねぇ、ユラ知ってる?ユラたち以外の下級市民の子が、最近中級市民の人を睨むようになってるのよ」
ちなみにこの場にルオンはいない。
エレンに教えてほしいと頼んだ時、ルオンがいないときに私も聞きたいことがあると言ってきたのだ。
彼女は現在タイミングよく他の友達のところに遊びに行っているのだけれど、本当はきっと違う。
ルオンは多分、自分がいない方がエレンは話しやすいと考えたのだろう。
「ルオンはエレンが何を私に話に来たのか気付いているよ」
「え……」
「気付いて、友達と約束があるって言って席を外したんだと思う。その辺私より察しいいから」
プレートを備え付けの机に置いて、エレンと向き合う。
他の下級市民とも中級市民とも、折衝することなく、間を取りながら双方を取り持って中に入っていけるルオンは私なんかより本当にずっと凄い才能を持っている。
ううん、才能じゃない。あれは努力だ。
でも、そんなルオンがいる場では周りに合わせて私たちと距離を置きたいなんて話しにくいことだろう。
だから、ルオンは出て行った。
「他の友達に言われたんでしょ?下級市民と付き合うなって」
いつは来ると思っていたし、逆にここまでエレンが私たちと仲良くしてくれていたのが稀有なのだ。
最初は何人か仲良くしていた中級市民の子がいたのに、いまはエレン一人だ。
かといって私は本当に最低限の人としか付き合いがないから、友達と言えるのは多分ルオン以外ではエレンしかいないのだけれど。
「聖女様の活躍が何度かあって、彼女を異世界から呼び出せたのは上級市民や下級市民のおかげだと言う学生がいるのは知ってる。エーテルを使える人間だけが彼女の威光の恩恵に預かるべきだって」
「おかしいよね……エーテルが使えても使えなくても人として一緒なのに」
「そう言えるエレンは強いね」
お互いがお互いを悪いように意識し始めた。良くも悪くも聖女をきっかけに。
周りに合わせて生きていた方が楽だよ、というとむすりとした顔で彼女は頬を膨らませた。
「やめてよ、違うからね」
「へ?」
「私、そう言ってくる人たちが増えてきたけれどこれからもユラたちと仲良くするつもりだからって言いに来たのよ。ただ、立場上どうしても周りに合わせる必要がある時がでてきたら……」
「だめ。自分を大事にして」
机の上で硬く握られたルオンの手に手を重ねる。
彼女がこれを嫌がらないことを私はもう知っている。
彼女なりに真剣に悩んでくれてきたことを私は知っている。
きっとルオンだってそう。
「下級の人間ってね、逞しいのよ」
「……うん、知ってる」
「エーテルの力がないけれど、泥臭くても生きる力は上級の人にも中級の人にも負けないって思ってるの。だから、大丈夫よ」
私が笑うと、エレンは弾かれた様に顔を上げた。
溢れた涙は不安と、申し訳なさと、悔しさだろうか。
強張った彼女の手が少しほどけたので、それを両手で握る。ルオンがこういう人だから、私中級とかそんなの関係なしで考えることも大事なんだって知ったのよ。
「エレンが私の、私たちの心配をしてくれているように私たちも同じぐらい同じことを思ってるって忘れないで」
友だちなんて言葉いらないのよきっと。
きっと周りの環境に飲まれて、合わせて、機嫌を取って、機嫌を取られて、そうやって人との関係も変わっていく。でも、この期間で仲良くなったことは変わらないし、これからだってなくすことは出来ない。
友達なのかと聞かれて友達じゃないとお互い答えないといけない時がきっとある。
でも多分、それを仲間と呼ぶんだと思う。
「うぅ」
「逆に下級市民が、生まれが違っただけで生活の格差があるって知り始めて……不平等だなんて言ってたりするけれど、それも別に私のせいでもエレンのせいでもない」
あふれださんばかりに瞳に溜まった涙を見て、こっちまで泣きそうになる。
まさか聖女の影響がこんな風にあるなんてって思わなかったけれど、逆なのよね。他の学校じゃ、最初からきっとこうだった。
私達が出会えたことと、仲良くなれたことが運が良かった。
「今回の騒ぎで、なんだかちょっと先生たちの雰囲気も変わったしね」
聖女の歌で、枯れたと言われている花。
秘匿されていた花にはきっと何かあったんだろう。
枯らしてしまったのは私だけれど、それを後悔しているわけじゃない。
ただ、聖女に対する認識の重さが明らかに変わりつつあった。
「ユラも約束して」
「?」
「絶対、自分を大事にするって、約束して」
胸に溜まったこれは何だろうか。
一生懸命な顔、必死に思ってくれる友達。彼女は私の性格をしっかり読み取っている。
「約束するよ」
だから、これからもよろしくねと笑いあう。
きっともうすぐルオンも帰ってくる。そうしたら一緒にもう一度お茶を入れなおして飲もう。
「エレン。私ね、夢があるの」
「なあに?」
「うち、実家が食堂って言ったでしょ。そこで、ルオンもエレンも一緒に飲み会するのよ。私が作った料理で」
それはきっと、絶対に叶う夢だと私は私を信じている。
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