022 兵站契約に抜けた一行
北砦向けの兵站契約には、雪で延びた夜の腹を書く欄が無かった。
南坂の石蔵の入口で、私は兵舎付き書記から受け取った綴りを開いた。請求書の後ろに、薄い兵站契約写しが一枚だけ付いている。継馬所受取。砦着後受領。干豆三袋。車軸脂二壺。手甲布十対。そこまでは整っているのに、行と行の間だけが妙に空いていた。
指を滑らせる。紙の繊維が、そこで一度だけ引っかかった。雪延び時、替え馬飼葉、人足夜食。そう続くはずの並びが、きれいに落ちている。
「二日延びたら、馬は何を食べます」
書記は口を開きかけて、すぐ閉じた。
「継馬所で……余りを、少し」
「人足は」
「道中鍋です」
余り。道中鍋。どちらも帳面の外に逃がす時の言い方だった。
ローデリクが私の手元の紙を覗き込む。
「今も同じやり方か」
「継馬所を見ればわかります」
南街道の継馬所は、石蔵より先に馬の息で曇っていた。軒下に繋がれた替え馬の鼻先が白く煙り、飼葉小屋の戸口には切り裂かれた燕麦袋が二つ立てかけてある。袋の口は麻縄で結び直されていたが、札が無い。土間の火鉢では干豆の鍋が細く湯気を上げていた。こちらにも受取札は刺さっていない。
継馬所番は、私たちを見ると慌てて帳面を差し出した。
「北砦便です。遅れは雪のせいで」
帳面には、発ち刻と着き刻、それから俵数しか無かった。替え馬の頭数も、人足の人数も、途中で開けた袋の品名も無い。余白に小さく「道中融通」と三度だけ書かれている。
「融通した先は」
ミラが訊く。
「砦便です」
「だから、その誰に」
所番の指が帳面の端で止まった。砦走りの名も、夜番人足の名も、書いていない。砦へ着いた後で受領印が戻れば、道中で食べた干豆も、替え馬へ割った燕麦も、まとめて「着いた荷」の内へ沈む仕組みだった。
「契約が砦着後受領しか持っていないからです」
私は切り裂かれた燕麦袋の口を持ち上げた。
「途中で開けた分は、誰の命でもなく減る」
ローデリクの視線が、袋の切り口から継馬所番の帳面へ移る。
「どこで止める」
「ここです」
私は文書箱を土間の机へ置いた。
「北砦向け請求に綴る紙を足します。雪延追補札。発生刻限、区間、替え馬頭数、人足数、開封品、補給元、受取人、差戻し先。ここまで埋めない限り、継馬所は袋を切らない」
ミラはもう鉄筆を抜いていた。
「控え番号も要る。戻り便が何を返したか追えないと、今度はここで食われる」
彼女は私の書いた罫の右端へ、戻り刻限と相手方控え印の欄を足した。細い金属音が土間へ響く。
「補給元は二本」
私は継馬所の空き棚を見た。
「人足夜食の干豆は南坂の石蔵。替え馬飼葉は中央倉の燕麦。石蔵の豆を鍋へ落とす分と、砦便の延着分を同じ紙へ繋げます」
「春待ちの豆を砦へ持っていくのか」
ローデリクが言った。
「全部ではありません。延びた夜だけです。今日の請求は二日延び。人足六人なら半袋で足ります」
継馬所番がようやく顔を上げた。
「それなら、明朝の便が出せます」
「出す前に名前です」
ミラが追補札を差し出す。
「夜番人足六、砦走り二、替え馬四。誰が食べて、誰が戻すか、ここへ」
所番は火鉢脇にいた若い砦走りを呼び、名を書かせた。少年の指先は煤で黒い。私はその横で、石蔵から回す干豆半袋、中央倉から切る燕麦一袋と書き、差戻し先を「北砦春季第一便精算」にした。名無しの余りではなく、遅れた二夜の費用として立つように。
ローデリクは追補札と請求書を重ね、自分の印をその綴じ紐の上へ置いた。
「今日から北砦便はこれを付けろ。雪延びで袋を開けるなら、継馬所番と受取人の両名で印を入れる。無い紙のまま馬を飢えさせるな」
土間の空気が少しだけ動いた。継馬所番は切り口の開いた燕麦袋へ初めて札を差し、砦走りの少年は自分の名が入った夜食欄を二度見した。火鉢の鍋から豆の匂いが立つ。誰の腹へ入るのかが、ようやく湯気の横に残った。
ミラは古い継馬帳を三冊まとめて抱えた。
「今夜、決算室を空けて」
彼女は帳面の余白に並ぶ「道中融通」を親指で弾いた。
「この冬、何回ぶんの夜が名無しで食べられたか、全部洗います」




