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現代騎士  作者: 深月 優
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四章『おかねのかせぎかた』

四章『おかねのかせぎかた』


「くそっ! なんでだ!!」

 ダン! とテーブルを叩く。

 ここに来てもう五日目、身代金はタイムリミットの時期だ。こちらに過失はない、何より、どこかに五億振り込む素振りがあったのなら、その上前をはねるネズミが飛びつかないはずがない。しかし、ネズミからの情報は『動きなし』の一点張りであった。

「ハルト、そんなにカリカリしないでも……」

 ピンク色のカジュアルな服を着たエッタが袖を引っ張る。今まで同じ服を見たことがないのはさすがに買い過ぎだったかと思う。そんな彼女も今回は不安げである。

「だが、もう五日も全く動きがないってのはおかしい。せめて、『交渉』の一つもしてくると思ったんだが……」

 それが武力的なものであれ金銭的なものであれ、交渉の余地はあったはずだ。そのために俺の携帯端末のアドレスは伝えてある。こちらから連絡するという手もあるが、それではこちらに余裕がなしと丸わかりである、実際余裕はないのだが。

「こういう時って、どうするものなのかな……」

 エッタは、不安げに俺を見つめている。俺は渋々心にもないことを口にする。

「基本なら、こういう時は誘拐した相手の指の一本でも送りつけて、こちらの本気を伝えるのが普通だ」

「えっ」

 エッタは、手を隠すが俺は笑いかけてあげて。

「しねぇよ。その黄金の指、切るには惜しいよ」

 なにしろ、何を色々買ったかと思うと、毎日俺の服が一着ずつ増えていくのだ。彼女一人でも大人にさえなれば縫い物だけで食べていけるだろう。

「だから、切るなら足の指だな」

「!?!?!?」

 ざざざっと下がるエッタ。

「だからやらねぇよ、安心しな」

「うー、ハルトの意地悪ぅー」

 笑ってみせるが、本当に余裕はない。何しろ、俺の余命は二ヶ月少々なのだ。

「待つことは待てるが、ここまで動かないところを見ると、本当に払うつもりがあるんだろうか疑わしいな」

 エッタが、怪訝な顔をして、深く俯く。そして、何やら言いにくそうに口を開いた。

「もしかしたら……私、お父様にそれほどの価値がないって思われてるのかも」

 俺は、もう一度テーブルをどかんと殴り。

「んなわけねぇだろ! ダーハッツの総資産は二十億ドル以上だって調べがついてる! いくらなんでも実の娘にそんなはした金も払えねぇってわけがねぇだろ!」

 そんな俺に、泣きそうな顔になりながら首を振るエッタ。

「ううん、お父様はそんな人なの、私のことも『娘じゃ何処かに売るくらいしか使い道がない』って……」

 一瞬、目の前が真っ暗になる。それは俺が目を自分の手で覆ったからだ。

「なんだそれ」

 ちょっと待て、それは、話の根底が崩れる。二億ドル、約百八十億円の支払いを渋ったのは分かっていた。ダーハッツが騎士団の能力を舐めていたのも分かっていた。

「まさか、あいつびた一文払うつもりが無いってんじゃないじゃねぇだろうな」

 だとすれば、たとえ今彼女を返したとしても、今度はエッタの命が危ない。騎士団はメンツのため今度こそ彼女を殺そうとするだろう。むしろ、クリスタル家そのものが危ない、今頃騎士団は総攻撃の準備をしているはずだ。

「でも、私ハルトと一緒ならお金がなくても良い、なんとかなるよ」

 彼女には根本的に教えていないことがある。今金がなければ、俺は風前の灯なのだ。俺はその覚悟はできているが、彼女を危険に晒す訳にはいかない。

「良いか、エッタ」

 俺はテーブルの上に一本の赤いアンプルを置いた。

「騎士団の騎士ってやつは俺も含めて特殊な改造手術を受けている、その代償がこれだ。この薬は俺達の身体能力を高めてくれるのと同時に、俺達を縛る鎖だ。俺達はこの薬がなくては生きていけない、具体的には一ヶ月に一本このアンプルがなくては生きていけない。俺は任務の直前にアンプルを一本飲んで、一本隠し持った。つまりコレが最後の一本だ、要するに、俺の命は後一ヶ月と二十五日ってことになる」

