魔王の唾液に満たされて 3
「いえ、私共は人間ではございません。魔族です」
魔族? 異世界の次は魔族かよ。どんだけハードル上げるんだよ。
「ちょっと待ってくれよ。じゃあその女の子も魔族なのか?」
「ええ、このお方は魔族の王でございます」
魔族の王? この子供が魔王? いくら何でもやりすぎじゃないかその話は。
「冗談だろ? この子が魔王って」
「魔王ではありません。大魔王です」
でっかくなっちゃったよ。大ついちゃったよ。
白猫はすくっと立ち上がり、声を張って言った。
「この御方こそ、だいにゃにゃじゅうにゃにゃだい大魔王。せらるにゃ・すとにゃ・にゃみにゃーにゃ様である!」
うん。全く分からなかった。
ってか噛み噛みじゃねーかよ! にゃにゃにゃしか聞こえないよ!
「失礼、噛みました。ではもう一度。だいにゃにゃじゅうにゃにゃにゃ――」
「いや、もういい。もう何でもいいです」
「何かわかんなくなってきちゃった。お兄ちゃん後お願い、アイス食べてくる」
楓はそう言うとさっさとこの場を離れた。
ちょっと待ってくれ、一人にしないでくれ。
「しかしこの子が大魔王だなんてな。もっとこう、迫力と言うか。魔王ってのはそういうもんだと思ってたけど」
「いえ、せらるにゃ様も元はこの様にゃお姿ではございません。その服が以前に着ていた物です。やはり私と同じくにゃにかしらの影響があったものと」
「そうだぞ! 何で余がこんな子供の姿に! 側近貴様覚えておけよ!」
「そんな事言われましても、そもそもついて来ると言ったのはせらるにゃ様ではございませんか……」
正直、驚いたのは驚いたが実際どうでもよかった。
話を全部信じたわけでもない、早く帰ってくれないかな。
「とりあえず話は分かったけど、僕も暇じゃないからそろそろ帰ってくれないかな。一人じゃないし、子供ならまだしも魔王だったら自分で何とか出来るだろ」
「随分冷たいな人間。貴様には心というものが無いのか?」
何となくそのセリフを魔王に言われたくない気がする。
「僕らみたいな一般人が魔王に出来ることなんて何にもないよ。魔王なんだから魔法でなんとか出来たりするんだろ? 何しに来たのか知らないけど、世界征服でも何でも勝手にやってくれよ」
「魔法など使えぬ。いや、使えなくなったと言うのが正しいな」
話を聞くと、姿だけではなく魔力というのも殆ど失われたようだった。
つまり、ただの子供と喋る猫である。
「そして我等は支配しに来たわけではない。このちきうとやらに興味があっただけだ。人間にも、そなたらにも危害を加えるつもりなどないのだ」
危害を加えることなど、全く出来なそうな彼女が言うのはひどく滑稽な気がしないでもないが、人間に敵意はないみたいだ。
まぁ悪い奴等じゃなさそうだな。可愛いし。
「人間! 余は空腹だ。何か食わせろ」
「おい。それが人にものを頼む態度かよ。しかも僕には勇士――」
突然、心臓の音が聞こえた気がした。
息苦しい。胸が痛い。ダメだ、倒れる――。
「お兄ちゃん!? お兄ちゃんどうしたの!? しっかりして!」
楓が走ってくる。こういう時はちゃんと心配してくれるんだな。
一体どうしたって言うんだ。胸が、心臓が潰されそうだ。
「大丈夫だ。ほれ、ちょっと口を開けてみろ」
自分の膝に僕の頭を乗せ、彼女が言った。
苦しい、助けてくれ。僕は口を開ける。
「じっとしておれ」
そう言うと彼女は口を開け、僕の口に唾液を一滴。
ゆっくりと、妖しい輝きを放つ蜘蛛の糸の様に垂らした。
――ああ、何て甘美な味なんだ。
彼女の唾液が舌先に触れた瞬間。口の中に広がった感覚。
それは今まで感じたこともないような、えも知れぬ味わい。
僕の身体の隅々まで染み渡る多幸感。
――このまま死んでもいい。そう思うほどに。
「もう大丈夫だろ?」
笑った彼女の笑顔に、心臓が高鳴った。
「うわ~。何かすごいエッチだよ」
両手で顔を隠す仕草の楓。確かに、我に返ってみると物凄い事をしてた気がする。
「今のは一体……」
「ああ、多分余の魔力にあてられたのだろう」
「魔力にあてられた?」
「そうだ、お前は倒れた余を抱きかかえただろう? 魔力の無いものが余に近づくとそういう事が起こるんだよ」
おいおい何だよそれ。歩く人間、いや人間じゃない。歩く凶器じゃないかよ。
「まぁよかったな人間よ。余が子供の姿でなければ死んでいたぞ」
クックック、と笑う彼女。笑い事じゃないんですがこれは。
黙って様子を見ていた猫が喋りだした。
「しかしそれはまずい事態ですね」
「どうしてだ?」
「いえ、せらるにゃ様の唾液には中毒性がありましてね。一度体内に取り込んでしまったら定期的に摂取しないと、酷い禁断症状に襲われます」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。もし摂取しなかったら僕はどうなってしまうんだ?」
「最悪死ぬ、という事もありえにゃくはにゃいですね」
え、僕死んじゃうの? 僕何か悪いことした?
「まぁ心配するな。身体が慣れてしまえは大丈夫だ、慣れるまでは余が面倒見てやる。と、言うわけでしばらくここにいるぞ」
選択肢などない。そして拒否権もない。
こうして、僕と妹。少女の大魔王と一匹の白猫。
奇妙な共同生活が始まった。




