99.ホテルマン、一級品の囮になる
町の門へ近づくにつれ、空気が張り詰めていく。
人々のざわめきは消え、代わりに低い地鳴りが足元から伝わってきた。
町の外は森のように霧が立ち込め、黒い影が揺れながら近づいてくる。
「魔物が来るぞ!」
門の上にいる男が叫ぶ。
次の瞬間、それははっきりと形を持った。
獣型の魔物の群れ。
オオカミ、イノシシ、お馴染みのツノウサギもそこにはいた。
二百近い影が一直線に町へ迫っている。
「地震!?」
「いや、スタンピードならよくあることだ」
驚く俺に矢吹は小さな声で怖気付かないように声をかけた。
あまりの数の多さに地面が震えていた。
門が破られれば、住宅街はひとたまりもないだろう。
「銅ランクは前衛補助に回れ! 突出するな!」
指示が飛ぶ。俺は無意識に腕につけているブレスレットを握りしめた。
薬草採取で上がったランク。戦う覚悟まではまだできていない。
先陣を切った高ランク冒険者が、群れの先頭へ飛び込む。
大剣が振り下ろされ、イノシシの魔物が真っ二つに裂けた。
返り血を浴びたまま、男は吠える。
「足を止めるな! 押し返せ!」
その横では、槍使いの女が低く構え、突進してきた狼型の喉を正確に貫いた。
体勢を崩した魔物に、後衛の短剣使いが滑り込み、とどめを刺す。
動きに迷いがない。ただ、倒しても、倒しても、霧の向こうから影が押し寄せる。
「ふく!」
服の裾を引っ張るシルが真剣な目で見上げていた。
「うどんを守るぞ!」
短い言葉に息が整う。
うどんを食べるには生きて帰らないといけない。
俺は覚悟を決めて前へ出た。
「俺が引きつけるから――」
「ふく、即死だよ?」
ケトの声に足がすくむ。
その姿に妖怪たちは笑っていた。
それでも俺は囮役しかできないからな。
「うどんはシルがまもるもん!」
「にゃー、ふくはオイラの後ろにいればいい」
「その辺を楽しそうに走っててくださいね」
「サラは強いんだから!」
本当に頼りになる妖怪たちだ。
矢吹は杖を取り出すと、何かを唱える。
轟音が鳴り響いたと思った瞬間、無数の稲妻が魔物に向かって落ちた。
「よし、俺たちも行くか!」
杖を剣に持ち替えて矢吹は走り出す。
矢吹の戦い方は少し特殊だ。
武器を何度も持ち替えて多彩な技を繰り出せる。
それに続くように妖怪たちも攻撃を仕掛けていく。
俺も負けてはいられない。
「おい、お前の口は納豆臭いんだよ!」
俺の声に反応してチンパンジーの魔物が視線を向ける。
あぁ、やっぱり怖いな。
それになぜ俺にこんなに反応するのだろうか。
一体や二体ではない。十数体が俺に視線を向けていた。
「うおおおおおお!」
俺が走り出せば一気に魔物たちは寄ってくる。
ギリギリ魔物の攻撃が当たらない距離で引き連れていく。
「やぶきーん!」
「任せろ!」
俺はそのまま矢吹の後ろに隠れると、矢吹は剣を横に一閃。
遅れて血が横殴りに噴き上がった。
「よし、幸治もう一回行ってこい!」
全ての魔物を倒し終えると、俺は矢吹に背中を押される。
「ほらほら! お前らは群れないと何もできないのか?」
群れじゃないと何もできないのは俺だ。
「まとめてこいよ! 矢吹が相手してやる!」
結局倒すのは俺ではなく矢吹だ。だけど、囮としては一級品だからな。
ツノウサギがたくさん飛びついてくるが、それと同じぐらいシルの包丁が飛び交っている。
少しでも間違えると本当に命取りだ。
引き連れた魔物を再び矢吹たちの元へ運んでいく。
「ははは、踊って楽しそうだな!」
走っている横をポチが駆け寄ってきた。
尻尾をブンブン振っているように見えるのは気のせいだろうか。
まさか俺が遊んでいるように見えるのか?
