五章『ふーふ』
五章『ふーふ』
「ハルトーーーっ!!」
お姫様は、ビルの玄関先でじっと待っていた。
「お前は目立つからそんなところで待ってたら駄目だろ。ほれ、身体がすっかり冷えちまってるじゃねぇか」
お姫様は、すぐ眠れるようにネグリジェという訳でもなかったが、特別分厚い防寒具を着込んでいる訳でもなかった。と言うか、ずっと祈っててくれたのだろう。地面についていたと思われる膝が赤い。
「だって、だって、はるとぉおおおお」
俺にしがみついて彼女は泣きすがっている。ここが住宅街ならさぞ奇異な目で見られていただろう。通報くらいされるかもしれない。
「大丈夫だ、俺だって見ての通りボロボロだが、ちゃんと勝って帰ってきた。金も十分手に入った、心配することなんか一つもない」
泣きじゃくる彼女を抱えて――軽い、と思いつつ、ビルの奥へと入っていく。
「部屋に戻ったら、まずは風呂に入ろう」
「一緒に、入る……」
なぜか、ふと笑顔になりながら。
「ああ、分かった分かった、そしたら寝ような」
「一緒、寝る……」
「ああ、分かったから」
ふと気がつくと、喉の奥にこびりついた血の味はもう、消えていた。
そして二人は帰還の夜を確かめ合う。
翌朝、あいも変わらず薄暗い階段を降り、俺はネズミの店にやってきていた。
「ほれ、新品の甲冑服だ、サービスで剣ベルトも付けてやったぞ」
出っ歯に片目でハゲ頭、正直朝から見たくない顔だ。
「それくらい当たり前だ……と言うか、本当に飲んだのか」
地面には、ハンプティ・ダンプティが転がっていた、バケツに顔を突っ込んで。これもぶっちゃけ朝から見たくない。
「……これ、死んでねぇだろうな」
つま先で、腹をつつく。
「大丈夫だ、吐くだけ吐いてバケツを洗ってから寝ているだけだ」
器用な真似するなぁ、こいつ。
「まぁ、それはともかく、頼んだものはできているか」
「そりゃぁ、金さえ出せば核ミサイルだって仕入れてやるが、何に使うんだこんなもん」
紙袋に入ったものを手にしながら、俺は笑う。
「残念ながら企業秘密だ、次また別のモンを頼むかも知れんが、よろしく頼むな」
「ああ、分かったよ、代金は大したことないがお前のナイトカードから引いておくな」
ケシシと笑ってコンピューター端末を叩くネズミ。
「大したことないなら引くなよ金の亡者」
ネズミはますますケシシと笑いながら。
「いいね、金の亡者、ワシの信条にピッタリ」
呆れながら、スツールに腰を掛け。ナイトカードを差し出すと素早くそこから残高を引く。まさに金の亡者の所業だ。
「ああ、そのついでで悪いんだが、金に変えてないんなら前の宝石、返して貰えないか? 金はちゃんと払うよ」
ネズミはカウンターから小さなポリ袋に入った宝石を二個置いて。
「二千四百万な」
と答えた。
「ふっざけんなっ!」
ダン! とカウンターをぶっ叩く俺。
「なんで四倍もするんだよ! 売った時は六百万だったじゃねぇか」
「売った時は半額買う時は倍額って法律が……」
もう一回カウンターをぶっ叩き。
「ねぇよ! 欲の皮突っ張るのも大概にしねぇとその顔面見れねェように切り刻むぞ!」
「もう顔面に関しては諦めてるが、欲の皮は突っ張るもんさ。まぁワシも鬼じゃねぇ、どうだ? 半額の一千二百万ってのは?」
「それでも倍じゃねぇか! どこの世界に一月預けたら倍になる質屋があるってんだよ!」
「ここにあるよ。こっちだって慈善事業で金貸した訳じゃねぇんだ、貸した金は役に立っただろう?」
「ああ、見事に役に立たなかった日本刀に化けたよ! あれのおかげで一回死にかけたんだからな!」
実際、あの瞬間は危なかった。あの時の交差は、その後の趨勢を決めるほどの一瞬だったのだ。――あいつが、俺の浸透勁を忘れてなかったら、多分死んでたのは俺だろう。
「まぁ仕方あるまい。初勝利の祝いということで、一千百八十万でどうだ?」
「セコく刻むんじゃねぇよ!」
「じゃぁ一千二百万だ」
「だからといって戻すんじゃねぇよ!」
結局、この値段交渉は一千万円に落ち着いた。
「うう、ば、バケツ」
「もう被ってるよ!」
ビルに戻ってみるなり、エッタにそれを渡してみた。
「うわ、凄い、なにこれ?」
糸巻きに巻かれた糸を広げながら、エッタは目を輝かせる。
「気をつけろよ、その糸、危ないんだから。怪我しないようにな、何なら俺の手袋を使ってもいいから」
実際鋼以上の強度を誇るのだ、この糸は。上手くやればエッタの首くらいそのまますっぱり切ってしまいかねない。
「それで俺のスーツアーマーを縫ってみな、見分けがつかなくなるから」
スーツアーマーに普通の糸で縫いつけた場合。そこだけが戦闘の衝撃に耐え切れずに、解けてしまうという弱点があった。昨夜の戦いでも結局解けてしまって、壊れている。
「俺の鎧と同じ材質の糸なんだ、けっこー高かったから大事にな」
ほんと、あのネズミ意外と高い値段取りやがって。
「本当だ、かたーい。んじゃ、昨日の分も含めて後で縫っておくね」
「ああ、頼む」
こういう時、仕事があるというのは良いものだ。何も役に立たないと考えられるより、何かできると考えさせたほうが百倍いい方向に進む。
「……所で、これ、どうやって切るの?」
糸切りバサミでがきーんとさせながら(多分糸切りバサミは欠けただろう)言うエッタ。
