乳 一本釣り
八月十日。今日も死ぬほど暑い。
「よろしくお願いします。今月号のモットペッパーです。ありがとうございます」
同じ場所、同じセリフ、同じ時間。
アタシは今日もひたすらフリーペーパーを配る。
「おっ、君可愛いね~。ねぇ何歳? 彼氏いるの? デートしない?」
「仕事中なんで、すいません」
どこの世界でも男っていうのは煩わしい生き物だ。
下半身に脳みそつけて歩いてるような馬鹿ばっか。
どいつもこいつも鼻の下伸ばしやがって。どこ見てるかこっちは気付いてんだよ。
見てないようなフリをするところがまたいやらしいね。
下衆で、愚かで、醜い生き物。
サキュバスのアタシが言うのもおかしい話だけど。
アタシは男が大っ嫌いだ。
こんな性格の所為で、仲間には随分馬鹿にされた。
サキュバスのくせに、淫魔のくせに、聞き飽きた言葉。
そういう行為が嫌だって言うわけじゃない。それは自分でも分かる。
サキュバスは淫乱な魔族。それは否定しない。
だけど、誰でもいいわけじゃない。精が摂れれば一緒だって言うけど、そういうのは何か嫌。
好きな人とするのが一番いいに決まってる。
それが女の幸せだって、アタシは信じてる。
「おつかれさま、りりさん。はいこれ」
「ありがとうございます。頂きます」
優しい顔で冷たい飲み物をくれる男性。同じ仕事の仲間。
アタシが立ってるこの場所。アーケードの下で直射日光の当たらない、比較的涼しい場所。
元々はこの人の担当だったんだけど、アタシが入ってから代わってくれた。
いつもこうして飲み物をくれるし、優しい男。
名前は知らないけど。聞いた気もするけど覚えてない。
「今日も暑いね。お、相変わらず早いじゃん。この調子じゃ今日も昼前に終わっちゃうね」
「ええ、この場所がいいんだと思います。譲って頂いて、本当にありがとうございました」
日本に来てから、もうどれくらいたっただろう。
魔力も補給できず、途方に暮れていたアタシが見つけたこの仕事。
給料は安いけど、決められた分を配ったら終わり。
この仕事はアタシにとって天職みたいなものだった。
ニコニコ笑って立っていれば、勝手に男共が群がってくる。
昼ごろには黙ってても箱の中身は空。他の人は一日中かかってるみたいだけど。
「いやいや、俺がそこに居たときはもっとかかってたもん。やっぱりりさん可愛いから」
「そんなことないですよー」
ちらちら胸を見るなよ。わかってんだよ、白々しい。
「ねぇ、良かったら今度飲みに行かない? 今日でもいいんだけど」
またそれかよ。口を開けば飲み、飲み、飲み。
馬鹿の一つ覚えみたいに言いやがって。
どうせ酒で酔わせてやっちまおうとか思ってんだろ。
普通の人間ならともかく、アタシに酒で敵うわけないんだけどね。
「すいません。私お酒飲めないんですよ」
「そ、そうなんだ。じゃあ食事でも」
「そうですね、機会があれば。あいにく最近は忙しくて、都合がついたら言いますね」
めんどくさい。早く帰りたいのに、もう向こう戻ってくれないかな。
「あっ、社員来たから戻るわ。またね」
やっと行った。差し入れは嬉しいけど、ホントめんどくさい。
「おはようございまず。相変わらず早いですね」
「おはようございます。ええ、皆さんお優しい方ばっかりで」
この人はアタシがバイトしてる会社の社員。この人はあまりめんどくさくない。
「りりさんの魅力が人を惹き付けるんですよ。これ今日の分です、先に渡しておきますね」
「ありがとうございます」
今日の分の給料。大した金額ではないけど、働いてる時間を考えるとそこまで安くないみたい。
「残り少し、頑張って下さいね。じゃあまた」
「はい。ありがとうございました」
後もう少し、頑張って早く帰ろう。
ノルマ分を配り終え、他の人に挨拶をして家路に就く。
いつものコンビニで、お弁当とビールを三本。そして週刊誌。
最初はこの世界の情報を得るために読んでいたけど、今では少ない楽しみの一つ。
初めて日本に来た時は魔界との違いにすごく驚いた。
全てが生まれて初めて目にする物ばかりで、こんな世界があるのかと。
二十四時間閉まらないお店、馬よりも早く走る車、そして街の明かり。
――綺麗な街、綺麗な景色。でもどこか悲壮的でせわしない世界。
日本という世界にアタシが抱いた感想だった。
『サミシ荘』
アタシの住んでるアパート。
周りとは全く異質な雰囲気をかもし出してるこの建物は、来年に取り壊しが決まっているらしい。
それまでの間だけ、と言う事で格安で貸してもらっていた。
実は結構気に入ってる。
アタシの他にはおばあさんが一人しか住んでないから、上の部屋も隣の部屋も空き部屋で静かだし。
六畳一間、お風呂もトイレもついて家賃二万円。この辺の相場の約三分の一だ。
テレビをつけ、買ってきたお弁当とビールを開ける。毎日ずっと同じ生活。
でも、最近は変わった。
街で勇士さんを見かけた時、すぐに分かった。この男には魔力があるって。まぁ結局魔力の正体は大魔王様の影響だったんだけど。
大魔王様とペルシャ様がこの世界に来てたのはかなり驚いた。
知らなかったとはいえ、あんな事をしたアタシはもう殺されるって覚悟したんだ。
勇士さんが止めてくれなかったら、間違いなく殺されていたと思う。
あの人は自分の危険も省みずに、アタシをかばってくれたんだ。
正直嬉しかったっていうより驚いた。酷い事をした相手を、しかも魔族だと分かっていたのに、身体を張って守ってくれた。
こんな人間がいるんだ、こんな男がいるんだって。今まで見てきたどの男とも違う。
その後もアタシを旅行に誘ってくれて、本当に嬉しかった。
日本に来てよかったって思えたんだ、この人に会えてよかったって。
あの旅行は、一生忘れない思い出。
勇士さんの為なら、何だって出来そうな気がする。
アタシの命の恩人で、初めて出会った、素敵な男の人。




