研究室にて
手のひらに乗った上等な万年筆のような形状のペンと、紺寄りさらに黒い色の濃いインク瓶。
飾っているだけでもアンティーク調で可愛くて、男性が持っていてもおかしくない装飾のそれはつい先ほど聖女の護衛をやっている人から譲り受けたものだ。
こちらが頼んだのは手紙になりそうな紙だけだったのに、私の私物を壊した詫びだと言って合わせて寄越してくれた。
値段はそりゃ壊れてしまったものと比べると安価なのか知らないが、もともとのその私物だって本来私がもっているべきものでもなかっただろうに、とんだ巡り合わせである。
それともなにか、この世界の男性っていうのは女性に高価なものを与えないと生きていけない生き物なのか。
最初に明らかに身に余るものを送ってくれたアランを振り返り見ると、驚くほど私をガン見してきていておののいてしまった。
なんでこんな見てんの先生……。
「君、あれなにしたんですか」
「あれってなんのことですか」
「文字にエーテルを乗せていましたよね。普通は色が躍るのに、君のは色が乗っていた」
「へ?」
色が、踊る?乗る?
確かに、彼らの目の前で文字を書き、バレないようにペン先からだけエーテルを渡らせて受け取り主が少しでも元気になる様にと力を込めたつもりで入るが、色が躍るとはどういうことだ。
「な、なんのことですか」
「……彼とは少々顔見知りで実は頼んでいたことがあるんですよ。まぁちょっと座ってください」
座ったら最後、なんかいろんなこと突っ込まれて聞かれそうな気がして硬直しているとすでに腰かけたアランが早く座れと眼光で示してきた。顔笑ってるのに、目が笑ってない。
彼が指先を鳴らし、小さく何かを唱えると先ほどエンヴィーが出て行った扉で鍵がかかる音がした。この教師、女子生徒を閉じ込めたぞ……。
ひやりと汗が背中に流れてこちらの顔色が変わったのがわかったのだろう、ああ違う違う別に襲ったりしませんからと変わらず彼は笑うが、常識的に考えてくれ。
こちらの世界の常識、私まだ勉強中だけど。
「まぁ教師が生徒を無理やり寝取るってのはありますけれど、僕は興味ありませんので」
あるんだ……いやあるんだろうなとは思っていたとも。
ルオンが普通にあると言っていたことと、これだけ階級社会を子供でも口にする世界だ。実際にはもっと膠着した格差が地域によっては慢性化しているのだろうとこの数か月でも十分わかっている。
学校というのは小さな社会だ、とは誰が言い始めたことだったか。
「彼が君に渡したそのインクには前に君にあげたあの赤い結晶の粉が入っていたんですよ。エーテルを込めて液状化まで溶かしたので質感ではわからないでしょうけれど」
「へ、へぇ……」
「そして筆の方は、勿論そのままの筆として扱えますがエーテルを受けて書くとインクに作用する仕組みになっています。色が若干違うんです。彼はしれっと渡しましたが、結構高価なんですよそれ」
組んだ足に肩肘を付きながら、頬を支えながら彼は苦笑する。こんなに分かりやすいのに、上の連中はなぜわからないのだろうと呟きながら。
「分からないって、なんことですか……?」
「わざとエーテルを扱えることを隠しているでしょう」
「まさか、私下級市民ですよ」
「下級市民でもエーテルを扱える人間はいますよ」
先ほど聞いたばかりでしょうと言われて、ぐっと息をのむ。エンヴィーがそうだと言われてしまうと、可能性の話だけ言うなら全否定は確かに出来ない。
しかしなんでこの人は私に目をつけているんだ。前のクラス分けの初回の講義から可笑しかった。たまたま花の実が出来たからって、そんな高価で貴重なものをただの生徒に渡すわけがない。
竪穴の中でエンヴィーが本気で焦っていた表情を見て、これはやはり普通ではなかったのだと改めて気付かされたばかりだ。
