拾ノ壱夜 出発
寧丸は僕らと降り立ってすぐ、ゆきんこに気がつき近寄った。
「ゆきんこ。なんでここにいんのさ」
大きく開いた瞼の瞳が、ゆきんこを見つつ揺れ動く。怒られると思ったのか、ゆきんこは肩をやや持ち上げて目を地面に逸らす。咄嗟に、様子を察した入佳が横から説明する。
「ごめんなさい。あたしが連れて来たの」
入佳の言葉を受けて寧丸は「ゆきんこから頼んだの?」と呟くように問う。ゆきんこが小さく頷いた。
「ゆきんこ。大事なことはウチに伝えてって言ったこと、覚えてる?」
「覚えてた」緊張しながらはっきり答えたゆきんこに、寧丸が「じゃあなんで——」と更に問いかけるのが聞こえた。
「急いでたから。みんな大事な家族だから、黄泉へ行っちゃった万のこと、ゆきんこも助けたい」
横でふたりのやりとりを聞いていた入佳は、そっと微笑んでは「寧丸さん」と話しかけた。
「ゆきんこちゃんはとっても強い子よ。あたし達と同じ魔法少女として、今までたくさん助けてくれたわ。ゆきんこちゃんがいなければ危ない時もあったもの。だからあたしからもお願いよ。ゆきんこちゃんも一緒にいいかしら」
寧丸は入佳を向かずにゆきんこの瞳だけを見続けた。その視線にゆきんこも目を合わせた。「寧丸……」ゆきんこも不安げに訊ねる。そんな彼女の表情に、寧丸は思わずか吹き出した。
「知ってるよ、ゆきんこが強いのは。台所を克服したのも魔法少女になったのも、全部ゆきんこの意思だもんね。それが全部誰かのためってのもウチは知ってる」
寧丸の片手がそっとゆきんこの頭に乗って、水縹の髪が撫でられて乱れる。ゆきんこは髪が目に入らないよう瞼を強く閉じていた。
「ウチが心配してんのはアンタが幼いからじゃないよ。ゆきんこは優しくて勇敢だから、そのうち無茶をするんじゃないかって、怖いんだ」寧丸は続ける。「ゆきんこ。ウチの言うことは聞いて、逃げてって言ったら逃げること。これだけは約束しよ」
撫でるために屈んでいた寧丸がゆきんこに小指を差し出す。ゆきんこは少し驚いたように瞼を開いた。
「いいの?」
「お留守番させたら、却って無理するっしょ?」
冗談っぽく笑った寧丸に、ゆきんこは頬を染めて小指を絡める。
「みんな時間取らせてごめん。行こっか」
彼女と仲直りした寧丸は立ち上がって僕らを見回した。それを真似てゆきんこも僕らを見ると、不意に僕を向いたところで首を止めた。
「成。こっち」
そう言いながら彼女から向かってきて、屈むように言われた。よく分からず屈まないでいると、ゆきんこが言う。
「おでこ怪我してる」
赤くなっていると指をさされ、自分のおでこをさすってみた。腫れていたり、熱を持っている様子はなさそうだ。「みして」寧丸が僕の前髪を手の甲で分けた。
「さっきぶつかったところだね。ちょっと赤くなってるけど、鉤爪に当たんなくて良かった」
僕の怪我を確認したところで寧丸は機嫌よくゆきんこを見下ろした。「お願いできる?」ゆきんこは大きく頷く。大したことないなら彼女に頼む必要はないけど、断りづらい雰囲気だった。額を貸すとゆきんこは手を触れて妖力を使う。その様子を見た入佳が、ふと思い出す。
「そういえば、あたし達、魔法少女に変身できなかったのよね」確認を込めて僕を見る。そんな入佳に寧丸が返した。
「万が黄泉の国へ行ったから、アイツの妖力がこっちまで届かないみたい」
「あの世は怪奇だらけなのか」
「まあ……」寧丸がやや躊躇いがちに肯定する。怪奇が冥界から溢れてきている以上、こうして入口で突っ立っていることすら危険だろう。それなのに、変身もなしに黄泉の国まで無事辿り着けるとは考えづらい。
「どうしたらいい」訊けば、寧丸は「ひとつだけ方法はあるよ」と提案した。
「ウチが怪奇を沢山食って妖力を取り込めば、万と似たような妖力は得られると思う。ウチも万も人の妖力を上げられる点では共通してるからね。
ただ——ウチは妖力が元々少ない鬼だから、その分怪奇を食べる量も半端じゃなくなるし、何より時間がかかるし、ちょっと現実的ではないね」