「あ、あーそうか、その時は、俺の剣でも使って……」
「あ、大丈夫、歯で切れた」
ぶちっと糸切り歯で切ってしまうエッタ。
「ええええええええっ!? 大丈夫か! お前!?」
普通、歯が折れる。
「平気だよ、上手くやればハサミでも切れそうだね」
「お前の裁縫技術って、時々本当に凄まじいのな」
っていうか、何か奇跡に近い何かが起こってはいやしないだろうか。
「まぁ、それはともかくあっさごはーん♪」
と言って、ピンクのエプロン(お手製、かわいいアップリケがいっぱい付いてる)を着て台所に立つ、最近では朝食は彼女の仕事だ。
と言っても、トーストを焼いてサラダを手でちぎって盛りつけるだけだが。まだ火と刃物は使わせない。
「ねーねー、ハルトー、オムレツが食べてみたいと思わないー?」
サラダにドレッシングをかけつつ、くるりと振り返る。
「どれ、俺が焼くか?」
「むー、ハルトのケチー」
むすっと膨れるエッタ。確かに、過保護に過ぎるとは思うが、こういうのは段階だ。俺も、他所様の娘さんに傷は付けたくない。
「じゃあ、今日のサラダにはゆで卵をつけてもらおうか、勿論、半熟で」
「うん! 分かった!」
彼女の笑顔が、ぱああと輝いた。
さて、そろそろ決断の時だ。
ここで引きどころを間違えればそのままズルズルといってしまうだろうし、かと言って、決断を間違えてしまえば、一生後悔することになるだろう。
そのためには情報が必要だ。業腹だがまた、あのバケツ顔を眺めに行くとしよう。
「俺だ、まだバケツのやつはいるか?」
カードスリットにカードを通し、鉄扉を開けながら言う。
「ああ、カウンターで突っ伏してるよ」
「まだかよ、本当に弱いな、おい、気付け薬でも飲ませてやれ」
スツールに収まりきってない肉塊はぐぐぐ、と体を起こし、また突っ伏した。
「大丈夫だ、問題だ」
「どのへんが大丈夫でどのへんが問題なんだよ」
額に手を当てて、答える。ネズミが薬と水を持ってきて「五百円」と言ったので、本当に五百円玉を頭に穴が開かんかというくらいの勢いで叩きつけたら、五百円玉は握りしめたまま気絶した、流石は金の亡者。
「会話くらいは出来る、私の情報網を当てにしてきたのだろう?」
バケツは「うごごごごご」という謎の怪音を発しながら言う。
「まぁな、クリスタル家についてなんだが……」
「ああ、そのあたりの情報はいずれ入って来るから構わない。クリスタル家は壊滅したよ、一族郎党皆殺しだ。手下は散り散りでほぼ壊滅状態だな」
スツールを倒しながら、驚く。遅かれ早かれ痛い目は見るとは思っていたが、そこまでやるとは……。
「連中は、無視しすぎたんだ、騎士団は連中に騎士を派遣することをやめて賞金をかけた。そして、それに乗ってきたのが“デスズハンド”死影さ」
改めてスツールを直し、座り込みながら考えた。
「死影、聞いたことがある。上級騎士でありながら騎士団を抜けようとし、ケタ違いの懸賞金をかけられてるって話を。それで挑戦する馬鹿も多いが、その大半が返り討ちにされている。今じゃ、フリーランスの賞金稼ぎとして活動してるが、騎士団もこいつの殺害は殆ど諦めてるってレベルの化け物だ」
確かに、そのレベルの怪物にかかれば一般人などなすすべもなく虐殺されただろう。生きた絨毯爆撃も同然だ。
「かかっている懸賞金は今じゃ二百億円だ。もっとも、挑戦不可能とされて、今じゃ意味を成さない金額だがな」
しかし、問題は別にある。つまり、これによりローズエッタ・クリスタルは一切の後ろ盾を失ったということになる。今帰しても彼女を死なすだけだ。
「クソッ、一択かよ」
コップの水を、一気に煽って、カウンターを立つ。
「……あ、それ、私の」
バケツの呟きは、俺に耳には届かなかった。
「……」
家に戻っても、俺は押し黙ったまま、椅子に座っていた。
エッタが、ちょこちょこ回っては俺の様子を気にしているが、俺としては、それどころではない。
どうしたもこうしたも無い。ただ、話すだけだが、その切り出し方がわからない。
お前の家族は死んだって、これから逃げて過ごすんだってどう言えばいいんだ。もう、彼女の身柄は俺一人の手に委ねられてある。俺が、どうにかしなきゃいけないのだ。
「……ると! ハルト!」
見ると、いつの間に着替えたのか真っ白なドレス――ここに来て最初の日に着ていたのと同じ、やたらお姫様を振りまくドレスだ――を着て、ネックレスと指輪をしていた。ネックレスは、腰近くまでチェーンが来ていたし、指輪は、親指にしていてもぶかぶかだ。
「ハルト、これ持って帰ってきてくれたんだね、ハルトのものにしても良かったのに」
「ああ、ちょっとワケありで借りてただけだ。済まなかったな、盗みは好きじゃないんだ」
ちょいとばかり高い利子を払っちまったがな。と心の中で付け足す。
「いいのよ、ハルトと私はもうふーふだもん。私の持ち物はもうハルトのものなんだから、だから好きに使ってもいいのよ?」
「夫婦はねぇだろ、いいとこ兄妹だ。一回りも違うんだぞ」
エッタはひょいっと顔を横にして、その大きな瞳を上目にして俺の顔をじっと覗き込む。そして戻すと、ゆっくりと語り出した。
「お金に困ってる、って、顔じゃないよね、ハルト。でも、危険なことをしに行くって顔でもない、私のことを見て、考えてくれてる。だから私のことなんだよね? いいのよ、言いにくいことだったら言わなくても」
