拾ノ伍夜 八百万
成さんが万さんを探しに行ってからしばらく、あたし達は成さんが戻ってくるまでの間の時間稼ぎをしていた。黄泉醜女という怪奇さんたちは足がとても早く、複数体で集中して襲って来られると、避けることが難しくなってしまう。
「福福御霊!」
そんな中、ゆきんこちゃんの必殺技がまた攻撃を防いでくれた。彼女が福福御霊を使うのもこれで三から四回目。必殺技じゃないのは更に多く使っていて、寧丸さんの月に叢雲鳴神恋衣もかなり酷使していたと思う。あたしも彩り百花繚乱の咲き乱れる大輪を怪奇さんを呼び寄せる用途に限らず、醜女さんたちがゆきんこちゃん達を襲うのを妨げる防御用の役割もしていた。
丁度、福福御霊の効果が切れて直後に醜女さん達がゆきんこちゃんへ襲いかかってくるのを目にした。
「彩り百花繚乱!」
思わず目を瞑ったゆきんこちゃんの周辺に、大小、色形様々な華が囲うように打ち上がる。けれど、遂に醜女さんは花火も構わず中を突き進んで、ゆきんこちゃんへ飛びかかった。あたしが助けに向かうのは間に合わず、ただ名前を叫ぶことしかできなかった。けれど、その声は寧丸さんの怒鳴り声にかき消され、「子供に手え出すな!」と寧丸さんの蹴りが醜女さんに当たって飛ばされる。あたしはすぐにゆきんこちゃんへ駆け寄って、怪我は無いかと確認した。
「醜女の奴ら、マジひつこいんだけど」
寧丸さんは一旦振り返って、不満のこもった顔で醜女さんたちへの愚痴を吐く。あたしはそんな寧丸さんにゆきんこちゃんを助けてくれたお礼を言った。そしたら、ゆきんこちゃんも「寧丸。ありがとう」とお辞儀した。すると寧丸さんはゆきんこちゃんに笑いかけて少し和んでくれる。
だけど——なんの予兆もなくあたしの衣装は普段の服に戻って、周りを見たらみんなの変身も解けて変身出来なくなってしまった。「妖力切れかも」寧丸さんが教えてくれる。
「ウチら、ぶっ続けで妖力使ってたっしょ」
「なんとか回復できないかしら?」
寧丸さんに訊ねるも、却って彼女を難しい顔にさせてしまうだけだった。寧丸さんは悔しそうに首を振る。
「ウチらが今使ってんのはうり姫から借りた妖力だから……回復できても魔法少女に変身できる妖力分はキツイかも」
けれど成さんはまだ戻ってきていない。色のある方へ視線を変えても奥から向かってくる人の影も一向に見えなかった。そんなところへ、先程まで飛び回りながら醜女さんと戦っていたうり姫さんがあたし達のいるところへ集まる。うり姫さんはゆきんこちゃんと寧丸さんを交互に見つめる。
「ゆきんこは引き返すべき」
ゆきんこちゃんが驚いて悲しそうに瞼を広げる。そんな彼女に付け足して「余に方法がある」とうり姫さんが告げる。けれどゆきんこちゃんは激しく首を振って「やだ!」と声をあげた。嫌がるゆきんこちゃんへ寧丸さんは屈んで、目線を合わせると慰める様な笑顔で頭を撫でた。「ゆきんこ」と寧丸さんが話しかける。
「ゆきんこの妖力なら、変身できなくてもまだ戦えると思う。けど、ウチらはもう戦える手段がないし、ゆきんこばっかり負担をかけさせる訳にもいかないの。
だからこれも作戦のうちだと思って、今はうり姫の言うことを聞いてくれる?」
けれどゆきんこちゃんはまだ不安そうに寧丸を見つめ、「みんな戻ってくる?」と聞き返す。寧丸さんは頷いてゆきんこちゃんを抱き寄せた。「ウチらを信じて」
寧丸さんから抱きしめられても、ゆきんこちゃんは不安を隠せていない表情で、寧丸さんの腕が離れても少し怯えた目をしていた。それでもやがて、ゆきんこちゃんの小さな両手にぐっと拳が作られて、目にも力が宿った。「ゆきんこ、行ってくる」
まだ手に持っていた打ち出の小槌が軽く可愛らしい音を奏でて振るわれて、背中を向けたゆきんこちゃんの目の前に朧げな異空間が出現した。異空間にはずっと奥まで玩具で溢れた廊下が続いている。ゆきんこちゃんは異空間へ足を踏み入れ、するとゆきんこちゃんの姿も不鮮明になった。
「ゆきんこちゃん、行ってらっしゃい」
彼女の背中に手を振ると、朦朧とした姿があたし達を振り向いた。輪郭は殆ど原型がなく、水鏡の不確かで微かな景色の様な異空間は、ゆきんこちゃんを連れてその場から消えていった。しばらく待ってうり姫さんは浮遊し、空高く浮いていく。醜女さんたちは今も尚あたし達を襲いに来ていて、寧丸さんがなんとか追い払っている。空を浮くうり姫さんは赤い月によく似た静かな瞳で様子を見下ろし、ひと呼吸分目を瞑ればまた開き、地上へ指先を向ける。
「無間夢幻之摂理」
空に黄金色の雲がかかって、雲間から差し込む淡い光と共に小雨が落ちた。ひと粒、ふた粒と落ちたあと、雨は止むことなく次第に雨量を増して、降り注ぐ雨はみるみると滝のような土砂降りになって黄泉の国を濡らす。あっという間に着物は濡れて重くなり、偶々雨粒が口の中に入ったらしい寧丸さんが「甘い」と呟いた。
