参ノ壱夜 祭り
思い返せば、賽の河原はとても涼しく、むしろ寒いくらいだった。その場所が長い間僕の当たり前で、生まれ変わってからもしばらくの間は賽の河原より少し暖かいくらいの季節を過ごしていた。だからこそ、夏が本当に嫌いだ。
あの夏とやらはじわじわと周りの温度をあげて烏夜国にやってきた。初めて感じた暑さは地獄のようで、外なんて出歩けたものじゃない。寝る時も寝苦しくて、常に不機嫌だったように思う。
そんな季節が今年もやってきてしまった。
「……」
「成。畳のど真ん中で溶けるでない」
「……何故いる」
家に誰もいない時間に畳で寝転がっていると、危うく僕の身体に足を引っ掛けそうになった万が僕を見下ろす。
「合鍵じゃ。おぬしの家族に貰ったのじゃよ」
「家族じゃない。……あと、なぜ仲良くなってる」
以前は小さくなれる身体を活かして隙間を見つけては入り込んでいたというのに、いきなり律儀になられても困る。
「このまま夜が明けたら、日の光で溶けきって甘酒になっていそうじゃのう」
「全身酒でできているのはお前だけで十分だ。
……それで、何しに来た」
身体を起こし、万の方を見る。いつもの薄ら笑みを浮かべていた。
「入佳から祭りの誘いじゃ」
「やだ。」
☽
万に無理やり引きずり出され、外を歩く。「背筋を伸ばして歩かんか」と言われても、暑さにやられてはそんな元気も出ない。首の後ろから手拭いを巻くといいと助言され、万に後ろから濡れた布をかけられたが、案の定襟元がぐしょぐしょになって気持ち悪い。
大柳の近くに着くと、その下で入佳が上に大きくあげた手を振って待っていた。「成さん!万さん!」と明るい少女の声が届く。万は微笑み、軽く手を挙げて挨拶を返す。
入佳は覚醒してからというもの、僕らをこうして遊びに誘うようになった。魔法少女同士で親睦を深めたいそうだ。――ただ、入佳の中で魔法少女という枠組みの中に万も入っていたことは衝撃的だったが。
「……近くで祭りがあるにしては人気がないのう」
「屋台には沢山いるわよ」
入佳は万の背中を軽く押しながら僕らを会場まで案内する。
しかし、会場に着いて目にしたのは屋台や賑わった人の姿でもなく、寂しく開けた庭の入口に置かれた祭りの延期を記した看板であった。入佳も予想もしていなかった出来事に困惑と悲しみが入り交じった目をしていた。
「そんな……延期だなんて話、聞いていないわ」
「恐らく急遽変えざるを得なかったのじゃろう。運営に何らかの問題が生じたかあるいは――怪奇の影響か」
「怪奇?なぜ怪奇が関係する?」
万は思い詰めたようにため息を吐き、やがて続けた。
「結界が薄れ、怪奇の数はぐんぐん増しておる。今や怪奇の数が人の数と匹敵する街もある。
ワシらの他にも対応にあたっている者は多くいるが、尚も好転していないのが現状じゃな」
対応にあたっている者とは誰なのか。僕らの他にも魔法少女がいるのだろうか。それとも、万と同じ目的を持つ怪奇が他にいるということか。どちらにせよ、烏夜国の実態は思っていたより深刻なようだ。
でも、例え僕ら以外の魔法少女がいたところで、僕としてはどうでも良いことだろう。元々僕の目的は母の仇討ちだ。それが僕の生まれた理由で、宛がないから万に着いていっているだけにすぎない。別に、怪奇がどうのだなんて知ったことじゃない。
そのはずだ。
「仕方がないわ。何か別の楽しいことをしましょう?」
「そうじゃな。避暑地に行くというのはどうじゃろう」
祭りの延期にくよくよしていても仕方がないと言って、二人は賑やかに次の行き先を考え始めた。
「山はどうじゃ。涼しくて景色も良いぞ」
「まあ素敵!でも、夏に登るのは大変そうね……特に成さんは酷でしょうし……」
「人力車でひとっ飛びすればよかろう?楽に綺麗な景色を拝めて一石二鳥という訳じゃ」
「妙案ね!成さんはどう?」
