玖ノ弐夜 墓参り
帰ってくれば、同居人はいつもと変わらず「おかえり」と返してきた。普段なら僕の隣には何故か万までいて、何故か一緒に生活しているのに、ここ最近は姿もない。あんなことがあった後で平然と隣に居られる方が困るけど。——万と喧嘩したあの日から、今日で七日だ。
「——成。いる?」
戸の向こうからくぐもった声がした。寧丸だ。証拠に玄関外の提灯で彼女の影が濃く映っている。どうかしたのかと訊けば、返事はすぐに返ってきた。
「ゆきんこから、成が元気ないって聞いて心配になってさ。どう?ちょっと話さない?」
出れば少し微笑んだ寧丸が、小箱をひとつ持って訪ねてきた。中へ招いて廊下を進むと、いつものように立て付けの悪い扉が現れる。
「ここも随分古くなったね」
寧丸は言いながら、僕が扉を開けるのを手伝った。開くなり、彼女は懐かしげに中を見回す。
「この家を知ってるのか?」
「成の家は元々親友の家だったんだよ」
そう明かされると、思わず僕も寧丸のように中を見回してしまった。寧丸はそんな僕の反応は気にせずに、微笑んで小箱をくれた。
「そんなことより、これを渡しに来たんだ」
寧丸曰く、寄木細工という箱らしい。様々な模様が施された四角い小箱を寧丸は「開けてみ」とすすめてくる。
「元々は親友への祝い品の予定だったんだけど、持て余してもなんだし、成が貰ってよ」
「……分かった。ありがとう」
寄木細工とは小物入れか何かだろうか。ひとまず開けて確認しようとすれば、寧丸は不意に思い出した様に目を見開く。
「あ、親友と重ねてるんじゃないからね!?」
「そのくらいは分かってる……」
早速小箱を開けようとするが、どこを引っ張ってみても箱が開く気配がない。押してもだめだった。
「……これ、どうやって開けるんだ」
「ちょっとコツがいるんだ。成は何秒で開けられるかな」
わざと簡単には開けられないよう細工されているらしい。先人は何を思ってこれを作ろうとしたのだろう。……実際に三分もかかった。
「成が一番大切なものをいれなよ。成のお守りだから」
大切なもの、と言われてもよく分からなかった。家の鍵でも入れておけば良いだろうか。
「母はこういうものが好きだったのか?」
寧丸の顔を見た。彼女の柔らかい笑顔と目が合った。
「さあ。でも好き嫌いはしない子だったよ。まあウチがそれをあげようと思ったのは、親友の好物で喜ばせたかったんじゃなくて、親友の願いが叶って欲しかったからなんだけど」
「母の願い?」
「人と怪奇が仲良くなりますように。だってさ」
それを聞いて、僕の母は入佳みたいなことを言う人なんだな、と思った。そしてかなり前のことを思い出す。そういえば人と怪奇は共存できるはずと訴えた入佳に、万が怒ったことはなかったか。そんな幻想ごときに夢を抱けば、待っているのは破滅——。と。
「もしかして母は、そう願ったから死んだのか」
訊けば、寧丸は驚いて固まる。「なんで分かったの」と返された。けれども寧丸は僕の返事を待つより先に僕への返答を続けた。
「その通り。親友は願いを叶える為に成を産もうとして、その為の儀式の最中に殺された」
「……僕は、その殺した奴の首を断てばいいのか」
いつもと違って声は小さく、はっきりと出なかった。僕は仇討ちのために産まれたと、ただ仇を探すために今まで生きてきた。それなのに、何故だか今は鬼との約束を果たせる自信がない。
「違うよ」反対に寧丸ははっきりと言った。僕は抗議した。
「どういうことだ。お前が僕に仇討ちを命じて、その為に蘇らせたんじゃないのか。僕に裏道を通らせてでも」
「成は……勘が鋭いね」
口を滑らせたかと思い、曲げた指先を口元に添えた。蔵での出来事はゆきんことの内緒だ。けれど寧丸は深く追求することはなく、また続ける。今度はもう笑顔はなく、僕から目を逸らし、やや俯きがちだった。
