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漆ノ参夜 間違いさがし

…………力が入らない。入れているはずなのに、殺せるほど強く絞めようとすると、どうしても寸前で加減してしまう。

 ウチは鬼だ。しようと思えばこんな脆い首、鋭い歯で噛み切ってやれる。細く尖った爪で喉元を掻っ切るのも容易だ。ここにいるのは成じゃない。成の皮を被った偽物だ。なのになぜ、成の姿というだけで怯えてしまうのだろう。

 ……ウチは、成の前では残酷な鬼にすらなれないのか。

 やがて腕にまで力が入らなくなり、偽物の首を離れた手は力なく垂れ下がった。成の顔はまだ安らかに眠っている。あれだけ腹が立っていたのに、今ではその頬を撫でたいくらいに愛おしい。どうしたらいいのか、親友なら教えてくれただろうか。

「……寧丸」

 うり姫様が頭上から見下ろしていた。

「余と外で涼まない?」

 うり姫様に気遣われて初めて、自分の頬が濡れて瞼が熱くなっているのに気がついた。


 うり姫様に連れられ、窓を開けば丁度人が歩けるほどの縁側があった。うり姫様が一番乗りで腰掛け、ウチを片手で手招く。冷たい風が室内に入ってきたので、中を冷やしてはならないと、急いで外に出て窓を閉めた。縁側に座ると足元は深い崖になっていて、夜の森が遠くの山々まで一望できた。縁側、といっても木製ではなく、透明の硝子でできた水槽が縁側になっている状態だった。蓮の葉が浮いて赤や白の絵の具が魚のように水中に線を引く。それを見て思い出したのか、うり姫様は赤い金魚を一匹呼び出して指の先で遊ばせていた。ウチが話し始めるのを待ってくれているのだろう。

「見てた?」

「余が目撃したことは重要?」首を傾けられた。「いや……」と反射的に漏れる。けれどうり姫様があれを見て少しでも困惑したなら、それはそれとして問題だ。

「ごめんなさい。目に悪いものを見せてしまい……」

 うり姫様が冷たい視線を送ったのが視界越しでも伝わった。けれどそれはたった今砕けた口調で喋らなかったからだと分かる。空気を読んだためか、二度も言えば三度も言う必要はないと考えてのことか、今度は何も言ってこなかった。

「余が生命を見殺しにするのは罪。けれど、余は時に感情論でも動く。寧丸が後悔するのも、成を失うのも、余は看過できない」

「後悔しそうだった?」

「未練がなければ、人も怪奇も躊躇わない」

 偽物に何が未練だ、後悔だ、と以前までなら怒鳴っていそうなもの、冷静になってからはうり姫様の言葉に一理あると思わせられた。

「なぜ殺そうと思ったの?」

 成はウチの前で食べられた。それで宿に戻ったら食べられたはずの成がいた。そこまでの経緯を全て打ち明けた。

「アレは成じゃない。偽物なのに、なんで誰も気づかないの」

 うり姫様は顔色を変えず、静かに聞いていた。しかしウチが口を噤むと、うり姫様は一呼吸置いて返してくる。

「それでは寧丸は何を見て、成は成だと決めている?」うり姫様は続けた。「親友らしさ?」

「なんで今、親友?」不意に胸がどきりと鳴った。

「親友なら手を繋ぐだろう。親友なら髪を結んで欲しいと頼むだろう。前々から、こう思ってはいなかった?」

「寧丸は、成を見ていた?」


 ☽


 誰かが肩を揺さぶった。考え事をしている間に寝てしまったのか、桜色の髪をしたソイツに起こされた。

「ご飯ができたから」

「ご飯?」

 身体を起こすと良い香りが漂ってきた。ちゃぶ台には既に湯気が立ちのぼる茶碗が並べてあった。昨晩ウチが夜更かししていたことをうり姫様が教えて、きっとしばらく起きないだろうと二人で作ったそうだ。

