玖ノ伍夜 幽明異境
何となく入佳の後を辿るつもりで町へ戻って、同居人の家の前まで戻ってきた。すると丁度向こうから戻ってきた寧丸と合流する。
「成。万は見つかった?」
「いや……。ところで、入佳とすれ違わなかったか」
「え、何。入佳までいなくなったの?」
内心で焦って目を丸くした寧丸に「違う。うり姫を探しに行っただけだ」と答えれば「なんだ」と胸を撫で下ろす。
「入佳はなんだって?」
「そこまでは聞けていない」
入佳は何かに気づいた様子でいたが、うり姫と何を話しに行ったのかは想像がつかない。
「直前に、月が消えたことを話していた」
そこまで打ち明けると寧丸は「ああ、月ね……」と突然暗い顔をする。「何か知っているのか」と訊けば、寧丸は渋々といった調子で教えてくれた。
「万はさ、月の神なんだよ」
「月の?月は冥界の神じゃないのか」
寧丸の目線は斜め下に逸れて俯く。手元を見れば、作られた拳が固く握りしめられていた。
「万はお菊を黄泉の国まで追いかけたせいで怪奇になって、冥界の神になったんだよ。でも、冥界の神は現世に居られない。だから万は冥界に戻って月が消えたんだと思う」
「万は黄泉の国まで追いかけて、母に会えたのか」
「……普通ムリっしょ。烏夜国では毎日のように生死が循環してる。肉体のない数多の魂がうようよいる場所に行ったって、見つかりっこない。なのにあの馬鹿は黄泉の奥まで踏み込んで、結局冥界の神になって帰ってきた。そのせいで日の神は嘆いて、百年も朝が消えた」
月とはなんだと万へ聞いた時に、あいつは冥界の神だと答えていた。自分自身のことだから答えられたのだろう。うり姫が下界へ降りてきたと知って顔色が悪くなったのも、朝が来なくなってしまったのは自分自身のせいだから。今までずっと、万はそんな事まで隠していたのか。
「万は、自らが冥界へ戻るのを知っていて、嫌われる為だけにあんな嘘をついたのか」
怒りを抑えて低くなる声色に寧丸は察する。
「まさか——あの馬鹿、成が黄泉の国まで探しに行かないように自分が仇ってことにして消えたわけ?」
「結局、僕が何日も探す羽目になっているとも知らずに、万はいつも自分の都合ばかりで、また僕を振り回す。本当に腹が立つ——!」
寧丸が「成……」と呟くのが聞こえる。自分の拳に力が入り、心底腹が立っているのだと気づけた。
「万に会いたい」
静かに告げれば、視界の端で寧丸が微笑んだのを見た。顔をあげると寧丸と目が合う。
「ウチもおんなじ」
だけど寧丸は「でも万は」と呟けば目を逸らして悲しそうに笑った。——万はもう、冥界に行って戻ってこない。
そんな時、頭上から「成。寧丸」と呼ぶ声が聞こえ、一人の少女が僕らの真横に降りてきた。
「うり姫。入佳と一緒じゃないのか?」
「入佳は黄泉の国へ向かった」
淡々と語ったうり姫の暴露に衝撃を受け、寧丸の「なんでそんなこと」と叫ぶ声が通路へ響いた。
「追いかける?」うり姫が首を傾げて訊く。
寧丸が「当たり前っしょ」と言ったのを合図に、僕らは町を駆け出した。
☽
結界を目指して走る道中、宝守神社の前を通り過ぎようとした際、あたしの足は思わずもつれて転んでしまった。
「きゃ——」
倒れた拍子に靴が脱げ、少し後方へ転がってしまう。ちょっとだけ厚底の履物は、やっぱり走るのには不向きだった。あたしはもう片方の靴も脱ぎ捨てて足袋を汚すのも覚悟してしまおうと思った。そうして脱ぎ捨てようと片方の足先を履物にかけた時、幼くて可愛らしい声があたしの後ろから名前を呼んだ。座りこんだまま振り返ればゆきんこちゃんが、簡易な白花の飾りがひとつついた鼻緒の厚底を両手に置いて、あたしを見下ろしていた。