 俺の、真剣な口調に、彼女はおずおずと言葉を口にする。

「そ、そのお薬の値段は……」

 それに対して、俺は単刀直入に答えた。

「一千万円だ、そして俺はその金を持っていない」

 大事なアンプルを、懐に仕舞う。おそらく、これが切り札になる。

 それを聞いた、彼女はしばらく黙って、考える。

「ねぇ、ハルト……私、かわいいよね」

「……うん?」

 ぎゅっと胸の前に手を握りしめ、唇を噛み締めてから。

「私なら……一ヶ月で一千万円」

「ふざっけんなよ!!!!」

 拳が硬い木のテーブルを粉砕する。その様子を、半分涙目で呆気に取られて見る彼女。

「それ以上言うんじゃねぇ!! ぶん殴るぞ!」

 俺だって、エッタほどの美少女を使って、月に一千万円稼ぐ方法が見つからないわけでもないし、そのツテもある。

「俺はそういう事をしないために、見ないために騎士団を抜けたんだよ! 俺にその道をもう一度歩かせるな!」

 エッタも、それが俺の逆鱗だったと、それに触れたと気がついたのだろう。泣きながら何度もコクコク頷く。

「でも……でも、ハルトが死ぬのはやだよ、ハルトと離れ離れになるのはまだ耐えられても……ハルトが死んじゃうのなんて嫌だ」

 泣きながら、今度はすがりついて首をぶんぶん振る。

「……しょうがない、やるしか無いか」

 本来は、やりたくなかった最悪の仕事だが、この一線をくぐり抜けなければ俺達に多分道はないだろう。

「なに? ……なにをやるの?」

 期待とも不安とも捉えきれない様子で、おずおずと訪ねてきたエッタに告げる。

「騎士狩りだよ」

 覚悟を決めるしかないだろう、これから通るのは修羅の道だ。


「じゃーん! 今日は私が料理を作ってみましたー!」

「おー」

 パチパチパチと申し訳程度の拍手をする。

「なんとお湯を注ぐだけでラーメンができちゃいます!」

「そろそろ三分だぞ」

 蓋をペリペリはがしながら答える。ラーメンとはどこかで聞いた単語だとは思っていたが、これの事だったのか。昔戦場では世話になった、もっとも、こういうものは貴重品だったわけだが。

 ずぞぞぞ、ちゅるる。

「なんかこれ、私が期待してた料理と違う」

「まだお前には早いって事だ」

 エッタが、割り箸――まだ箸は買ってきていない――を、弄びながら尋ねる。

「所で、さっき言ってた騎士狩りって?」

 俺は、渋い表情で黙秘を決め込みたいが、エッタからの無言の圧力に負けて、口を開く。

「文字通り、騎士を狩るんだよ。騎士と言ったって、いわば犯罪者の集団だ。世界中あらゆる機関から懸賞金がかけられている。人物によっては億って単位じゃきかなくなる程にな」

 豚エキスで作った、偽豚骨スープを飲み干しながら答える。個人的には、これはこれでありだ。いかにも科学の味がして、現代的にはこれが主流なのだろう。

「昔の仲間と、戦うってことになるのよね?」

 エッタは、練り物と化学調味料で作ったチャーシューをかざしながら言う。

「そうなるな、まぁ、仲間だと思ったことはないし」

 俺は、買い置きのお茶をエッタと自分のコップに注ぎながら言う。日本製のグリーンティーは意外にエッタには好評なようだ。

「……ハルトは、強いから勝てるよね?」

 食べる手を止めて、エッタは真正面から問いただしてくる。……正直一番痛い所だ。

「――俺が、最初に騎士と戦った時のことは……まぁ、ろくに見えちゃいなかったろうが覚えているよな? あれが答えだよ、俺は騎士同士の戦いで勝ったことはない」

 あの時組んでいた“イニシアティブ”ジュリー・リードでさえ、中級の騎士だ。それでも持って生まれたスピードの差は埋めがたい。マッハ二ではマッハ四には勝てないのだ。先手を打たれて心臓を貫かれれば、いくらタフであろうが関係ない。

「…………」

 エッタは発泡スチロールの容器を前に固まってしまった。だから、この話はしたくなかったのだ。俺が生き残るためには、薄氷を踏むより薄い可能性を渡るしか無い。

「ほら、食っちまいな、伸びたカップ麺なんて美味いもんじゃねぇぞ」

 それ以前に懸念がある――。

 俺には今、剣がない。丸腰の騎士は果たして騎士と呼べるのだろうか。


 薄暗いカウンターの店で、俺は酒を前にひとり。

「結局六日目か」

 俺は、ネズミの店でひとりごちる。

「あっちは音沙汰なし、こっちとしても儲け話が潰れて痛い限りだ」

 実際、身代金お引き渡しにはネズミが仲介する予定だった、その時の仲介料は一千万円ほどになる。

「所で、剣のレンタルって出来ねぇかな。あとで必ず返すから」

 こっちの割と切実な言葉に対してネズミは軽口で返す。

「悪いが不良債権は受け付けないクチなんだ」

「ちっケチめ、そのうち儲け話があっても噛ませてやらねぇぞ」

 ネズミは磨いていた銃をカウンターに置き。

「いっそこれでも使ってみたらどうだ? これなら五十万で売ってやる」

 ケシシ、と笑ってみせた。

「いらねぇよ、んなもん効かねぇって分かってるじゃねぇか」

 ネズミは笑いをやめ、俺の様子に気がついたように。

「何だ、お前、騎士を殺すつもりなのか?」

 と聞いてきた。

「ああ、実際、確実に稼ぐ手段となるとそれしか無い。正直こっちも切羽詰まってるんだ」

 渋い顔をしながら、答える。

「悪いことは言わない、やめておけ。お前は安っぽい暗殺か、マフィアの用心棒でもやってるのが関の山だよ。それでもなんとか生きていける程度には稼げるだろう」

 確かに、それも考えにはあった、だが。

「嫌だ、再び血で手を染めるくらいなら、せめて騎士を殺したい」

 俺の本当の欲望は『戦争をこの世から根絶したい』ということだ、だが、そこへは道が長すぎる。自分が生きるのが精一杯の俺では、辿り着けはしないだろう。だからせめて、騎士団を少しでも削る道を選びたいのだ。

「騎士団への復讐か? ちっぽけなプライドなら捨てちまえよ」

 ネズミは言うが、そこを曲げるつもりはない。騎士を殺すことで、この世の大きな悪を根絶出来るのなら、それは正義の物語なのだろうから。

「ちっぽけじゃねぇよ。きちんと芯は通ってる」

 エッタのことを思い出す。彼女を守ろうと思うのなら、それは薄汚れた小悪党ではなく、立派な『ナイト様』になる必要があるだろう。

「それより、今手頃な賞金首はいないか? 日本で活動してて出来れば一人で動いている奴がいい」

 騎士の活動は特殊な場合を除き二人一組で行われる。特殊な場合は、その騎士が余程優秀で信用のおける場合か、俺のような雑兵の場合だ。だが、一対一でも勝てない俺は二対一の状況で勝てるわけがない、よって一人で動いている奴を狙うのが最低条件となる。