「半分ぐらいいるか?」
「いや、それは遠慮しておく……」
流石に一気に攻めてこられたら対応もできないからな。ただ、俺に注意が向いている時は魔物も倒しやすいのだろう。
気づいたら魔物の死体がいくつも倒れている。
「ジビエ! ジビエ!」
シルも途中から戦闘には参加せずに血抜きをしているぐらいだ。
「うっしーのお土産になるね」
「何を作ってもらおうかしらね」
妖怪たちも戦いに飽きたのだろう。
倒れている魔物を集めては、シルのポケットに入れている。
「やぶきん、もう無理だ」
囮として走り切った俺は矢吹の背後に隠れる。
ある程度魔物は倒したから、しばらくは町も大丈夫だろう。
「猛獣の魔物が現れた! 加勢してくれ!」
冒険者たちが戦っている方から、さっきよりも獰猛な雄叫びのようなものが聞こえてくる。
視線の先にはライオンやヒョウ、ゾウみたいなものまでいる。
「これじゃあ、動物園みたいだな」
そんな呑気なことを言っている俺とは異なり、矢吹の視線は一点を見つめていた。
「何でこんなところにアステリオスがいるんだ……」
矢吹の視線の先には一際大きな魔物。
「牛が……立っている?」
武器を持った大きな牛が二足立ちしていた。
俺の体ぐらいの腕を振り下ろせば、周囲に突風を吹かせるほどの腕力。
明らかに格が違う存在なんだろう。
武器を握った巨大な牛が、踏みしめるたびに地面にひび割れが起き、衝撃が足裏から伝わる。
前衛の冒険者が斬りかかるが、分厚い腕に弾かれ、まるで子どものように吹き飛ばされていた。
「硬ぇ……!」
呻き声が上がる中、牛は鼻息を荒げゆっくりと門へ向きを変える。
まずい。あれが突っ込めば門は保たない。
「幸治はなるべく離れていろよ」
言われなくても近づける相手じゃない。だが、その瞬間、牛の背後にある霧の奥で別の影が揺れた。
猛獣の数体が戦線を外れ、森側の斜面へ進路を変えている。
冒険者たちはあの大きな牛の魔物に釘付けだ。
誰も気づいていない。
このままでは裏へ回られ、住宅街から侵入を許してしまうかもしれない。
「あいつら、回り込む気だ……!」
考えるより先に足が動いていた。
もう、ここまできたら囮の本能というべきだろうか。
「やーい! そのたてがみ飾りだろー!」
こんな子どもじみた陰口でも、なぜか魔物たちは反応する。
急に角度を変えて俺に向かってきた。ただ、明らかにスピードが速い。
このままじゃ俺一人では――。
「ケト、逃げるぞ!」
「……えっ、オイラも!?」
近くにいたケトを抱えて逃げる。
精神を攻撃するケトならどうにかできるかもしれないからな。
「ふく……呪うよ?」
「呪うのはあっち!」
抱きかかえられているケトはチラッと俺の背後から様子を伺う。
「なあああああ! 何であんなやつを引きつけんだ!」
さすがにライオンに追いかけられたら、ケトでもびっくりするよな。
洒落にならないぐらい動きが速い。
町の方へ戻ればこいつらはそのまま門へ向かうだろう。
ひょっとしたら俺を無視して、また住宅街へ流れるかもしれない。
あの牛だけでも手一杯なのに、猛獣まで流れ込めば確実に戦況は崩れる。
「やぶきんのところに戻るのは無理だな……!」
町へ戻ればこいつらは門へ流れる。
あの牛だけで戦線は限界なのに、猛獣まで雪崩れ込めば崩壊は目に見えている。
ソウとポチも魔物に張り付いている今、俺が群れを連れ帰るわけにはいかない。
だったら道は一つしかない。
「みんな森に逃げるから後で来てくれ!」
「「「へっ……?」」」
俺の声にシルたちも驚いていた。
こっちからしたら、呑気に血抜き作業していることのほうがびっくりだ。
「なっ……オイラたち死ぬよ!?」
「選択肢は他にない!」
斜面を蹴り、霧の濃い森の中へ飛び込む。
湿った空気が肺に張り付き、視界が一気に白く閉ざされた。
足場は最悪だ。根が張り出し、苔で滑る。
それでも止まれば即死だ。
背後で咆哮が響く。
木が折れる音。
巨体が無理やり進路をこじ開けている。
「森なら……少しは動きが鈍るはずだろ!?」
森の中は狭く視界が悪い。
直線距離も取れないため、巨体には不利なはずだ。
そう信じて奥へ奥へと走る。
「ふく、右! 右から来る!」
ケトの声に身をひねる。
爪が頬をかすめ、木の幹に深い傷が刻まれた。
冗談じゃない。森でもこんなに速いのかよ!
だが、俺に付いてきているのが幸いだ。
霧の奥でまた影が揺れる。
思ったより引きすぎたかもしれない。だが、今さら戻れない。
町の喧騒はもう聞こえない。
あるのは俺の荒い息遣いと、背後から聞こえてくる獣の足音。
逃げ場はもう森の奥しかなかった。
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