 昨日のことを思い出して、ソイツの顔を見ると妙に気まずくなった。本人は知らない様子でいる。その横を通り過ぎてちゃぶ台を覗くと、教えたはずのない魚の煮付けがあった。

「こんなのどこで覚えたの」

「余が土産屋の店主から教わった」

 それを折角だから作りたい、とうり姫様が言ったのが発端だそう。けれど——

「けれど、余より成の方が上手だったから、殆どは成に任せていた」

 料理を初めて数日でそんなに上達するはずがない。煮付けなんて始めたての初心者が簡単に出来るものか——

「あれ、」いつも成が座っていた位置だけ、妙に不格好な煮付けがあるのに気がついた。身はぼろぼろと砕け、大根おろしは生の部分が残りまだら模様になっている。

「失敗作だ」

「なんで?」

 ソイツはウチの問いかけに首を傾け返し、「初めて作ったんだから、失敗くらいする」と告げた。そのまま食卓に着くと三人で食事を始めるのだった。

「もしかして、昨日も?」

「成が最初に作った味噌汁は、野菜が硬かった」

 ソイツは顔を僅かにムッとさせて「悪いか」と返す。気にせず「上手くなったと褒めている」と返され、不満げな表情はどこかに消えた。

 練習していたなんて思わなかった。けれど思えばゆきんこだって、苦手な台所を克服したはず。

 ——寧丸は成を見ていた?

 うり姫様の言葉が蘇る。

 ウチがアイツを偽物だと思った理由——。

「成、寧丸、うり姫。

 怪奇じゃ。準備ができたら行くとしよう」

 襖の向こうに万の影が見えた。


 ☽


 大きな太鼓橋の下は階段状の地面に湯気の立つ川が流れ、一帯は温泉になっていた。本来なら観光客がこぞって足湯にしそうなところ、誰もいないのは川を占拠している巨大な魚のせいだった。人のような猿のような顔は人魚に違いない。水中に潜って逃げようとする人魚を入佳が花火でおびき寄せ、遂に人魚が飛び上がって入佳を襲おうとした瞬間、ゆきんこが振った小槌の中からだるま落としが出てきて、小槌で何度も叩く。複数のこまが入佳の前に立ち塞がり、人魚の行く手を阻む。そこへ裏から回った桜色の髪の少女が刀で斬り裂き、上空に待機するうり姫様に合図した。うり姫様が詠唱を唱えると怪奇は金魚に囲まれ消えていく。

 その様子を万の隣で見ていると、隠れていた人魚がもう一匹、ウチを目がけてやってきた。

 間一髪で桜色の少女が人魚を斬った。彼女はウチの前に立ち、「怪我はないか?」と訊いてくる。「ウチは別に——」

 言おうとすると、横から入佳が手を引いて、ウチらを足湯に誘う。

「折角だから、みんなで入りましょう?」

 気づけばうり姫様とゆきんこも素足になって川の中へ足を浸している。ゆきんこなんかは、足を忙しなくばたつかせて遊んでいる。

 桜色の少女はそれを見て楽しそうだと思ったのか、入佳の手に連れて行かれても抵抗しなかった。かくいうウチも桜色の少女の隣に座って一休みするのだった。

「——昨日、ウチにありがとうって言ったよね。何だったの?」

「あれは——」少女が何かを言いかけたところで、後ろで微笑ましそうに立っていた万が突然、「ワシが教えたのじゃよ」と割り込んだ。

「誰かに何かをして貰ったらありがとうを言うと良い。というのを入佳の例を交えて説明したんじゃ。そしたら成が、最近は寧丸に料理を教えて貰ったと打ち明けて来てのう。手始めに伝えてみよと提案してみた。

 成は冷たく聞こえやすいからの」

「うるさい」

 万が少女を疑わない理由は、少女が本物の成だからだとして、あの時食べられた成は一体なんだったというのだろう。こっちが偽物だと思うのなら、あっちが偽物の可能性は思わなかった?けれど、その推理が間違えていた時、ウチは成を見殺しにすることになる。けれどもしその推理が合っていたなら……ウチは成の何を見ていたんだろう。

 成はそんな些細なことでありがとうと思って、料理を練習していた?