「ちょっとうり姫!なんで酒なんか降らせてんの!」
空へ向かって叫ぶ寧丸さんが気になって、あたしも手のひらで掬いとった雨をひと口飲んでみる。あたしは、思わず声をあげた。
「違うわ。お酒じゃないみたい」
甘水の中降りてきたうり姫さんはあたし達のそばに立って一言、「甘露」と訂正した。醜女さんを見やると、彼女達は足元を確認して警戒していた。その理由はすぐに暴かれ、地面からは若葉が次々と芽吹いて、段々と大きくなって木々へと変わった。驚いて呆然と見ていると、木々には大きな実が成って沢山の鴇色のたわわが目に映る。——桃の木。
「もう動けない……」
うり姫さんは地面に座り、神通力を使い果たしたといって座ったまま眠りについた。桃を嫌がった醜女さんは蜘蛛の子を散らすようにはけて、元気に実った桃の木だけが残された。
「確かに、こんなに桃があると、ゆきんこちゃんが怖がってしまうわね」あたしは寧丸さんへ笑いかけた。
寧丸さんは醜女さんがいなくなって安堵したのか、緊張の抜けた笑顔で返された。
「うり姫の育てた桃じゃ、怪我はないっしょ」寧丸さんはうり姫さんの寝顔に視線を移す。「拳遊びで運ぶ人決めよっか」
「あたしが背負うわよ?」
「入佳はすぐそういうっしょ?」
寧丸さんは勝負しようと手を差し出して、あたしも寧丸さんに甘えようとした。同じく手をのばして、寧丸さんが始める合図を出した頃。遠くから雷鳴のような破裂音が聞こえ、奥の方では空間が黒々と裂け、地面が崩落を始めていた。二人同時に音のした方を向くと、あたしは驚きのあまり固まってしまった。
「万の妖力……」寧丸さんが呟く。
「えっ?」
慌ててうり姫さんを起こしに行った寧丸さんの片手が、うり姫さんの肩を激しく揺する。「うり姫起きて」と声を張る寧丸さんに便乗して、あたしもうり姫さんの横に立って彼女を呼ぶ。「うり姫さん!」
その声に目を覚ましたうり姫さんはゆっくりと瞼を開き、やがてあたし達の目を見た。
「また怪奇?」うり姫さんは軽く寝ぼけている様子で首をやや動かす。「それよりえぐいかも」
あたし達の様子を眺めて立ち上がったうり姫さんは、寧丸さんの視線に誘導され、同じように、崩壊していく景色を見た。進行が早く、二度目に見た遠くの景色はかなり近くまで迫ってきているみたいだった。目に見えて考える時間もなく、「余たちも逃げよう」とうり姫さんが提案する。
「成さんは?」
彼女を置いていく訳にはいかず、あたしはうり姫さんに問い詰めた。それに、万さんだってまだ戻ってきていない。
「もう時間はない」
「けど——」
うり姫さんに何かを返そうとした言葉が、寧丸さんの声に遮られて詰まった。「成は……大丈夫だから、」
寧丸さんは続けて「成を信じよ」とあたしへ微笑みかける。大丈夫な根拠なんてなくて、今もあたしは不安だった。けれど寧丸さんもうり姫さんもそれは同じで、あたしが我儘を言ってしまえば二人をもっと困らせてしまうかもしれなかった。あたしも笑顔を作って「分かったわ」と二人に微笑みかけた。それしか今は出来ることがないのなら……。
うり姫さんが頷いて指先をあたし達へのばした。現世まで送ろうとしてくれているのだろうか。
「まだ神通力は使えるの?」あたしは訊いてみた。
「緊急に備えて予備を蓄えてあった」
うり姫さんの周りに金魚が泳ぎ回り、その子達は指先へと昇っていけば、うり姫さんの手から離れてあたし達の周りを漂う。
「余は常世うり姫。又の名を天御母神。そなた達を本来居るべきところへ、只今帰そう」
唱えた後、うり姫さんは背中を向けて遠ざかっていく。「うり姫?」と寧丸さんが呼びかけてもうり姫さんは振り返らず、金魚は一匹もうり姫さんの傍にはいない。あたしはその瞬間察して、うり姫さんへ叫んだ。
「うり姫さん、待って!あなたも一緒に——!」
視界は真っ白に塗り変わり、ほんの一時、意識が途切れた……。
☽
うり姫は小川の境目に立って崩れていくあの世の景色を眺めていた。空間に響く轟音は未だに鳴り続け、奈落は色のないところまで瞬く間に近づいてくる。
「天下りも、意味はなかったというの」
冥界の空にさえ月はなく、うり姫は月と似た瞳で遠くを見つめる。そうすれば、壊れゆく空間の中央で小さく動く何かを目にした。それは一匹の空を飛ぶ生き物のようで、ますますうり姫のいる方へ向かってきていた。その正体に気がついて、うり姫の瞼がほんの少しばかり見開く。それは成の神獣であった。
「——成」
龍はうり姫の真横を通れば、しばらく止まって彼女を待った。背中には成が乗っていて、けれどうり姫を見向きもせず俯いている。うり姫は龍にまたがり、再び空を飛んだ龍が出口へ向かって進んでいく。遠ざかっていく景色に振り返り、うり姫は崩れていく景色をまた見た。奈落は遂にうり姫の先程立っていた位置にあった。




