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漆ノ弐夜 ニセモノ

「誰も何も、成は成じゃろう?」

 万はとぼける気配もなく、自然な笑顔で言う。せめて万だけは気づいて欲しかったものを。

「気づけ万!あの成は偽物だ!いつもの万ならどんな怪奇でも簡単に見破ってるっしょ?なんでこんな時に限って鈍感なんだよ!」

 目を覚ませ、目を覚ませ、とでも念じる様に浴衣の襟を揺さぶった。その手を万が優しく引き剥がす。気遣っている態度に失望が募る。

「疲れが出たのじゃろう。今日はもうゆっくり休むと良い」

 これが飄々とした笑顔だったなら。ここでこっそり合図でもしてくれたら。どう願っても、今の万にあの成が偽物だと気づける手段は無さそうだった。なら、ウチだけで何とかするしかない。

「寧丸さん。部屋まで送るわ」

 入佳の手がそっと背中に触れた。力なく俯いていたのが疲れている、という万の推測の信ぴょう性を高めたのかもしれない。ウチは頷くしかなかった。

「寧丸……」と心配そうに呟く声に、「ごめんね、ゆきんこ」と振り向いた。そこで偽物もこちらを見ていることに気づいたが……ソレの顔を見たいとは、とても思えない。


 部屋に戻ってくるとソレも着いてきた。「なんで着いてくんの」と睨むと、「同じ部屋だろ」と首を傾げられた。同じ部屋なのは成とうり姫様であって、アンタではないのに。

「……温泉行ってくる」

 勢いで部屋を出、襖を閉めた。それからはもう偽物も着いて来なかった。

 あの偽物は例の化け狸に違いない。成を襲ったあと自分が成になり代わろうとした。そして、あたかも自分が本物の成であるかのように万まで洗脳して……みんなを騙した。動機はただの悪戯。そのただの悪戯に、成は巻き込まれた!

「ウチのせいだ、ウチのせいだ、ウチのせいだ……!」

 いつの間にか歩幅は大きくなり、いつもより早く暖簾の前まで着いたことに気づく。歯を食いしばっていた原因である感情がふっと冷めたのを感じると、放心に近い感情が目に宿った。温泉に入る気にはなれず、というより、元から温泉に入りたかったかすら謎だけれど、ため息の代わりに来た道を引き返していた。

 けれど、部屋の前まで戻った後も襖を開けるのを躊躇い、居場所を失ってしばらく扉の近くで座っていた。体感、一時間くらいだろうか。こうしていたって仕方がないという気持ちが勝り、遂に襖を開ける。出汁の効いた味噌汁の香りがふんわり漂ってきた。

「そこで何してんの」

 声を尖らせた。成に化けておいて平気で台所を使うとは、どんな神経をしているのだろう。

「ダメだったか?」

 成が首を傾げて聞いてくるのに、ウチは何も言わず台所を通り過ぎた。その時、横目に覗いた野菜の状態に思わず噛んだ唇を切りそうになった。成がまだ包丁の使い方に慣れていないのを嘲笑うかのように、大根が丁寧に短冊切りされていたのだ。

「成が突然、一人で作ると言い出して」

 うり姫様は成が台所を使ったことでウチが機嫌を損ねたと思ったのだろうか。しかし結果的にうり姫様を気遣わせる形にはなって欲しくなくて、「ごめん、怒ってるわけじゃないよ?」と慌てて偽物に微笑み返した。演じきれた自覚はないけど、偽物は見つめていた目線を逸らして台所のかまどへ向かう。何を考えているのやら、全く読み取れなかった。

「……ウチも手伝おっか」

 偽物を許せる訳はない。けど、ウチが何かしなければコイツの思う壷だ、と思う気持ちがあった。それで少しでもボロを出してくれるなら。些細なことでもいいから、偽物だと全員が気づく証拠を残せ。

「いや、いい。一人でできるから」

 正体を見破られている相手に近寄られたくないのだろう。けれど、そんな子供じみた言葉だけで、ウチがはいそうですか、と納得するとは思わないで欲しい。

「じゃ、隣で見てるだけならいいっしょ?邪魔はしないから」

 偽物は何も言い返さず、再び身体を台所に向けた。成の年頃な外見に、家庭の家事を手伝う健気な姿を思い描いたのだろう。包丁を傾けたまな板に滑らせて、野菜を手際よくかまどに流し入れている。今度は薬味を小口切りにした。薬味の切り方など、成にはまだ教えてもないのに。それを言えば薬味だけじゃない。手順だって、成はまだ一人では出来ないはずなのだ。


