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婚約破棄された書記官令嬢は、沈黙図書館で辺境を立て直す  作者: 小竹X


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041 雪解け前の密輸船

 空船扱いの平底舟は、河港西三号控え蔵の前で、水を喫いすぎていた。


 夜明け前の舟溜前は、雪より先に縄の軋みで目が覚める。私は外套の内側へ今朝届いた北砦受取札を入れていた。昨夜戻した夜見油二壺、替え馬四頭ぶん燕麦、受取は前蔵番と走り頭の連署。まだ墨の艶が残っている。


 その紙を懐に入れたまま西三号前へ来ると、舟足の浅いはずの平底舟が、岸杭へ重く腹を預けていた。舷側には、王都監査局保全返送補助舟とある。荷札の表向きは、破損封箱七、修補戻空樽十二。


「七箱はまだ仮封の中です」

 ミラが赤紐の掛かった控え蔵を顎で示した。

「積む前から沈んでいる」


 私は船頭の差し出した綴りを受け取った。保全返送控え。返送先は王都監査局。けれど、返送印が無い。北辺側の払出人も、河港側の積込受取も、入津税留保の扱いも空白だった。代わりに、西三号前接岸可、卯刻半ば以前、という細字だけが妙に濃い。


 指先へざらつきが残る。この紙も、昨日の臨検予告と同じだ。通る刻限だけ先に決めて、誰が荷を出したかは最後まで書かない。


「空樽を返す船なら、雪期搬入許可証で入る理由がありません」

 私は二枚目を持ち上げた。

「これは搬入の紙です。しかも荷受け人欄が潰れている」


 船頭が鼻先を赤くしながら言い返す。

「監査局のお達しだ。保全荷を積めばすぐ発つ。港で開けるなとも聞いている」


「なら、なおさら返送印が要ります」

 ミラが紙束を奪った。

「出す荷の名も、受ける机の名も無いまま、水際だけ空けろと言ってる」


 そこへ、北辺商人ギルド頭取が石段を下りてきた。昨日の板を見に来る約束だった男は、挨拶の代わりに船腹を見た。


「空樽十二なら、喫いすぎだな」

 頭取は短く言った。

「しかも油の匂いがする。樽を洗った匂いじゃない」


 ローデリクが船縁へ片手をかけた。

「開けろ」


 船頭はすぐには動かなかったが、ローデリクの後ろに立つ河港夜荷役頭と外門番長を見て、縄を解いた。甲板の蓆を剥ぐ。空樽と書かれた木蓋のひとつを開けると、朝の冷気の中へ油の重い匂いが広がった。中身は空ではない。夜見油の小壺が六つ、藁に包まれて横たわっている。


 ミラが次の箱を割らせた。破損封箱の札の下から出たのは、砕けた木片ではなく、替え馬用の燕麦袋だった。さらに船底の奥から車軸脂四壺、手甲布八対、灯芯縄六巻。


「北砦で戻したばかりの品と、同じ冬の匂いですね」

 私は懐の受取札を押さえた。

「足りないままなら夜が短くなる物ばかり」


 頭取が燕麦袋の口を指で捻った。

「南相場の縄だ。北で買って南へ返す積み方じゃない。南から持ってきて、札だけ空樽に替えてる」


「それで西三号前を半刻早く」

 ミラの声が低くなる。

「七箱を上に積めば、下の荷を見せずに出せる。争論荷返送の顔で、冬囲物資まで一緒に抜く気だった」


 私は保全返送控えを裏返し、その場で新しい題を書いた。

 舟溜前荷役止め札。


 船名。現荷。名目荷。返送印。払出人。積込受取。入津税留保。仮止刻限。


「返送印の無い返送は止めます。荷を積むなら、どの机が受け、どの留保を外し、誰がこの港の灯と馬を減らすのか、先に名を書いてください」


 私は最初の行へ、平底舟一艘、現荷 夜見油小壺六 燕麦袋八 車軸脂四 手甲布八 灯芯縄六、名目荷 破損封箱七 修補戻空樽十二、と書いた。空欄が残ったままでは、むしろ止め札のほうが重く見える。


 ローデリクが私の筆先の下へ、自分の名を書いた。

「この船は北辺仮受に切り替える。夜見油は中央倉、燕麦は第一継馬所、車軸脂と灯芯縄は河港と継馬所へ。受取人名付きで下ろせ」


 河港夜荷役頭がすぐに受領札を取りに走った。外門番長は灯芯縄の行を覗き込み、自分の受取欄があるのを見てから頷く。頭取は商人側控えへ同じ数を書き移した。


「遅延損失じゃ済まないな」

 頭取が言う。

「これは値を抜くための待ちじゃない。喉を空けてから持ち出す段取りだ」


 ミラは船頭の綴りの底から、薄い灰色の細帳を一葉だけ引き抜いた。表の票番ではない。西三号早鍵、整理口戻、灰綴十六。品目の代わりに枝番だけが並び、右端に小さく、仕修とある。


「これ、会計部の正規綴りじゃない」

 彼女はその紙を二つに折らず、指先で支えたまま言った。

「持ち主がいる」


 船頭の喉が鳴った。言い訳を探す顔だったが、もう遅い。船底から出た油壺は朝の光を鈍く返し、燕麦袋の麻紐は新しい。争論荷を守るための赤紐のすぐ横で、別の冬が名無しのまま南へ抜けようとしていた。


 私は荷役止め札の最後の欄へ、仮止刻限を記した。卯刻三つ。


 次に剥がすべきなのは、この灰綴十六を机のどこへ差し込んでいたかだった。

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