 それをウチはどうして受け入れられなかった?

 ——寧丸は何を見て、成は成だと決めている?

 ——親友らしさ?


 ☽


 宿に戻った後、少し気分転換しようと広間に踊りに行った。あそこは誰も知らないには勿体ないほど美しく、知られてしまうのが惜しいほど落ち着く場所だった。

 今日は先客が一人いた。

 すり足を意識しすぎて、足首から太ももまで力が入り過ぎている。首の動きも自然体に寄りすぎ。全体的にぎこちない舞だった。

「何してんの?」

 舞の練習だ、見れば分かるだろうという風な言葉を予想したけれど、「巫女は舞が必須なのか?」と思ってもみないことを訊かれ、思わず聞き返してしまった。

「え?」

「やっぱり、辞めておくべきか?」

「——いやいや!なんで諦めようとすんのさ」

 自信を無くした故の発言だと思い、咄嗟に少女の手を掴んでいた。そしてあの時のようにまた一から操ろうとしたところで、ハッとして手を止めた。

「……なんでさ、巫女になりたいの?」

「生きていいと言われてもよく分かんなくて、一晩考えてたら夢に出てきた」

 親友もそうだったな、と思い出す。その日できたこと、興味を持ったことでコロコロ夢を変えて、肩たたき屋さんになりたいなんて言った日もあった。振り向いた少女と目が合った瞬間、彼女は髪色と同じ桜の瞳をしていた。

 ——やっぱり、この子は成なんだ。

「じゃあ次は、料理屋さん?」

「……いや、料理はいい」

 頭の中が真っ白に塗り変わる。一瞬、成が何と答えたのか解らなかった。

「え、でも、今日だって料理作ってたっしょ?」

「だからって店を開く気はない」

 成だと信じていたものが崖崩れの如く壊れていく。途端に目の前の子が偽物に見えた。それだけじゃなく、顔まで全く別人に見えてしまった。

「そう……だよ、ね」

 声も、肌も、髪も、目も、彼女はもっと親友と似ていたはず。なのに今いる彼女は知らない人だった。料理を練習して、ありがとうが言えるようになって、夢を語れるようになったこの子が、嘘としか思えない!

「寧丸?どうかしたのか?」

 ウチの名前が聞こえた。なのに声の出処も正体も、目の前にあるはずのものが白塗りされた様にして見えなくなる。

「ウチ、おかしくなっちゃったのかな。アンタがどうしても偽物に見えて仕方がない。

 ねえ……アンタ、誰なの?」

「日ノ出成だ」

 少女の答えは早く、迷いがなかった。その名前は正しいはずなのに何故かしっくりこなくて、名前すら間違っている気がした。

「違う!アンタは——」

 親友の名前を叫んでいた。けれど、それもしっくりくることはなかった。少女もこれには首を傾げた。

「その人は誰だ?」

 ウチが何も答えないでいると、少女は続ける。

「僕は日ノ出成だ。その名前は誰からも付けられてない」

 なる……という名前は心の中ですとんと収まり、あれだけ白くなっていた視界は次第に色を取り戻す。そこでようやく、成の顔の前にはいつも、親友の顔がべったり張り付いていたことを知った。

 ——寧丸は、成を見ていた?

「……成に謝りたいことがあるんだ」

「なんだ?」

 うり姫様の言う通りだったのだろう。ウチは成なんてまるで見ていなかった。ずっとウチが見ていたのは親友だった。だから、成が食べられた瞬間から彼女はウチの中の『本物』ではなくなった。

 成は、ずっと成だったのに——。

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