は……と自然に声が漏れる。彼女は、きっと俺のことを考えてくれているのだろう、と俺の考えでもわかる。
「だからね、私の言いにくい話をしてあげる。あのね、この宝石は亡くなったお母様の形見なの、私は、お母様の顔も知らないし、写真もないし、思い出もないけど、この指輪とネックレスが似合う頃になったら、多分私はお母様そっくりになるの。そしたら私は理想の男の人と結婚して、いっぱい幸せになるんだ。お母様からの遺言なの、私の分も幸せになりなさいって。だから、お母様になって私は、幸せになるんだ」
頬は、自然に緩んでいた。彼女は、ろくでもない父親を持ち、未来になって初めて自分の母親の顔を知ることになると言うのに、こんなにも、俺のことを考えて、元気だ。
「いいな、それ、理想の王子様が見つかるといいな」
「ハルト!」
近くまで寄ったエッタがビシっと指を突きつける。
「私の考えていた王子様でありナイト様がハルトなの! ハルトは、私をあの家から助けだしてくれて、たくさんの思い出をくれて、まだまだいっぱいくれるの! だから私とハルトはふーふになるの!」
ちょいちょい、と、指でエッタを呼び寄せた。呼び寄せられたエッタはちょこんと椅子に座っている俺の膝に座る。
「うりうりうりうりうりうり!」
「きゃーっ♪」
おもいっきり、その髪の毛をワシワシしてやる。そして、その乱れた髪の上にポンと手を置いて、一言。
「良し、夫婦やるか」
「良いの!?」
驚いたようにこちらを振り向くエッタ。
「お前が言い出したことだぞ、ま、実際結婚するのはまだ先の話だから、婚約な、いつか夫婦になりましょーっと」
俺のごつい小指をエッタのちっちゃな小指を絡める。
「えー、いつかやだー、今がいいー」
「いまだと犯罪だからなー、じゃ、四年後な。お前が十六になったらこの国では結婚していいことになるからな」
む、と、エッタは指折り数えて。ぱあっと顔を輝かせ。
「やった! 近い! 私二月一日生まれなんだ! わーい! 後三年とちょっとー」
その様子を見ながら俺もちょっと早まったかな、そう思った。
そこで、俺の携帯端末が鳴る。
知らない男の声で、場所を指定される。場所は、少し離れたカフェテリアだった。昼間に襲撃もないだろうということでエッタの縫った服を着て行く俺。
その、最中の事だった。人混みの中、背中に硬いものが押し当てられる。殺気があるのは分かっていた、それが騎士でないことも。
「五十口径か、この国じゃ入手は難しかったろ? 念が入ってるな」
足を止め、軽口を言う。
「黙れ、俺の言うことにだけ答えろ、死にたくなかったらな。騎士と言えども例の服がなければ生身の人間だろう」
電話の男とは、違う男のようだ。紙袋の中に銃を入れ、それを俺に押し当てている。
「悪いことは言わんが、止めておいたほうがいい。賞金が欲しいなら宝くじでも買ったほうが確率高いぜ?」
俺はなおも、軽口をやめない。
「黙れと言ってるだろうが」
男は緊張している、拳銃の扱いには慣れていないようだった。それでも、ゼロセンチの近距離なら、当たりはするだろうが。
「わぁったよ、で、聞きたいことは何だ?」
男は両手で拳銃を突きつけたまま言う。
「ローズエッタ・クリスタルの居場所を吐け」
俺は、眉根を釣り上げる。今、彼女にこだわる組織は存在しないはずだ。
「なんでまた、あんたの親分はロリコンかい?」
後ろを、軽く見ながら言う。スーツを着た日本のマフィア構成員といったところだろうか、それも下っ端のようだ。
「黙って答えろといったはずだ」
「…………」
数十秒、黙る。
「おい、答えろ」
痺れを切らしたのはあちらさんの方だった。
「黙れっつったのはそっちだぜ。黙ってちゃ、答えようがねぇ」
「いいから答えろ」
俺達に気がついてる通行人はいないが、男は相当焦っているのだろう、声を荒らげさせる。
「知らねぇなぁ、悪いが、撃っちゃっていいよ」
「……なんだと」
男が、冷や汗をかいたのがわかる、この状況で、撃つことになるとは想定してなかったのだろう。まぁ、銃器に慣れていないこの国の人間なら、分からないでもない。
「その五十口径全弾、俺の脇腹に撃ってみろよ、ひょっとしたら痛くて吐いちゃうかもしれないぜ」
なおも軽口を続ける俺。男は、吐かなければ殺せ、と言う命令を受けていたのか、覚悟を決めたのが銃越しに伝わる。
そこで、連続した発砲音。
「ちょっち、痒いか」
弾丸は、俺の脇腹の『服』を貫通し、全弾潰れて、落ちる。幸いなことに、誤射はなかったようで周囲に被害はなかったようだ。そこで初めて、周囲の人々が何だ、とこっちを振り向き始める。全く、都会の悪い所だ。
「悪いな、騎士ってやつは特別なんだ。その程度じゃ死んでやれない。次は対空砲でも準備してくるんだな」
言うと同時に振り向きざま男の顎に蹴りを叩き込むと、男は一瞬で気絶した。勿論首が飛んで行かないように手加減はしている。地面に落ちた紙袋は、そのまま手早く回収。
周りは騒然とするが、俺はその場を一気に駆け出した。
「って、ヤバ、エッタに怒られる」
穴の開いたスーツを見ながら、一人慌てていた。
俺は、その男にあくまでも気さくに話しかけた。
