拾ノ弐夜 仲直り
中へ入ると空洞はさほど眩しくなく、というより薄暗かった。外に漏れ出ていたのはなんの光だったのだろう。辺りは広くもない洞窟が一直線に続き、その先では寧丸がうり姫を追っている。遠くに広々とした空間が見えた。そこに出れば鍾乳洞と呼ばれる空間が極彩色の色を放って広がり、四季折々の木や花々が豪快に咲き乱れていた。進むべき道は朱の勾欄が伸びる太鼓橋が示し、苔むした地蔵が挟んで二体、橋を穏やかな顔で遠く見下ろしている。そして、藤の花が垂れ下がる太鼓橋の中央ではうり姫が浮遊し、自身の周りに金魚を携えていた。——「余は天御母神なり」
うり姫の静かな目は寧丸を見下ろし、金魚たちはうり姫の伸ばした指先と目線に従って泳ぎだす。向かってきた金魚を横へかわした寧丸は追手を後ろに携え、真上へ飛び上がった。その先にいるうり姫へ握り拳を振って、うり姫は避けて橋へ降り、寧丸もならう。
「何?ウチを浄化しようっての」
うり姫は答えず、寧丸を追っていた金魚はうり姫の傍へ戻り、彼女の周りを遊ぶ。一方、追いついて様子を見ていた入佳に僕は話しかけた。
「止めるべきか」
心配そうな顔色で二人を見ていた入佳は、そうにも関わらず僕へ振り向けば微笑んで、首を横に振った。
「でも、喧嘩しているわけではなさそうよ」
「あれがか?」
寧丸は再び拳を振るう仕草をして、相手が拳に視線を向けてくれるのを待った。寧丸は脚を振り上げた。けれどうり姫はそれさえ見透かして容易くかわす。うり姫が一歩、また一歩と後方へ下がって、やがてその先には怪奇の大群が見えた。あれこそ止めに行った方が良いかもしれないと、走り出そうとすれば入佳の待ったがかかる。
うり姫は寧丸を避けながら、後方の群れに手を伸ばし詠唱する。「余は天御母神なり」うり姫の周りを泳いでいた金魚は大群を目がけて、やがて大群を覆った光は眩く煌めき、神々しい光と共に怪奇は消え去った。しかし、そのうちの浄化を免れた怪奇が一匹、素早く二人の方向へ向かってきた。うり姫は詠唱したばかりで間に合わず、怪奇は寧丸の真横に差し掛かった。しかし、寧丸は怪奇を取って食おうとはせず、うり姫を睨んだまま通り過ぎていく怪奇を見送った。そして、近くにいたゆきんこも怪奇を食べようとはしなかった。
「寧丸さんは、きっと頭ではうり姫さんの言うことに肯定しているのだわ。けれど今はほら、万さんのこともあるでしょうし」
「じゃあ、あの争いはなんなんだ」
食うか食わないかのぶつかり合いではないのなら、この現状は無意味ではないのか。けれど入佳はそんなことないと首を振る。僕にはよく分からなかった。
うり姫は再び空に浮き、静かな瞳は僕らをも一望する。そうすれば、うり姫は空に手をやって、少なくとも千本はある破魔矢の雨を召喚し、自らの周りには妖刀をみっつ浮かびあげ、手始めに刀をひとつ寧丸へ投げつければ、続いて破魔矢の雨を降らせた。寧丸は自身に向かってきた刀を避けて橋の木目に突き刺さった刀を抜く。降下する雨を次々刀で斬り落とせば、降りてきたうり姫に向かって襲いかかる。振られた刀をかわし、うり姫が二本の刀を操れば妖刀は寧丸を斬ろうとし、刀が何度も音立ててぶつかり合う。二本の刀を追い払った寧丸はもう一度彼女へ刀を振るい、懐に隠し持っていた破魔矢で突き刺そうとする。しかし、瞬時にうり姫の手が寧丸の破魔矢を持つ手を食い止め、刀の襲撃も避けきった。
「寧丸。避けて!」
いつの間にか、うり姫の背後へ回ったゆきんこが妖力で地蔵を生み出し、二人の真下を割って突き出た。二人は一度後方へ避難し、寧丸と距離の離れたうり姫を、ゆきんこは異空間へ閉じ込めた。——しかし、空中に花火が打ち上がるとうり姫は破裂音と共に異空間から脱し、花火の打ち上がる中心に現れた。
「アンタ、そんなこと出来たの?」
