玖ノ参夜 行方知れず
月のない夜空は烏夜国をより烏夜国らしくしているのに、千本鳥居も藤の森も桜並木も、変わることなく雅やかに灯り続けている。僕は万を探して、一週間も避け続けた明かりのある場所を、つまりは万との思い出がある場所を手当り次第駆けた。「万。いるのか」「万。返事をしろ」そんな言葉を叫びながら、僕と万が喧嘩したあの湖でさえ隈なく探した。けれど見つかることは遂になく、三日後に宝守神社を訪れた。竹箒を掃く手が止まれば寧丸は僕を見つけて「どしたん?」と微笑む。
「最近、万と会ったか?」
「会ってないけど、まだ帰ってきてないの?」
僕が頷くと寧丸は頭を抱えため息を吐く。「あの馬鹿」と呟くのが聞こえた。
「……探してくる」
寧丸に別れを告げ、踵を返せば宝守神社を後にしようとする。しかし、背後からの「待って」という声に足を止めた。振り返ると寧丸は竹箒を放り、自らの胸元に手を当てる。
「ウチも探すよ。手分けして探した方がきっと早く見つかるっしょ」
「仕事はいいのか」
「娘に心配かけさせる馬鹿な父親にガツンと言ってやらないとじゃん?」
寧丸は僕の元へ近づいて手を握った。「いこ」と微笑むと繋いだ手を引いて鳥居を潜り、石段を降りる。
「ウチは知り合いの怪奇をあたってみるよ。成も聞き込みをお願い」
確かに、闇雲に街中を歩くより第三者に聞いて回る方が有力だろう。手が離れ「またあとで」と告げる寧丸に「ありがとう」と返せば、寧丸はさらに微笑んだ。「成もがんば」
寧丸は背を向けて去っていき、それを見送った後、僕も反対の方を駆けた。
怪奇を恐れるせいで人気の少ない町中で、人影を探すのもやや苦労した。それでも見かけた人に片っ端からあたって、帽子を被った瓶覗の眼の男を見なかったかと伝えた。首を振られたら、また別の人にあたった。しかしほんの僅かな手がかりすら見つかることはなく日付は過ぎていく。聞き込みだけではなく、気になるところがあれば向かって、竹藪の中も隈なく探した。それでも万は見つからなかった。
万になにかあったのではないか——。そんな懸念が募り、いつの間にか寝ることさえ忘れていたらしい。気がつけば玄関に倒れ、心当たりのない羽織が掛けられていた。同居人のものだと気がつけば、僕は紙と筆を手に取って「ありがとう」と置き手紙を書き、畳んだ羽織のその上に置く。そしてまた家を出て万を探しに行けば、塀を曲がったあたりで不意に声をかけられ足を止める。正面には入佳がいた。
「——成さん?」
「訪ねに来たのか」
「ええ。寧丸さんから話は聞いているわ。万さんが帰ってきていないのでしょう?あたしも昨夜から探しているの」
「入佳が探す必要はないだろ」
「あたしも万さんのお友達よ。あたしだけ何もしないのは却って落ち着かないもの」首を傾け、笑顔を向けられる。そして入佳は僕の顔を見て続けた。
「でも成さん、人探しに夢中でお疲れでしょう?少しだけ休まない?」
「いや、僕はいい——」
断ろうと振った手を捕まえられ、入佳は僕を連れてどこかへ向かっていく。しばらく歩いて森の狭い遊歩道に入っていくと、見頃を終えた葉桜がちらほらと木々に混じって見えた。細く柵のない木製の橋を渡ると、さほど大きくない池には赤く大きな盃が手鞠と共に満遍なく浮いて、空中には早めの蛍が舞っていた。最近はかなり暖かいから出てくるのが早いのだろうと入佳は言う。橋のそばには小さな滝があった。
「ここで休むのか?」
「あたしのお気に入りの場所なのよ。小さな頃から悲しいことがあったらここへ寄るの」
入佳は落ち着くからと付け足す。草木や水の匂い、滝や風の吹く音、そういうのが落ち着くそうだ。入佳が橋に座ってつま先で水紋を作るのを見て、僕も隣に座った。黒い池に蛍が数匹近づけば、黄色い光がゆらゆらと付近を照らし、輪郭だけだった手鞠の模様が円く映った。
「ごめんなさいね。あの日、あたしが取り乱してしまって」
「別に入佳は悪くない」
入佳は僅かに目を丸くして、また優しく笑む。
「でも良かったわ。成さんは万さんが言ったこと、もう本気にしていないのね。万さんが仇だなんて、そんなの嘘だもの」