「やぁ、遅れた、コートを買ってきたもんでね。スーツに風穴合いちまって寒くて仕方がなかったもんだからな」
待ち合わせ場所のカフェテリアに行くと、指定通り、黒の――と言うか、黒が基本なのだが――甲冑服を着た、長身の男が座っていた。中途半端な長髪で細目の男だ。男の横にはジェラルミンケースが一つ、中には武器が入ってることは間違いないだろう、長さからして、剣か。
「そうだな、もうこの国では冬も真っ盛りだからな。まぁ、俺達騎士は冬が似合う」
男は細い目を見開いて言う、渋い、それでいて掠れきった声の男だった。
「で、あんたは何者だ? 悪いが俺はニューチャレンジャーを求めちゃいない、悪いが、逃げ隠れさせてもらうぜ」
男は、ニヤリと笑うと、メニューを進めてきた。
「長い話になる、怪しまれないように先に注文を済ませておけ」
コーヒーの味の違いは正直わからないので、注文は紅茶にした。アップルフレーバーがあったので、香りを楽しむ。香りを楽しんだら、正直ただの色水なのだが。
「俺、味音痴なのかも知れんな」
「戦場暮らしも長かろう、味覚は麻痺しておいたほうが、人生苦労しない」
男は、ミルクティーを注文していた。お互い、茶菓子を頼むわけではない。
「で、お前は誰だ」
テーブルに肘を置いて、話の続きを促す。
「死影だ、聞いた事くらいはあるだろう」
瞬間、ゾッとした。その視線に含まれた、静かな殺気に。一瞬男の目が、血のように赤くなったように錯覚したほどだ。まさに蛇に睨まれた蛙、これは、逃げられない。しかし、戦おうと思えば確実に死ぬ。俺は、まさに死神の手に首筋を撫でられたような気分になった。
「 “デスズハンド”が一体俺に何の用だ、俺の賞金額は、お前が手を出すほどの額でもないだろう」
“デスズハンド”死影、こいつは、自由騎士の中でも高額専門の賞金稼ぎである。俺なんかは、小銭稼ぎにしかならないだろう。まさか『落ちている金は拾う』主義でもあるまいし。
「……お前は知らないようだな、お前の賞金額は、騎士団によって現在十億ドルまで跳ね上がっているんだぞ」
思わず、持っていた紅茶を取り落としかける。
「……なんだと。単位を、勘違いしてないか?」
紅茶をソーサーの上において肘をテーブルについて、聞きなおす。
「条件は『ローズエッタ・クリスタルの引渡しと、お前の殺害』だそうだ、騎士団はそれに十億ドルの賞金をかけた。事実だよ」
逆に、死影は茶を飲み干す、そして、ポットからアッサムを注いでミルクを継ぎ足し、かき回す。
「十億ドル……事実上の騎士団の退団価格か……で、あんたは今俺を殺しに来たのか? それともメッセンジャーでも気取ろうと?」
十億ドルという金には、意味がある。これだけ騎士団に支払えば、騎士団の庇護のもと、正式に騎士団を抜けられるのだ。賞金をつけられることもないし、命を狙われることもない。実質上の手切れ金だった。――もっとも、それを実際に払いきったものはいないが。死影も実質的な退団は果たしていない。今この場で不意打ちをしかけるくらいはしてくるかもしれない。正直、状況を甘く見過ぎた……甘く見なくても、結果に変化は現れないのだろうが。
「残念ながら、そのどちらでもない。君が追い詰められれば追い詰められるほど実力を発揮することは知っていてね。正直、下級なのに中級を屠った奇跡ってやつは怖い。だから、私は確実を求めにきた」
更に砂糖を足し、カチャカチャと、スプーンを回す音だけが響く。
「一ヶ月後に、お前を倒す。お前は選ぶことだ、私から逃げ続けるか、それとも」
テーブルの中央に、赤いものを置く。それはよく見知った、アンプルだった。
「私と正々堂々と戦うかだ」
――逃げまわるのは、不可能だ。いくらアンプルが不必要になったからといって逃げる範囲には、限界がある。情報屋のネットワークから逃げ切るのは不可能だろう。俺が安ければ、逃げ切る可能性もあったものの、十億ドルもの値段を付けられてしまっては、もう逃げるなどとは不可能だ。
――戦えば、あるいは奇跡が起きれば、勝てるかもしれない。それでも砂漠からダイヤモンドを掘り当てるような確率だ。相手が上級騎士だろうと、リミテッドソードで心臓を一突きすれば、可能性がないわけではない。
「……その一ヶ月の間に誰かが俺を殺すかもしれないぜ?」
アンプルを手に取りながら言う。その呟きに、彼はニヤリと笑みを浮かべながら。
「私が直接手を下すともう伝えてある。私を出し抜くのなら私に殺される可能性も考えることだな、ともな」
冷や汗を浮かべながらも、口笛を吹いてみせる。
「ヒューッ、そいつは最高の殺し文句だな」
文句抜きに、殺すセリフである。
「お前が、アンプルを飲んで三十三日経てば最強の状態になると聞いた。だから、私がお前を殺すのは三十日後だ。いつ飲むのかは、自分と相談するのだな」
もう一杯、茶を飲み伝票を手に取る死影。
「奢って貰って悪いね、菓子でも頼むんだったか」
せめてもの抵抗にと、軽口を叩く。
「なに、お前の余命は後数ヶ月だ、冥土の土産には丁度いい」
つかつかつかつかと階段を降りる。
ナイトカードをスリットに差し込み、扉を開ける。
「まだいたか、バケツ」
バケツはなんとか落ち着いたのか、カウンターで茶を飲んでいた、湯のみで。
「なんだい? 死影の話でも聞きたくなったのかい。言っとくが、高く付くよ? 先ほどやってきて、君の話を聞いてったところだからな」
