襲う蔓
体育座りで耳を澄ませると尚強く聞こえる、苦しいという声。
間違いなく何かのエーテルの声なのだけれど、声は四方八方から聞こえてどこから発せられているのかが分からない。
声を掛けようにもエンヴィーがいては不審に思われるので、そうもいかない。
時間にして落ちてから十分程度だろうか。ほんの少し冷えた風が上の穴から流れ込んでくる。
エンヴィーがいうように彼の部下がそばにいたとすれば、唯一足元の悪い散策にも全く文句ひとつ零すことなく同行していたあの女子生徒だ。
彼とはまた別の護衛だろう。何かあった時のために生徒に紛れ込ませていたということなら、鍛えられた騎士や軍人ならあの程度の散策なんてことなかったわけだ。
全く分からなかった、とため息を吐いたときだった。
―――――『ごめんなさい、抑えられない』
「えっ――――きゃっ!」
今度は抑えられない、という悲痛な声が聞こえたと思ったら次の瞬間、私はエンヴィーに抱えられて壁の端へと飛んでいて思わず悲鳴が上がる。
お姫様抱っことかじゃない、完全に脇下から掬われて荷物状態だ。彼との身長差もあるが、どこから来ているのか分からない腕力で持ち上げられていて足が地についていない。
何事、と慌ててさきほどまで私がいたところに顔を向けたら大量の蔓が襲い掛かってきていた。一つ一つは割と細いけれど、束になったそれは私が両手で抱きかかえようとしても余るぐらいの太さがある。
空からまっすぐに振ってきたそれが地面を揺らすのを見て、その勢いの強さが分かる。
「な、なんで……」
「……」
蔓はそこに獲物がいないと分かったかのように一瞬周りを見渡すようにその先を蛇の頭のようにぐるりと回し、こちらの存在に気付いた瞬間にまた襲い掛かってきた。
腹周りに力の入った圧迫感が増し、勢いよく走り出したエンヴィーに抱えられるしかない状況では息すら出来ない。
走るたびにあの蔓の頭がぶつかる音が響いて、なんとかすれすれで彼がそれから逃げていることが分かる。
「盛れ――――”ロッタ”」
ボッとすぐそばで小さく爆発した音が響いたのと同時に、熱と火花と赤が瞬く。
傍で聞いたから音こそ大きかったものの、上がった火は襲ってくる蔓の先を燃やす程度のもので怯んだ様子のそれを見て、舌打ちをしたエンヴィーが私を抱えなおして再び走り出した。
広いとはいえど、場所は限られている。
頭が彼の背中の後ろがわに来ているから、走った後にぼたぼたと押し続ける赤に血の気が引いた。
彼は怪我をしたまま私を抱えている。
「自分で走れますからっ!」
「理由は分からないが、狙われているのは君だ」
先ほどの攻撃で向こうの動きが少し止まったと分かると、気を遣う余裕もないのだろう、急に手を離されたので私もたたらを踏んでしまい、なんとか姿勢を整えた。
ここには食肉の植物などなかったはずなのに、と彼の深まった眉間の皺に汗が流れている。
何か出来ることはないかと思っても、こんな目にあったのは前の生も今の生も含めて初めてのことで、頭が正常に回っていない。
彼が酷い怪我を負って、何故か私が植物に狙われているということぐらいしか理解できていない。
――――『逃げて』
――――『逃げて』
―――――『襲いたくない』
そういわれても、襲ってきているのはあんたの方だと外に聞こえてしまいそうなほどの心臓の音が身体中に響いて、冷や汗が止まらない。
申し訳ないけれど、謝ってきているとはいえ意味の分からない者に殺されるのはごめんだ。
「先ほどの、エーテルの力ですか?あれで燃やしきることって出来ないんですか?」
「この囲われた中で燃やしきるほどの能力を出せば、炎が巻き上がって俺たちも巻き込まれる。先ほどのもかなり加減をしたが、この状態で調整しながら何度もは……」
