表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された書記官令嬢は、沈黙図書館で辺境を立て直す  作者: 小竹X


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

42/54

042 ミラは裏帳簿の持ち主を突き止める

 灰綴十六には荷の名が無いのに、綴じ穴の位置だけが会計部の廃帳と合っていた。


 朝の中央棟で、私は西三号前から持ち帰った灰色の細帳を窓へ透かした。紙は薄いのに、穴の周りだけ妙に固い。三つ穴の間隔が、今の会計部綴りより半指ぶん狭い。


「気づきました?」

 向かいでミラが、昨日の船頭綴りと古い夜荷役戻控えを並べていた。彼女の指先は、穴と穴の間へ定規も当てずに止まる。

「これ、港のその場書きじゃない。綴りごと渡されてる。灰紙の戻し綴り。十年以上前に一度やめたやつ」


 私は顔を上げた。

「港湾整理口が生きていた頃の?」


「生きてるから、昨日の船底から出たのよ」

 ミラは灰綴十六を裏返した。

「今の綴りは白紙で、返送は赤端、保全は黒紐。灰紙は修補戻しの仮受けだけ。荷名を書かず、枝番だけで回せるから、昔から抜き取りに使われやすかった」


 右端の小さな「仕修」の二字を、彼女が爪で叩く。乾いた音だった。


「貸出票が残っていれば、持ち主が出ます」

 私は言った。


「出る」

 ミラは短く答えた。

「でもあなたは来ないで」


 思わず眉が動いたのが分かった。ミラはもう次の紙を引いている。


「あなたが河港の綴箱を開けに行くと、みんな先に背筋を伸ばす。貴族令嬢が来たって顔で、出す箱も遅くなる」

 彼女は筆を滑らせた。

「私は一人で綴紐受払箱と色紙受払控えを見ます。その代わり、あなたはここで二本出して」


 差し出された下書きには、題がふたつあった。

 無副署別途調整停止。第十二束三葉照合済。

 もうひとつは、灰綴持主照会札。


「照会札は誰宛てに」

「王都監査局と中央仕訳庫仕修席。両方」

 ミラはそこで初めて私を見た。

「どっちが持ってても逃げられない形にして」


 ローデリクが中央卓の端で封緘箱を閉じた。

「好きに散れ。昼の鐘までに戻らなければ、俺が港を掘る」


「昼まであれば十分です」

 ミラは灰綴十六の写しだけを取り、原葉は私の机へ残した。

「それ、誰にも返さないで」


 外套の裾が戸口で一度だけ揺れた。私は残された原葉を机の中央へ置き、仕修席宛ての文面から先に起こした。


 北砦冬囲別途調整覚え写しより照合。夜見油二壺、替え馬飼葉三俵半数、無副署別途調整停止。第十二束三葉返送印欠二照合済。消灯刻限、追手見合わせ刻限、借用元、復旧刻限返答を求む。


 書きながら、灰綴十六を視界の端に置く。薄い紙だ。けれど、見えている欄より、見えていない持出席のほうが重い。


 昼前、最初に反応したのは王都監査局ではなかった。中央仕訳庫の使いを名乗る小男が、南門番に挟まれて机の前まで来た。濃紺の外套に、旅雪の白い筋が残っている。


「仕修席より申し入れです」

 男は封も無い小札を差し出した。

「昨日の港の混乱で、修補戻し控えに誤綴があった由。雑綴一葉は本局返納を」


 私は小札を受け取った。誤綴。返納。だが何をどこから返せとは書いていない。灰綴十六という語も、船名も、西三号も無かった。


「誤綴の題がありません」

 私は答えた。

「票番も、貸出席も、借受席も、返納理由も」


 使いの鼻先がわずかに赤くなる。

「修補戻し控え一葉です」


「では、こちらも一葉お返しします」

 私は書き上げたばかりの灰綴持主照会札を差し出した。

「元綴所有席、貸出日、借受席、整理口戻理由、早鍵指図者、返送印欠数。埋めてお持ちください」


 男は札を見たまま、受け取らない。そこへ戸が開いた。


 ミラだった。河港の湿った風と、綴箱の古紙の匂いをそのまま連れている。左腕に細長い木箱、右手に三枚の控え。


「やっぱり先に来た」

 彼女は使いを見て言った。

「灰紙だけ取り返しに」


 木箱を卓へ置き、蓋をずらす。中には色の褪せた綴り表紙が何枚も寝ていた。白、赤、黒、その下に灰色。端には古い枝番が墨で振ってある。


「河港綴屋の廃箱です」

 ミラが一枚抜いた。

「灰綴十三、十四、十五。全部、穴の位置が十六と同じ」


 彼女は続けて、薄い控えを私の前へ滑らせた。題は、色紙受払控え。今冬分の行は四つしかない。そのうち灰紙は一行だけだった。


 受払番号十六。色紙 灰。冊数一。

 請求元 王宮会計局中央仕訳庫仕修席。

 持出先 王都監査局臨検二掛立会用。

 戻口 港湾整理口。

 摘要 修補戻し仮受。


 私は最後の欄を指で押さえた。摘要の横へ、あとから細く足された字がある。

 西三号早鍵。


「筆が違う」

 私は言った。


「ええ。受払控えを書いたのは綴屋。早鍵を書き足したのは持ち出した側」

 ミラはもう一枚を開いた。

「それと、綴紐受払箱の貸出票。灰綴十六の借受印は無い。でも代わりに、監査局二掛の立会印の下へ、仕修席控え印が重ねてある」


 使いの喉が鳴った。

「その控えは、本局の」


「本局の何です?」

 ミラが遮る。

「修補戻しですか。保全返送ですか。争論荷の立会ですか。どれで借りて、どれで返すつもりでした?」


 男は答えない。答えれば、どれかひとつでは足りなくなるからだ。仕修席と監査局と整理口を、灰綴一冊で跨がせていたのが見えてしまっている。


 私は灰綴持主照会札を引き戻し、空欄の横へ赤い線を足した。

 未回答の間、灰綴十六、船頭綴り底一葉、色紙受払控え写し、綴紐貸出票写しを北辺特別保管領係属とする。


「これで返します」

 私は使いへ新しい控えを見せた。

「誤綴なら、誰の抽斗で誤ったのか先に書いてください」


 ミラが木箱から灰綴十五を抜き、十六の横へ並べた。

「十五の戻口は河港北二号。十六だけ整理口戻。しかも請求元は同じ仕修席」

 彼女は使いから目を離さなかった。

「持ち主は監査局じゃない。あなたたちの後ろの机よ」


 男の手が、ようやく小札へ伸びた。けれど受け取ったのは、誤綴返納の小札ではなく、こちらの照会札のほうだった。灰綴十六の名を書かずに取り返す道は、もう無い。


 戸が閉まると、中央棟は急に静かになった。静かでも、机の上の紙は増えている。灰綴十六。色紙受払控え。綴紐貸出票写し。仕修席への停止文。監査局への照会札。


「一人で十分だったわね」

 私は言った。


 ミラは肩の雪を払った。

「だから言ったでしょう」

 それから、灰綴十六の摘要欄をもう一度指でなぞる。

「次は持ち主の机を開ける番です。たぶん、西三号だけじゃ済んでない」


 私は照会札の控え番号を書き入れた。枝番十六の灰は、もう港の底ではなく、王都の机の色になっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