壱ノ弐夜 怪奇
蜘蛛は黒い塵になって消えてしまった。残されたのは潰れた鳥居と戦いのせいで少し濁った水面。
「土蜘蛛じゃな」
僕の後ろで男は蜘蛛が壊した跡を興味深く眺めている。
「背中にあった人骨はおそらく、あやつの餌になった犠牲者じゃろう」
咄嗟に男の胸ぐらを掴む。一瞬目を丸くしたようだが、また先程のように薄ら笑いをしている。
「芝居じゃないんだぞ」
「知っておる。だから教えたのじゃ。「ついてきとる」と」
……納得はした。だけど襟元を掴む手は一切緩めず、怪しく光るその瞳を睨みつけた。
「あの化け物は?」
「怪奇。冥界に封じられていたこの世の穢れじゃ。……が、近年冥界に続く結界が薄れてな。ああいった事案が多発しておる」
怪奇……冥界の結界……一般常識でもない言葉をつらつらと並べられても困る。
「ところでおぬし。その刀は誰から貰った?」
「これは……同居人からだ」
「いい刀を貰ったのう。蜘蛛斬り刀と名付けたらどうじゃ」
「遠慮する」
功績や大名を名付けるとは聞くが、そんな大それたものでも逸話もない刀、名付ける必要がどこにあるのか。あと、蜘蛛は極力避けたい。
「……しかし、それにはまじないが込められている。怪奇から持ち主を守ってくれる強い魔除けじゃな」
「それがなんだ?」
男は刀をじっと見つめている。まるで何かを待つような目線につられて、僕もその刀を見やった。
「長年愛用された物には付喪神という神が宿る。ワシはその神力を借りて、持ち主の秘めた力を開花させる媒介へと万物を作り替える」
刀が小さく……いや、刃の先端を残してあとは全くの別物に生まれ変わっていた。周りには桜、鈴や、鳥居にぶら下がっている紙垂とかいう白い紙などが飾り付けられて、可愛らしい杖のような見た目をしている。子供の玩具みたい、といえば分かりやすいか。
「何のつもりだ?」
男は待ってましたと言わんばかりに帽子を整え、ニヤリと笑う。
「おぬしには魔法少女として、夜明けのない国を救ってほしい」
…………魔法少女とはなんだ?呪術とか超自然的な力でも使えるのか?それとも、そういった類のものに姿を変えられてしまうのか?後者は御免だ。
「ワシは怪奇と戦ってくれる若者を探しておった。ワシはもう歳でな。ワシの代わりになる協力者が欲しかったのじゃ――」
「断る。」
変わり果てた刀を捨て、男に背中を向ける。そんな事に付き合っている暇はない。僕は、母の仇を探さなきゃ……。
「母親のことか?」
「――!?」
耳を疑った。
「鬼から事情は聞いている。元よりワシは鬼の命を受けておぬしを捜しにきた。日ノ出成よ。魔法少女になってはくれぬか」
「……僕の目的となんの関係がある。」
「ひとつ教えてやろう。母親の仇は人ではない」
「怪奇……と言いたいのか?」
男は答えない。でも人ではないというなら残る選択肢は一つだけ。答えないのは、言わなくても分かることだから……。
「魔法少女になれば、いずれおぬしの知りたい真実を知れる時が来るだろう。それも、そう遠くない未来じゃ。
どうする?戦いには危険もある以上、強制するつもりはない」
「……魔法少女とはなんだ。聞いたことのない用語を並べられて、わかったと言う奴はいないだろう」
「――魔法少女は人にして怪奇と同じ妖力を持つ者。怪奇は妖力でしか歯が立たぬゆえ、太刀打ちできるのは魔法少女のみ。という訳じゃな」
「この刀は魔法少女に不可欠なものなのか?」
落とされたまま水面に浮かぶ小刀を見る。
「そうじゃな。それがあれば魔法少女は妖力を最大限に扱うことができる」
「……」
小刀をそっと水面から拾い上げ、水浸しになったその刀を見つめる。やがてぎゅっと強く握った。
「……わかった。それで母の仇を討てるなら」
「まあ、その刀ではまだ、おぬしを魔法少女にすることはできんがな」
「……は???」
「魔法少女の力を解放しきるには念――つまり少女の強い意志が必要なんじゃ。刀はあくまで妖力開花の為の補助にすぎん。おぬしのはあと一歩、ソレが足りんのじゃ。せいぜい魔法少女になるまでは魔除けの力に頼ることになるのう」
……全く意味が分からない。さっき魔法少女になれと言っておいて、今度は魔法少女になれないと?コイツは一体何がしたいんだ。
――静かに胸ぐらをわし掴む。今度はめいっぱい、力強く引き寄せた。おそらくコイツの目にはひどく怒った僕の顔が映ったことだろう。
「ほ、ほれ!早めの勧誘というやつじゃ。魔法少女になる前の事前準備も必要じゃろう」
……胸ぐらを掴む手に力が入らなくなった。全く意味不明な言い訳を聞かされ、怒る気力も失せた。
「もういい。魔法少女だろうと何だろうと、つまりはお前に協力すればいいのだろう?」
「それは承諾という意味じゃな?」
頷く。そして静かに睨みつける。
「……その代わり、契約者としてもう一度名を名乗れ。僕は日ノ出成。お前は何者だ?」
「そうか。そういえばまだ身分を名乗っていなかったのう。ワシは童万」
男がニヤリと笑い、見慣れてきたはずの笑顔に何故だか緊張が走る。無意識にも僕は拳を強く握った。そして、それが本能で嫌らしい何かを感じ取ったものだと知るまで時間はかからなかった。
男は静かに、しかしトーンは変えずに続きを告げる。そのうっすら輝く瞳は僕を捉えて逃さなかった。
「――怪奇じゃ」




