弐ノ肆夜 覚醒
人力車から降りると、目の前には満開の桜並木が奥に伸びるようにして続いていた。もう六月というのに、まだここだけ散る気配はない。一本道は木造の遊歩道で、両端には一定間隔に行灯が置かれている。鶴、梅などの模様が描かれた色、模様様々な行灯は地面をぼんやりと照らす。並んだ桜の隙間から無限に続く金箔の屏風が覗いている。
「妖力を吸い込んだのじゃな」
「なんだ?」
「桜のことじゃ。随分と遅咲きに思うじゃろう?
怪奇が現世に溢れてから、沢山の妖力もこの国に漂うようになった。自我を持たない草木は妖力の影響を受けて、稀にこのような事が起こる」
万の説明を受けながら並木の道を進んでいく。辺りは万の声とそれぞれが板を踏み、歩く音だけ。ほんの一瞬だけ一人で鳥居を歩いていた頃を思い出した。
人が増えたな、と思った。いや、片方は怪奇か。
風が強く吹く。桜の花弁が一斉に舞って、視界いっぱいの雨粒のような桜吹雪に思わず目を瞑る。
風が次第に止んで、再び目を開ける。入佳の驚きと困惑が入り交じった声が聞こえてきた。
巨大な枝垂れ桜がそこにはあった。目の前に僕らの頭上を覆うほどの大きな桜が、時折花弁をしんしんと降らせながら静かに僕らを歓迎しているかのようだった。加えて咲いた花の隙間に紛れ込むように、無数の千羽鶴の束が垂れ下がり、極彩色の几帳のような光景を生み出していた。
さっきまで無かったはずの景色だ。
「ここで良いじゃろう。準備をするぞ、成。入佳」
なんの準備か聞けば実践の準備だと答えた。万の懐から出された細長い竹ひごの棒は、先端に和紙が巻かれて少し膨らんでいる。「手持ち花火?」と入佳が驚いて初めてそういうものがあると知った。
「これで怪奇に立ち向かうんじゃよ。
妖力ではないから退ける程度しか効果はないが……良いサポート役にはなるじゃろう」
「でも、少し距離が近すぎないかしら……」
ススキの長さにも及ばない装備では打ち上げ花火ほどの威力が出るとは思えない。そうなるとかなり近い距離まで行かないといけなくなるわけだが、怪奇が怖い入佳からすれば、それにはかなりの度胸がいることだろう。
「……入佳。おぬしは困っている人を助けたいと言っておった。今も変わらぬか?」
万は少し屈んで入佳の俯いた顔を覗く。入佳の顔に見えたのは迷いや不安じゃない。それは万にも伝わったようだ。
「人の為に奮った勇気は何より強固なものじゃ。おぬしはきっと強い魔法少女じゃ。自信を持て。入佳」
入佳はそっと顔を上げ、軽く微笑んだ。
「――ええ。ありがとう、万さん」
――桜の木がガサガサ……と異様な音を立てた。
風ではない。枝垂れ桜がまるで自我を持ってうねる様に揺れて、花びらが雨になって降り注ぎ警告を急ぐ。桜を揺らしていた犯人は……桜より大きな人差し指の骨だった。摘まれた桜は根っこで地面を抉りながら空へ持ち上げられ、どこかへ投げ捨てられた。「遂に来たようじゃのう」と万が笑う。
桜並木からはその何倍も大きな骸骨が寝そべりながら僕らを覗き込んでいる。不気味に目玉がはめ込まれていて、細まった黒目と大きく開いた口元が余計に笑ってみえる。
「あれ花火効くのか?」
「退ける程度と言ったろう?」
「できるかどうかも怪しいだろ」
しかし、当の入佳はもう怪奇から目を逸らそうとはせず、「やってみるわ」と強く意気込んで離れていった。さっきの万の言葉が入佳を勇気づけたのだろうか。「きっと」なんてなんの確証もないのに。
「餓者髑髏。飢餓や戦で野垂れ死んだ者達の無念の集合体じゃ。捕まると食われるぞ」
「食ってばかりだな。怪奇は」
「弱肉強食というやつじゃ」
じゃあそのうち、万も僕のことを食べようとしてくるのだろうか?ひと口だけじゃ。とかぬかしながら。……そんな冗談は置いておき、早速刀を胸元の装飾品から引っ張り出し、いつも通り変身した。