「私がエーテルを使えるかもしれないってのはまぁわかりましたけれど、隠してるってどういうことですか?」
言っておくがこのペンの仕掛けは確かに気付かなかったけれど、それだけで隠しているかどうかなんてわかるはずはない。その程度は普通の人から見ても分からないだろうと言われる程度には内に閉じ込めていたし、クリアもメティも太鼓判を押していたのだから。
「君が出入りしている植物園ですよ。気付きませんでしたか?普通なら咲かない時期に咲く花が、滅多に出来ない結晶まで出来て咲き始めた。それだけじゃない、枯れていたはずのものまで根を張りなおして背を伸ばしている。ここの教師連中は、薬は出来上がった状態でだけ求めてくるからまず植物園には入らないし、一般生徒はそこまでエーテルを扱えない」
「聖女様がこられたからと普通は考えるのでは?」
「無論最初は聖女様の御来訪が影響したのかと思いましたけれど、彼女は植物園の方に授業で来たことがある程度。何より貴女に目を付けたのは貴女が採取して提出した薬草ですよ」
これを見せたのでエンヴィーも協力してくれたんですけれどね、と出してきたのはこれまでに課題で提出してきた薬草たちだ。
提出する際は授業の前に配られる透明なケースの中に入れてそれぞれ終わりともに渡す。
アランが出してきた中には、前に聖女と組んで提出した薬草たちのケースもあった。
だから、私もみて気付いてしまった。
まさかこんな風になっているとは思っていなかったから。
「……育ってる」
「そう。採取した後のはずなのに、君の提出したものは枯れるどころか育っている。こんなものは見たことがないし、ありえない」
ガラスのようなケースの蓋は簡単に外れて、アランの手によって出された。
聖女と一緒に採取したもんなんてあまりに分かりやすすぎて、言葉が出ない。
採取したのが数週間前だなんて思えないほどに、私が採取したものだけが―――あの、タンポポに似た花が満開のまま彼の手のひらに乗っている。
彼の指先はそれをつまみ、私に差し出してきた。
手のひらで受け取ったそれは、みずみずしさすらある。
「君たちが入学してすぐに講義が始まる前、植物園の草花の様子が変わっていた。それと同時に提出されているものでたった一人の生徒の物だけが枯れるどころか育ち続けている。それが聖女の力なのか、君一人の物なのか確信がなかった」
「それで、あの講義の組み合わせですか」
「そう。二人とも同時に出させてみれば分かるかと思ってやってみたんですが……覿面でしたね」
なんで急に組み合わせが強制的に決まっていて、しかも私が今話題の聖女と一緒なのだと思っていたが思惑があったらしい。
思い出してみたら、納得させられた。通りで何種類もの薬草をいろんなところから採取させる内容だったわけだ。
草や花の組み合わせ、場所の組み合わせ、とにかくまとめて確認したかったのだろう。
ケースからもう一つ取り出したのは、黒ずんで変色したもはや原型も分からない薬草。採取した人のサインは聖女のものだ。
普通はそうなっているのが正常なのだ。私の持っているものの方がおかしい。
「最後の決め手は例の神の花。勿論聖女様にも貴方の授業の前に同じように差し上げましたけれど」
「……」
どうなったか気になりますか、と言われたので促されるまま頷いた。
流石にここまではっきりわかるものが出てくるとは思わなかったので、確信したらしいその差を教えておいてもらった方がいい。
「普通に蕾のままでしたよ。茎を折られた花は、人で言うなら死んでます。まぁ咲かせることまでは何とか出来るかもしれませんけれど、そのあとエーテルを溜め込んで次の花のために結晶を作るなんてことはまず出来はしない」
彼の指刺した先には、一輪挿しにするにはやや大きめの花瓶が窓の傍に飾られている。