「確かに、あの空間はウチが成を蘇らせるために開けた世界の穴。時間は賽の河原と同じでも、穴で過ごした分だけ歳が重なる。成は十三年過ごしたっしょ」
「その話題は間に合っている」
「仇討ちっしょ?安心して、ちゃんと話すから」寧丸はまた微笑んで僕を見た。
寧丸は中央のちゃぶ台に腰掛けて立ち話もなんだしと僕を促す。ちゃぶ台に着くと、丁度寧丸と向かい合わせになった。
「ウチ、ずっと後悔してんの。みんなで旅行へ行った日、成が仇討ちを終えたら殺しにくるのかって聞いた日から、成がそんな風に思いながら生きていることに、どうして気づいてやれなかったのかって。もっといえば、成と再会した時、勿体ぶらず仇を教えてやれば良かった。
成。ウチはアンタに復讐して欲しいわけじゃなかったんだよ」
ごめん、と頭を下げられた。横髪が垂れて寧丸の顔に薄い影ができる。その瞬間、僕はもっと自分の戦う意味が分からなくなった。
「なら、仇討ちってなんなんだ」
「ウチは、仇討ちって復讐だけじゃないと思ってる。誰の首をとるとか、家を燃やすとか、それだけが未練を晴らすことではないと思ってんの。だから成は、母親の代わりに誰かを殺さなくたっていい。成。アンタには親友の願いを叶えて欲しい」
「共存か」
「それもそうだけど……親友はその為だけに成を産もうとしたんじゃないよ。親友は成をどう想っていたか、成が当ててみて欲しい」
寧丸から目を逸らし、裳の表面に埋もれる自分の両手が目に入った。そんな事を言われたって、母はもうこの世に居ないのだから、分かるはずがない。それでも、寧丸は僕が絶対に分からない問題を押しつけている気がせず、しばらく頭を巡らせた。母は僕をどう想っていたか。心中で言葉にすると、ふいに万との記憶が言葉と同時に流れ込む。
——母親はずっと成に願っていたそうじゃ。幸せになって欲しい。とな。
まだ魔法少女になってもいない頃、オロチと戦ったあの日。万が僕に語ったことだ。確か、僕は母が僕に持っていた愛を知りたいと願い、魔法少女になった。
「母は、僕を愛していた……?」
寧丸に目を向けると、彼女は「正解」と肩を軽くあげて笑う。そして、寧丸は続ける。
「生きて、成。誰かに愛されながら、幸せを感じて、すくすく育って欲しい」
「それが鬼の言った仇討ちなのか」
寧丸が笑顔のまま頷いた。母の未練を晴らすには、幸せになって成長すれば済む話だった。なら、僕が魔法少女になった理由はなんだ。やはりなんの意味もなかったのか?
「僕が戦う意味はなんだ」
僕が悩んで出した問いかけに、寧丸は然もありなんといった様子で答えた。
「それは多分、万の願いだと思うな」
「万?」寧丸に聞き返す。
「成はあんま人を頼らないっしょ。だから万も心配だったんじゃないかな。成と一緒に遊んで、苦労して、仲良くしてくれる友達を作ってあげたい。だから一々魔法少女なんて造語で仲間を増やしてたのかも」
前々から、万のいう魔法少女の素質が分からなかった。怪奇のゆきんこでも魔法少女になれるなら、味方になってくれそうな怪奇は入佳の言う通り沢山いた。片っ端からそういう怪奇を魔法少女にして戦わせたらいいじゃないか。けれどこの『素質』は、僕の友達になってくれそうな人という意味だったのだろうか。
「戦わせる必要はなかっただろ」
「あの子の願いも叶えてあげたかったんじゃない?親友は人と怪奇が仲良くしてくれるのを、同じように願ってくれる人を望んでた。でも万は知ってた。力のないものが同じように願ったって、親友と同じ末路を辿るだけだって」
だから戦わせたと?僕を魔法少女にして、魔法少女を増やして勝手に頼んでもいない友達作りをして、母の願いも一緒に叶えようとした?
「なぜ万はそこまでする。あいつは単なる怪奇だ。僕の人生なんか知ったことではないはずだ。なのになぜ、そんな勝手なことばかりする」
僕の訴えに、寧丸は静かに答える。
「成の父親だから」
…………——思考が止まった。寧丸は今何を言ったのだろう。万が、僕の父親?
