別れ、家族、そして旅立ち
八月十一日。あいにくの曇り空だった。
昨夜、僕の呼吸を塞ぐように置かれた大きな胸は、朝にはもう消えている。
初めて会ったときと同じ、小さな少女。
少し残念な気もするが、朝からあんなものに挟まれたらどうなってしまうかわからない。理性を保てる自信はあまり無い。
今日はいつもより強い、汗ばんだ彼女の香り。頭がくらくらしそうだ。
あれ、服がびしょびしょじゃないか。随分汗かいてるな。
上を見上げると、彼女は真っ赤な顔で苦しそうに肩で息をしていた。
「おい、セラルナ? どうしたんだ? 大丈夫か?」
「あ、ああ。もう飯の時間か……? 今日は余り食欲が無くてな……」
「いや、そうじゃない。お前! すごい熱じゃないか!」
夏のアスファルトの様に熱い身体。風邪か? いや分からない。
とりあえず側近に話さないと。楓の部屋で寝てるはずだ。
「側近! ちょっときてく――」
目の前にはパンツ一枚の妹がいた。ナイスちっぱい。
「の、ノックしてって言ってるじゃん!」
「悪い、側近は何処だ? セラルナがおかしいんだよ」
「多分下じゃないかな? セラルナさん大丈夫なの?」
「わからない。とりあえず側近に聞いてみないと」
悪い病気とかだったらどうしよう。人間の薬が魔族に効くのか。
つのる心配を胸に、一階へ降りた。
「せらるにゃ様が? 分かりました、行きましょう」
一階でアニメを見ていた側近を連れて、部屋に向かう。
ってか朝からアニメかよ。その前に、一人でどうやって見たんだよ。
「熱があるみたいなんだけど、魔族も風邪ひいたりするのか?」
「ひきませんね。そもそも魔界に風邪というものは存在しませんから」
部屋のドアを開けると、セラルナは先程と同じ。ベッドで苦しそうにしている。
「せらるにゃ様。大丈夫ですか? せら――。勇士さま、私共がこの世界に来てからどのくらい経っていますか?」
「初めて会ったのが三日だから、今日で八日目かな」
「そうですか……。せらるにゃ様、せらるにゃ様。起きてください」
上に乗って大魔王を足蹴にする猫。ちょっと楽しんでないか?
「うるさい。貴様、余を踏みつけるとはいい度胸してるな。猫は嫌いだと言っておるだろ、近寄るでない」
「はいはい。お話は元気ににゃったら聞きますよ、とりあえず起きましょう。申し訳ありませんが勇士様、せらるにゃ様の身体を拭いてあげてはもらえませんか?」
「私、お水とタオル持って来るね!」
「ああ、頼んだ」
セラルナは起き上がってボーっとしている。本当に大丈夫だろうか。
「ふふ。冷たくて気持ちいいな」
「ほら、手あげて」
「いやらしいな、お前は腋フェチか」
「だから何処でそんな言葉を覚えるんだよ」
汗で濡れた彼女の身体を丁寧に拭く。真っ白な肌が、今日はほんのり赤く染まっていた。
「ちょっと待て、何でパンツを脱ぐんだよ!」
「当たり前だろう。汗で濡れておるんだから」
「お前には羞恥心というものはないのか!」
「子供の姿だからな。まさかお前は自分の妹より小さい身体に欲情してるのではあるまいな? とんだ変態だ、死んでしまえ」
「してないけど! しかも死ねとか言っちゃうの!?」
全く、いくらなんでも全裸は恥ずかしいだろ。流石に見ていられないよ。
「お、意外と大胆だな。そんなとこ触って」
「お前が拭けっていったんだ。ってか何処触ってるかわからないし」
「あーんいやーんそんなとこいじっちゃだめー」
「頭から水ぶっかけていいか?」
「ぶっかける!? 随分卑猥な事を言うのだな」
何なんだ今日のこいつは。熱で頭がおかしくなってしまったのか。
それとも、辛いのを無理に隠してるんだろうか。
「大分すっきりしたぞ。礼を言う」
少しフラフラしながら服を着て、僕の隣に座る。
「大丈夫か? フラフラじゃないか? 寝ててもいいんだぞ」
「いや、大丈夫だ。それより、少し抱いてくれぬか」
いつも僕を抱いてくれた彼女が、初めて自分を抱いてくれと言った。
僕は少し驚き、彼女の肩を抱き寄せる。
「ふふん。人に抱かれるとはいいものだな」
目を閉じて顔を寄せる彼女はとても静かで、その横顔は少し儚げだった。
「余は一度魔界に戻るぞ」
ああ、いつかはこんな日が来るとは思っていたけど。そうか、もう終わりなんだ。
「そっか、魔界に戻れば治るのか?」
「ああ、治る」
「じゃあ早く戻ったほうがいい。そんなお前見てると調子が狂うよ」
「そうだな。余は大魔王だからな」
「そうだよ。お前は大魔王だよ。だから早く元気になってまた――」
言葉に詰まる。
また、は無い。これで最後。何となくそう感じた。
「何て顔をしておるのだ。もう余がいなくても苦しむ事はないはずだ、まぁ多少はあるかもしれんが、死ぬことはないだろう」
「おいおい、随分適当だな。僕が死んだら楓の面倒見てくれよ。ゾンビになって魔界に行くからな」
「それは恐ろしい。ではそうならない為に、そしてお前が大人の男になれるように、土産を置いていってやろう。横になって口を開けろ」
それは、初めて僕が倒れた時と同じシチュエーション。
口を開けて、目を閉じる。母鳥から餌を貰うヒナの様に。
唇に触れる柔らかい感触。別な生き物の様に滑らかに動く舌。
彼女がする想定外の行動に驚いたが、湧き上がる衝動に身を任せた。
肌で感じる甘い吐息。手に巻きつくような艶やかな髪。
お互いの唾液を奪い、そして与え、激しく舌を絡める。
僕達は求め合った。まるで最後の別れを交わすように。