「入佳」
「ゆきんこちゃん、どうして……」
「入佳。どこ行くの?」
ゆきんこちゃんは僅かに眉を下げたまま髪を揺らした。あたしの慌てた様子がゆきんこちゃんに伝わってしまってはならないと、咄嗟に誤魔化した。
「ええ。ちょっとしたお出かけよ」
「ゆきんこも行く」
ゆきんこちゃんは真剣な顔で一歩を踏み出し、あたしにお願いした。
「ゆきんこちゃんは行けないのよ」
「危ないところだから?」
「そんなことないわ。ただ——」
どう誤魔化そうか頭を巡らせていると、ゆきんこちゃんはしゃがんで、あたしの顔を覗き込む。
「入佳。嘘ついたら、食いしんぼの怪奇がいっぱいやってきて、入佳のおにぎり、ぜんぶ食べられちゃう」
「えっ?」
「寧丸から教わった」
寧丸さんはゆきんこちゃんに色んなことを教えているのだろう。そして、そんな寧丸さんをゆきんこちゃんは慕っている。ゆきんこちゃんは寧丸さんから沢山学んでいるから、あたしの嘘も気づけたみたいで、あたしももう誤魔化すのは終わりにした。
「——黄泉の国へ行くの。万さんを助けなくちゃ」
「お手伝いする」
「だめよ。ゆきんこちゃん、黄泉の国は危ないところなのよ。ゆきんこちゃんに何かあったらあたし、立ち直れないわ」
ゆきんこちゃんの柔らかい髪に触れ、繊細な水縹の髪を撫でた。それでも真剣な彼女の眼差しは変わらず、一人行かせるのを嫌がった。
「でも——家族だから」
ゆきんこちゃんは言う。その言葉にあたしの髪を撫でる手は固まって止んだ。
「入佳はお母さんで、うり姫はお姉ちゃん。万はお父さんで成は妹。寧丸も仲間だから、寧丸もいっしょ。みんな、ゆきんこを仲間に入れてくれた大好きな家族。だからゆきんこ、家族の為になにかしたい。ゆきんこを頼って?入佳」
上弦家——。あの会話をゆきんこちゃんはずっと覚えてくれていたのだろう。あのなんてことない会話はゆきんこちゃんにとって大事な思い出だったに違いない。
寧丸さんと初めて出会った日、彼女はあたしのことを知っているようだった。きっとあたしが寧丸さんと出会う前からずっと、ゆきんこちゃんはあたし達との思い出を語っていたのだろう。あたしに寧丸さんのことを語っていたように。
ゆきんこちゃんにとってみんなは大切な仲間。家族と呼んでくれるほどかけがえのない仲間なのだろう。それならあたしは、このままゆきんこちゃんの気持ちを台無しにしてしまって良いのだろうか。
「お願い、ゆきんこちゃん。あたしを結界の前まで連れて行って欲しいの」
ゆきんこちゃんは忽ち頬を染めると激しく頷いて喜んだ。そうして両手を上へ無邪気に広げると、空間はあっという間に変わって、ゆきんこちゃんと初めて出会った日の、あの不思議な異空間へ移っていた。ゆきんこちゃんの玩具がいっぱい揃った長い廊下の先には、水墨画の描かれた見覚えのある襖が佇んでいる。
「ここはゆきんこの好きなものだけ集めた場所。だからここに来ていいのも、ゆきんこの大好きな人だけ」
「つまり、ゆきんこちゃんはあたし達と出会う前から、あたしと成さんのことが好きだったの?」
あたしはゆきんこちゃんのことをちょっとだけ揶揄うつもりで微笑んだ。たれ目の瞳はあたしを見て、きょとんとしている。
