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漆ノ壱夜 悪い子

逃げた狸が受付係だと聞いたからか、宿に戻ってくるなり、成は一番に受付を覗いていた。けれど誰もいなかったらしく、これといった反応もなく引き返してきた。あの一件で悪戯狸がしばらく隠れるであろうことは明白だったから、これは想定通りで、成の動きを見て落胆する誰かもいない。

 ウチらが部屋に入った頃、まだ夕ご飯を作るまでは時間があった。ので、早速というようにうり姫様は開いた包袋から先程買ったばかりの土産を広げていた。

「ゆきんこから、どの玩具が楽しいか聞いたら、色々教えてくれた」

 からくり人形……貝独楽(バイゴマ)……だるま落とし……広げた玩具をひとつ手に取っては成とを交互に見て、これは違うとひとつ置き、やがて思い立ったように泥面子を取った。さらには買ったばかりの飴菓子をちゃぶ台に置いて、「飴を賭けて勝負しよう」と誘いだした。

「神が賭け事をするのか?」

「欲深い神もいれば、愉快な神もいる」

 身近でしょっちゅう神を見ていれば、その言葉にも納得がいく。確かに、無欲な神様ではこの世界は作れない。

「——それで寧丸。遊び方は知っている?」

「えっ、知らないで買ったの?」

 相手の面子に自分の面子を叩きつけて、相手の面子を起こせば勝ち。という説明を簡単に教えると、質問いらずでも納得できたようで、早速始めようということになった。絵柄は成が歌舞伎役者、ウチが芸妓、うり姫様が落語家。どれも巷では有名な人物らしいけど、ウチはよく知らない。

 先手はウチ。成の面子を起こそうと、面子を力いっぱい叩きつける、が、歌舞伎役者の絵柄はぴくりとも動かなかった。

 その次にうり姫様がウチの面子を叩く。芸妓の絵はまだ表面を向いていた。次は成——と思いきや、うり姫様は突然詠唱を始めた。

「余は天御母神なり。

 現世に満つる悪しき穢れを祓ひ清め、汝らを元の穢れぬさまに還すものなり」

 ……無数の金魚が部屋を泳ぎ、一斉に芸妓の絵に集まったかと思えば、一寸の躊躇いもなくめくり上げた。

「ちょ、それ反則だから!」

「叩いたあと、面子を起こすのではないの?」

「それじゃ勝負になんないっしょ」

 一度手本を見せてから遊んだ方が良いだろうと、一旦勝負を止めて再び二人にやり方を教えた。今度は理解できたそうで、もう一度初めからやり直そうとしたところで隣の部屋から呼び出しがかかった。

「成〜!すまんが、ちょいと来てくれんかのう」

 襖越しに万の影が映っている。成はその影に向かって「どうかしたのか?」と叫ぶ。

「手ぬぐいを乾かし終えたのじゃが、おぬしのがどれか見分けつかんくてのう」

 成は「直ぐに戻る」と襖を開けて、外にいた万と対面した。すまんのう、とか、今行く、とか数回ほどの会話の後、閉じられていった外の影は去った。

 面子は置きっぱに、お互いしばし待とうとして、うり姫様は壁にもたれ、ウチは化粧直しをして好きに過ごしていたが、いくら待てども成は戻ってこず、とうとううり姫様は居眠りしてしまった。

 手こずっているのかもしれない。様子を見に行って手伝ってあげよう。そう思い、自然に襖の方へ目をやった。その目が偶然、ちゃぶ台の上にいる丸々太った毛玉をとらえた。丁度悪戯狸が、うり姫様の飴を盗んだところだ。

「あ!こらっ」

 声で気がついた狸は、一瞬驚いた瞳でこちらを見ると慌ててちゃぶ台から降りた。飴の棒を咥えたまま、頭で襖を開け廊下とを隔てる溝を飛び越えて行った。ウチも逃すまいと走り出し、黒一色の廊下を突き進む。

 玄関外の階段をかけ降りれば、冷たい雪霰がびしびしと顔に当たった。最下段の先の庭で狸は立ち止まったかと思えば、やがて追いついてくるウチへ振り返る。

「その飴、ウチらのなんだけど」

 寄越せ、と手を伸ばした。あの時は怪奇じゃないから誰も倒そうとしなかったけど、もしここで噛みつきでもしたら今度こそ狸汁にしてしまおうと、そう考えていた刹那——。腹鼓の音と同時に視界を白煙が遮った。目の前に広がった煙を手で振り払っていると、段々と視界は開け、ウチを見下ろす巨大な狛犬が目に映った。泥棒狸の仕業だろう。デカくなれば優位だと思われているのが腹立たしい。

「寧丸!」とすぐ後ろから成の声がした。少し息を切らして追いかけてきた成は、ウチの横に立っては怪訝そうな顔で狛犬を睨んだ。

「なんで?」と聞くと、成は一旦振り向いて「慌てて部屋を出ていくのが見えた」と答えた。

 そのまま成は胸元の装飾から刀を引き抜いて、慣れた調子で髪を解き、衣装を替え、大ぶりの鈴を頭に飾った。もう何度も魔法少女として怪奇に立ち向かってきたのだろう。覚悟の決まった表情で「寧丸は下がっていろ」という彼女に、背を追い抜かされた気持ちになった。

