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婚約破棄された書記官令嬢は、沈黙図書館で辺境を立て直す  作者: 小竹X


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015 辺境伯は沈黙の誓約を読む

 甲七添四だけ、現行の索引札に綴じ穴の跡すら残っていなかった。


 昼前の沈黙図書館第三保管架は、外の雪明りより青かった。閲覧卓の上に、甲七原本、添え綴り束、昨夜封をした「河港小口雑給控え」、木札「門前雑給」が並ぶ。保管官が青灰の布をほどくと、古い紙のあいだから細い補助札が四枚滑った。添一、添二、添三。そして最後の一枚に、乾いた墨でこうある。


 門前板橋融雪支弁覚え。甲七添四。


 私は札の穴を指でなぞった。現行控えで消えていた枝番なのに、原本側では最初から甲七へ抱き込まれている。借り物の番号ではない。正物だ。


「題だけでは足りないな」


 ローデリクが向かいへ腰を下ろした。いつものように立ったまま命じるのではなく、私の手元と同じ高さへ視線を置く。


「どこから読む」


 私は添え綴りの紐を緩めた。

「第四条の前書きからです。用途と受取人が最初に出ます」


 紙は本綴りより薄く、角だけ妙に堅かった。何度も開かれずに閉じられてきた紙の手触りだ。《契約読解》の糸が走る。約束は狭い。狭いからこそ、誰が外れたかがよく見える。


 門前板橋、急凍結の折に限り、河港夜荷役頭および外門番長の連署をもって融雪塩二小樽まで仮払うべし。


「一袋ではありません」


 私が言うと、ミラがすぐ小口雑給控えを引き寄せた。

「小樽単位。しかも上限二」

「ええ。袋で切る紙ではないです」


 次の行には、仮払残量は日暮れ前に門前計量皿にて量り返し、余剰は中央倉返納とするとある。さらにその下で、指が止まった。


 支弁線は乙二留保簿へ直繋し、港湾整理口を介さず。


 私は息を細く吐いた。木札の裏にあった「整理口仮替」は、古い番号に乗せるにはいちばん書いてはいけない語だった。


「禁じています」

 私は原本のその行をローデリクへ向けた。

「整理口を通してはいけない。門前板橋へ撒く塩は、河港と外門が連署し、夕刻に量り返し、乙二へそのまま戻す。名無しで流すための余地がありません」


 ローデリクは手袋を外し、紙の端を自分で押さえた。節のある指が、河港夜荷役頭、外門番長、乙二留保簿の順に止まる。


「読む」

 彼は小さく言った。

「そこをもう一度」


 私は紙を回さず、そのまま彼の前へ少し寄せた。彼の視線が条文を追うあいだ、閲覧卓の上は紙の擦れる音しかしない。ローデリクは二行目で眉を寄せ、三行目で止まり、最後の語を声に出した。


「港湾整理口を介さず」


 その七文字だけが、昨夜の木札と番小屋の綴りを一度に裏返した。


「本物の支弁線を、抜き取りの覆いにされたわけか」


「はい」

 私は木札を原本の横に置いた。

「門前雑給は後書きです。けれど甲七添四そのものは本物です。本物の狭さを消して、番号だけを広く使っている」


 ミラは鉄筆で余白を叩いた。


「なら、今日から戻せます。門前融雪分は添四どおりに切る。受取人は夜荷役頭と外門番長の連署。量り返し欄を足す。整理口仮替の摘要は使わせない」


「帳面は」

 ローデリクが訊く。


「起こします」

 私は答えた。

「門前融雪仮払簿。北雪仮受票と同じ票番線で繋げば、誰が何刻に受けて、夕方に何樽戻したかまで追えます」


 ミラが頷く。

「七日ぶん回せば、塩と灯油と縄の小口抜けはかなり塞げる」


 ローデリクはそこで原本の末尾をめくった。最後の余白に、別人の古い朱書きが残っている。


 門前融雪支弁、連署欠くときは翌朝第六刻まで河港責任。


「ここも使えるな」

 彼は私ではなく、紙に向かって言った。

「夜のうちに番長が出られない日でも、責任が宙に浮かない」


 説明を求める声ではなかった。条文の使い道を、自分で選んだ声だった。


 私は頷き、余白の朱書きへ自分の控え札を添えた。昨夜まで、図書館の原本は証拠だった。今はもう、今日の塩をどう撒くか決める現場の紙になっている。


 保管官が返却砂時計を卓へ置く。その横で、ローデリクは木札「門前雑給」を二つに折った。乾いた音が静かな閲覧室へ短く跳ねる。


「以後、整理口名義で塩を切るな」

 彼はミラへ向けた。

「門前融雪は添四で開け。量り返しは夕刻、俺の印で見る」


「承知しました」


 ミラはすでに新しい控え紙へ題を書いていた。門前融雪仮払簿。彼女の筆は速いが、受取人欄だけは広い。


 私は甲七添四の控えを取りながら、乙二留保簿へ繋ぐ票番を書き写した。二小樽上限。連署。量り返し。整理口を介さず。抜き取りを止めるだけでなく、正しく撒く線まで古い紙が持っている。


「ヴェイル」

 ローデリクが呼ぶ。


 顔を上げると、彼は原本の綴じ紐を自分の手で結び直していた。結び目は不器用ではない。ただ、誰かに預ける手つきでもない。


「次は七日で見せろ」

 彼は言った。

「止めた分と、戻した分を同じ紙に乗せる」


 私は控え札を箱へ収めた。七日。外灯、塩、灯油、縄。名無しで抜けていた小口が、ようやく人の名と刻限を持つ。


 返却砂が半分落ちる前に、私たちは閲覧卓を立った。今度は図書館で見つけた条文を、倉前と門前の板の上で黒い数字に変える番だった。

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