「そういうのは情報屋に聞くんだな、ほら、丁度入って来るぞ」

 その男は、ハンプティ・ダンプティのように丸々と太っていて、その胴体に三つ揃いのスーツがまるで絵で描いてあるように張り付いている。そして顔は、形容しづらかった。

 そう、バケツなのである。

「ってか、バケツかよ!」

 思わず、肘をついていたカウンターから跳ね起きる俺。

「バケツで人の見分けが付くとは珍しいな」

 逆に、平静そうに顎――もとい、バケツの縁――に手をやるバケツ。

「世界広しと言えども、そんな格好でうろついてる奴はお前一人しかいねぇよ!!」

 バケツはクルッとターンをし、果たしてその行動に意味はあったのか甚だ疑問ではあるが額――もとい、バケツの上辺――に指を当てて答えた。

「そうか、この格好は目立っていたのか、いやはや、周りの状況が見えないというのも考えものだな」

「気がつけよ! ってーか、見えてないのかよ、やっぱりそれ!」

「バケツをかぶってて目が見える人間なんているわけ無いだろう!!」

 自信満々に胸――だか腹だか分からないもの――を張って答えるバケツ。

「脱げよ!!」

「バケツは私の顔を隠すために必要なアイテムなのだ、悪いが外すわけにはいかん」

 だんだんツッコミ疲れてきた、というわけで静かに突っ込む。

「……お前がバケツを脱ぐことによって、何のデメリットがあるんだよ」

「私は、人並み外れて醜いのでな、この顔を周囲に晒すと混乱が起こる可能性がある」

 バケツでうろつくほうが混乱を起こすような気がするが、もう気にしてやらない。

「ああ――もう、お前の顔が見たい訳じゃねぇからもういいよ。――それにしても、お前情報屋だったのか」

 バケツは、その言葉にニヤリと笑い――何故表情が分かったのかに関しては考えたくもない――答えた。

「ああ、また会うこともあるだろう、と言ってただろう。桜原春人君」

 バケツの言葉に俺もニヤリと笑って。

「なるほど、あのラーメン屋の時にはすでに俺達の素性もわかってたというわけか。流石は情報屋、蛇の道は蛇と言ったところか」

「いや、それが全然」

 バケツは片手を横に振りながら答える。

「そこはハッタリでもいいから頷いとけよ! と言うかお前への信頼度がもうねぇよ!」

 もうグダグダである。疲れて、片手を出しながら。

「もういいよ、情報持ってるんだろ? 手頃な騎士のリスト、渡してくれよ」

 バケツは、懐から一枚の紙を取り出し。

「二百万だ」

 と、言った。

「お前も金かよ! 畜生!!」

 あのバケツ首ごともぎ取ってやろうかこの野郎!

「情報『屋』なんだから情報を売るのは当たり前だろう! 落ち着け! 首をもごうとするのはやめろ、バケツが落ちる!」

 冷静になり、首を掴んでいた手を離す、額の汗をハンカチで拭きつつ尋ねる。(そのハンカチはエッタが勝手にポケットに入れていた)

「まぁ、確かに落ち着いてみりゃそりゃ金だよなぁ。くそ、ツケとかには出来ねぇのか」

 ボリボリと頭を掻きながら、ハンカチをポケットに仕舞う。

「情報をツケで買われたら間違い無く踏み倒されるじゃないか。それにしてもハンカチーフに『I LoveHalto』とはなかなかに妬かせるねぇ。女でもいるのかな」

「なっ――!?」

 慌ててハンカチをポケットから取り出して広げてみる。――確かに書いてある。刺繍の文字で『愛してる春人――Byローズエッタ』と。

「な、なんで分かったんだよ! バケツ被ってんじゃねぇのかよ!」

 その質問にはっはっはと笑いながらバケツは答える。

「まさか、見えるわけ無いだろう、ハッタリだよ春人君――しかしアレだね、女性絡みか、それはさぞ君も必死になることだろうね」

 ケシシと、後ろから笑うネズミ。

「いいぜ、テメェら今からその首ぶっちぎってやる」


 ややあって、割と惨状と化した店内をネズミは泣きながら掃除している。――自業自得である。むしろ命を取られなかっただけ感謝して欲しい。

「いや、この情報なら本当は金を取るはずだったんだが、君の熱意に負けて、タダで渡してあげよう。割と基本的な情報だからね」

 すっかり大人しくなったバケツ。バケツの一部がヘコんでいるのが惨状の跡だ。

「いいぜ、話してみろ、それ次第でお前の首を持っていくかどうか決めてやる」

 ヒィィィと、バケツの奥から絞り出したような声を上げるバケツ。

「恐らく君の弱さから言って、動く敵は一人だ。更に騎士団は君が抜けたのを受けて一ヶ月は手を出さないようにと言っている。この期間は、君からアンプルの効果が抜ける時期を見計らってのものだろう。相手からすれば君の賞金額は小遣い稼ぎのようなものだろうが、それでも敵が向こうからやってくるのは間違いないだろう。そして、君の住処の場所はまだ誰にもバレていないだろうから、君が不意を受ける心配は無い」

 バケツの言葉を受けて、確かにと頷く。

「アンプルが切れる一ヶ月後を狙うのは当たり前だな、俺が弱り切った所を叩こうって腹だろう。しかし、それだと俺のほうが先に死んじまわねぇか?」

 バケツは俺の言葉を受けて、一つ頷く。

「ああ、アンプルの中毒症状は数日に渡り、その後死亡するというのが定説だ。基本的に、この中毒症状に耐え切ったものはいないため、そこが君の寿命と見ていいだろう。恐らく、その期間に相手の騎士から連絡が来るんじゃないかな?」

