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ファキア、フェリス 3

「ふわ~っ。旨かった旨かった。あれは中々の美味であったな」

 満足そうな笑みを浮かべる彼女と、家路を辿っている最中。

「いてっ!」

 目の前から歩いて来た女性とぶつかった瞬間、僕の腕に痛みが走る。

 見ると少しだけ血が出ていた。

「あっ、すいません!」

 ぶつかった女性が駆け寄ってくる。

「すいませんすいません。バッグの金具が引っかかっちゃったのかな。ちょっと見せてください」

 そう言って彼女は僕の腕を掴む。

 ショートの黒髪、はちきれんばかりのバスト、そして何よりいい匂いがする。

 次の瞬間、僕の腕に感じる柔らかい唇の感触。

 その中で滑らかにうごめく舌。絞り出すような口の動き。

 街の喧騒の中、その異常な光景に時間が止まったような気がした。


「これで大丈夫。じゃあすいませんでしたっ」

 何事も無かったかのように去っていく女性の後ろ姿を、僕はただただ見つめている。

 そして、僕の脛に衝撃が走った。

「いてっ! 何すんだよ突然」

「さっきから何度も呼んでるのにお前がぼーっとしておるから蹴飛ばしただけだ。余が隣におるというのに他の女にデレデレしおって。失礼ではないか」

――そして、険しい表情で彼女は続けた。


「お前、この世界には魔族は居ないと言う話だったな?」

「ああ、そんなもの今まで見たことも聞いたことも無い」

 目の前にいる彼女を除いては、だが。

「あの女。人ではないぞ」

 彼女の言葉を聞いた時には、もう先程の女性の姿は見えなかった。


「人じゃない? それは一体どういうことだ?」

「言葉の通りだ、あいつはこの世のものではない。余には分かるんだよ、魔族の匂いがな」

――魔族の匂い。

 先程の女性から香った、とてもいい匂い。

 魔王の匂いとは全然違うが。何というか、魅惑的な香り。

「それに微妙の魔力を感じた。早く帰って側近に話してみるとしよう」

 妖しくテカる小さな傷口。

 これが新たな問題の種になるとは、この時の僕にはまだ分からなかった。


「ただいまー」

 楓の靴が無い。まだ帰って来てない様子だ。

 リビングに行くと、出かけたときと変わらない姿勢のままでアニメを見る猫の姿があった。

「おかえりにゃさいませ。せらるにゃ様、勇士様。おお、何と可愛らしい姿にゃのでしょう。よくお似合いでございますよ」

 そういえば、この側近。『な』が言えない。

「ふふん。そうだろうそうだろう。なぁ側近、今日はとても旨い食べ物を食べたぞ。海鮮ちんぽんと言うんだがな。それはそれは美味であった」

「ほほう、海鮮ちんぽんですか。それは是非食してみたいものですね」

 あれ? 無反応? 女子の口から破廉恥なワードが飛び出しているというのに。

 それとも僕が気にしすぎなのか? 


「海鮮ちゃんぽんだけどな」

「ほう。ちゃんぽん、と言うのですね」

「な、なあ側近。ちょっといいかな」

 僕は彼女から距離をとり、側近にそっと耳打ちをした。


「側近は男、なんだよな?」

「ええ、今はこんな姿ですが。れっきとした男です、ちなみに今もオスです」

「そうか、それなら良かった。ちんぽんって言葉を聞いて、何か違和感を感じないか?」

「ちんぽんですか? ああ、実はせらるにゃ様は小さい『や』の発音が余り得意ではにゃいのですよ」

 そうだったのか。だからちゃんぽんと言えなかったんだ。

 いや、そう言う話ではなく。

「ちんぽんだよちんぽん。何かおかしいっていうか、恥ずかしいっていうか。そういう感情が湧いてきたりはしないか?」

「ちんぽん……。いえ、特にそのようなことはありませんね」

 まてよ。これはもしかして、そのような単語自体魔界には存在しないのか? じゃあ魔界では何と言うのだ? 気になる、ものすごく。

「なぁ、これは男同士だから聞ける話なんだが――」


「へー。そんな言い方をするんだ。うんうん、どおりでな」

 側近の口から放たれたワード。それは僕にとって耳に馴染みがなく、それでいていやらしさ、恥ずかしさの欠片も感じさせない言葉だった。

 納得する僕を、不思議そうな顔で見つめる側近に説明をする。

「ははっ。それは災にゃんでございましたね。あれ? 勇士様、ちょっと失礼」

 そう言うと側近は僕の腕に鼻を近づけた。

「これは……。勇士様、この傷はどこで?」

「この傷?さっき人にぶつかった時――」

――あの女、人ではないぞ。

 そうだ、忘れていた。さっきの魔王の言葉を思い出す。


「女の魔族……ですか」

「そうだ、お前なら何か知っているだろう?」

「こちらに調査に向かわせたものは、私の知る限りみにゃ死亡したはずですが。でもせらるにゃ様が見間違えるはずはありませんし、それに勇士様の傷口からもやはり魔族の匂いがしますね」

「そうだろ。魔力も大したことはなかったし、人間に害をなすようには見えなかったが。だからと言って見過ごすことも出来ぬな」

「なぜこの場所で魔族が生存できているのか、それが気になります。せらるにゃ様はまだ平気そうですが、私も少し体調が悪いと言うか、動きたくにゃいというか、ただ黙ってアニメをにゃがめているほどに体力が落ちています」

 いや、それはあんまり関係ないんじゃないか。

「魔力補給、そしてその女魔族を調査するためにも一度魔界に戻ろうかと思っていますが、せらるにゃ様はどうしますか?」

「ふむ、余はめんどくさいから行かぬ。それに余が居らんとこいつが大変じゃろう」

 そうか、僕は彼女が傍にいないと禁断症状に襲われるのか。

 大魔王、何だかんだいって優しい奴なんだな。

「そうですか。では私は一度魔界に戻りますので、どうかあまりご迷惑をおかけににゃらぬように」

「迷惑などかけるわけがないだろう。子供じゃあるまいし」

 どう見ても子供です。本当にありがとうございました。



「ただいまー」

 午後六時、夕飯の支度をしていると楓が帰ってきた。

 いつも夕飯時にはきちんと帰ってくる、嬉しい限りだ。

 だけど、いつか楓も夜遅く帰ってきたりするんだろうか。

 そう考えると少し寂しくなる。娘を持つ親の気持ちはこんなものなんだろうか。


「わぁ。セラルナちゃんすごい可愛いね! 良く似合ってるよ」

「ふふん。そうだろう。余は何でも似合うのだ」

 自慢気にくるりと回ってみせる彼女は、こうしてみると普通の女の子。

 第七十七代目にして、何故彼女が大魔王と呼ばれているのか。

 その理由は、今の彼女からは想像もつかなかった。

 

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