バケツは、湯のみから湯気を揺らしながら、言う。
「その話は後だ、俺の命が後数ヶ月ってどういうことだ。お前が売った情報なんだろう?」
俺はその隣――は心情的に嫌だったので、席をひとつ挟んだ隣に座る。
「ああ、それは簡単な話だ、君、アンプルの中毒症状から耐え切っただろう? そのせいで君の内臓はもう殆どズタボロの状態だ、持って半年といった所だろう」
俺は、カウンターを叩く。
「なんだよそれは!」
「当たり前の話だよ、アンプルは君たちを繋ぐ鎖、といっただろう? 完全に抜けることはできない状態になっていただけなのさ、最初の一本を飲んだ状態で君の運命を決まっていた。それに耐えぬいたのは奇跡だろう、だが、それだけでハッピーエンドが訪れるって訳じゃないのさ。君たち騎士が強さに拘った代償だ」
「くそっ……ふざっけんなよ」
痛みは全て身体の中に限定されていた。例えば、内臓を総とっかえすることで延命は出来ないか、と考えるが、すぐに無理だと判断する――生身の人間の内臓でそんな治療法をすれば、体力が持たない。そういった方法では脱出できないようにできている。
「別に、助かる方法がないってわけじゃないさ」
「何かあるのか!?」
俺は、跳ね起きるように席を立った。
「ああ、アンプルを飲むことだ、『強すぎる薬』だと言ったろう? 飲めばそれだけ能力増強が起こって、君は延命される。まぁ、数年は生きるんじゃないかな? 騎士としては長命な方だろう」
「どっちにしろ、短命は避けられないのか……」
死影が、選べと言ったのはこの話だったのかもしれない。逃げて数ヶ月の人生を送るか。戦って数年の命を生きるか。
「君の賞金を得る対象に、君自身が含まれているのも、それが理由さ」
「それは一体、どういう意味だ?」
「君の十億ドルは君自身が投降しても含まれる、というわけさ、その場合、数年の人生を謳歌できる。騎士団はそれを君に促しているのさ、どうせ騎士団が払って騎士団が受け取る金だ、騎士団の財布は痛まないからね」
「その場合、エッタ……ローズエッタはどうなるんだ?」
バケツは茶を一口飲んでから、話す。
「彼女を引き渡すのも、条件の一つだ、十億ドルのうちほんの数千万ドルだがね、騎士団に出資した人物がいる」
「なんだそれは? 昼間銃を突きつけた日本のマフィアに関係があるのか?」
「もう会ったのか、あれが日本のまぁ、専門用語で言う所のヤクザ、青龍会のメンバーだ。その組長の息子が、まぁ、そういう所の好きモノでね。昔から彼女を買うつもりだったらしい」
「ふざっけんじゃねぇよ!!」
俺は、バケツを睨みつける。バケツは慌てて茶を取り落とす。
「わ、私を脅しても何もでないぞ、まぁ、青龍会はぶっちゃけて言うとローズエッタが欲しいだけだ。だが、売買先のクリスタル家が壊滅してしまったってわけでね、騎士団に依頼して捜索している、と言う所なのだよ」
「青龍会については分かった、まぁ人間じゃ何をやっても騎士には勝てないだろう。そいつらは無視しても大丈夫だな」
「じゃ、死影についてだが、二千万円もらおうか」
無言でナイトカードをネズミに向かって投げる。
「死影は、騎士団の中でも上級騎士のトップクラスに位置する実力者だ。今の騎士団の中じゃ奴に勝てる奴はいないんじゃないかな? タイプはタフネスだが、ライトスピードなんかより余程スピードは出る。武器は二本の剣だ、両方共リミテッドソードより余程強い。リミテッドソードがオーバーテクノロジーで作られた武器なら、その二本の剣はロストテクノロジーで作られた剣だ。名前は“デュランダル”と“アロンダイト”という」
「決して折れない剣と、決して欠けない剣か。徹底してるな、そいつ。第一、オーヴァーテクノロジーでロストテクノロジーに勝てない道理は?」
バケツは肩をすくめながら。
「現実がそれを伝えている、やつの剣は何度もリミテッドウェポンを砕いてきた。何年もその剣をそいつは使い続けているが伝承通り、刃こぼれ一つ起こしていない。実際、リミテッドソードで立ち向かっても、クッキーで剣に対抗するようなもんだろうな。正直、お前さんに勝機はないよ」
それでも、勝たなければいけない。だが、奴は油断しない性格だ。わざわざ情報屋から情報を買っているところや、俺のもっとも力が発揮できない三十日後を指定している所を見ると。見たところ、付け入る隙はない。また、戦闘経験に関しても、上級の騎士との戦いに慣れた奴のほうが、圧倒的に上だろう。
「あるよ」
そこに、ネズミが口を挟んできた。
「今手元にはないが、取り寄せれば同レベルの装備は手に入る。お前さん好みの剣だ、もっとも、ちょいとばかり値は張るがね、二億だ」
「なんだと! それならば買う! 同じ武器があるのとないのとは大違いだ!!」
本当に、それは助かる。同じ武器があれば、持久戦に持ち込むこともできるはずだ、それならば、まだもしくは。
「言っとくが」
そこでネズミは一つ咳払いをし。
「二億『ドル』だぞ?」
「ふざっけんじゃねぇよ!!」
夜中、俺の携帯端末に連絡を寄越したものがいた。
「よぉ、病院からの電話は遠慮して欲しいなぁ、それとも、警察署かい? 悪いが弁護士業はやってないんだ」