痛みを誤魔化しながら集中力を持つのが難しいのだろう。
傷の場所を抱えながら、岩陰より向こうの様子を窺う彼の表情はどんどんと血の気が引いているように見える。
傷の程度でどの程度の状況なのかなんて、私では分からない。
呼吸が浅い状態で、それでも視線はまっすぐに敵を見る彼を横目で見ながら、なぜ自分が狙われるのか考える。
何を、あれは追ってきているんだろうか。襲いたくないというのに、襲わざるを得ない状態にさせているのは何が原因だ。
落ち着け、焦るな。いつ襲ってくるか分からない、一瞬で落ち着け。
息を、息を大きく――――大きく吸って、気付いた。
「……甘い匂い?」
先ほどまで果樹園にいた時に感じていた匂いとは違う、砂糖を煮詰めきって、どろどろに溶かしたぐらいに濃度の高い甘い濃い匂い。
私が呟いた言葉に、エンヴィーがピクリと反応して見渡したと同時に息をのむ音がした。
なぜここに、と言いながらわずかに身を乗り出しながら彼の視線をたどると、その先にあったのはまるで玩具みたいに感じるほどの蛍光色の明るいピンクの花、例えるならラフレシア、みたいな。
少し前まであんな花はなかったはずなのに、今ではその匂いを隠せないほどの大きさと色の存在感に気付けなかった違和感を覚えながら、あれが良くないものだと言われずとも分かる。
あの異様な花から声が聞こえない。
「なんですかあの花……」
「他の植物などに寄生して、そばにあるエーテルを貪り食いに行かせる。通りで多動性ではない植物が襲ってくるわけだ」
「そんなのが自然にあるんですか?」
「人工だ、人の手で作られた花。人工花」
私の持っているエーテルは、誰から見ても下級市民レベルの状態にしか見えないように調整して蓋をしている。植物が襲ってくるという時点でこれまでの常識からかなりずれているのだけれど、とにかくあれの獲物はエーテルでそれを求めて動いているとしたら心当たりは一つしかなかった。
首から下げていた小さな袋を取り出し、彼に見せる。
いきなり服に手を突っ込んだ私を見て怪訝そうにした彼だったがその中身を見せたら目を見開いて、なんでそんなものを下級市民の君が持っているんだと苦々しい声で怒られた。
「講義で……アラン先生にいただきまして……」
「そんな気軽に貰うような代物じゃない!」
出てきたのは部屋に置いたままだとまずいだろうと思っていた、高級すぎて何故か貴重品一番手になってしまっていた花の石。自身のエーテルは隠していたけれど、エーテルの依り代になると言われていたこれがどんどん私のエーテルを吸って満たされていたのは隠す必要も感じられずそのままにしていた。
暗がりの中なのに、それはいっそ怪しいほどに鈍く赤く光っている。
血も足りなくなってきているのか、余裕がどんどんとなくなる彼が浅い息のまま、後で埋め合わせをするからそれを囮に使わせろという。そんなの是非もない。断る権利すらない。
肌身離さず持っていたら私のエーテルで染まってしまっているけれど、そういうことならいい囮になるだろう。
「どうにかして、あれの動きを止める。正面からやりあわなければ大元の根は燃やせるはずだ」
ふ、と息を吐いて前を見据えて狙いを定めた彼は、大きく振りかぶって花の石をかなりの勢いで投擲する。
パシリと反対側の壁に当たったのだろうそれを、彷徨う様な仕草をしていた蔓が追いかける。
―――『どうか、殺して』
「!」
聞こえた声に思わず待ってと言ったものの、彼の耳には届かない。
駆け出して行ったエンヴィーの背中はあまりに早く、まるで怪我をしているなんて思わせないほどの動きで花の石に向かっていったうちの一部が彼に気付いて襲ってくるものをも壁を駆けて除けて行く。
