037 旧誓約は血筋より保管庫を選ぶ
継承照会状には、いま庫を守っている者の欄が無かった。
朝の沈黙図書館で、私は青灰の綴りを受け取った。差出は王宮会計局中央仕訳庫。表題は、北路封緘台帳第十二束継承照会。薄く上等な紙の中央へ、妙に新しい四字だけが沈んでいる。王家筋先位。
「綺麗な顔ね」
ミラが横から覗き込んだ。
「顔だけは」
私は一枚目を開いた。
北路封緘台帳第十二束ならびに関係札控え一切、継承照合のため仮移送準備されたし。王家筋先位により、王都中央封緘庫にて照合予定。
そこまで読んで、指が止まった。継承照会なのに、現保管庫名が無い。添付荷目録欄が無い。受領副署欄も、代行支弁引受印欄も無い。ただ「送れ」と「王家筋」がある。
「抜く気ですね」
私は紙を机へ置いた。
「継ぐなら、欠を誰が負うかが先に出ます。これは台帳だけ持っていって、今冬の支弁は北辺へ残す形です」
ローデリクが綴りを取り、表題だけ見て返した。
「口上札と逆だな」
逆だった。昨夜開いた保管継承口上札は、血筋ではなく庫を守ること、荷目録を持つこと、代行支弁の欠を負うことを先に書いていた。この照会状は、その三つを空けたまま、王家筋だけを前へ出している。
「先に台帳を開きましょう」
私は言った。
「この紙が何を無視しているか、束そのものに書いてあるはずです」
司書に案内され、地下保管庫の北列へ降りる。第十二束は、昨夜の黒筒よりずっと無骨だった。灰茶の綴じ布に、封緘紐の跡が二度ぶん残っている。机へ置くと、古い埃が立たずに沈んだ。
最初の折り返しを開いた瞬間、私は息を止めた。
一葉目は本文ではなく、継承照合次第だった。
左から、現保管庫。荷目録合札。砦路補給欠支弁引受印。送達返送印欠数。
最後の欄だけ、朱で数えるようになっている。
「ずいぶん親切」
ミラの鉄筆が紙の上で止まる。
「王家筋を入れる場所が無いわ」
無かった。あるのは、どの庫が現に持ち、どの目録を合わせ、砦路で不足が出たとき誰が引き受け、送った紙が何度戻らなかったかだけだった。
私は二行目へ指を落とした。三年前の争論記録。王都修補席預り。返送印欠一。
次の行。翌冬の補修継紙照合。返送印欠二。
その右端に、小さな追記がある。庫守署と欠支弁引受印なき先請は、血統先後を問わず留置。
「もう前例があります」
私は照会状と束を並べた。
「王都側は以前にも、紙だけ先に引こうとした。返送印を二度欠かしたうえで、今回は血筋を前へ出して台帳そのものを抜こうとしている」
ローデリクの視線が、朱の「二」で止まる。
「今朝の差照綴りは」
「まだ返っていません」
ミラが即座に答えた。
「三度目を踏みたくない側が、返事より先に束を欲しがってきたわけです」
私は次の葉をめくった。砦路補給の照合欄が続く。第一継馬所、第二継馬所、北砦前蔵、外壁夜見台。塩袋、夜見油、蹄鉄釘、替え馬飼葉。どれも荷目録札番号と受渡印の対で並ぶ。その三葉目で、ひとつだけ紙の呼吸が乱れた。
替え馬飼葉と夜見油の行だけ、継紙の針穴が古い綴じ穴と半寸ずれている。
「ここです」
私は紙端を浮かせた。
「後から差し替えています。元の行を剥がして、砦路補給から夜見油と替え馬飼葉だけ薄くしてある」
司書が顔を寄せる。
「本当だ。紙目が合っていません」
ミラはすぐに下の数字を追った。
「塩袋と蹄鉄釘は北砦前蔵で受けてるのに、夜見油と飼葉だけ『別途調整』へ逃がしてる。安全を保つ分だけ、継承束の本線から外してるわ」
別途調整。便利な逃がし方だった。継馬所で馬が倒れても、夜見台の火が細っても、台帳本体の欠には見えにくい。
「送るのは原本ではありません」
私は照会状の余白へ新しい題を書いた。
北路封緘台帳第十二束継承照会差戻。
「写しと、こちらの現荷目録を付けます。現保管庫名、荷目録合札、砦路補給欠支弁引受印。三つを埋めた紙でなければ、継承照合は始まりません」
ローデリクが短く頷く。
「原本は庫に置く。継ぐと言うなら、まず欠を持て」
私はさらに三葉目の端へ細い紙を挟んだ。北砦前蔵照合先行。夜見油行継紙差替痕あり。替え馬飼葉行同。
「早馬を一本」
私は顔を上げた。
「北砦へ。今夜の油と飼葉の帳面を、第十二束の写しと照らします」
ミラがもう鉄筆を走らせている。
「王都が欲しいのは血筋じゃないわね。返送印三欠の前に、砦路の欠を台帳ごと薄くしたいだけ」
地下保管庫の冷えた空気の中で、束の朱がやけに生々しく見えた。二度欠けた返送印。ずれた継紙。空いた引受印欄。王家筋先位の四字より、よほど正直だった。
旧誓約は、誰の血かではなく、どの庫が今夜の欠を抱えるかで持ち主を選んでいる。
なら次に見るべきなのは、王都の家系図ではない。北砦の灯が、昨夜ぶんまで本当に保ったかどうかだった。