昼間、蹴り飛ばした男である。手加減したと思ってはいたが、どうやら健在だったらしい。意外とタフな男である。
「ふざけるな、それよりも、話がある 指定された場所までやってきて欲しい」
「今ここじゃできない話かい? 昼間の服の弁償なら、歓迎するところだが」
あれのおかげで、散々エッタに怒られたのである。服の心配より、俺の心配をされたのが、ちょっと心に刺さっているが。
「良いから、指定された車に乗ってやってこい、若旦那がお待ちだ」
「ロリコンか、悪いがロリコンと話す余地なんてこれっぽっちも」
「来ないなら、お前らの行動範囲に手当たりしだいに爆薬を仕掛けるまでだ」
「分かった分かった、これから毎日テロリズムでラブコールされても仕方がねぇ、ちょっくら出かけるよ」
呼び出されたのは都市部からは少し離れたアーケード街だった。ここも、住宅街からは遠く夜中になると、静かだ。
「ヒューッ、まさか、本当に対空砲を持ってくるとはねぇ」
降りた車を走らせる。ふいと目をやると、そこには数十人のマフィアと多数の機関砲があった。
「主にブローニングと……おお、エリコンFF二十mmまである、確かに型落ちとはいえ、この国でこれだけの銃火器博覧会が行われるとは思わなかったよ」
数人が横に並んで水平射撃を行う体制をとっており、その後ろに機関銃をメインとした弾幕支援を並べている。なるほど、これなら音速を誇る騎士といえども、突撃前に止められると考えたわけか。
「よく来たな桜原春人」
その一番奥にこの場には似つかわしくない高いばかりで着こなしの一つもないスーツを身にまとった、豚がいる。スーツの着こなしで言ったらまだハンプティ・ダンプティのほうがマシだというものだ。
「何だ、喋れる豚がいたのか、見たところお前がロリコンだな」
豚は、指を付けつけながら俺に言う、蹄じゃなかったのか。
「失礼なやつだな貴様は! 僕は青龍会第七代組長堂下鹿大だ! まずは聞こうか、貴様が投降してローズエッタちゃんを引き渡すというのなら、命だけは勘弁してやろう」
はっ、と鼻で笑って見せ、剣の柄に手をかける。
「悪いが、その程度の装備で騎士を倒そうって思ってんのなら片腹痛いぜ。現代騎士は、銃に対しては妄執に近いもんを持っているんだ。そっちこそ、ローズエッタを諦めるっていうんなら、命だけは勘弁してやるぜ」
豚は、真っ赤なゆで豚になって指を再び俺に突きつける。
「ええい! お前が投降するのなら一千億近い金が手に入るのだぞ! それだけ貰っておいて娘子一人渡せんというのか!」
俺は、フードをつまみ上げながら豚に言ってやる。
「悪いがあいつは俺の嫁になる予定なんでね、嫁を売る馬鹿がこの世にいるかよ」
「……っ貴様!! ええい撃て撃ってしまえい!!」
部下は一瞬躊躇するが――この隙に、全員の首を刎ねてやっても良かったのだが――一人、また一人と銃の引き金を引き始め、ついには銃弾の豪雨と化して俺に襲いかかった。俺は、フードを目深に被り、両腕を顔面の前に持って行き、ガードする。
商店街はその銃弾の余波を受け、木っ端微塵になっていくが、俺には関係ない、後処理はこいつらが騎士団経由でするのだろう。
俺は、立ったまま、動かない。別段銃弾のストッピングパワーが強いのではない、動かないのだ。豚が、笑いながら何かを言っているがこの轟音の前では誰も聞いちゃいないだろう。
――そして、音が止んだ。
静寂の中、聞こえるのは、転がっていく薬莢の音と、極道たちの息を呑む音だけ。
「どうした、それで終わりか?」
俺は、腕を払って全身にまとわりついた弾丸を払ってみせる。俺の足元は俺の立っている場所を除いて、銃痕で抉れきっていた。
「つ、次の弾薬を入れて発射しろ! 早くだ!」
豚が、部下に指示をする。
「無、無理です、再装填なんて考えてませんよ! 何分かかると思ってるんですか!」
「ば、化け物だ!」
「逃げろ! 逃げろ! 殺されるぞ!」
「馬鹿者! 僕を置いて逃げるんじゃない!!」
蜘蛛の子を散らすように連中は去っていく、連中の士気を考えればそんなものなのだろう。俺は、足元に散らばった銃弾をジャラっと蹴り。
「流石に、戦争暮らしが長かったとはいえ、こんな集中砲火食らったことはなかったなー」
と、笑った。携帯端末の電源を入れ、ネズミに連絡を取る。
「おい、ネズミ、警察が来る前に大至急トラックを寄越せ。おう、儲け話だぞ」
残ったのは、この国では高値で取引されるであろう銃火器の数々。――儲けもんだ。
――兆候が来たのは翌日からだった。
俺は、またエッタを連れてデパートを回っていた。今回の目的は、エッタが使う布探しだ。昼食は家で済ませてきた、意外にうちは内食派である。何しろ、目立たなくて済むからだ。バケツに頼めば、この街のおすすめの外食屋も見つかるのだろうが。あのバケツは付いてきたがるし、あんなのと金髪美少女を連れていては、はっきり言って目立つどころの話ではない。
ぶっちゃけて言ってしまえば、事件である。
「しかし、目立つことは目立つのな」
今日のエッタちゃんの服装は白、ゆるいワンピに白い帽子。帽子についた赤いリボンがワンポイントに眩しい。
最近では、取り立てて騒がれる事はなくなったものの、遠巻きに写メなどを取られている。すっかり街の人気者という感じだ。
