壱ノ参夜 初退治
あの出来事以来、女中は家から姿を消した。あの女中が本当に蜘蛛だったという確証なんてないし、かと言ってこの家の人に女中がどこに行ったか尋ねようとも思わない。それに、内心あの不気味な人が見えなくなって安堵していたように思う。
――ただそれと引き換えにとんでもないヤツに目をつけられることになったのだが。
ヤツは魔法少女になれ。怪奇と戦えと言ってきた。なのに受け入れた途端、今度は自分は怪奇だと明かしてきた。一層ヤツのことが分からなくなった。
「……」
「なるほどのう。ここが成の家か。……成だけに」
「……何故いる」
背後であの男の声がする。振り向けばそれは人型ではなく絵に書いたお化けのような姿で宙を浮いていた。
「なんだその姿は?」
「ワシの本来の姿じゃ」
怪奇と名乗るからてっきりあの土蜘蛛みたいな恐ろしい見た目をしていると思ったのに、実体はとても小さい。
「次は何の用だ?」
天晴と書かれたうちわを小さく振りながら男は笑顔で答える。
「初任務じゃ。日ノ出成」
「任務?魔法少女になってもいないのにか?」
「言ったろう?魔法少女じゃなくとも、おぬしはいずれ魔法少女になる。研修期間を設けるべきじゃ」
事前準備みたいなことを言っていた気はするが、稽古でもするつもりだろうか。
「おい怪奇。ひとつ聞いておく。
僕はお前を信用していいのか?」
「……してよいと言って、おぬしは信用するかの?」
できる気はしない。でもこいつは確実に母のことを知っている。なら、上辺だけでも取り繕っていた方が懸命かもしれない。
「少しだけだ」
☽
赤い提灯。塔のてっぺんまで積み重なるようにして並べられた出店の灯り。長い階段をのぼりながら、僕は店を横目に塔の上を目指す。その後ろでは沢山の食べ物を抱えた男の姿が。
「遊びに来たのか?」
「腹ごしらえじゃ」
嬉しそうなほくほく顔だった。その様子に不満はない。むしろ僕も何か食べようと思い、店という店をキョロキョロ見ていたら――鮎の塩焼きが気になった。
そして買った。
「好きなのか?」
近くの椅子に座り、一口かじる。塩のしょっぱさと脂がのった柔らかい白身がとても美味しい。
「以前、あの家の人達が買ってきたことがあって。美味しいと伝えたらしょっちゅう買ってくるようになった」
魚をじっと見つめながらひたすら食べ続ける。その間この男がどんな顔をしていたか知らないが、返ってきたのは柔らかい声色だった。
「そうか。愛されとるのう」
「愛……なんだそれ」
またよく分からない台詞に手を止める。ふと夜空を見上げれば今も尚上弦の白い月明かりが静かに輝いていた。
まあいいや。食べ進めよう。
「……一口が小さいのう。もっと早く食べれんか?」
「うるさい」
「成〜。まじゃか?」
「……」
「――急げ。成。もうじき月も赤くなる」
「……どういう意味だ?」
ようやく半分食べきったところで再び手を止める。男はじっと空を見つめていて、僕もふと見上げてみる。その目には白い上弦が見えるはずだった。
――赤い。血のように赤黒く、不気味に闇夜に沈んでいる。
「不吉の前兆じゃよ。海の方を示しておる」
そういうと僕を俵担ぎして、男は街を一望できる高い階段から飛び降りた。落ちかけた身体はふわりと宙を浮かび、海岸へ一直線に飛んでいった。
☽
たどり着いたのは断崖絶壁の崖の下。ゴツゴツとした硬い岩が大小、無造作に捨てられたように積み重なっている。黒い海面には鞠に似た多面体の灯篭が波に大きく揺られながら、遠くの方まで赤く点々と灯る。
別に、雑に担がれたのはどうでもいいが。急だったせいで驚いて塩焼きを落としてしまった。
「返せ。僕の鮎の塩焼き」
「それより足元に気をつけなされ。岩の隙間にハマると抜け出せなくなるぞ」
ふと、誰かが喋る声がした。そこには赤子を抱く女と、僕と同い年くらいの少女が二人で何かを話していた。
