吸ってもいいですか 1
八月六日。カーテンの隙間から差し込む日差し。
隣で寝てる彼女の姿にも、もう慣れた。
彼女の匂いを嗅いでいるといつの間にか寝てしまう。優しい睡眠薬の様に。
だけど、朝になると彼女の匂いは少し変わる。
汗ばんだ彼女の身体は、夜とはまた違う妖しげな香りを放つ。
胸元に薄っすらと滲む汗。
それは、砂漠で遭難した旅人の前に突然現れたオアシスの様に、僕の喉を鳴らす。
――何考えてるんだ。犯罪にもほどがある。しっかりしろ僕。
いくら大魔王と言えど見た目は小学生女児だ。
いや、小学生女児だけど大魔王か。どっちでも危険じゃないか。
いや、でもこの衝動は僕の本心ではないだろ。後遺症みたいなものだ。
じゃあいいんじゃないか? しょうがないんじゃない? いっちゃってもいいんじゃない?
ちょっと下にさがって、ちょっと舌を出すだけで届くんだ。彼女は寝てる。チャンスなんじゃないか?
待て待て、チャンスって何だ。何のチャンスだよ。
少女の胸元を舐めるチャンスって何かもう色々とダメだろ。
冷静になった僕は、彼女を起こさないよう静かに部屋を出た。
顔を洗い、歯を磨く。
今日は朝食を作らなくてもいいから少し楽だ。
テレビをつけて、ソファーに寝転ぶ。
そういえば楓を何処にも連れて行ってないな。夏休みだし、何処かに連れて行ってやろうか。セラルナもいるし。
「おはよー」
「おはよう。なぁ楓、お前どこか行きたい所ないか? 夏休みだし、どっか連れてってやるよ」
「ホントに? じゃあ海に行きたい!」
海か。そういえば両親が死んでからは一度も行ってないな。
「よし、わかった。じゃあ海に行こう。どうせだから泊りがけでちょっと遠くまで行ってみるか」
「わーい。やったぁ! ねぇねぇ、新しい水着欲しいんだけどいいかな?」
水着か。そういえばセラルナの水着も必要だな。
「いいよ。ついでにセラルナの分も一緒に行って選んできてくれよ」
「わかった。ありがとー」
楓が嬉しそうに洗面台に向かう。そうと決まれば宿の手配か、そういえば側近はいつ帰って来るんだろう。
「おはよう、飯はまだか?」
「おはよう。第一声がそれってどんだけ食いしん坊な魔王なんだよ。準備するから顔洗ってこい」
「うむ。ではそうするとしよう」
まだ全開ではない目をこすりながら大きなあくびをしている。
本当にこいつが大魔王なのか疑問に思ってきた。
「今日のかれーらいすはまた一段と旨い気がするのだが、何か入れたのか?」
残りのカレーを食べながらセラルナが言った。
「カレーは一晩寝かせると更に美味しくなるんだよ」
「ほうほう、グジャガラみたいなものか」
グジャガラ? それは料理の名前なのか? 名前を聞いただけで食べたくないと思ったのは生まれて初めてだ。
一体魔族は普段どんなものを食べているんだろう。
「なぁ、セラルナ。近いうちに海に行こうと思ってるんだけど、側近はいつ帰ってくるんだ?」
「海? おお、それはいいな。余も随分久しぶりだ。側近は別にどうでもいい、あまり気にしないでおこう」
どうでもいいって言っちゃったよ。
魔王と側近ってそんなドライなの? 別に居なくてもいい感じ?
「じゃあ行って来ます」
「留守を頼むぞ」
玄関の前で二人を見送った。留守を頼むって、ここ僕の家なんだけど。
ふう、やっと静かになった気がする。
ここ最近一人の時間がなかったし。健全な男子たるもの、一人の時間がどれだけ重要であるかは女子にはわかるまい。
玄関の鍵を閉め、カーテンを閉める。
手の届くところに……ある。準備は万全、ぬかりはない。
全てを解放して、いざ行かん――。
旅の途中、インターホンの音が僕の足を止めさせる。
マジかよ、誰だよ、ふざけんなよ。もう結構進んでたのに。
カメラを見ると、映っていたのは女性の姿だった。
「どちらさまですか?」
「こんにちは。私の事覚えてますか?」
画面に映る女性。知り合い? いや、覚えてないな。
とりあえず直接確かめてみるか。
「あっ、すいません突然。覚えてませんか?」
玄関のドアを開けると、彼女の姿を見て思い出した。
この前ぶつかった、セラルナが人間じゃないって言っていた子だ。
「この前の?」
彼女はニッコリと笑って、この前のお詫び、と袋を差し出した。
ほのかに香る、この前と同じ匂い。
「あ、わざわざありがとうございます。とりあえず上がってください、お茶でも出しますよ」
「じゃあお言葉に甘えて」
何故僕は彼女を家に入れたのか、この時は全く分からなかった。
まるでそうすることが決まっているかのように、自然に身体が動いていた。