 成の発言はごもっともだ。ウチは魔法少女でもなく、ゆきんこみたく、異空間を作れるほどの強い妖力もない。あの世の獄卒とは名ばかりの鬼。

「そいつ、化け狸だよ」

 助言はせめてもの手助けだ。今にも刀を構えて斬りかかろうとする成は、また振り向いて「あの狸か」と確認する。

「化け狸は頭に乗せた木の葉で変化するから、頭を狙えば変身が解けるはず」

「わかった」

 狛犬の頭を見据えると、成は地面を蹴り上げ飛び上がった。狛犬がそれを避けようとするも、それすら想定された動きは、この子は本当に復讐を遂げる気なんだと痛感する。

 成が斬った、と思った途端、狛犬は木の葉へと姿を変えてしまう。成は狛犬を見失って尻もちをついた。

 ——成!

 そう名前を呼んだつもりだったけど、成には「誰だ、そいつ?」と首を傾げられてしまった。また無意識に呼び間違えていたみたいだ。

「あ、ごめん。大丈夫?」手を差し伸べた。

 そういえば、先日、成に手を伸ばして断られたばかりだった。また余計なことをしてしまったかとよぎったところ、この時ばかりは成の手がウチに触れる。

 ——親友の手をよく繋いでやってた頃が蘇った。

 すぐどっか行って迷子になるあの子が心配で、あの子が小さい頃は毎日繋いでた手。体温、小ささ、柔らかさ、握った手の強さ。全部あの頃と同じ。

 その瞬間、最悪な言葉が頭に浮かんだ。「成、もう——」もういいから。戦わなくていい。復讐なんかやめろ。と言いそうになって口をつぐんだ。そんな事を言えば、成は壊れてしまう。

「なんだ?」

 あの子と同じ純粋な目がウチを見上げていた。不思議そうな、心配そうな、丸くて無垢な瞳だ。

 双方、互いの目に気を取られていたのだろう。大きな足音が迫ってくるのに気づく頃には、狛犬の大口が成の真横まで襲いかかっていた。今度こそ「成!」と叫んだ。けれど——

 狛犬の口はウチの腕を弾き飛ばし、少し先まで去っていった。腕の痛みを抑えて立ち上がる。もう一度「成?」と呼んだ。返事がない。もう一度呼ぶ……。今度は声が震えていた。「え、」と声が漏れた。成がいないことに気がついて、思考がようやく先程の出来事を追いかけた。何が起きたのか、というのを理解しようとすると、どうしても成があの大きな口に飲み込まれた光景が頭に浮かぶのだ。

 ……飲み込まれた?成が?誰に?アイツに。

 ……成が、成が今、食べられた。

 ——たった今、アイツに!

「ふざっけんな!」

 保っていた理性の失う音がして、気づけば成の残した刀を握って地面を蹴り上げていた。成の危険を察知した刀が自我を持って、ウチが狛犬の頭頂まで向かうのを手伝った。そうして、刃は狛犬の頭に深々と突き刺さった。

「返せっ!そいつは……あの子のだぞ!!」

 狛犬はまるで痛みを感じていない。死ね!死ね!という感情のままに刀を握る手に力を込めるも、狛犬は頭を暴れさせ刀ごとウチを振り落とした。空中を舞った身体が、そのまま地面へ落とされる。——背中に激痛が走った。

 なんでウチはダメなんだろう。なんでウチは魔法少女にすらなれないんだろう。

 虎の威を借るように金棒だけ飾り付けたって、守るべきものも守れないんじゃ、何も意味がない。

 仇討ちしろと命じて、こうなる事をまるで予想だにせず、成をこんな目に遭わせたろくでなし!

「死ねばいいのは、ウチの方じゃないか」

 霞んだ視界に、狛犬が去っていくのが見えた。このままでは成を見失ってしまう。惨めさを悔やんでいる場合ではない。早く成を取り返さないと!

「まて!行くな——!」

 狛犬は狸に戻って林の中を蛇行し、それを追いかけた足が、あろうことか地面から浮き出る木の根に引っかかり、たちまち見失った。

 起き上がると、下瞼に溜まっていた涙が零れ、手元を浸す水溜まりへ落ちた。自分に対する怒りと無力感もそうだけど、何とかしなければとも考えた。考えるまま、自然と足は宿の方へ駆け出していた。


 泥まみれのまま靴を脱ぐのも忘れ、万がいるであろう宿の襖を開けた。勢いつけて開けたので、木同士がぶつかる激しい音が思わず出たが、万は「どうかしたかのう」と平然としている。その平然が今は焦らされているように感じた。

「万!成が——っ」

 丁度万と向き合う形で立っている誰かが目に入った。それはウチと目を合わせ、キョトンとした目をしてくる。桜色の輪っかのおさげ。椿色を薄めた様な瞳の、ややつり目の小柄な少女——成。

 

「だれ……アンタ」


「は?」と気の抜けた声を発された。騒ぎを聞きつけたゆきんこたちもいつの間にやら駆けつけてきて、「寧丸?」と袖を引かれた感覚が腕に伝わる。

 成は食べられたはず。ここにいる訳がない。アンタは誰だ。

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