「——できた」

 お玉で全員分の器によそった後、偽物はそのうちの一つをウチに渡してきた。

「……っ」

 両手に支えられた器を今すぐ片手で弾いて床にぶちまけてしまいたくなった。けれどヤツがどんな手を使ってくるか分からない今、迂闊に自分が不利になるようなことは行えなかった。悔しいけど、器は受け取った。

「えっと、あのさ……隣の部屋の分は一人で持ってくよ。

 やらせてばかりじゃウチが落ち着かなくてさ」

 隣にはゆきんこがいる。なるべくコイツを近づけたくないのが理由だった。ゆきんこは強いけどとても怖がりだ。もし狙われたりでもしたら、自分の身を守るのも忘れるほどパニックになってしまうかもしれない。もうコイツの好きなようにはさせたくない。誰も失いたくない。


 襖の前に立つと万が出迎えた。万は「ご苦労様じゃのう」と至って普段通りの台詞を言う。

「今日は成ひとりで作ったんだから、ちゃんと味わって食べてやりなよ」

「ほう。成がか。随分成長したのう」

 しみじみといった様子で受け取ってくれるが、どうしてこの男は肝心な時に鈍感なんだと、余裕のない気持ちも相まって怒りが湧いた。けれどまたここで説得したって時間の無駄だろう。襖も閉まったので部屋に戻ろうとした。そこへ、丁度部屋を出てきた偽物と鉢合わせた。偽物はまっすぐこちらに向かってくる。

「……何」

「寧丸」

 何の用だろう。二人きりになる瞬間を見計らってウチを笑いに来たのだろうか。と、その口元を警戒した。唇が開き、心臓が不快な音を鳴らした。

「——ありがとう」

 感情の乗らない声が少しの間頭の真ん中で留まった。それがぐんぐんと怒りを引き寄せてきて、以降爆発するのに時間はかからなかった。

「……は?何が?

 アンタが偽物だって証拠をウチが見つけらんないこと?それとも、ウチが成を守れなかったせいでアンタが成になり代ったこと?なら言わせてもらうけど、ウチはアンタを許してない。いつか尻尾出した瞬間その尻尾を引きずり出して、ウチがアンタの腹を引き裂いてやる!」

 偽物は目をぱちくりさせて、「どうかしたのか?」と訊いた。まだしらばっくれるのかと掴みかかろうとした時、開いた襖からうり姫様が顔を覗かせているのが見えた。偽物もその視線に気がついていたのだろう。だからウチを笑いに来ても確信になる一言は出せなかった。ただ、ウチもこれ以上のことを怒鳴る気になれず、黙ってうり姫様の待つ部屋へ戻るだけだった。

 これから偽物が作ったご飯を食べるのか。そう思うと気が滅入る。


 ☽


 うり姫様が皿洗いを担当する間、ウチはゆきんこ達が食べ終わった食器類を運んでいた。その後ろを付き添いの偽物が着いてくる。なんとか偽物である証拠を見つけたく、監視するために着いてこさせたのだ。そんな偽物が、廊下の途中で思い出したように呟いた。「将来は何になりたいって訊いたな」

 アンタには訊いてない。喉まで出かかったのを飲み込んだ。隠れてこそこそ聞いた情報を、あたかもその場で関わっていた人みたく振る舞う役者気取りが、一体何を言い出すのか気になったからだ。

「それが?」

「巫女になりたい」

 手から盆がすり抜けたらしい。食器の割れる音がした。偽物は目を丸めてウチの名前を呟いてくる。「寧丸?」の一言に虫唾が走った。あの会話を聞いていたなら、成が未来を語れないことなんて分かっているはずなのに。

 成を奪った分際で、成の夢を勝手に語るのか。いよいよ偽物は本物の成として生きようとしている。成がどんな思いで甦って戦ってきたか知らないくせに。誰にも疑われないことを良いことに成の人生を勝手に歩もうだなんて。

 ——殺してやる。


 ☽


 今日は枕投げもせず、全員流れるように眠った。隣からの物音もとっくに止んで、端の布団にいるうり姫様も既に寝息を立てていた。それを確認し、誰一人起こさぬよう偽物の上にまたがった。偽物のくせに髪も肌もその寝顔も、成まんまなのが腹立たしい。こんな奴の猿芝居に周りは騙されていたというのか。それに振り回されたと思うと余計に殺意が湧いてくる。——殺せ!殺せ!殺せ!頭の中で響く声に従って、その細い首に手をかけた。

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