寧丸の話によって万が母を殺したわけではないと知った。けれど、だからこそ一層わからなくなる。どうして万はあんな嘘をついたのか。
「成さんは万さんと仲直りしたいの?」
「……あいつは僕に本当のことを話そうとしてくれない。そんなあいつを、僕はどう解ればいい」
言い終えるとあたりは滝の落ちる音だけが流れ、しばらく沈黙が続く。やがて「そうね」と入佳が口の中で呟くのが微かに聞こえた。
「あたしも万さんの全てを知っているわけではないけれど、それでも万さんは成さんのことを心から愛していたって、あたし、なんとなく分かるのよ」
入佳の言っていることが理解できず、入佳の顔を睨む。
「愛ってなんだ。人を散々振り回すことが愛なのか」
「万さんがどんなに成さんを怒らせても、それは成さんを嫌ってやったことではないわ」入佳はそう言って笑う。
「あたしは成さんのこと大好きよ。ゆきんこちゃんも、うり姫さんも、寧丸さんも、万さんも。みんな成さんのことが大好き。
愛っていうのは、大切な誰かがいて、誰かを大切に思う気持ちのことじゃないかしら」
「万は僕を雑に扱う。その末に万から離れていった。それなのに万が僕を愛していたというなら、万のしたことは入佳の言ってることと矛盾する」
「不器用なのよ。成さんだって、自分の気持ちを理解するのは得意ではないでしょう?」
……そうなのか?自覚はない。いや、そもそも自分の気持ちを分かっていないなら、無自覚なのは当たり前だ。…………つまりそうなのか。
「万も自らの内心に気付いていないのか?」
「万さんはきっと自分の感情を正直に話すのが苦手なのよ。あたしが怪奇さんと仲良くしたいと言って怒るのも、あたしを心配してくれていたのね」
入佳は胸元に手を添える。万と入佳が衝突する時は、いつもその話題ばかりだ。過去に妻がそう願って死んだことをまだ引きずっているのだろうか。普段の万からは考えつかない。
「万があの時嘘をついたのも、理由があるというのか」
「きっと成さんには言えない思いがあったのだわ。成さんを愛していたからこそ言ったのよ」
「……全くわからない」
「ええ。だから確かめましょう?仲直りしてとは言えないけれど、でも、あたしは仲直りした方がいいと思うの。だって二人ともとっても仲良しなんですもの」
添えた両手に入佳の手が重なる。入佳は前のめりになって僕の顔を覗き込んでいた。いつも通りの入佳の明るい笑顔に僕は、普段の他愛ない会話と同じように答えた。
「……出鱈目だな」
「あら。そんなことないわ?」
橋から立ち上がると身体が軽くなっている感じを覚えた。入佳の言う通り少しだけ疲れていたらしい。入佳は組んだ指先をうんと前に伸ばし「体を伸ばすと気持ちが良いのよ」と教えてくる。入佳の体勢を手本に真似て同じように腕を伸ばせば、確かに心地よかった。もう一度入佳の方を見れば、丁度彼女の伸ばした手の指先に蛍が止まった。入佳はそっと手を戻し、僕に近づけて見せた。「見て、とっても綺麗」
その光に僕は花火の記憶がよぎり、思い至った。
「入佳。花火を上げられるか」
入佳は不思議そうな目で僕を見る。
「できるけれど」
そう言って帯留めに着いた装飾を取れば魔法少女に変身しようとした。けれど、装飾の蝶番を開いても、そこには硝子に埋め込まれた和傘があるばかりで何も起きなかった。
「まあ……どうしてかしら?」
入佳が蝶番をもう一度開いて確認する傍ら、僕も気になって胸元に着いた装飾の蝶番を開いた。いつもなら伸びてくるはずの小刀も今日は反応しない。お互い何故だか変身できなくなっていた。
「お家に打揚筒があるから、それを持ってくるわ」
「平気か」
「慣れているから大丈夫よ。花火師だもの」
自信ありげに笑って、入佳は家へ戻りに橋を駆けていく。その後を僕も追いかけた。
「菊花火を多めに用意してくれるか」
「ええ、任せて!」
☽
広い湖で淋しげにある赤い鳥居の周りに筒を設置した。赤い鳥居と金魚の模型に、花火を背景に合わせたら芸術的だろうと入佳が選んだ。僕も設置を手伝い、入佳の指示に従いながら細かく位置を合わせた。
「ところで、どうして花火を打ち上げるのかしら」
