壱ノ肆夜 花火師
「なぜ置いていった……?」
胸ぐらを掴み、男を睨む。今すぐこいつを刺し殺してしまおうとも思えた。
「すまんのう。おぬしなら刀で逃げ切れるかと……」
感情はまだ煮え切らないが、別にこいつの言い訳を聞きたい訳じゃない。僕は掴んだ襟元を強く下に引っ張るようにして手を離した。
「水に流す代わりに教えろ。月とはなんだ。なぜ突然赤くなった?怪奇となんの関係がある?」
「――月とは、怪奇と同じ妖力を持った冥界の神じゃ」
「なぜそれを知っている」
「言ったろう。ワシは怪奇じゃ」
また薄ら笑みを浮かべて、後は何も話さない。まだ何か隠しているんだろうと聞こうとした、その時だった――
「うぅん……」
少女の声が僕たちの会話を遮った。黄色い髪をした少女が静かに起き上がり、目を擦っている。そういえば気を失った彼女をヤツがここまで運んできて、近くの縁台に寝かせたんだったか。
「おや。目を覚ましたようじゃのう」
「あれ……あたし何してたんだっけ」
少女はしばらく僕らを見て、ようやく思い出したようだ。
「あ、そうだわ!お母さんと赤ちゃんは?」
「あれは怪奇だ」
「……怪奇?」
「冥界から溢れ出た、人を襲う怪物じゃ。危うく食べられるところじゃったのう」
少女はしばらく思考を止めて、やがて「助けて頂きありがとうございます」と僕らにお辞儀をした。
「あたしは入間入佳よ。花火師で、本当はあそこで花火の試し打ちをする予定だったんだけど……」
「無理じゃな。今は怪奇が占拠しておる」
月は未だ赤い。まだあの場所にいるのだろう。
しかし、男の言葉を受けた彼女は悲しそうにしていた。
「そんな……本番まで時間がないのに」
「場所を変えたらどうじゃ?」
「いいえ。花火は場所によって見え方が異なるの。本番はあの場所でやるから、あの場所で打ち上げなきゃ」
「ならば、本番を延期に――」
「それはもっとダメ!」
少女は自分の声に驚き、慌てて謝る。そして冷静に続けるのだった。
「その日はパパとママの結婚記念日で、絶対打ち上げるって約束したのよ。
今年が二十年の節目だから……」
なんのこだわりだろう。日付けとか場所とか、そんなのに一体なんの意味がある?
「成。助けてやったらどうじゃ」
「は?なんで――」
こいつのことだ。一時の気分で面倒臭いことに振り回そうとしているんじゃないだろうな。
「時に成。落とした鮎のこと、今も無念に思わんかの?」
「誰かのせいでな」
「彼女のこだわりはきっと、どれか一つでも欠けてはならぬ、鮎より厄介なものじゃ。人はそれを愛と呼ぶ」
……またよく分からないことを。
「愛ってなんだ」
「知りたければ彼女を助けるんじゃな」
別に知りたくはない。しょっちゅう口にしてくるから聞いただけだ。でもコイツに協力すると言った手前、断るのも気が引ける。
「……どう倒すんだ」
「酒じゃ。あやつは酒にめっぽう弱い」
「冗談で言ってるんじゃないだろうな」
「この胸ぐらに誓おう」
☽
断崖絶壁から月を見上げる。相変わらずの赤。けれどヤツの姿はどこにもない。
「良い機会じゃな。酒樽を並べて待ち伏せるとしよう」
「……酒くさい」
男は少し顔を赤らめながら、酒樽を軽々と宙に浮かせて運んできた。
こいつ、隠れて飲んだか?
「ひっく……ちょっとした味見じゃ。オロチは酒にうるさくてのう。強くて美味い酒をたんまり用意せんといかんからのお……」
完全に酔っ払っている。
酔わせて眠らせてから首を落とせばいいと随分簡単に言っていたが、まさかここまで軽視していたとは。
「……おいてけ〜」
「何か言ったか?」
酔ったコイツの仕業かと、男の方を見た。
「うん?じゃからオロチはとんでもなく酒好きで……」
「そうじゃなくて、今何か――」
崖の下から無数の手がにゅっと現れ、並べられた酒樽を掴む。
「お酒が――!」
急いで取り返そうとするが、遅く。酒樽は奪われ海の底へ消えてしまった。
「――オロチがくる」
お酒はもうない。なのに、最悪なタイミングで巨大な蛇のシルエットが僕らの目に入る。
足がすくんで動けない。そんな僕を蛇はすぐさま狙いにきた。龍のような顔が目の前まで迫ってくる。幸い狙いを外され、僕は衝撃で尻もちをつく。
蛇は腹を空かせ、僕を逃す気はないようだ。ゆっくり頭を向けて狙いを定めてくる。他の頭もじわじわこちらへ近づいているようだ。八つ裂きにでもする気か。
「なんで僕が……」
心底腹が立った。愛だかなんだか知らないが、またこんな危険な目に遭わされて。僕は母の仇を討つために生まれ変わったのに、こんなの、都合よく振り回されてるだけじゃないか。
「成よ。おぬしの願いはなんじゃ」
「急になんだ」
「いいから。答えてみよ」
願い――僕は、母の死の真相が知りたい。そして仇討ちをするために、あの場所から蘇った。僕はそのために生まれた存在だ。
「願いは母。それ一つだけだ」
「それじゃ退屈じゃのう。もっと人間臭いのがよかろう。そうじゃ、先程ワシに聞いていた――愛とはなにか。それを知りたいというのはどうじゃ?」
「それを願ってなんになる」
「そうじゃのう。目前の首を取り、最悪の事態から逃れる。くらいはできるかもしれん」
僕が愛を知りたいと願うことで得られる得策があると言いたいのだろうか。でも、僕はそんな願いなど――。
「成。なぜ母親の仇を討とうとする?」
「え――」
「ま、特に理由などないのじゃろう。おぬしはただ、鬼にそう言われたからそうしているだけに過ぎん。
ならば質問を変えよう。なぜ鬼は仇を命じてきた?」
それは僕も問い質そうとした。けれどあの時は適当な理由ではぐらかされて、それ以上は聞けなかった。だから分からないと言わざるを得ない。
「鬼は成の母親を知っておった。母親はずっと成に願っていたそうじゃ。幸せになって欲しい。とな」
「なんだそれ」
「愛。という究極の願いじゃ。
つまり鬼は母親の願いのために、幸せになるために仇討ちせよと言ったのじゃよ」
「確かなのか?」
愛が分からないのは今でも同じだけれど、コイツの言っていることが正しいのなら、僕は僕の存在理由のために愛を知る必要があるんじゃないか?
「さあ成。どうする?愛を知りたいとは思わんか?」
――愛。
母が僕にその感情を抱いていたというなら。そこに真相が眠っているというなら。知らないまま済ませたくはない。
「……そう望めば怪奇を追い払えるんだな?」
「ま。おぬしの意志次第じゃのう」
「……分かった」
持っていた刀が強く輝く。でも不思議と驚きはなかった。僕がそれを更に強く握った途端、大口開けて飛びかかってきたオロチを結界のような膜が弾いた。
「邪魔をするな、怪奇」
身体がふわりと空中を浮遊して、全身を光の結界がまとう。輪っかにしていた桜色の髪は軽く解け、長く伸びる。続けて真正面に二つ円を描くと、軌跡に沿って大ぶりの鈴が現れた。そっと両手ですくい取り、頭に飾った瞬間、普段の黒い衣装は鈴の音と共に桜色基調の浴衣へ姿を変えた。そして最後にもう一度、鈴の音が鳴った。




