36話 見習い仙女
波紋一つ起こさないほど泰然と、少女は水面に立っている。
少女は何かを見つめるようにぼんやりと虚空を眺めていた。
眉を顰め一つ頷くとひたひたと素足が水を跳ね上げるように海上をぐるぐると歩き出す。
「うーん。ここにはもう何も残ってないすね。お爺様もいい加減っす。普段通りっすけど」
フフを言う名を持つ少女は自分を投げ飛ばした曾祖父を思い出し愚痴をこぼす。
いきなり行って来いと大陸一つ分以上の距離を飛ばされただから、愚痴の一つは当然だろう。足りないと言ってもいい。
見渡す限り何もないまっさらな風景と海の青がどこまでも広がっている。
アレットが流れ着き、二人と出会った異界の島はもはや影も形もない。
少女ならば影と形の隙間こじ開けられるが、開けずとも分かる。もうここにも何もないと。
「じゃあっちに行ってみるっすかね」
フフが虚空を見つめながら呟いた先は、アレット達が進んだ大陸だった。
ここにいた男の残滓を調べてこい。そういわれた少女は、男の残滓がこの場にいた三人の誰かに宿っている。もしくは纏わりついていることを、現在から目視した。
ひょいと一つその場で跳ねると、一つ広がった波紋を残してその場から消えうせた。
「いやー!この街のご飯はおいしいっすねー!」
海上から消えた少女は、その半月後にトルシスの街にいた。
アレットたちがトルシスを離れた、その四半月後だ。
少女は男の残滓、正確には残滓を持って行った三人を追いかけてトルシスまで来た。
海上で見た方法と同じ方法で調べようとしたら、この街には人が多すぎて、フフには見分けがつかないのだ。
山奥の田舎で生まれ育った少女には、人口一万人もいない街でも大都会である。人に酔い調査どころではなかった。
――しかし、人間の街はお金がないと何もできないんすね……。
自給自足と物々交換という原始的な経済間隔しか持たない少女は、街に入るには税金がかかることも、食事にお金がかかるということも知らなかった、その上裸足で歩いていることがおかしなことだとも知らなかった。
――足裏の空気を固めれば浮かべるし、汚れても魔術で洗浄できるのに、靴なんて窮屈っすよ……。
ちなみに普通の人間の皮膚は裸足で山岳地帯を突っ切れるような強靭性がないことも知らなかった。
「ほらほら、せっかくのおいしいごはんっすよ。お兄さんも食べるいいっすよ」
「……ははは。ありがとう。でも遠慮しておくよ」
フフは積みあがった皿と自分の財布を見て涙目になっている男性に目を向ける。
自分にお金とその稼ぎ方を教えてくれた門番のお兄さん。冒険者ギルドで忠告通り路銀とやらを稼いだ帰りに偶然会ったので、少女たちを追っているというと門番のお兄さんはひとしきり驚いた後、これも何かの縁だとおごるから夕飯でも一緒にどうだと誘ってきた。
フフも喜んだ。以前は山奥で取れる獣と野菜しか知らなかったが、最近は人間の料理という者を知り、すっかりはまっていたのだ。しかしお金がなくては食べられないので我慢していたのだ。
「…………女性を食事に誘うなんて、俺には不相応ということなのかこれは……」
その結果が山積みの皿と空っぽ財布だ。少女に悪意はないが、男性には後悔が強い。
好きに注文してくれ言われたのでメニュー全部を注文したのだが、門番のお兄さんが泣きながら勘弁してくれと言ってきたので半分はキャンセルしてしまった。
それでも門番はツケが利く店で良かったとつぶやいているのが印象的だ。
「そっそれで、君はアレット君たちを追いかけているのかい?どうしてなのか教えてもらってもいいかい?」
少女が食事を終え門番は少女に質問する。
アレットたちを追いかけているというなら行き先を教えてあげようと思ったのだ。
アレットたちは海で商隊が壊滅し流れ着いた海岸から歩いてこの街に来たといっていた以上、正直アレットたちの居場所を突き止めるが早すぎる気がしないでもない。
しかし大した問題じゃないだろう。アレットたちは年齢に見合わない戦闘能力と人格を持っていた。この少女もなにか自分には分からないすごい力があるのだろう。
門番のお兄さん(二十歳)は、そんな親切心と下心の持ち主だった。
――うーん。さっそく手掛かりがつかめたっすね。私ってやっぱり運がいいんすね!
フフは門番が何を考えているのか全く分からなかったが、三人組の少女たちの動向が分かり顔に笑顔を張り付けながら、内心では小さく安堵の息を吐いた。
三人組の……正確には男の残滓の持ち主の行方が分かってよかった。もし見失うと恐ろしくて帰れなくなるところだった。
最低でも自分を飛ばして曾祖父の言いつけ通り、男の残滓とやらが安全なのか確認しなくてはならない。五千年だか五万年しらないが、あの仙人から仙術を教わり、仙界を構築できるほどの使い手だ。死んでも幽霊になってこの世にとどまっているのなら、なんとかして成仏した後の残り香だけでもどれほどの脅威になるか分からない。
――それもこれも、大爺様がしっかり管理しておかないから……。尻ぬぐいは自分でしてほしいっすよ。
フフの曾祖父は隠居しているからと、自分の弟子たちの問題を孫たちに押し付けている。隠居した自分はもうこの山から出るつもりはないと。
幼く世間知らずな少女も、あの怪物が自分で後始末すると世に出ると被害が拡大すると理解しているが、頬を膨らませてぶー垂れている。
――しかし冒険者ギルドは便利っすね。魔物を倒せばお金がもらえるなんて知らなかったっす。
フフは最近倒して持ち帰ったキノコの森の主を思い出す。
巨大な体と高い身体能力が脅威。ただそれだけの弱い巨大キノコ。
モアナが叶わなかったその魔物は断じて弱くなどないが、フフにとっては朝飯前であった。
「【照準:危機】【偽眼:先見の悪魔】」
少女は囁くように術式を起動させる。
見つめるはこの先起こるであろう三人の危機。
少女は嫌悪しているが、この術は見たい未来の状況が悪いほど精度が上がる。
三人が進んだのは神秘の森エニアというらしい。見える風景と照応し、この先いつまでなら生きているか、男の残滓は影響しているかを見ようとする。
少女の目には、竜の様な鱗を全身に着けた少年。体が植物に侵されている少女。闇と混ざり合う少女が見えた。
幼い仙女は、その瞳を閉じるとその悲劇を静かに見つめた。