 エグいが、正論である、何も敵が強い時に叩く理由はひとつもない。――しかし、懐に意識をしつつニヤリと笑う。それは俺の切り札を計算に入れてない証拠だ。

「俺の居場所が分かってないってのは、確かな情報か?」

「ああ、情報屋の私が掴んでいないのだから当然だろう。むしろ君が話すなら買うよ」

 首を横に振る。

「そりゃ断る」

 エッタを巻き込む可能性を考えると、それは出来ない。

「だから、君にできることはなんとか期限までに一千万円貯めてアンプルを買うか――もしくは焦ってフライングしたやつを叩きのめすかのどちらかになる。どちらにしても厳しいよ、君の生きる道は」

 半壊したカウンターにもたれかかりながら、俺は言う。

「しかし、やるしか無いだろう。アンプルがなかろうが、剣がなかろうが、騎士の誇りってやつがある。俺は今までそれを信じてきたんだ」

 バケツは、感心したように頷き。

「騎士道精神か、それは今の騎士にはなかなか見受けられないものだな」

「……それは置いといて、今ここを襲撃したら、アンプルも剣も手に入るんじゃないかな」

 ネズミが尻尾をネズミ捕りに挟み込んだかのように飛び上がる。

「そそそそ、そんな事をすれば今後一切の取引は……!?」

「わぁってるよ、冗談だ」

 軽口を叩きながら、カウンターから立ち上がる。そして店を後にした。


 三十三日目、敵は思ったよりも遅かった。

 バケツに情報を聞いてみたり、街中を探しまわってみたりしたがそれらしい影はなし。

(馬鹿野郎、早くしないと腐って落ちちまうぞ)

 俺は、内臓の中を大量の蛇が蠢きまわるような痛みに耐えていた。

「ごふっがはふっ」

 洗面器に、血を吐き出す。正直内臓を吐き出してないだけマシだとさえ思える。事前準備しておいた――しておいて本当に良かった――輸血で何とか誤魔化しているものの、この三日で吐き出した血の量は致死量を遥かに超えていた。

「ハルトっハルト死んじゃうよぉ」

 泣きながら、ベッドに縋り付くエッタ。俺が寝込んでからこの三日間ずっとだ。本当は心配させたくなかったが今回ばかりは必要な事だからしかたがない。

「騎士じゃなかったら、マジ死んでただろうな、コレ。数日っつったの誰だよ、おい」

 弱々しい、掠れた声で悪態をつく。実際、身体の前に精神が壊れるレベルだ。数日我慢して笑顔でいるつもりが、思わずエッタの前で倒れてしまった。――そしてこのザマである。

「ハルト、もういいよ、お薬飲もうよう」

 アンプルは、手の届くところにおいてある。エッタは、これを無理やり飲ませようともしたこともあったが、アンプルの使い方がわからなかった。俺当人も、エッタがいなかったらアンプルに手を出していたのは間違いなかっただろう。

「いや、今日、今日までだ。必要な三日間なんだ、これは」

 現代騎士団てきを誤魔化すための最大の一手が、この三日間である。

「そのアンプルは俺が以前こっそり入手した、騎士団も知らないはずの一本だ。だが、知っていて泳がされている可能性がある。今日までに敵が現れなかったらアンプルを飲む。飲めば、当然俺は回復して相手は一本アンプルが残っていたことを確認するだろう――だが、この三日間のことは俺とお前以外誰も知らない」

 その三日が、切り札だ。敵は当然俺が弱っていると思って襲いかかってくるだろう。だが、その時の俺は、まだ戦える。そのために、この三日は耐えなければいけない。

「だからっお前は安心して――があああっ!?」

 不意に更なる痛みが全身を襲う。五臓六腑をミキサーにかけて戻されたような気分だ。

「ハルトッ、ハルトー!」

 確かに、この状況で心配するなといっても無駄か。

 その時、俺の携帯端末が鳴った。俺は、力なくそれを手繰り寄せる。


「正直、泣いてる子供ってのは、あんまり好きじゃないんだけどな」

 呟きながら、指定された場所までの道を行く。端末の番号は非通知だった、ボイスチェンジャーで変えられた声で場所を指定、それだけだった。

 泣きじゃくるエッタを置いて来て、指定された場所――那の津埠頭への道を急ぐ、できるだけ『絶好調』を演出しなければならない。

「出てきたのが、ただのメッセンジャーだったら、アンプルを飲んだことを仄めかして、もう一ヶ月待つ。出てきたのが敵だったら、その場でアンプルを飲んで戦闘だ」

 騎士は基本的に任務がなければ烏合の衆だ、統一してなにかをやろう、と言う信念がない。だから、抜け駆けも平気でやる。俺が叩くのはそうやってのこのこ出てきた奴だ。

 体調は最悪だろうが、アンプルは即効性だから戦闘には支障はないはず。武器は、値切りに値切り百六十万円でネズミから仕入れた日本刀、正直言って頼りないがこの条件で勝つ。


 那の津埠頭は天神の北に存在する倉庫街である。正直、都心とこれだけ近い倉庫街となると殆ど数を見ない。その那の津埠頭は、夜の十二時を回って、完全な静寂に包まれていた。