「ちょっと悪い、トイレへ寄ってくる。大人しく待ってろよ、あと、なんかあったら必ず叫ぶんだぞ」
デパート連絡通路の休憩所に、エッタを置いて一言。もっとも、なにか異変があればその気配を俺が察知できないはずもない。
「はーい」
ペットボトルのオレンジジュースを両手に、ベンチにちょこんと座ったエッタが言う。大人しくしていれば、本当に彼女は可愛らしいものだ。
トイレに人の気配はない。――助かった、とても個室までは我慢できなかった所だ――俺は、その場にうずくまり、腹だか胸だかを両腕で強く抑えた。
「ちょっと早すぎるだろうよ、死神――約束じゃ半年待ってくれるって話だぜ……?」
感覚としては、中毒症状によく似ている。脂汗が、額から伝って顎に落ちる。俺の身体は、確実に寿命という鎖に縛られていた。
「ぐ――」
不意にコートの端を掴む感触を覚える。その方向に目をやると、エッタが、不安そうに俺を見つめていた。
「大人しく待ってろって言ったろ……」
掠れた声で言う。エッタは首を横に振り、俺に抱きついてきた。
「ハルトずっと帰ってこないんだもん――大丈夫? 凄く痛そうにしている」
そんなに時間が経っていたのか。俺は、自分の不覚さに唇を噛む。
「大丈夫よ、ハルト。私がいるから――いたいのいたいのとんでけ」
それだけで、何故か痛みがエッタの触れている場所から、飛散していくように失われていくようだった。
それが二人の日常の、切れ端。
あれから――何が起こったわけではない。
俺はエッタと遊び、街を満喫し。二人の生活を謳歌していた。
俺はエッタに優しかったし、エッタは俺に優しかった。それだけの話だ。
「がはっ――」
真夜中、洗面台に大量の血を吐き出す。
「なるほど、これが余命数ヶ月の肉体ってわけだ」
だが時間と言う名の死神が、俺の余命をジリジリと削っているのがありありと分かる。俺に残された時間は少ない。そして、俺は明日には死ぬだろう――死影の手によって。
「数ヶ月なら、逃げるほうが確率は高いかも知れねぇ」
だが――その場合、エッタは何の後ろ盾も無くす。俺がいなくなった後あの豚が何をするかは、想像に易い。
「二百億、せめて二百億手に入れば」
その場合、エッタに騎士団という後ろ盾をつけることも出来る。騎士団に守らせれば、彼女は無事生きていけるだろう。幸い、彼女には甲冑服の縫製という特技がある。騎士団も彼女の能力を知れば、無下にはできないだろう。
俺は、ズルズルと体を引きずって、階段を降りていった。
「よぉ、ネズミ、前から聞きたかったがお前はいつ寝てるんだい?」
前々から思っていた疑問を投げかける。
「何、コンビニエンスストアの経営者よりは楽な生活をしているよ」
返す男は、気軽そうに答えた。
「こんな夜中に何かようかい? 寝酒でも飲みに来たか」
「ああ、とりあえず一杯、もっとも、こんな妖怪の顔見て飲んだら悪夢を見そうだがな」
無言で、ネズミは酒を滑らす。俺が酒の種類に拘ったことはないのを分かっている。だが、今日のは――。
「なぁ、いくら酔わないからって、グラスにスピリタスってのはどうよ?」
普通、こういうのはちょっと飲むものだ。間違ってもグラスになみなみ注ぐものではない。
「消毒液代わりになるだろ、血の臭いがするんだよ」
ネズミもこの道は慣れたもの、か。一気に煽ると、確かに少し、染みる。
「痛いな」
「普通の人間なら、そこで気絶してるぜ」
空のグラスを滑らすともう一杯ついで戻してくる。
「まぁな、所で今日は相談があってきたんだが」
「この間みたいな儲け話なら、いくらでも乗るぞ」
ネズミはケシシ、と笑う。
「あんなのそんなに転がってる話じゃねぇよ。馬鹿もアレで懲りただろ――後は、時間との戦いだな。言っておいた戦闘準備は整っているか?」
「――ああ、だが、そんなんで果たして勝てるのかね?」
「やってみなきゃわかんねぇよ――もうサイは振られてんだ、転がった目によれば俺に奇跡が起こるかもしれないだろう?」
もう一度ネズミは笑い。
「大穴だな、ちなみにワシはその賭けがあったらお前さんに張り込むぞい」
それはまた、どうして意外。
「信頼されてるな」
「昔から窮鼠猫を噛むって言うじゃろ、鼠と猫くらいには実力差はあると思うが、ワシだったら鼠に賭けてみるね」
いや、意外でもなかったか。
「……んで、相談の件なんだが」
「おお、そうじゃったな」
「こいつを俺のナイトカードと繋げて欲しい。名義はローズエッタ・クリスタルだ」
以前ジュリー・リードとの戦いで得ていたナイトカードを渡す。
「カードの書き換えか、良いぞ入会金は三百万だ」
「これが、コンビニだったら三百円なんだがな」
カウンターに、札束を三つ置く。それに飛びついたネズミは、嬉しそうに金庫にしまい、コンピューター端末を動かす。
「やっぱ金は現金が一番いいのう、こう、実感が湧く」
五百円玉を取り出して指で弾く。
「何ならくれてやろうか一発」
「八つ当たりの材料にされてはかなわんのう」
「まぁ、冗談だ」
ネズミは、カウンターをガタタンと鳴らし抗議する。
「冗談じゃなかったじゃろう! 痛かったんじゃぞアレは!」
「額に穴を開けなかっただけ感謝しな、つうか早く仕事しな。本気で飲み代を全部五百円玉で支払うぞ」
ひいいと、呻きつつコンピューター端末を叩くネズミ。
家に戻り、なんとか一息つく。