言われなくてもわかる、あの時私が咲かせた花が鐘塔の白い光を受けながら白い花弁を自慢げに広げていた。中心にあった結晶がなくなった今でも、その身をピンと張った彼女は美しい。
なんだか眩しくて、愛おしくて、目を細めてしまう。
そんな様子の私の手から何も言わずにインクとペンを取った彼は、慣れた手つきでその蓋を外し、棚からメモ書きに使っているのだろう端切れを一つ引っ張り出すとそのペン先を滑らせた。
「あ」
色が、踊ると言った意味がやっとわかった。
ペン先で小さくちらちらと光が輝いている。小さい線香花火のようで、いろんな色が輝いて見えた。
思わず綺麗、という感想が零れる。
「人間は体内に一定のエーテルを持っています。たまにこの辺を勘違いしている人がいますがそれに下級も上級も関係はなく、下級市民からもエンヴィーのような人間も生まれる。まぁ彼は産まれも少し特殊なのであまり参考にしてはいけないんですが」
ペンの持ち手を差し出されて、目でお前も書いてみろと促される。
変にわざと思いを込めずにやれば、きっと彼はそれに気づくだろう。先ほどと同じ程度に相手を想って文字を認める。
色は、やはり濃紺だ。
アランが書いた文字と並べれば、その違いは分かりやすい。
インクの乾き始めたアランの文字は、端からゆっくりと真っ黒になっていったのに対して私の文字は濃紺のまま。
暗い部屋でみればわからないぐらいの差だろうけれど、同じものをつかって色が違うなんてのは流石に隠しきれるものではない。
「あの赤い結晶はエーテルを保持させる能力を持ちます。なので、エーテルを込めて書けば普通は溶けた結晶に一瞬吸われて、細かい結晶の中に維持しきれないエーテルが蒸発して発光する。決して僕が書いた文字からエーテルがすべて抜けたわけではないんですが、君のは逆です。インクの中にエーテルが溜まったまま。だから結晶の赤い色が発色を強めている」
「エーテルを持たない人が書いたらどうなるんですか」
「インクは乾いたらただの黒に。発光も当然しません、ただの”良い”ペンと”良い”インクですよ」
嫌だな、と思ってしまったのが本音だ。
けれどその本音を口に出したら不味いことは窓に置かれた花の声で分かる。
囁くように、まるで妖艶な女の声。
――――『殺しましょうか』
アランにはこれが聞こえていないのだろう。
駄目だよ、と頭で考えただけで伝わったらしく、それからは心配する声だけが響く。
この子たちは驚くほど極端で、優しいけれど乱暴だ。決して安易に動くことはない存在であるのに、こと私のことに関してだけ異常に判断が極端になる。
悪気がないのは植物たる所以なのだろうか。
笑っていたはずのアランが、笑みを消したのはどのタイミングだっただろうか。
その瞳は真剣そのもので、初めて私も彼を見て少しどきりとしてしまった。
だからじゃないが、話を聞いてみてから判断するのも遅くないと自分を納得させて、少し頭を振りながら手で顔を覆う。
何度だって思うが私は目立ちたくもなければ、聖女のような存在にもなりたくはない。
私の気持ち一つで、何か超えてはいけないものをこの子たちに越えさせたいわけでもない。
「私も正直よくわかっていません。先生があるとおっしゃるならあるんでしょう」
「ええ」
「先生は、何を考えていますか」
第二の聖女になれ、みたいなことを言われるならメティに頼んで彼の記憶だけ飛ばす方法を考えよう。今の私なら可能なはずだ。彼の言い分だと他の教員たちは気づいていないし、エンヴィーに関しても私とかかわった時間も関係も薄いのだからなんとかなる。
「僕の傍で働きませんか?」
「は?」
固唾をのんで返事を待った私に帰ってきた言葉に、思わず口が閉まらなくなってしまった。
働け?
いいねくださる方、いつもありがとうございます。大変ありがたいです。どうか今後ともよしなに。