「どうか、この子を温めて頂けませんか……私たちにはもう帰るところがなく、遂にこの子も凍え死んでしまいそうなのです」
白い布にくるまった赤子は、ぐったりしていて見るからに危険な状態だ。おまけに母親の指先は冷えきって凍傷になりかけている。
「ええ。でもお母さんは?」
「私はいいのです……どうかこの子を、この子だけは助けてあげて下さい……」
「だめよ!お母さんの命も大切だもの。今すぐ焚き火を用意しましょう?お母さんは枝と落ち葉を持ってきて」
少女は赤子を抱き抱え、早速その場から動こうとする。しかし赤子の母親は微動だにせず、見開いた目は瞬き一つさえしない。それは、生きているものを感じさせない。あの不気味な女中のようだった。
――刹那。母親の背後から破裂音に似た音が響き、海中から巨大な何かが飛び出した。土蜘蛛……いや、顔が違う。牛だ。蜘蛛のような身体に牛の首がついている。
「牛鬼。毒を吐き、人を食い殺す怪奇じゃ。
――ふむ。しかしどうもおかしいのう」
少女は怪奇の存在に気がつく。しかし、逃げる間もなく少女は気を失う。怪奇の大きく開いた口は少女の目前まで迫ってきているというのに、助けに行こうにも僕らと少女との距離は離れすぎている。間に合うわけがない。そう思いながらも刀に手をかけた途端、刀は自我を宿し、僕の手を連れて素早く怪奇へ斬りかかった。
刀は怪奇の真横を一直線に切り裂いた後、空中でぱたりと自我を失う。制御の効かない身体はそのまま遠くへすっ飛ばされ、地面を車輪の如く転がった。
「目が回る……」
刃の先端が怪奇の大きさに対して短すぎるせいか、まるきり歯が立っていない。そしてもうひとつ。人形のように立ち尽くしていたあの女は、メキメキと嫌な音を立てながら身長を伸ばし、巨大な蛇の姿になった。怪奇が二匹もいたというのか。蛇は今にも少女を丸呑みしようとしている。
「怪奇。あの娘を保護しろ!」
僕の命令に男は飛んでやってきた。「了解じゃ」と横目で僕を捉えながら少女を抱いて避難する。その去り際の一瞬。男は僕に耳打ちをする。「成。早めに決着をつけたまえ」
「他人事みたく……」
蛇の女は少女を追いかけようとはせず、僕へ標的を移す。食えれば誰でもいいのだろう。それは牛鬼も同様のようで、いつの間にか背後に回っていた牛鬼が僕へ突進してきた。
「――ッ」
その場で思わずしゃがむ。直後、突然の動きに間に合わなかった牛鬼が頭上を飛び越え、蛇の顔に毒を噴射した。
蛇の女は毒に耐えきれずバランスを崩し、海の底へ沈む。でも喜ぶには早すぎる。自分の刀が役に立たない中、まだ怪奇は一匹残っているというのだから。
どうするべきか迷っていた矢先、男が遠くから声をかけてきた。
「成。こっちに戻ってくるんじゃ。」
「は?今更何を――」
しかし、その顔にいつものふざけた笑顔はなかった。最初に会った頃と同じく、僕ではないものを睨んでいた。
「戻れ。成。」
目線の先では、月を覆い隠すほどの巨大な蛇が、海面から音もなく目覚めるように這い出てきた。蛇の女なんか比にならないほど巨大な何匹もの蛇……いや、ひとつの身体に何頭も首がついているようにも見えた。「ヤマタノオロチじゃな」男がまたニヤリと笑う。
「おかしいとは思っておった。月が危険を知らせるほどの強い妖力を、あの二匹が持っているとは思えんからのう」
男が言い終えたあとのこと。巨大な怪物の首は真っ逆さまに地面へ降ってきて、牛鬼を一瞬で丸呑みしてしまった。
「一時撤退じゃ」
男は少女を抱えたまま、飛んで逃げる。慌てて僕も追いつこうとするが早すぎて追いつきそうにない。そうしているうちに蛇の牙は僕の元へ……
「ま、待って、逃げ切れな――」
食べられる……その間一髪のところで刀が動き始め、僕の腕を引っ張る。刀につられるまま速度は加速して景色を走馬灯のように横切っていく。海岸をぬけ、夜闇に逃げた男の後を追っていった。