「余は武力行使を好まないゆえ、あまりしないだけ。それとこれはそなた達の妖力をそっくり真似たもの。余はよく知れたものの妖力ならば、その形を神通力に覚えさせられる」
「普段も使ってくれると有難いんだけど!」
寧丸はうり姫へ飛びかかり、間一髪、寧丸の避けた位置に花火が舞う。花火は次々に寧丸を襲い、ゆきんこは小さな地蔵を生み出しては身代わりにさせた。寧丸はうり姫に接近し刀で風を斬る。
しかし、遂に寧丸の刃がうり姫の肌に当たろうとした寸前、空を飛んでいた寧丸やゆきんこ、周りに飛び散る花火の残骸も動きを止めた。その中でうり姫だけが風に服をなびかせて飛んでいる。そして、指をひとつ鳴らせば寧丸が持っていた妖刀も花火も地蔵も一瞬にして失せた。時が動き出し、うり姫は寧丸の後ろに回った。空振った寧丸は体勢を崩して橋の上に着地する。降り立ったうり姫へ振り返れば、うり姫も寧丸を見て一言、「もうおしまい?」と呟くように訊く。
「……いいや」寧丸は手のひらに椿を乗せ、うり姫に見せびらかす。「アンタから貰った妖刀、美味しかったよ」
握り潰された椿は赤く融けて手の隙間から噴き出し、赤い液体は寧丸を囲み、やがて止んだ後には、魔法少女衣装の寧丸がうり姫を睨みつけていた。驚きに、隣にいた入佳が「うそ」と呟く。寧丸はうり姫へ猛進し、瞬く間に距離を縮めると市松人形を複数召喚した。
「月に叢雲鳴神恋衣」
寧丸の詠唱に応え、彼女の手元にはあやめ色の数珠が召喚された。——寧丸の必殺技だ。
うり姫は寧丸の詠唱に気づいて距離を離し、寧丸は構わず数珠を振り回した。
「妖力を吸ったの?」うり姫が訊く。
「まあね。アンタの神通力は妖力も真似て生み出すことができるみたいだし」
寧丸の市松人形は破魔矢を構え、数珠を避けるうり姫へ襲いかかり、後ろからは寧丸の鬼火を灯した札達が市松人形を追い抜かしていく。そしてうり姫も寧丸を真似た札を召喚し放った札が札と衝突し火花を散らして破裂する。煙が上がった隙にうり姫は煙の中を進み、向かってくる市松人形を壊しながら寧丸へ接近した。寧丸の振り回す数珠を掻い潜り、うり姫の指先が寧丸の胸元に軽く触れると、寧丸の身体は橋の後方に遠く吹き飛ばされた。
——しかし、遠ざかった寧丸の身体は花札になって砕け散り、寧丸はどこかへ消えた。うり姫も驚いたのか僅かに瞼を開いて辺りを探そうとすれば、うり姫の肩に誰かが手を乗せた。彼女が振り向くと、人差し指がその頬を押した。
「はい。ウチらの勝ち」
誇らしげに微笑む寧丸のすぐ後ろにはゆきんこも誇らしげに立っている。何処かの隙を見て寧丸がゆきんこに合図を送ったのだろう。あの花札は確かゆきんこの妖力だ。
「……隙あり」
誇らしげな寧丸の頬にうり姫の人差し指が触れた。寧丸は既にうり姫の肩から離れており、しばらく呆然としてしまった。
「余の勝ち」
そう言って指を仕舞えば、うり姫は静かに目を瞑る。
「いや、なに意地張ってんのさ」
「いちばん驚かせた方が勝ちではないの?」
「そういう勝負じゃないっしょ!」
普段通りの二人に戻ったらしい。勝負が済んで声色も穏やかになったうり姫は寧丸に首を傾げ、寧丸がそこに口を出す。けれど彼女はそんな寧丸を、観察するような眼差しで眺め続けていた。うり姫が口を開く。
「寧丸は誰かのことになると焦りがちだから。少しは落ち着いた?」
うり姫が寧丸に訊く。その言葉の意味を僕も少し悩んだ。疑問は寧丸の言葉に代弁された。
「まさか、最初からウチを発散させるつもりで……?」
「余を止めて欲しかったのも事実。そなた達が余を倒せば、余の万を救いたい思いも達成できるはずだと」
うり姫は負けるつもりでいたらしい。それでも本気を出しているように見えたのは、後から種明かしをして寧丸が勝たされたと知ったら、それこそ彼女を傷つけることになるからか。
「それと、寧丸が妖力を吸うのは計算のうちだった」
…………勝たされていたらしい。寧丸も再び呆然として、すっかり固まってしまっている。ゆきんこは慌てて二人を交互に見る。「は?」と寧丸の声が漏れた。