「一体、どれくらいの時間が残ってるんだ……」
不安に襲われる。内臓は痛み、今夜はとてもじゃないが、眠れそうにもない。寝酒を飲んだといっても、そもそもアルコールという毒素が効かないのだから、寝酒としての意味が無いといって良いだろう。
「……ると、ハルト」
奥のエッタの部屋から、俺を呼ぶ声が聞こえる。どうやら、エッタは俺が外出していたことに気がついていたようだった。
「……なんだ?」
特に、ドアには鍵などはかけていない。一応かけるようには言っているのだが、聞くようなタマではなし、放っておいている。
「……ハルト」
扉を開けると、エッタはベッドで横になっていた。
布団もかけず、シースルーのキャミソールに、レースの下着という格好で。
「……お前は、なんというかっこーで寝ているのだ。しかも、いつ買ったそんなの」
まぁ、似合ってる似合ってないで言えば、似合っている。薄明かりの中の彼女は、実に蠱惑的だ。
「……来て」
エッタは夜の暗さでも冬の寒さでも分かるくらいに、紅潮している。言われるままに近寄って膝をついたが、これは……。
「……ん」
目を閉じて、唇を寄せてくる。
「ちょ、ちょっと待て、何の真似だお前」
慌てて、その唇をムギュ、と押し返す。
「何って……キス」
モジ、と身体をくねらせながら、言うエッタ。
「キスすればいいのか?」
確かに、それくらいだったら問題ないはずだ。だが、それくらいだったらの話だ。
「う、うん……」
少し目を逸らしながら、エッタは言う。
「じゃあ、するぞ……目、閉じてろ」
「やだ、やっぱ見てたい」
「好きにしろ」
肩を抱いて、唇を寄せ、そしてそれを合わせる。
「ん……」
甘い味とマシュマロのような柔らかさを感じる、俺の唇は、さぞアルコールの味がするだろうが、血の味がするよりはよっぽどマシであろう。
そして、そのままエッタは俺の肩を抱き、ベッドの中に引き入れようとする。
「……だから、何をする気だ」
彼女は、真っ赤になって俯きながら呟く。
「あ、あの……このまま」
それを、手で制して。
「ああー、ああ、もう良い、それ以上言わなくても」
「なら……!」
エッタが、がばっと身を乗り出してくる。
「ふざっけんじゃねぇよ、誰がするか。俺は女の口からそういうことを言うなって言ってるだけだ」
腕で押し無理やり、身体を離す。本当は、身体が紅潮してる割にはエッタの肌は冷たくて、抱きしめてやりたい気持ちもあるが、こういう線引きは、必要だ。
「でも、でも……私、ハルトとそういうことしたい」
突き放されたエッタは、泣きそうだった。
「待ってたら、いつかすることになるだろうから、それまで待ってろよ。お前にゃ早い」
正直、心が痛い。そういう日が、来ることはないのだ。
「嘘」
その心を、見透かすように、エッタは鋭く言う。
「嘘。ハルトが毎日苦しんでるの知ってるもん。血を吐いて、私も苦しいのはハルトだから我慢してたけど、本当にハルトが出て行く度に帰ってこないような気がして……」
全部、知られてた。誤魔化していたつもりでも、完全に見透かされていた。
「いつかふーふになるっていうのも嘘! だって、ハルト帰ってこれないつもりで戦ってる! だから、私とハルトは結ばれることはないんだ!」
「それは……」
返す言葉は見つからない、俺は、相手が子供なら全て嘘で逃げ果せる思っていた。だけど、彼女は女性だったのだ、俺の嘘を見抜くくらい、容易だったのだ。
「だから欲しいの! 傷ついても! 壊れても良い! ハルトと一緒になった思い出が欲しいの! だから……だから!!」
泣きながら、エッタは縋り付く、それを俺は今度こそ抱きしめてやった。
「ああ、俺は、明日死ぬだろう。だが、かならず勝つ、お前を守ってみせる。約束、守れなくてゴメンな」
「嫌だよ、ハルトいなくなるのは嫌だよ……! 私、私」
エッタの、透き通るような髪を撫でながら、俺は言う。
「悪い、どうしようもないことなんだ。逃げても、戦っても俺は死ぬ。それなら、俺はお前に何かを残して死にたい」
ナイトカードを、エッタに押し付ける。
「俺が死影ってやつに勝てば、二百億円手に入る。そいつは全部お前にくれてやる」
そのカードを、エッタはしっかり握り締め。
「明日、場所を教えるがそこの顔の悪いネズミってやつを頼れ。そいつは金次第でなんでもしてくれる。明日俺が、夜明けまで戻らなかったら騎士団に頼って守ってもらうんだ」
エッタは、カードを受け取って何かを決心したようにコクンと頷いた。
「いい子だ、今日はずっと一緒にいよう。俺のことを、忘れてくれとは言わない。だけど、ローズエッタ、君は自分の足で進むんだ」
笑って、彼女を強く抱きしめて、布団を手繰り寄せる。俺の体温も決して暖かくはなかったが、二人合わせれば、お互いに少しはマシな気がした。
「もう、お前を閉じ込める悪いお父様はこの世にいない。今からはローズエッタ・チェリーブロッサムフィールドと名乗るんだな」
「うん、いい名前ね、私、一生その名前がいい」
「いや、自分の王子様は、自分で見つけるんだ。俺も十二で失恋して、十二歳を愛してるんだからきっとそんな風になるんじゃないかな」
エッタを抱きしめていると、内臓の痛みも少しは和らぐ気がする。だが、俺は眠らず、彼女を一晩中抱きしめ続けていた。