「戦闘となると、確かにここは都合がいいな」

 近隣に住宅街もなく、目撃者も出ないだろう。商業街と密接してるということもあり、人通りは時間と比例する。

 指定された建設現場に立つと、そこには一人の槍を持った女性が持っていた――。

「――ジュリー・リードか、久しぶりだな」

 バリバリの戦闘要員である。それを見て、俺はそっと構えをとった。

「ええ、約一ヶ月ぶりかしら――その後、調子はどう?」

 お互い黒衣に身を包んだ、赤毛の女と黒髪の男とで、視線が交錯する。

「そこはお生憎様って言いたいところだがな、この所少々ばかり寝不足でね、実は今日の戦闘は避けたい所だ」

 やせ我慢は順調だ、この三日でだいぶ慣れてきた。不意な痛みに襲われなければこのやせ我慢も続くだろう。

「――ところで今夜はどうかしたか? こんなに遅くに脱退のお祝いってわけでもないだろう?」

 ジュリーは、笑顔を浮かべて、こちらに槍を向ける。

「ええ、その時はお世話になったわね、おかげであの時の報酬は無しだわ、一張羅はぼろぼろになるわで大変だったわ。今夜はそのお礼をしようかと思って」

 それを聞いて、俺も笑みを浮かべる。

「よせやい、今更フルーツでも貰う柄でもあるまいし。まぁ、現金だったらいつでも大歓迎なんだがね」

 お互い、鼻で笑って。

「悪いけど、今日は受け取りに来た側よ、アンタの首をね」

「そいつは随分ひどいな、俺の首なんていくらの価値もないだろう」

「ええ、確かにね。でも、落ちてるお金を拾わないほど私はお金が嫌いじゃないわ」

 ポリポリと右手を頭に回しつつ、懐に左手を回す。

「俺もな、それほど金に困ってないわけじゃないんだ。つうかむしろ困ってる――だから」

 懐の中に手を入れつつ。

「――その首をくれ」

 そして、アンプルを取り出せ――無い。

「探しものはこれかしら?」

 ジュリーは懐から、赤いアンプルを取り出す。

「馬鹿なっ――そんなはずは」

 懐を改めて探るが、無い。あるはずなのに、無い。

「そんな馬鹿なことが、一体いつ――」

 ジュリーはニヤリと笑いつつ、その問いに答える。

「勿論、最初から。アンタ、アンプルの能力増強を甘く見過ぎてたのよ――その結果、アンタは私の行動を『見ることが出来なかった』戦いに出向こうってのに、アンプルを使いケチるなんて、どうかしてるんじゃない?」

 俺は、思わず口を抑えた。アンプルの能力は、基礎身体能力の上昇と視神経の拡大だ。今までアンプルの能力に頼りきっていたから分からなかったが、こうまでも能力に差が出るのか。

「ちっ――」

 確かに、手痛い失態だった。だが、それならばそのアンプルを奪い返すまでのこと!

「だから、甘く見過ぎって言ってるでしょ」

 刹那、敵が消えた。

 そう思った瞬間に、俺の身体が前に飛ぶ。いや、これはダメージこそ受けてはいないが、背中を蹴られたのだ。そう思った次の瞬間には、俺の身体は工事用資材の中に突っ込んでいた。

「ぐっ……」

 何とか立ち上がると、ジュリーがもうアンプルに口をつけている所だった。みるみる中身が減って、なくなっていく。

「これで――アンタの希望はもう終わり、気がつく間もなく殺してあげるから目でも瞑ってらっしゃい」

 全身を苛む痛み、それからくる疲労、絶対的な能力差――だが、何か違和感がある。俺は、ゆっくりと、本当に目を瞑った。

「――覚悟は決まったようね、行くわよ」

 次の瞬間、敵は目の前に現れ、俺は心臓を貫かれる――。その、筈だった。

「な――」

 俺は、心臓を貫くはずだった槍を左手で掴みとっていた。ジュリーは目を見開いているだろう、それくらいは分かる。――そして、チャンスは今しかない。

「喰らえ――!」

 腰から日本刀を抜き放ちつつの必殺の一閃を袈裟にかけて斬りかかる。

 居合い抜きなどというものは知らないが、これ以上ないほど強力でかつ速いものを打ち付けた。相手は、驚きから動けない、まさに今この瞬間だ。

 だが、見たのは砕け散る日本刀だった。

「何だと――」

 一旦槍を引き、距離を取るジュリー。必殺の瞬間は今失われた。

「今のがリミテッドウェポンなら危なかったけど、通常武器で助かったわ――流石にスーツアーマーの防刃能力を甘く見過ぎてたんじゃないかしら。確かに、この『鎧』は銃に対して作られたものだけど、だからと言って本来の機能、刃物に対しての能力を失っているわけではないわ。本当に、残念な一撃だったわね」

 舌打ちをして、刃を失った武器を捨てる俺。

「せっかく、百六十万もしたっていうのに」

 だが――ジュリーは俺に対して警戒している。

「そういうのを『安物買いの銭失い』っていうのよ――それにしても、あの一撃を、目を閉じたままでよく受け止めたわね」

 俺は、軽く口笛を吹いて見せながら。

「当てずっぽうさ、昔から、悪運だけはいいんでね」

 弛緩していた空気が、固まる。来る――と言う気配がある。

「なら今度こそ、死になさい」

 またもや、ジュリーの姿が消える。次の攻撃は、本気の一撃を装った牽制だ、肩口を狙ってくる。今度は、目を開けていても分かる――別に視力に頼っているわけではない。

 ――勘だ、勘といっても別に神頼みや当てずっぽうでは勿論無い。俺が実戦で散々得てきた『戦闘勘』がそれを告げている――死の香りを、相手の思考を読んで次の一手を躱す。だが相手は音速の四倍で動く怪物だ、音速の二倍でしか動けない俺には太刀打ち出来ない。勿論、脳などを使っていては軽く百回は死んでいるだろう。あくまで本能を、培ってきた感性を使う、いかに死神を肌に感じるか、それこそ俺がこの戦いに見出した『勝機』だった。