寧丸が腕を組んで再び頭を悩ませたところで、ふと、寧丸の袖が下から引っ張られる。「寧丸」ゆきんこが寧丸を見上げて話しかけていた。
「ゆきんこにもできる?」
彼女が代わりをするということだろう。ゆきんこの旅行先で見せた大きな口を思い出す。顔の面積を埋めるほどの大きな口と、そこへ流し込まれたひと箱分の弁当……。ゆきんこのお腹が無限ではないことは歌舞伎を見に行った時に残飯係をしたから知っているが、それでも人並み以上には食べられるだろうし、あの口なら小さな怪奇くらいは入るだろう。
「どうかな。ゆきんこは回復と防御が中心らしいし……でも試してみる価値はあるかもね」
彼女が笑いかけるとゆきんこも目を輝かせた。そこへ僕の横に立っていたうり姫も口を開く。
「余なら、ゆきんこの溜めた妖力を神通力で寧丸に移すこともできる」
それを受けた寧丸は再びゆきんこの前に屈んで、楽しそうに笑うと「ゆきんこ。お腹すいた?」と尋ねる。ゆきんこは不慣れに拳を差し出して握られた手の甲を上に向けた。寧丸が最近教えたのだろうか。寧丸も同じ拳を作ると彼女の拳に軽く当てた。
「それはなんだ?」
訊けば寧丸は屈んだまま首を向けて「挨拶かな」と笑う。「よし」と気合を入れた寧丸はそのまま起立し、結界の失われた空洞へ進んでいく。ゆきんこもそれに着いていき、僕と入佳もそれにならう。そこへ、みんなより早足で歩くうり姫の姿が、次々に僕らを追い越していった。彼女は何も言わず、空洞の手前まで来ると立ち止まった。僕らへ振り返った彼女の表情はいつもの無表情で、だけどいつもの親しみやすさは無いように思えた。僕らの足も自然と止み、「うり姫?」と寧丸が怪訝そうに訊ねる。
「余の名は常世うり姫。又の名を天御母神という」
厚底を合わせ背筋を伸ばしたうり姫は、両手を重ねて僕らを眺めた。その瞳は冷たく、目前にある行き先へ僕らの足が向かうのを拒んでいるように見えた。
「生命とは有限。その限りある命の中で万物は生死を循環し繁栄していく。余はその無限の営みを尊ぶもの。私欲を理由に余がそなた達を見過ごすのは万物の名誉を汚す行為。——よって、余はここを通さない」
ゆきんこが無差別に怪奇を食べる行為をうり姫は反対しているらしい。しかし、手前にいた寧丸が抗議した。
「んなこと言って、さっきアンタからウチらに助言してたっしょ?」
「できると言っただけ。許すとは言っていない」
「なにそれ。自慢したかったワケ?」
気が立って、寧丸はうり姫に近寄った。後ろからだったけど、恐らく睨んでいるのだろうというのは伝わってきた。
「いつもは何かしら口実つけて筋立てするのに、なんでこんな時に限って神様ぶってんの。万を助けに行くんじゃないの?」
「……余は総てが大切だから。万はあの世でも生きている。けれど、食べられた怪奇はあの世へも行けない。完全なる死。それを看過することは、余にはできない」
「なら、他に案はあるの?」
寧丸の質問に、うり姫は寧丸を見つめながら首をやや傾けた。心配になって近づいてきたゆきんこが寧丸の袖を引っ張って、まだ何も言わないうり姫を見上げた。
「寧丸は、余を止められる?」
静かに言ったうり姫に、寧丸は聞き返そうと喉から声を出すが、うり姫は一人空洞の中へ飛び行った。眩い光はあっという間に遠ざかるうり姫の姿を隠し、慌てた寧丸も「待ちな!」と空洞へ飛び込んだ。ゆきんこもそれを追って中へ入っていく。
「……僕らはどうするべきだ」
同じように取り残された入佳に訊く。寧丸達が去っていった空洞をしばらく見つめていた入佳は僕の声にハッとして振り向く。
「分からないけど、でも、追いかけましょう」
僕の隣にいた入佳も下駄を捨てて走り出す。何故下駄を脱ぐ必要があったのか。僕は入佳の脱ぎ捨てた下駄を拾って後を追いかけた。入佳の遠ざかっていく足はいつもより速く、脱ぎ捨てた理由はすぐに分かった。
「まて、置いていくな!」