掴みに来た怪奇の手の甲に飛び乗って、目玉をめがけて上へ上へとかけ登る。もう片手が僕を掴みに来るのを指の間を潜って手から手へ飛び移った。大きな鈴の音で動きを封じ、細かく鳴らして鈴の雨を降らす。その繰り返しで順調に登っている間、入佳も間に合ったみたいだ。
入佳は鮮やかに燃える火花を「えいっ」と怪奇のあばらに押し当てる。……が、退けるどころか火にも気づいていない。
「あら?どうしましょう!?」
怪奇は変わらず僕を狙う。そして、今度は掴もうとせず腕を大きく動かして僕を振り落とした。空中に投げ出された僕を怪奇はハエの如く叩き落とした。
尚、地面に落ちる前に万が受け止めにきて、幸い怪我をせずには済んだ。
入佳は怪奇のそばで立ち尽くしたまま困った顔をしている。「離れた方がいい」と言おうとした。
「万さんが折角信じてくれたのに……」
入佳が呟く声がして出かかった言葉をのんだ。やがて火花の消えた手持ち花火を握りしめては
「何か……
あたしにもできること――」
と辺りを見渡し始めた。そして何かを思いついたのか怪奇から急いで離れていく。そして枝垂れ桜があった地面の真ん中に立って、全ての手持ち花火に火をつけた。
「怪奇さん!こっちよ!」
喉が裂けるほど大きな声で叫んだ。
怪奇は遂に入佳の存在に気がついて、怪奇の手がぐんぐんと入佳に近づく。なのに、入佳は動じない。
「許してね。成さん、万さん。
あたし、二人に出会えて楽しかったわ」
犠牲になる気かと急いで万の手から離れ、入佳を助けようとする。が、万は僕を支えて離さない。入佳が危険なのに。怒鳴りつけようとしたその時だった。
「――だから今度は、あたしが二人の為に何かしなくちゃ!」
帯留めにぶら下がっていた装飾品が瞬き、入佳はすかさず胸元まで持ってきた。両手で蝶番を開くと中から沢山の和傘が転がり落ちて、花火のようにポン!と大きくなって入佳を覆う。並んで重ねられた和傘の模様達がひとつの風景画となって、その奥で入佳の影が舞い踊る。
やがて入佳を覆っていた傘は竹とんぼのようにくるくる宙を回りながらどこか彼方へ飛んでいき、和傘をさした入佳の後ろ姿が目に映った。
振り向いた入佳は華やかで可憐な衣装をめかして、その色鮮やかな装いはあの日見た花火を思わせる。
「覚醒じゃな」と万が楽しげに呟いた。
入佳は軽やかに跳ねては花火を打ち上げる。「こっちよ!」と怪奇を誘導しながら傘を振り回す。その度ドン!と破裂音が連鎖して夜空に大輪が咲く。怪奇は入佳を……というより、花火に気を取られているように見える。
入佳は何度も花火を打ち上げながら、花火の色を変え、形を変え、怪奇に追われているにも関わらず空を明るく演出している。楽しそうに。怪奇を怖がっていた頃が嘘のように。
「成さん、今よ!」
入佳が僕を呼ぶ。僕まで気を取られていたのか入佳に呼ばれてようやくハッとなった。
万は入佳の声掛けに応えるように僕を連れて怪奇の肩まで飛んでいく。
「アイツの弱点ってなんだ」
「適当にスパッといけばなんとかなるじゃろ」
「適当にって……相手は骨だぞ」
「斬れる、斬れると念じてみよ」
怪奇にある程度まで近づくと、万は僕を助走をつけて投げ飛ばし、身体は風をきって怪奇を目指す。
「無茶を言うな――!」
意思に反して飛ばされた身体はみるみると怪奇に突進していく。続けて刀まで自我を持ち始め、僕の手の中でジタバタ暴れ始める。
「ああもう――仕方がない!」
刀が怪奇に刃を向けるまま、強く念じた。
怪奇の正面を斜めに横切った瞬間、さほど遠くない位置からスパッと斬れる音がして、かと思えば怪奇は塵になって崩れていった。
地面に降りると既にそこで待っていた入佳が崩れゆく怪奇を見つめながら、ぼうっと口を開けていた。
「……入佳」
「良かった。あたし、誰かの役に立てたのね」
そう言った声は、心底嬉しそうに明るく弾んでいた。




