陸ノ伍夜 夜半の月かな
少女を喪って数日後。寧丸は思い立って万に告げた。
「賽の河原に行ってくる」
思い詰めた顔の寧丸に、万は首を傾げた。
「はたまた急じゃのう。冥界には戻らないんじゃなかったかの」
「……死んだ親友の腹に子供が宿ってた」
寧丸は子供が好きだった。純粋で、未熟で、なのにいつも得意げで、人一倍格好つける。その姿がこれ以上ないほど愛くるしいから。……だから、賽の河原や地獄なんて場所は受け入れられなかった。子供が悲しくて泣いている。なのに鬼は助けに行けない。所詮獄卒。そして、あそこにいる子供たちはみんな囚人なのだ。鬼は囚人に手を差し伸べてはならない。だから寧丸は下界に降りた。妖力で自分の姿を変形して、恐ろしい鬼の姿から人の姿になって……子供がもう二度と、自分を見て怖がらないように。
けれどまた、あの場所へ戻ることになるとは。子供が泣き続ける、あの場所へ——。
「黄泉竈食は知ってる?」万に聞いた。寧丸の手には団子がひとつ乗せられている。
「知っておるぞ。黄泉の国にある食べ物で、それを口にすれば黄泉の住民になる」
「——そう。ウチはコレを親友の子供にあげに行こうと思ってる」
万は数秒固まった。黄泉竈食を食べさせるとはつまり、親友の子をあの世に固定しようということだ。けれど水子というのは、あの世とこの世の境界、即ち賽の河原に初めから固定された存在だ。罪を償いきれていない水子はあの世へ行けない。
「賽の河原にいる子供達は、後から仏が浄土へ送ってくれるっしょ?けど、黄泉竈食を食べた子は浄土に行けない。なら普通あの世行きだけど、当然水子はあの世へ行けない。
この時点で親友の子の存在に矛盾が生じる。その子だけは輪廻も行けない。あの世にも、河原にも、浄土にも居られない子を、世界はどこに置くと思う?」
「どうする気じゃ」万は声色を落とした。
「この矛盾が、親友の子を甦らせる唯一の方法。
これが許されないことっていうんなら、たかが漢字一文字の理ごとき、ウチがぶっ壊してやる」
☽
子供の泣き声はいつまで経っても慣れはしない。賽の河原って何。親不孝の罪って何。子供は死にたくて死んだ訳じゃない。なのに、何故子供が罪を負う?ましてや、親友の子供は殺されたんだ!
賽の河原に来る度湧き上がる感情は怒りのみ。けれどまず親友の子を探さないといけない。なら、一旦この感情は忘れてしまおうと思った。けれどそうしてみても目当ての子は分からない。産まれてもない子を探すなんて、出来るわけもなかったのだ。……どうやって見つけよう。
——そういえば、あの子の住んでいた街には水子供養の神社があった。
正式名称は宝守神社という。水子供養を謳っているのに寺ではない珍しい場所だったから、印象に残っていた。
神社に訪問した。人形の頭に大きな牡丹を飾らせてくれないかと頼んだ。腹の子は神社の人形にはまだ入っていないはずだから、目印にするためだ。
「妹が産まれずして亡くなって、ここの神社で先月、供養されました。その時、どうしても妹に贈りたかったこの牡丹の花を人形に飾り付けてやりたいと思ったのです。
が、一人だけにあげるのは可哀想なので、どうか全員に飾らせて貰えませんか?花は全てこちらが用意します」
獄卒として何年も無理やり怖い人を演じていたお陰で、演技は得意だ。更に妖力を使って心を操ってしまえば、相手は断ることもできやしない。卑怯な手だとは思うけど、手段は選べなかった。
ウチが飾ってやった牡丹は、賽の河原に行くとみんながコソコソと身に着けていた。娯楽のない場所だから余程嬉しかったのだろう。鬼に見つからぬよう、子供ならではの知恵で隠しながら楽しんでいた。……隠さないで、とは言えないか。
でも、要は怪しくない子を探せばいい。他のことに気を取られた様子を見せない、近づいても後ろめたさを見せない子供が、この中にいるはずだ。
たった一人。椿色を薄めたような桜色の髪をした少女が、退屈そうに石を積んでいた。
……いや。退屈なんてものも知らないだろう。何故ここにいるかも自分が何かも分からないから、ただ周りの真似をするだけ。
「小娘」
目の前に立っても少女は中々気が付かないので、金棒で石を崩す。獄卒は胸の痛みなんて考えてはいけない。
「ここは水子が親不孝の罪を償う場所だ。なのに貴様ときたら親を思いもせず、呑気に遊んでいるだけだ」
この時ウチは、いつ団子を渡そうかと考えていた他に、どうしたらこの虚ろな瞳に生きる理由を持たせられるかと悩んでいた。
このまま甦らせたところで、この子はきっと路上でまた石を積むだけになるだろう。できることなら幸せに生きて欲しい。元気に育って欲しい。けど、それを言ったところで、この子は何が幸せかも分かってない。なら、「母の死の真相を知れ」そして、親友がどれだけアンタを想っていたか知って欲しい。そして、「仇を討て」
——……何がしたい?