「はぁっ!」

 狙い通り左肩を狙ってきた槍を左手で巻き込むように受け流し、一歩踏み込んで全力の右拳を相手の腹に打ち込む。

「だから、アンタ本気でスーツアーマーを舐めすぎじゃない、いくら鍛えてるからって拳なんて……」

 まさか、舐めてなんかいない――丸腰で騎士を相手にするなんて自殺行為だ、だが――。

「俺相手に、『この状態で』一秒置いたな?」

「――ッ!?」

 とっさに飛び退ろうとするジュリーだが、もう遅い。

ッ!」

 ジュリーが後ろのブロック塀に背中から突っ込む。とっさに後ろに飛んでダメージを逃そうとしたようだが、そんなものはこの技には意味は無い。

「かはっ、ごふっ――ち、今打ったのは」

 ジュリーは、槍で身体を起こしながら尋ねる。

「ああ、浸透勁だ」

 浸透勁は、寸勁と呼ばれる中国武術の絶招の一つである。寸勁がゼロ距離から全身のバネを使い打撃を与えるのとは違い、浸透勁は気功を用い打撃ではなく『体内中の水分』にダメージを与える技だ。この技の前には勿論鎧など通用しない。今はもう伝えるものもない、失われた一撃である。

「そう言えば、八極拳を使うんだったわね、アンタ。……このあたしが、まさか初撃を躱された挙句、二度も不意を食らうなんてね。しかし、同じ技を二度は使わせないよ」

 八極拳は、北方を発祥とする。世界の果てまで打ち尽くすと言われた程の威力を持つ、拳法である。内気功をよく練る気質にあり、その絶招が浸透勁である。

 三度、ジュリーは槍を構える。違和感は確信に変わった。

「――いや、悪いが今回の戦い、勝つのは俺だ」

 こちらも、拳の構えをとる。型はあくまで浸透勁を狙って――だが、相手の言う通り、二度は打たせて貰えないだろう。あいにく浸透勁はクンフーが足りていない。一度打つためには俺では一秒ほどのタメが要るのが事実だ。それは先程口に出した通りだが――勝機があるのも事実だった。

 ジュリーは、今度こそ殺す気である。こちらの当たる場所も考えずにとにかく槍を連打で振るってくる。こちらは、倍のスピードがある相手には防戦一方しか無い。衝撃波であたりのものは吹き飛び、地面はえぐれていくが、それでダメージなどというマヌケなことはない。槍を避け、躱し、受け流し、なんとか複数の傷を作る程度で済んでいた。

 その、切れ目に一撃、腹に拳を叩きつける。だが、相手も分かっている、その瞬間に跳んで逃げる。次の瞬間、お互いに地面を抉るように蹴り、また激突。その繰り返しだ。

 当然、倍のスピード差があるのだからこの状況は異常だ。攻撃を凌ぐのだけならばいざ知らず、反撃を行うなどというのは常軌を逸している。俺は、この状況の答えの一つに心当たりがあった。

 お互いの差を埋めるものがある、それは当然、『戦闘勘』である。長い間、戦闘を延々と繰り返してきた俺には備わっているが、暗殺業を生業とし、一般人と戦ってきたジュリーには、戦闘勘が薄い。また、騎士との戦闘も俺のほうが圧倒的に経験が多かった。騎士の癖は、知り尽くしている。要は――単調なのだ。騎士は基本的にスピードでしか勝負をしない。自分と互角以上の相手との経験が少なすぎる奴は、特に小細工を『やったことがない』――とにかく急所に目掛けて攻撃を繰り出すのみである。

 そして、何千合目になるかわからないが、その結果が、これである――。

「な、なんでアンタが――ここまで」

 ジュリーは肩で息をし、明らかに体力を落としていた。だが、こちらもボロボロである。しかし戦闘を繰り返した分、俺の動きにはキレが増している。

「簡単な話さ――これで何十秒になるかわかんねぇが、お前、こんなトップスピードで攻撃を繰り返したことなんて、殆ど無いだろ?」

 騎士の戦いは、スピードの勝負である。その点、先制権に重点を置いた、“イニシアティブ”のジュリー・リードは強い。だが、戦いが長引けば長引かせるほど“スロースターター”の桜原春人が強くなるのだ。――この数十秒は短いが、まともな人間で言えば、数時間にも及ぶ、濃密な戦いだった。

「それに、音速を超えた『揺り返し』は時間がかかればかかるほど強くなる。確かに音速を超えてりゃ人体なんてマトモに付いてきやしねぇよな、確かに俺も痛いが、そりゃお互い様だ。それなら、タフネスの俺のほうが有利だ」

 ジュリーは俺が話している間に、必死に息を戻そうとしている、無理をした腕の、脚の筋肉を修復にかかっている、だが、もうそれで取り返せるレベルではない。数十秒トップスピードで動き続けるというのはライトスピードのペースではなかった。

「おまけに俺がさっきから叩いていた場所は鳩尾きゅうび、みぞおち、いわゆる横隔膜だ。いくらスーツアーマーが固いからって所詮は布だ。『丁寧に』殴ってやったぜどうだ、思うように呼吸が回復しないだろう」