丁度入佳の隣にあった筒を動かしている時に、入佳から質問された。
「入佳の花火だって分かれば、僕らが探していることに気づいた万が戻ってくると思った」
万のことを思い浮かべながら筒を動かす。入佳は一旦作業を止めて、かと思えば微笑まれた。
「成さんは、万さんに戻ってきて欲しいのね」
「それがなんだ?」
「成さんは気づいていないだけで、万さんのことが大切なんじゃないかしら」
「……」
……何も言わないでいると、ふと入佳が慌てたように告げる。
「あ、筒の中を覗いてはだめよ。もし誤射すればお顔が飛んでしまうから」
入佳の言葉に驚いて、咄嗟に後ろへ下がった。
「……危ないんだな」
設置が済んで入佳に「後はあたしがやるわ」と伝えられる。
「手伝わなくていいのか」
「打ち上げは慣れてない人がやってお怪我してしまうといけないから……」
そう言われて僕も納得した。顔が吹き飛ぶのは御免だ。
「分かった。あとは任せる」
走って、黒い下駄が水面を叩き、かなり遠く離れたところで入佳の花火が打ち上がる音が聞こえた。振り返ればかなり遠ざかった鳥居を背景に、極彩色の菊が満開になって空を彩っていた。
寧丸たちと手持ち花火をした時の記憶が蘇る。母は花火が好きだったと寧丸は言っていた。万もよく、母と花火を見ていたのだろうか。
……やがて花火は全て打ち上がり、終わった後は鳥居の明かりだけが残り、あたりは再び真っ暗になった。——万はやはり戻ってこない。代わりに向こうから入佳が走ってきているのが分かって、僕も入佳の方へ急いだ。花火が終わったことで、僕は月が消えたことを思い出した。
「成さん!楽しんでもらえたかしら」
「万のための花火だろ」
「だからって成さんが楽しんではいけない理由なんてないわ」
そう言われ、僕は綺麗だと思ったことと、御礼を伝えた。入佳は嬉しそうに頬を赤らめて笑う。
「——ところで入佳。月が消えることはあるのか」
入佳は真剣な表情に戻って、やがて首を振る。
「いいえ。伝承では夜が明けなくなってから百年、一度も消えたことはないはずよ」
百年一度も消えたことのない月が忽然と姿を消してしまった。「万が居なくなったことと何か関係があるのか?」そう呟くと、入佳も僕と同じように手を顎に添えた。僕はそんな入佳の顔をしばらく見て、長い沈黙が続く。「もしかして」と入佳の声に沈黙が断たれ、彼女は僕の横を通り過ぎて何処かへ駆け出した。
「何処へ行く?」
「成さん。うり姫さんっていつも何処にいるかしら?」
そんな事を突然言われても、僕には分からない。そう喉まで出かかったところで、ふと前の出来事が浮かんだ。寧丸に仲間の魔法少女を紹介していたあの日、うり姫は確か、僕の家にのぼって空を見上げていた。
「以前は屋根の上で月を眺めていた」
「ありがとう!」そう告げて入佳は先を急ぐ。何をしに行くのか、訊く余裕はなかった。
☽
成さんと別れて町中を行けば、屋根屋根を念入りに見上げながら、うり姫さんを探した。成さんのお家の屋根、宝守神社の屋根、あたしの家——。短い回廊を越えた先の別邸の屋根に、空を見上げる人影がいた。人影はあたりの光に照らされ、仄かに服の色や髪の色をうつし、白い髪は風になびき、背中を向けている。あたしは竹で作られた簡易な梯子を持ってきて屋根にかけた。その登ってくる音に気がついた人は、顔をほんの僅か斜めに向けたあと、静かに振り返った。うり姫さんは、屋根のいちばん高いところであたしを見下ろしている。あたしは訪ねた。
「空を見ていたの?」
「月を見ていた」
そう答えられて、あたしは思わず月を探してしまう。けれど、どこを見上げても月は見当たらない。
「月なんて何処にも……」
「そう。消えた月を見ていた。入佳はどうかした?」
頷くと、あたしもうり姫さんのところまで登ろうとした。登ったことのない屋根は着物も相まって登りにくくて、途中でうり姫さんが手を貸してくれた。初めて登った屋根の上は思ったより高く、足場も狭くて心細かった。けれど、あたしにはどうしても伝えなければいけないことがあるからと、うり姫さんと真っ直ぐ向かい合った。
「万さんのことよ」




