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婚約破棄された書記官令嬢は、沈黙図書館で辺境を立て直す  作者: 小竹X


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014 足りない塩は誰の帳面で消えた

 塩袋一つ分だけ、受取人の名がどの紙にも残っていなかった。


 倉前の板床へ並んだ二袋の前で、私は新しい仮受許可票と積荷控えを重ねた。票面には外門印、河港仮受署名、到着刻限、車軸数。今朝足した欄は全部埋まっている。それでも、塩袋三の数字だけが荷の数に届かない。


「御者は三つ積んだと言ったな」


 ローデリクが袋口の結びを見たまま訊く。


「ええ。外門では封縄異常なし。河港でも仮受署名が先に入っています」

 私は中央欄を指で押さえた。

「減るなら、河港から倉前までです」


 ミラは荷札の麻紐をほどき、白い粉のついた小札を裏返した。


「裂いて中身を撒いた袋ではありません。丸ごとどこかへ寄せています」


「一袋抱えて走るには重いでしょう」


「だから帳面で運ぶんです」


 彼女はそう言って、票番の脇へ爪を立てた。


「河港の小口払出しを見ます。塩、釘、縄、油差し。安い物ほど、受取人欄の外へ落ちる」


 河港の番小屋は、夜通し焚いた火鉢の匂いと濡れ木の湯気で白かった。夜荷役頭は仮受署名の入った控えを見るとすぐ顔をしかめたが、言い訳より先に薄い綴りを棚から下ろした。片手に収まる帳面だった。表紙に墨で「河港小口雑給控え」とある。ただし「小口」の二字だけ、後から狭い場所へ押し込まれている。


 私は開いて三枚目で指を止めた。今朝の日付。北雪仮受一番。融雪塩一袋。摘要、門前板橋。金繰、整理口仮替。


「受取人欄がありません」


 帳面の真ん中は不自然に広く空いていた。誰へ渡したかを書ける幅なのに、最初から罫線が引かれていない。《契約読解》のざらつきが紙の背へ立つ。大きな荷受け綴りの外で物を抜くために、最初から約束の相手を作っていない紙だ。


「誰が持っていったの」


 ミラが荷役頭を見る。


「整理口の走りです。門前の板が凍ると馬が滑るから、毎冬少しずつ撒いて……」


「少しずつ、で一袋まるごと?」


 荷役頭の喉が鳴った。代わりに、火鉢のそばで木札を乾かしていた若い人足が口を開く。


「板橋へ運んだのは小樽ひとつ分です」

 彼は慌てて両手を上げた。

「残りは、灰色の外套の男が手押し台へ載せて。『整理口で切る』って」


 ローデリクの視線がその人足へまっすぐ落ちた。


「顔は」


「見てません。頬布で隠していて……でも、木札は置いていきました」


 人足が棚の陰から細い板札を出した。先端に塩が乾いて白く残っている。墨書きは雑だった。


 門前雑給。北雪仮受一番より一袋。


 その下へ小さく、整理口仮替。


 私は板札を持ち、木目に沿う墨の滲みを見た。門前雑給の四字は新しい。けれど、仮替の二字だけは手癖が違う。会計部で見た振替票と同じ、払い先だけを曖昧にする細い字だった。


「港湾整理口が、金だけでなく荷にも口を出しています」


 私が言うと、ミラが帳面を閉じかけた手を止めた。


「会計部の綴りに、この小口雑給控えは繋がっていません」


「なのに摘要だけは整理口仮替で揃っている」

 私は板札を綴りの上へ置いた。

「表の金はあちらで宙吊りにして、裏の荷はここから小口で切る。受取人欄がなければ、門前へ撒いた顔でも、どこへ消えても同じです」


 ミラはすぐ次頁を開き直した。塩半袋、灯油壺一、縄二把。どれにも受取人の名はない。摘要だけが、門前、坂下、外柵、雑役小屋と増えていく。


「綺麗ですね」


 彼女の声は冷えていた。

「高い物には手を出さない。誰も一袋の塩では騒がない。だから毎日抜ける」


 ローデリクは板札を取り上げ、裏面を見た。そこにはさらに小さく、数字と文字が擦れて残っている。


「甲七添四」


 私は息を止めた。甲七。沈黙図書館で開いた河港越冬荷受け規定の原番号だ。けれど添四という枝番号は、現行綴りにも、今朝の許可票控えにも無かった。


「その番号、今の規定には見当たりません」

 私はローデリクへ向き直った。

「本当に残っている添え書きなら、門前融雪用の支弁線が別にあるはずです。無いのに番号だけ借りているなら、この袋は抜き取りです」


「図書館か」


「ええ。第三保管架の甲七原本、その添え綴りまで見ます」


 ミラが帳面と板札をまとめて私へ寄せた。


「その前に、今日の分は閉じます」

 彼女は人足へ向いた。

「融雪塩は小樽へ量り替え。受取人は門番長名。残りは中央倉返納。できなければ一粒も出さない」


 荷役頭が慌てて頷く。火鉢の脇にあった木枡が持ち上がり、塩の白が板床へ細く落ちた。


 ローデリクは帳面の表紙へ自分の封蝋印を押した。薄い綴りが、ようやく誰かの目の前で止まる。


「エリノア。甲七添四が本物かどうか、俺の前で開け」

 彼は短く言った。

「門前の板へ撒く塩なら、領内で必要だ。だが、必要なものほど名無しで流させない」


 私は板札の「甲七添四」を親指でなぞり、封をした帳面ごと文書箱へ収めた。塩の白が革の縁へ移る。昼前、第三保管架でこの枝番号をめくる時、今朝の一袋だけでは済まない紙が出てくる気がした。

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