 ジュリーは、焦っている。この場からの逃亡も含めて今考えている最中だろう、だが――。

「今度はこっちから行くぜ、攻守逆転だ」


 一転、攻守が入れ替わる。こちらの執拗な鳩尾狙いを敵は武器で受け、流し、避けていく。音速を超える状況での接近短打はまさにマシンガンのようだし、それを躱すとなると、相手も細かいステップや素早い動きが要求される。こちらの腕も空振りが増えればダメージがかさむし、スタミナだってこちらの消費が激しいはずだ。だが――明らかに衰えていくのはあちらだった、それはそうだろう、相手は呼吸を整える暇もなければ、こちらの動きを止める手段もない。先程から距離を取りたがっているのは見えるが、それは足を引っ掛けて妨害してやった。敵はもはや玉のような汗が散り、チアノーゼ寸前だった。鳩尾への攻撃も避けたいだろうが、その場合すかさず脇腹に肘を叩きこんでやった。何より、この戦闘では相手に決して触れられてはならない場所がある。その攻撃を躱すのでもはや相手は精一杯という所だった。

 激しい地響きの様な攻防は続く。奇跡や、勘がいつまでも続くわけがない、この戦いには裏がある。それはお互いが思っていることだが、気がついているのは俺だけだろう。無論、ここで口にするつもりはないが。

 ジュリーはもう限界だった、槍を払い、地面に放ると同時に首を左手で鷲掴みにする。

「頭に手が届いた、この意味は、わかるよな――」

 スーツアーマーは万能ではない、フード付きで銃弾から頭部を守ることは出来るだろうが、昔のフルフェイスフェルメットのように、頭部を完全防護することは出来ないのである。騎士はそれ以前に人間離れした戦闘力を持っているので気にも止めないが、騎士同士の戦いにおいては、頭を掴まれるというのは、死を意味していた。

「第一、“イニシアティブ”のお前が、もっとも強い最初の一撃を外した時点でおかしかったんだ。恐らくこの戦闘、俺とお前の間に、スピード差は無かった」

 そう、スピードには差がなかったのである。確かに“スロースターター”の俺が、戦闘ストレスを受け続け、戦闘力を最大まで増した場合、音速の四倍に届くだろう。――では何が、戦闘として見なされたのか、それについては明確な答えはここでは出さない。

「俺は、最初から全開だったというわけだ……さて、一応聞いておくが、遺言は?」

 俺が全力を発揮しているとするならば、この片腕で彼女を持ち上げてる状況は、何を以ってしてもひっくり返らない。

「わ、分かった、私はもうアンタを狙わない。お金だって必要なだけくれてあげる。だから見逃し――」

 それは、悪い条件ではない。だが、俺が生き残るには、少し足りない。この千載一遇のチャンス、逃がすわけには行かないのだ。

「悪いがそいつは聞けないな、俺も、アンタを取って喰わないと生き残れない」

 右手で頭を掴み、横にちぎって取る。

 それだけで、一人の騎士があっさりと死んだ。その返り血を浴びながら俺は、今更とも言うべき慙愧の念に駆られていた。


 真っ直ぐその足で、ネズミの店に向かった。万が一警察官にでも出会っていたら間違い無く職務質問モノだっただろう。何しろ、持ち歩いていたのは赤い丸いものが入ったビニール袋に真っ赤に染まったゴミ袋だったからだ。なおかつその手に槍を一本、これで不審がられないほうがおかしいというものだった。第一、俺の顔色は疲労で――精神的な物を含む――真っ青だった、コレを止めないやつのほうがおかしい。