「余が倒されてしまえば、余が作り出した妖力を寧丸に渡せないかもしれない。だから先に渡してしまおうと——」
うり姫が喋り終わるのを待つ暇もなく、寧丸の両手がうり姫の肩を掴んで揺すった。
「なに勝たせにきてんの!こっちは正々堂々ウチの力で勝とうとしてたのに!」
「余は妖力を貸しただけ。あとは寧丸の実力——」
「結局アンタから借りた力で勝ってるじゃんか!鬼に横道はないものを!」
以前歌舞伎で出会った鬼みたいなことを言っている。
「正々堂々ではなかった?」
揺すられながら、うり姫は普段のどこか親しみのある無表情で、寧丸に首を傾げる。
「次手加減したら、アンタの神通力ごと食ってやるから!」
「でも、寧丸さんも十分強かったわ」
いつの間に隣からいなくなっていた入佳が寧丸のすぐ隣で励ましている。僕もそばまで来た頃には寧丸の両手も肩から離れ、彼女の方が少し息を切らしていた。
「それに、花札はゆきんこちゃん自身の力よ」
寧丸は怒る気力が失せて、入佳の最後の言葉で息をついた。ゆきんこを見れば、彼女は入佳に褒められたのが嬉しかったのか、赤くなった頬に手を当てて恍惚としている。寧丸もゆきんこの様子に和んだのか、彼女を見たら軽く笑って「じゃ、今回はゆきんこの勝ちかな」そう告げた。
「それじゃあ改めて、万さんを助けに行きましょう?」
場の空気が暖まったのを感じた入佳が、明るい声で手を合わせた。万歳をしたゆきんこに寧丸は更に笑い、うり姫も穏やかに目を瞑る。しかし、うり姫は告げた。
「余が寧丸に多く妖力を渡したことで、寧丸を通じて他のものも通常通り変身できるようになった。けど妖力を作り出す際に一度に消耗する神通力が莫大なゆえ、今、余に残された神通力は僅かしかない。ここから先の余は役に立てないと思っていい」
そんなうり姫の告白に入佳は返す。
「あら。うり姫さんの力には十分助けられたわ?だから今度はあたし達が全力を出す番よ」
入佳は張り切って先陣を切り、ゆきんこも後に続いて先を急ぐ。寧丸は何が起こるか分からないんだからと、二人を叱りながら後を追う。
「……僕らも行くか」
うり姫の横を通り過ぎて、歩き始めたところで「日ノ出成」と呼ぶ声に足が止まった。振り向いてうり姫の僕を見る目と目が合った。
「成は、なぜ自分が日ノ出成という名なのか、まだ分からない?」
「なんだ急に」
聞き返してもうり姫の返答は何時までも返ってこない。先に質問に答えろという意味だろうか。僕は正直に「わからない」と答えた。「そう」とうり姫は目を瞑る。
「母は僕に人と怪奇の共存と僕自身の幸福を願った。そのことと関係するのか」
「……成は百年夜が続いて、母の共存への願いには近づけたと思う?」
僕が見てきた烏夜国を思い出す。百年続いた夜に結界は役目を果たせず、怪奇が溢れて人はすっかり怯え、町にはあんなに明かりが灯っているというのに人気は殆どなかった。それは共存とは程遠い、怪奇による支配の時代と考えるのが妥当か。入佳が掲げる共存はいつだって誰かと仲良くなることで、こんな秩序のない有様のことではなかったはずだ。
「この現状は、共存なんかではない」
「そなたと暮らす怪奇も同じように考えたのだと思う。だからこそ、これから世界の穴より降り立ってくる子に朝の名を与えた。お菊の願いを叶えるため」
「——烏夜国の夜を終わらせ、母の願いを成就する。それが僕に込められた名だというのか」
うり姫はただじっと僕を見つめ、やがて僕の手を引いては身体を皆の向かった方へ一回転する。
「成は、今も母の願いを叶えたいと思う?」
「——争ってばかりの烏夜国で幸福だと笑うのは御免だ」
そう言えばうり姫はもっと強く手を引いて、足先が地面から離れていく。その先の景色は白く、光を放ってうり姫を照らす。
「それなら行こう。月の神を助けに」