入佳が僕を呼ぶ声がした。でも声が出せなかった。いや、届かなくなったと言うべきかもしれない。突然視界が真っ暗になったからだ。最初は、遂に夏の暑さに耐えられなくなって倒れたのかと思ったが、真っ暗になった視界が突然別の景色に切り替わってから、そういうことではないと知った。ここはどこか、なんて考える必要もない。藤が頭上を滝のように降り注ぎ、遠くを見れば光と影で波ができているように見える。胡蝶達が空間を舞い踊る、ここは藤の森だ。
「成。――日ノ出成」
真横から誰かが囁いた。けれど、急いで確認してみても誰もいない。代わりに一匹の胡蝶が僕の指に止まりにやってきた。濃い紫色の羽は、透けて硝子細工のように微かに光を反射させている。まるで模造品だ。
「何者だ」
「お母さんよ」
「――っ!」
声が出なくなった。……いや、もしかしたら怪奇か何かが騙しているだけかもしれない。だって母は死んだ。そう鬼も言っていたはずだ。ここにいる訳はない。
けれど、どうしてもこの声に「偽物」という言葉を使うことができなかった。
「成。もう仇討ちなんてしなくていいの。我が子が復讐に燃える姿なんて、お母さん見たくないわ」
「これが僕の生まれた意味だ。存在理由だ。他人にとやかく言われたくはない」
「他人だなんて悲しいわ。でも仕方がない。成は愛されたことも愛することも知らないから」
止まっていた胡蝶はいつの間にか飛び立ち、舞に混ざってどの蝶だったか見分けもつかなくなっていた。
「愛――」
「人は愛されるべくして生まれてくるの。なのに、成に与えられたのは復讐という使命だけ。そんなのあんまりね。
だからお母さんが教えてあげる。成を愛してあげる。もう恐ろしい怪奇とも戦わなくていいのよ」
「なら、母だと自称するなら全て答えろ。何故死んだ?誰に殺された?愛ってなんだ……」
「簡単なことよ。殺されたなんて鬼の恐ろしい妄言。あんな、子を虐げるだけの場所にいる鬼の言葉を信じちゃダメ。お母さんは成を産む時に身体が耐えきれなくて命を落とし、成は生まれ損なってしまった。それだけのこと」
……本当に、真相がそんなものでいいのだろうか。じゃあ怪奇と戦ってきたのは、本当にただ境遇を都合よく扱われていただけなのだろうか。本当に?本当に、それでいい?
「成は何も知らないから、誰かの言葉に流されるしかない。嘘も真も分かっているようでいて、本当は何も分からない。それは全て、愛を知らなかったせい」
「――じゃあ、お前が嘘である可能性は?」
「真偽を疑うより、流されるまま身を任せるのがいいわ。だって、誰を怪しんだところで成には正解など分からない。だから最も安全な方に身を預けましょうね。成。お母さんと一緒にいましょうね」
「まるで都合のいい言葉だけを並べているようだな。僕の意志はそんな甘言で揺らぐほど弱くはない。
この景色を見せた時点で、お前は母ではない」
何かの気配がスッと目の前から消えた気がした。さっきまで気配なんて気が付かなかったのに、何故かそのように感じ取った。その直後――藤の森が真っ青に燃え盛った。
「――!」
しかし不思議と暑さは感じず、代わりに凍えるほど寒く感じた。そして、意識は段々と途切れていく。
フ――っと意識が途絶えた。視界が再び真っ暗になり、最後に謎の声だけ暗闇から聞こえてきた。
「――成……――成」
……いや、違う。知っている声だった。
「成さん!」
視界には藤の森も青白い炎もなく、暑苦しい空気が肌を包んでいた。顔をあげると万と入佳が並んで、心配そうにこちらを見ていた。
「…………暑い」
「なんじゃ。暑いだけか」
「急に動かなくなっちゃうから、びっくりしたのよ?」
万は安堵したように肩を下ろし、入佳は微笑む。どうしてぼうっとしていたのか…………どうして?思い出そうとしても思い出せない。何か別の景色が頭に浮かんだんだったか。