「いらっしゃい、店を血で汚さないでもらえるかい?」

 店は、奇跡的に――どうやったか知らないが――元通りになっていた。

「毎回のことになるから掃除しなけりゃいいだろう?」

 それに軽口に答え、まずはビニール袋をカウンターに転がす。

「ジュリー・リードの首だ。いくらになる?」

 ネズミは中身を覗きこみ「ウヒョ」と戯けてみせてから答えた。

「二億二千万、丁度お前さんの今かかってる懸賞金と同じだよ。お前さんのナイトカードに入れておこう」

 次に、持ってる槍をカウンターに置く。

「これを剣に交換してくれ、剣がいる」

 ネズミは渋々それを受け取りながら。

「手数料は取るよ、二百万でどうだい」

「お前さんが売りつけた、役立たずの日本刀と相殺だ。ほら、それからこれ」

 益々渋い顔になってきているネズミにカードを投げて渡す。

「いくら入ってる?」

 ネズミは舌なめずりをしながら、カードを読みこませる。

「結構貯め込んでるねこりゃ、四億円だ。手数料に二千万は頂くよ」

 これは元から決まっている取り決めなので仕方が無い。奪ったナイトカードから現金を奪う場合、手数料として残高の五%を持っていかれる。

 ――しかし、随分と貯めこんでたものだ。あの命乞いは、それだけ本気だったのか。――今更だが、騎士団に作られる予定の墓前に花でも添えに行こうと心に誓う。

「あと、最後にこれだ」

 機嫌が戻ったネズミに血塗れのゴミ袋を投げてよこした。ネズミは、服が汚れるのも気にせず、中の『服』を取り出す。

「スーツアーマーじゃないかこりゃ、何だ、女の死体から剥ぎ取ったのか?」

「別に全裸ってわけでもないし色気もクソもねぇや、死体の方は騎士団が処理してくれるだろうしな。んで、それ、俺用のスーツアーマーと取り替えてくれ、傷ひとつ無いだろ」

 ネズミはまたしても渋い顔になりつつ。

「金にならない仕事ばかり押し付けてくるな、あんたも。しっかし、これだけ血塗れだとクリーニングが必要になるな」

「適当に洗っとけばいいだろ」

「三万千五百円」

 カウンターをガタンと鳴らし俺は立ち上がる。

「セケぇよ! 半端な数字言ってんじゃねぇよ!」

「じゃ、十万」

「桁変えろって言ってんじゃねぇよ!」

「それとこれとは別に手数料は二百万な」

「せめて内に含めとけよそこは!」


 結局合わせて二百と三万円で落ちついた。リミテッドソードの手数料を取られなかっただけまだマシにしておこう。

「しかし、よく勝てたな」

 ネズミは、早速手に入った槍を磨きながら言う。

「一時はアンプル取られてもうダメだって思ったんだがな、ぶっちゃけていうと、そこがターニングポイントだった」

 俺も、ベルトで剣を固定しながら答えた。なんだかんだ言ってもやはり長年連れ添ったこいつがないと落ち着かない。

「アンプル飲まずに勝ったってのか! それじゃあもしかしてあんた」

 驚きを隠せないネズミに、笑って見せながら言う。

「ああ、もうアンプルは必要ない、もう世話になることもなくなるだろう。何しろ毎月一千万かかって来るはずのものが無くなったんだからな」

 今持ってる総額は六億とちょっと、食って逃げるだけなら一生持つ金額だ。

「なんでアンプルが必要なくなったか、知りたくはないかい?」

 ドアを開けて、それを閉めるようにもたれ掛かる、バケツ。

「何だ、出待ちしてたのか? 女との密会でもあるまいし、そんな野暮な話じゃなかったぞ」

 バケツは笑いながらそれをいなし。

「違うさ、お前さんが騎士を一人倒したって情報を騎士団に売ってきたのさ。ついでに稼ごうと思ってね、アンプルについて色々調べてきた、二千万でどうだい?」

 ロックのウィスキーを揺らしつつ――ぶっちゃけアルコールなんて騎士には効かないので気分を出すだけならウーロン茶でも変わらないのだが――軽く言う。

「ネズミ、一千万だけそいつに振り込んでやれ」

「あいよ」

 ネズミは手数料などの仲介料金以外は、基本騎士団の雇われだ。騎士団の『掃除』何かを一手に引き受けている。かと言って、魂は騎士団ではなく、金に捧げているので、基本こういう場面での裏切りはない、相手が稼いでくれるのなら尚更だ。

「なんで半額に値切った」

 ――いい加減表情が分かるのが嫌になってきたが、訝しげな顔をしつつ、バケツは問いかけてきた。

「アンプルに『耐え切った』時点で答えは半分分かってるからだよ。ありゃ、能力増強剤じゃなくて、毒だろ」

 バケツは拍手をしながら。

「ご名答、だが、あいつは本物の能力増強剤でもある。強すぎる薬ってやつだな――まともな奴は、あれに耐え切る前に精神か肉体がぶっ壊れてしまうんだが、お前さんは耐え切ってしまったらしい。秘密を知られたと考えれば、君の値段は跳ね上がるよ」

 グラスの中身を空にして、もう一杯注ぎ。

「――ち、戦わなけりゃ生き残れないってのは、同じか。あれは、下級か中級の騎士に与えられた鎖でもあったんだな――要するに、足抜けを絶望的にしておいて、こき使ってやがったんだ。その証拠に、上級の騎士は飲んでいない」

 俺の聞いた話だと、あの薬は能力の低いものが、その能力を底上げするために飲まされていたもののはずだ。ならば、上級の騎士はそもそも飲む必要がない。

「上級の騎士は、それに見合うだけの身体能力や特殊能力を持っているって言うことでもあるがな、特別に能力のある人間は、特別な訓練を受ける。特別ではない人間は毒を飲ませて使い捨てる、それが連中のやり方だ」

 もう一杯飲み干す、正直うまいもんじゃない、泥の味がする――が、喉の奥にこびりついた血の味を忘れるには、十分だった。

「まぁ、しかし君には朗報だ。君が受けていたのは、その薬の中毒症状だったんだがな、この世にその毒より強い毒は存在しない。つまり、君はそのアンプルにさえ手を出さなければ一生毒殺される心配は無い――アンプルに手を付けなければ、次の中毒症状も起きることはないだろう」

「俺が、ジュリー・リードに勝ったのも、恐らくこいつが原因だったんだろうな。三日間の中毒症状を、俺の身体は戦闘ストレスと感じたんだ――三日も戦ってれば、それは最高の状態にもなる」

「君の特性は『戦闘が持続すればするほど強くなる』だったよな。下級と中級の勝負なら、それは、特性が勝負の決め手になってもおかしくないだろうな」

 グラスの中で氷を転がしながら尋ねる。

「なんだそれは?」

「上級の騎士にとっては、“特性”なんて殆ど無意味だってことさ。ブルドーザーが使えるのに『スコップで掘るスピードが倍になります』なんて能力が手に入ってもしょうがないだろ。むしろ気をつけろ、君の敵は、今後そういうレベルの奴が出てくる可能性もあるんだからな。君の賞金額は今うなぎのぼり中だ」

 グラスをテーブルにおいて、スツールから立ち上がる。

「ネズミ、シャワー貸してくれ。子供が待ってるのにこの時間に血塗れ酒臭いんじゃ泣かせてしまう」

 ネズミはケシシと笑って。

「んじゃ、一分二百円な」

「いい加減タダで貸せよ、ほんとセコいな」

 バケツは恭しく礼をして。

「毎度あり、この間のマフィアのご令嬢だね。宜しく伝えておいてくれたまえ」

 半分以上残ったウィスキーの瓶をテーブルに滑らせる。

「伝えねぇよ。そいつは俺からの驕りだ、二人で飲んでくれ」

 バケツは、申し訳なさそうにしながら一礼し。

「すまない、私は下戸でね。飲んでもすぐ吐いてしまうんだ」

「吐くバケツならすぐ頭に被ってるじゃねぇか――あ、ネズミ、それと」



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