帯剣していた剣に、また呪文を唱えて今度はその炎を剣に纏わせながら蔓の奥、その根元に突き刺す。
木が焼かれる臭いが鼻を刺し、彼は残りの力で引き切る様にその根を切り落とした。
切り目には焦げ跡が付き、勢いで着地した彼はそのまま地面に倒れ込む。
「エンヴィー様!」
切り落とされた蔓が彼の周りにぼたぼたと落ち、息も絶え絶えにずるりと動くが先ほどまでの俊敏な動きはない。
あのラフレシアのような花がエーテルを吸うというのならば、彼のエーテルも吸われていたはずなのによくもまぁここまで動き切って見せたものだ。
倒れ込んだ彼のそばに寄ると、視線が合う。
「じっと……しておくんだ。必ず助けがくるから……」
「わかりましたから、大人しくしてください」
意識を失ったらしい彼の額に手を当てて、感じた温もりはあるものの明らかにエーテルが足りていない。
私のように内に秘めて隠しているわけがないのだから、ずっと吸われ続けていたのならエーテル切れが先に起こっている。これでは鍛えているとはいえ気を失うはずだ。
落ちた蔓は、まだわずかに震えながら動いている。
―――『傷つけたくなんてなかった』
声にならない蔓の声が、頭に鳴り響く。
あまりに悲痛で、悲惨な声。思わず共感して、胸に鈍痛が伝わる。
エンヴィーに切られたことへの痛みより、死にゆく自分に安堵しているその気持ち。
無理に動かされた蔓は至る所が傷ついていて、潰されたり折られたりしている。
その状態でも、小さな薄紫の藤のような可愛い花がふるりと揺れる。
きっとこの子は、この花のように優しく可愛らしい暖かな植物だったはずだ。
―――『ごめんなさい』
必死に蔓が力も絶え絶えに手を伸ばすように、エンヴィーの傷ついた頬を撫でた。
彼は、それに気付けない。
唇を噛みながらそれを見守っていたのに、視界の端に動いたそれに気づく。
あの花が、花の石のエーテルをも吸って今度はこっちに寄ってきていた。
どういう仕組みか知らないが、エーテルを吸って肥大化している様子な上に、触手のようなものが生えてずるずると地面を張って向かってくる。
普段なら、気持ち悪くて逃げまどっていたかもしれないが、私の頭を占めていたのは怒りだ。
これ以上、なにを取ろうというの。
倒れたこの人から?――――この、弱った子から?
「”ふざけるのもいい加減にして”」
この世のもので私を拒むものがいないというなら、貴方だってそうでしょう。
私は、いま、酷く――――怒っている。
ピクリ、と動いたその花はぶるりと震えた後、早送りを見せられているかのように花の花弁の、その触手の端からぐしゃりと枯れていく。
感情のままエーテルの箍を外すと瞳の奥でちり、と熱が籠ったのが分かる。抑えることなんてせず、それを睨みつけるとあの毒々しさはどこにあったのか分からないほどに枯れて、萎れて、地面にへばりついた。
ふと、溜息をつくとどこからか、歌が聞こえた。
――――聖女の歌だ。あの子がエーテルを声に乗せて、エンヴィーを守っている。
瞼を閉じる。この場所一帯、切られた蔓を覆うように私の中に有り余ったエーテルを這わせて、包み込む。
「”まだ生きたいなら、もう一度生まれておいで”」
切られたものを元には戻せないけれど、生きるための力ぐらいなら貸してあげられる。
風に揺れる、優し気な花を咲かせて。虫を誘う柔らかな甘い香りと、彩をもう一度。
花は、種に。
種に、小さな芽が生えて。
光に包まれた芽は、地面から細い蔓を伸ばしながら太陽の光に手を伸ばす。
――――『生きたい』
きっと来年の今頃には綺麗な若紫に会えることを、私は心から願っている。