「……どういうことだ」
「アイツさ、親友の味噌汁を飲む為だけに、雨だろうと風が強かろうと毎朝会いに来てさ。すっごい幸せそうだった。旅行の日も成が初めて作った味噌汁を渡しにいったら、馬鹿みたいにニヤニヤしちゃって。人の扱い雑で不器用で軽口ばっかのくせに、成の成長を人一倍喜んでた。万は万なりに、成のこと愛してたんだろうよ」
全く分からない。万は僕を愛していた?成長を喜んでいた?そんなこと教えてくれた試しがない。いつも隠し事ばかりして、そうやって肝心なことは教えてくれない。やっぱりあいつは信用できない。信用するべきじゃない。
「……なんなんだ、それ」
「急に言われちゃ、そりゃ分かんないよ。だから少しずつ考えて、で、とっとと仲直りしな」
寧丸は僕の肩を叩く代わり、ちゃぶ台を軽く鳴らして立ち上がった。その顔はすっきりした様な笑顔だ。
「さて……ウチはまだ仕事があるから御暇するね。色々混乱させちゃってごめん」
寧丸は手を振って踵を返す。そのまま立ち去ろうとする彼女に、僕は慌てて立ち上がった。
「待て、あとひとつ教えろ」
引き止めると不思議そうな目で振り向かれた。僕はそのままの勢いに任せて尋ねた。
「母は、なんという名だった?」
ずっと聞きたくて聞けなかった疑問。寧丸は「ああ、」と呟いて微笑む。
「——お菊だよ」
寧丸が帰るのを黙って見送ったあと、僕は呆然と万のことを考えていたように思う。母はお菊という名だった。その名前を唱えて思い浮かぶのは、夜空に浮かぶ真っ白な菊花火。
——あの大きな花は菊と言ってのう……咲いた途端に丸く広がる姿がそのように見えるじゃろ?
——花火が好きなのか?
——んー?怪奇が美しいもの好きでもよかろう?
あの日僕は、万があまり陽気に見えたから「変だな」と返した。あの後、万は一体どんな表情をしていたのだろう。
菊花火といえば、万がゆきんこと仲良くなろうと必死になっていた期間、覚という怪奇と出会った。心を読む怪奇だった。
——菊…………菊……
——なるほど、これは凄いのう。菊花火のことじゃろうか。
あれは本当に菊花火だったのだろうか。今となっては確かめようがない。けれど何となく万が誤魔化していたように思うのは、僕があれこれ考えているせいだろうか。
ふと、万のことを考えているうちに庭先が気になった。万は気が付けばよく庭にいた。手入れだの風を浴びていただの言っていたが、いつもいるのは一箇所だった。僕は庭へ出て万がよくいたその場所へ近づいてみる。そこには三つ重ねられた積み石が雑草に隠されて置かれてあった。積み石といえば、僕が賽の河原でいつもしていたことだ。
……万も水子なのか?
そんなことを考えながら、僕はしばらく積み石を眺めていた。そうしていたら、積み石のすぐ手前に土に埋もれた紙のようなものが見えた。僕はしゃがんでそれを引っ張り出し、折り畳まれてあるのを開いてみた。内容は『お菊へ』から始まり、近況報告と僕についての話題。万が書いたもので違いないだろう。……なら、これは母の墓かと手紙を再び埋め直した。墓荒らしはよくない。
そして僕は、何を考えたのかは分からない。けれど急いで部屋に戻ると紙と筆を持ってまた石の前にしゃがんだ。ただ何となく、僕も手紙を書こうとした。『——母へ』
『僕は今、万に魔法少女になれと言われて一年、仲間と一緒に魔法少女をしている。魔法少女っていうのは万が勝手にやり始めた、怪奇を退治する集まりで、だから母の共存の願いは果たせていない気がする。愛とか成長とかもよく分からない。多分、果たせていない。
万は最悪だ。戦略だとかぬかして僕を平気で投げ飛ばす。作戦も無茶振りばかりだ。そのうえ、簡単に僕を置いてけぼりにして悪びれもしない。万は僕をなんだと思っている?軽口は叩くし隠し事ばかりする。言い訳はするし、何を考えてるかも分からない。人が怒っているのにヘラヘラして、自分勝手で……あいつは本当に——』
本当に僕の父親なのか——そう書こうとして手が止まる。万のことを綴る度、蘇るのは万との記憶ばかり。塩焼きを買った。祭りへ行った。喧嘩した。慰霊祭を見た。旅行をした。歌舞伎を見た。玉藻前と戦ったあの日、万を失うのが怖いと思った——。初めはあんなに警戒していた万の隣が、気がつけば当たり前になって、それはそんなに嫌じゃなかったこと。万のいないこの時間が、何故だかとても不快なこと。
「……万。どこにいる」
俯いていた顔をあげて、立ち上がる。そういえば周りの景色はいつもより暗く、ふと、よく見上げていた夜空の月を見ようとした。いつも満ちることなく真上に昇っていた上弦は、——何故か消えていた。