「入佳は綺麗で格好良くて、成はおにんぎょと同じ匂いだったから」
……揶揄おうとしたお返しかもしれない。ゆきんこちゃんに口説かれちゃった。
「ここは好きなところにも行けるの。あととっても安全」
「さすがよ、ゆきんこちゃん。行きましょう!」
あたしが履物を履いて走り出したのと一緒にゆきんこちゃんも走り始めた。そんなゆきんこちゃんの小さな手にあたしの手を伸ばせば、温かいてのひらが指を掴んだ。襖を何度も越えて、やがて最後の襖を開くと、出口には枯れた鬼灯が囲んだ空間の中央に、結界の岩を失った空洞が黄色い光を放って待っていた。
「到着?」
「ええ。手伝ってくれてありがとう」
ゆきんこちゃんが照れた頬を両手で押さえて「えへへ」と揺れ動くのを眺めていると、「入佳!」と叫ぶ成さんの声が真上から聞こえた。見上げると成さんは木々より高く浮いてあたしを見下ろしていた。
「成が、飛んでる……?」
ゆきんこちゃんの声に気がついた成さんが、彼女に気づいて目を丸くする。
「ゆきんこ?」
成さんの後から寧丸さんやうり姫さんも追いついて、うり姫さんはともかく、寧丸さんまで空を浮いていた。
「みんな、どうして——」
☽
——少し前——。
光が無くなれば結界が完全に無くなるとうり姫から聞かされてはいたが、影響はもう手遅れなほど町中に広がっている。怪奇はそこら中に溢れかえり、行く先先で道を阻まれる事態だ。しかも妖刀は装飾の内部に閉じ込められて使い物にならない。
「ああもう!ホントなんてことしてくれてんの?あのボケ万!」
寧丸は怒り心頭なのだろう。暴言を吐きつつ向かって来た怪奇を素手で殴り飛ばしている。
「入佳が黄泉へ行く前に間に合うのか?」
「いや、そもそもこんな状況で入佳も無事に辿り着けてるかどうか……」
寧丸はようやく落ち着いて僕の隣に立つ。うり姫が屋根の上から随一怪奇の居場所を知らせてくれてはいるけれど、それでも進んだ距離は極わずか。結界まではまだ遠く、辿り着くまでの時間を考えると気が滅入る。
「余の神通力を貸そう」
そう言ってうり姫は一度屋根から降り、僕らのそばに近寄った。うり姫が僕らへ指先を伸ばすと、赤い金魚が数匹僕らの周りを囲んだ。
「なに?強くしてくれんの?」
「空を飛べる」
うり姫の返しに寧丸はやや苦笑いで「そっちの方が早いか……」と目線を逸らす。ほんの少し期待していたのだろうか。
「——うわっ!?」
突如、僕の身体は地面から離れ、全身は打ち上げ花火の如く空高く持ち上がった。しかしすぐに安定して下を見下ろせば、寧丸は驚いて目を丸め、うり姫は普段の表情で見上げている。
「……結界はどっちにある」
うり姫は顔の向きを変え北を向く。その方角へ静かに指をさされれば、その先には木々で覆われた山があった。
「わかった」
山の方へ身体は向かい、苦労して進んでいた町中はあっという間に通り過ぎていく。寧丸とうり姫も続いて飛び上がり、すぐに追いついた。
「空を飛ぶ怪奇もいるから、気をつけて」
「そうする」
しかし月のない烏夜国は一段と暗く、遠くの山も見えづらい。よく目を凝らさなければ、うり姫の言う通り怪奇とぶつかってもおかしくはない。と、注意していた時だった。うり姫が「あ、」と声を漏らしたのが聞こえ、何か気づいたのかと訊こうとした。——しかしその頃には遅く、丁度正面に向かってきていた人面の怪鳥が、間もなく顔面に衝突した。
「ふえっ」




