043 辺境伯家の古鍵
照会札の返答には、「早鍵処理済」とあるのに、誰がその早鍵を命じたかが無かった。
朝の中央棟で、私は仕修席から返ってきた薄い返答紙を机へ広げた。灰綴十六の件につき、監査立会用修補戻し仮受は早鍵処理済、ゆえに返納相当。書いてあるのはそこまでだ。主鍵所在欄が無い。副鍵使用刻限が無い。欠支弁引受者も無い。
「返す気だけはある顔ね」
ミラが向かいから身を乗り出した。
「でも、何で開けたかは書かない」
私は「早鍵」の二字へ指を置いた。刻限の急ぎ方を書くときの筆ではない。紙の裏に、もっと古い言い回しが沈んでいる。
「これ、半刻早く鍵を受けるという意味じゃありません」
私が言うと、ミラの目が細くなった。
「主鍵が来る前に、別の鍵で先に開けた。そういう綴りの書き方です」
窓辺で港からの受取札を読んでいたローデリクが、そこで紙を置いた。
「その呼び方を、まだ使っていたか」
彼はそれだけ言って、机の脇の鍵掛け板ではなく、その裏の小扉へ手を伸ばした。ふだん見せない板だった。外した錠は新しいのに、中から出てきた細箱は古い。黒布に巻かれ、角が擦り減っている。
「来い」
通されたのは領主館の北側の小部屋だった。火を入れていない書付部屋で、壁際に古い家印箱と封蝋盆が積んである。ローデリクは細箱を卓へ置き、布を解いた。出てきたのは、私の手首ほどもある黒鉄の鍵だった。輪は太いのに、歯だけが妙に薄い。柄には、骨札が黒紐で結わえられている。
「辺境伯家の古鍵ですか」
私が訊くと、彼は頷いた。
「権威の印じゃない」
ローデリクは骨札を裏返した。
「王都の主鍵が届かないとき、北で先に開けるための副鍵だ。開けた間に欠けた荷も銀も、閉じるまでうちが仮に負う」
喉の奥が少しだけ乾いた。だから王都は、倉ごと欲しがる前に、いつも鍵から書く。責任を負う家の名だけ借りれば、返送印も受取人も細らせたまま荷を動かせる。
私は骨札へ触れた。紙ではないのに、刻まれた字の欠け方が指に残る。
北路修補戻副鍵。
主鍵未着の間、領主代理は仮開扉を許す。
ただし開扉より閉扉までの欠荷、欠銀、焼失、未着は、辺境伯家欠支弁として先受する。
「重い規定ですね」
私が言うと、ローデリクは笑わなかった。
「軽ければ残っていない」
ミラが返答紙を取り上げた。
「じゃあ、灰綴十六の『西三号早鍵』はこれを借りた顔をしてるのね。あなたの家の欠支弁だけ勝手にぶら下げて」
「ああ」
ローデリクは短く答えた。
「うちの副鍵印が無いなら、無断開扉だ」
私はすぐに別紙を引いた。題を二本書く。
副鍵無断使用差止札。
修補戻副鍵貸付控え提出命。
主鍵所在。副鍵使用刻限。欠支弁引受者。返納予定。立会席。戻口。
空けたまま動いていた欄を、今度はこちらで先に並べる。
「監査局と仕修席の両方へ」
私は言った。
「どちらが持ち出したと言っても、あなたの家の引受印が無ければ止まります」
ミラはもう骨札の端を覗き込んでいた。
「まだある。下に細字」
私は鍵を少し傾けた。骨札の裏面の下端、指で隠れるほどの場所に、棚番のような刻みがある。
返納鍵留 沈黙図書館西裏書庫二段。
「対になる貸付留置先ね」
ミラが息を吐いた。
「副鍵を使ったなら、戻し控えは図書館に残る」
ローデリクはその細字を見てしばらく黙っていた。やがて、鍵を私の手のひらへ載せる。冷たいはずなのに、柄の根元だけ、彼の体温がまだ残っていた。
「読むのはお前だ」
彼は言った。
「だが開けるなら、俺の名で開ける。そこは混ぜるな」
私は鍵を握り直した。掌の中で、歯の薄い鉄が紙より重い。
「混ぜません」
答えると、ミラが控え束をまとめた。
「私は先に西裏書庫の灯り番を替える。いま場所が出た以上、向こうも急ぐ」
ローデリクは差止札の末尾へ自分の名を書いた。領主印ではなく、欠支弁仮受人として。紙の上に置かれたその肩書きは、威張るためではなく、誰かが勝手に使った重さを引き戻すためのものだった。
私は副鍵を黒布へ戻さず、そのまま外套の内へ入れた。図書館西裏書庫二段。返納鍵留。
次に消されるなら、そこだ。




