別れ、家族、そして旅立ち 4
「私、初めて気持ちいいって思ったんですよあの時」
――あの時。僕は良く覚えてない。彼女の胸を見た瞬間に身体が熱くなって。
廃病院で彼女の胸に吸い付いたと思ったら、気付いたら部屋に居て、突然楓に殴られたっていう。
一体何だったんだあれは。何故殴られたのか未だに不思議だ。
「僕は覚えてないから、何かもったいない気分ですよ」
「じゃあもう一度、してみます?」
「す、するって、何をですか?」
「吸ってみますか……?」
このシチュエーションはもうあれじゃないか? ダメじゃないか?
どうすればいいんだ? 教えて下さい。どっちに転べばいいのか、答えを下さい。
「そっ、そうだ! どうして胸を吸うと正気が奪われるんですか?」
こっちに転んだらしい。笑ってくれ。僕にキング・オブ・ヘタレの称号をくれ。
「それはですね――」
彼女は突然キャミソールを上げた。三度目のご対面。
――やぁ久しぶりっ。そんな声が聞こえた気がする。
彼女が自分の胸を優しくつまむと、先から液体が滲み出てきた。
「『淫水』って言うんです。これが男性を狂わせるんですよ。サキュバスの唾液、そして胸。最後に……です。下に行くたびにその濃度は増していくんです」
なるほど、危険な体液だと言う事は分かった。
「えいっ」
自分の指に付いた液体を、僕の唇につける。悪戯好きの小悪魔の様に笑いながら。
「なっ、なにするんですか!」
おかしい、回避ルートはないのだろうか。称号は授与されないんだろうか。これが世界の選択だとでもいうのか。
「ふふふ。それにしても、ここまで正気で居られるのは正直驚いています。大魔王様の魔力が入っているから従僕化はしないはずですけど」
「そうなんですか? じゃあ僕がもし口をつけても僕のままでいられるって事ですか?」
「当たり前じゃないですか、じゃなかったらこんな事しませんよ。私は勇士さんを従僕にしたくはありませんし」
そうだったのか、それじゃあ欲望に身を任せてもいいんだろうか。季節外れの卒業式を始めてもいいのか。
ん? 僕はまだ卒業していないのか? この前、精を吸われたんじゃなかったか?
「そ、そういえば、この前リリスさんが僕の精を吸ったときって、あの、最後までしちゃったりしちゃったんですか」
もう日本語までおかしくなって来たじゃないか。でもこの質問は大事だろ。スルーすることなど出来やしない。
「えっ、えっと、その……」
あっ、何かすごい照れてる。何これ、可愛い。可愛すぎる。
「口で……」
はいきた! きたよこれ! リップサービス頂きました!
何で覚えてないんだ。過去の僕、お前は何で僕にその記憶を残しておいてくれなかったんだ。
あ、待てよ。じゃあ僕はまだ卒業してないのか。
これは朗報だ。流石に初回限定版はゲットしておきたいからな。
初めては一回限り、何よりの特典じゃないか。
「勇士さん……。魔族の女はやっぱり嫌ですか?」
「いや、そんなことない、けど……」
「こういう事をしてしまうと、相手が正気を失ってしまうんです。それは淫魔の宿命、呪われた身体ですから」
彼女は寂しそうな顔で話し出した。
「初めては大切な人としたい、でもそれは大切な人を傷つける事でもあるんです。その事にずっと悩み、淫魔として生まれた運命を憎みさえしました」
それは、淫魔で有るが故に叶わぬ願い。
正気を失った相手は彼女の心を抱いてあげることは出来ない。
彼女も相手の心を抱いてあげることは出来ない。
『呪われた身体』確かにそうかもしれない。
「今の勇士さんなら、その願いも……」
そう言って、彼女は僕の手を掴んで、自分の胸に当てた。
柔らかい感触。これも三度目だ。
三度目の正直、と言う言葉があるじゃないか。
卒業式の始まりだ。大人の階段を上るんだ。
僕は彼女の胸に、そっと顔を近づけた。
「勇士さん……?」
溢れ出した涙が、彼女の身体に落ちる。
それは突然のスコールの様に。
両親が亡くなった時だってこんなに泣きはしなかった。
――お前が大人の男になれるように土産を置いていってやろう――
あのキスは、この為だった。
リリスさんに帰ることを告げなかったのも、この為。
今はっきりと分かった。
二度と、セラルナは戻ってこない。
永遠に、もう会う事はない――。
「もう来ない……。セラルナは……、もう帰って来ない……」
身体の奥から湧き上がってくる感情。とめどなく溢れる涙。
まるで子供の様に、僕はひたすら泣いた。
セラルナの名前を呼びながら、ただひたすら泣いた。




