敗走
俺は走った。
心臓も裂けよとばかりに走り続けた。
(なんだアイツは?なぜ俺の体が動かなくなったのだ?)
得体の知れない男。
俺は正直、一撃でカタが付くと思っていたが甘かった。
とにかく森から出なくてはならない。
この森はセドの息がかかった森である。
(−!!)
前方に斧を持つゴブリンが現れた。
こちらに気づいたようだが俺はお構いなしで速度を上げていく。
体制を低く! そして早く! 早く!
俺は疾風のような速度でゴブリンの横を駆け抜けた。
その後も何度か魔獣と遭遇したが俺には戦いをする気がない。
このまま逃げても、立て直す体制があるわけではない。
しかし相手の手の内も知らないのに戦いを挑むべきではなかった。
(……み……水……)
走り続けてどれくらい経ったであろうか。
俺はカラカラに渇いた自分の喉に気づく。
しかし森の水は飲めない。
いや。実際、ブラッドがやったようにこの森の水に陽の魔力を注げば飲めるようになるのは分かる。
分かってはいるのだが、今それを試す時間はない。
(あの時、ブラッドにきちんと習っておけば良かった。)
後悔先に立たずとはまさにこの事だ。
俺はひりつく喉の渇きを堪えながら走り続ける。
(明かりだ!!)
俺は太陽の光の下に飛び出した。
そして俺はイズンの大地を目指す事にする。
あそこには小川が流れていたハズだ。
光の下に出た俺は、傷だらけの体に気付く。
森を駆け抜けた為に枝や蕀で傷付いたのであろう。
俺は渇いた喉を潤す為に傷口から滴る血液を舐めた。
口の中に鉄の味が広がる。
飲み水が手に入らないというのはなんと惨めなものだろうか。
しかし今は命があった事を喜ばねばなるまい。
追っ手に気を配りながら歩を進めていく。
口を開きゼーゼーと肩で息をする俺の耳に、小川のせせらぎが聞こえてきた。
俺は顔を上げて周りを見渡す。
川までは距離がまだあるハズだが。
ああ。
狼の聴力のせいか。
俺は改めて銀狼一族の体を手に入れた事に気付かされる。
この脚力が無ければ逃げ切れなかったかもしれない。
俺はヘルの体に感謝する。
それにしても、水の音が聞こえてくるだけでも力が湧いてくるものである。
俺は大地を踏み締め前に進んでいく。
水の音が聞こえ、少し冷静になった俺の頭にブラッドとフェンリルの事が浮かんできた。
フェンリルは大丈夫だっただろうか?
俺が逃げ出した時、助言をしていたし。
一日一緒に過ごしただけだが、単純に敵とは思えなかったんだよな。
そして再び気付かされる。
自分の体がユグドラシルを襲った銀狼一族ヘルのものだって事に。
この体のまま王都ユグドラシルに戻っても城門から中へは入れてもらえないだろうし、ミントに会うのは不可能だろう。
俺が分身する前に確か女王になるって言ってたからなあ。
ジェードである俺がミントへ説明してくれていればいいんだけど。
だが……ジェードやヘルの存在は良いとしても《俺》という存在はどう説明するんだろう。
「俺は高橋斗真!食べられると意識を乗っとる牧草です!」とでも言うのだろうか?
いやいや。いやいや。いやいや。
よく考えてみたら俺が一番バケモノじみているではないか。
まともな説明では通用すまい。
頑張れジェード(俺)。
希望的観測ではあるが、ミントに上手く説明しておいてくれる事を祈る。
他力本願ではなく自力本願だ。
そんな俺の鼻をくすぐる、良い香りがしてきた。
(水だ!)
俺は小川に駆け寄り小川に顔をつける。
「おいしいっ!!」
思わず言葉が口から飛び出した。
周りには誰もいないし、この感動を伝える相手はいないのだが。
いや。
そうではなかった。
俺はこの世界に来て気付いたではないか。
頭での理解ではなく、体験として。
全ての物には命があり意思がある。
もしかしたら、無機物にだって意思が宿っているかもしれないのだ。
無機物に意思がないなんて人間が決めた答えである。
今、飲んだ水だって俺の体は感謝の言葉をあげ、水の存在を歓迎している。
飲み水に感動していると俺の体に衝撃が走る。
「ヘールちゃーん!! みーっけ!」
フェンリルが両手を広げて俺に飛び込んできたのだ。
あまりの勢いに踏ん張りきれなかった俺はフェンリルを支える事もできず、大きな水飛沫を上げて川に落ちた。
いや。
何かが近づいている事はわかった。
足音のリズムからフェンリルという事も判っていた。
しかし、ここまで早く到着するとは思わなかったのだ。
「フェンリル! なんで!?」
「なんでってなんで!?心配したんだよ!!」
話を聞いてみると、フェンリルは、あのあと直ぐに俺を追ってくれていたらしい。
「ブラッドは!?」
フェンリルが無事だったのは嬉しいがブラッドはどうしたのだろう?
「あー!ヘルちゃんブラッドに会いたいんでしょー! 召喚術で呼べるよ。ヘルちゃん召喚術下手だから私が呼んであげるね!」
おいおい!ブラッド以外の者も付いてきたらマズイだろ。
俺はフェンリルを止めようとしたが、既に魔方陣は地に描かれていた。
そして召喚されたブラッドの姿は、いつもの飄々とした姿ではなく朱色に染まっていたのだった。