——たかが鬼の気まぐれだ。
踵を返して、少し伸びをするフリをして、団子を放り投げた。
——また会えるといいな。小娘よ。
その後、その子はなんて言ったんだったか。ウチが投げ渡した団子を受け取ったその子は……
「おい鬼、落としたぞ」
……そうだ。そんな事を言ったんだ。
「食え。貴様のだ」
しばらく常世にいると、現世では何年経ったか分からなくなる。何十年も経っていたなんてことはザラにある。
ウチと親友が住んでいた家はすっかり古くなって、怪奇だらけで初めから人が寄り付かなかった家屋は更に誰も寄り付かなくなった。中は当時親友と特に仲の良かった怪奇が今も楽しく暮らしている。だからその子らに提案した。
「あと十三年後。アンタらもよく知る親友の子供が賽の河原から降ってくる。だから家族として、暖かく向かい入れてやってよ」
☽
「成!寧丸!うり姫〜起きる時間じゃよ!起きとるかぁ〜」
……時鐘係は頼んでない。
「うぅ〜。眠い……」
僕とうり姫が顔を洗って身支度をする中、寧丸はまだ布団の中で唸っている。夜更かしをしていたことをうり姫に伝えて少し寝かせておこうとしたのだが、目を擦りながらも体を起こしたようだ。僕らの目線に気がつくと、「……うん?」と気の抜けた声で振り向く。ちょっとよだれが垂れている。
「わっ!まって、見ないで!」
急に寧丸が叫び、後ろをむくと掛け布団を掴んで顔を隠してしまった。耳元が赤い。
「……化粧、落とさないで寝ちゃったから」
どういうことだろうか。化粧を落とさないと何かあるのだろうか。というのはうり姫も同じ意見だったが、寧丸は「聞くな!」と言う。代わりに朝は弱いのか、と聞いた。寧丸は、ゆきんことは一緒に寝坊する仲だと打ち明けた。ゆきんこを起こす側にいそうだったから、少し意外ではある。
寧丸が化粧を済ませたあと、昨日と同様三人で台所に立ってご飯を作っていた。料理は昨日の時点で覚えられたと思っていたが、「塩は適量」と言われ、山盛り入れようとしたら止められた。
出来上がったご飯をお盆に乗せて、また隣の部屋へ向かう。ゆきんこを必死に起こす入佳の声が聞こえてきた。今度は万が出迎え、「起きていたか。ご苦労様じゃのう」と感謝される。
そして僕らもご飯を頂き、支度を終わらせ、また観光でもして宿に戻ってくるのを平和に繰り返す……と、そんな上手くはいかないようで、食べ終わった皿を洗って戻しに来た万が「怪奇が近くの街で悪さをしているようじゃ」と言うので、そっちに向かうことになった。
☽
温泉街の最下段から、既に怪奇の姿は見えている。出店の屋根より何十倍も大きなカエルが温泉街を見下ろしていた。本物のカエル、というより、絵に描き起こしたような、丸い置物の形をしていた。
「あの怪奇はなんだ」
「さあのう。ワシも見た事のない怪奇じゃ」
「万にも知らない怪奇がいるのか?」
既に変身は済み、階段を駆け上がりながら万と話す。その後ろでは他の魔法少女もいた。そのまた後ろでは、寧丸が息を切らしながら何とか着いてきている様子。
「ま、まって、ウチそんなに早く走れないから……!」
寧丸の体力がない訳ではない。魔法少女に変身した際に妖力と共に跳ね上がる体力が、鬼の体力を遥かに上回っているのだろう。おまけに、万やうり姫と違って寧丸は飛べない。
「仕方がないのう……」万は来た道を少し引き返し、寧丸のそばまで来ると素早く抱えあげた。「気を取り直して行くとしよう」万が不服げに暴れる寧丸を俵担ぎし加速して行ったので、僕らはその後を追っていった。
カエルの足元に着くと、僕らの存在に気がついたカエルの大きな目と目線が合う。そこに来て、ようやく万は「化け狸か」と気がついた。
「化け……、コイツは狸なのか?」
「そうじゃの。長寿の狸は妖力を持つとされ、このように何にでも化ける事ができるのじゃ」
「人にも化けるのか」
「木の葉をお金に見せかけることもできよう」
カエルの足元には土産屋から持ってきたと思われる沢山の品物が山積みになって、いくつか食べられた跡もあった。きっとその化かしの術で騙し取ってきたのだろう。悪さとはそういう事か。
「さて、どう変身を解かせようかのう」
「倒すじゃダメなのか?」
「ううむ……化け狸は常世の存在ではないからのう。それに、こやつはあの宿の受付係じゃ」
「……は??」
「聞こえなかったかの?こやつは宿の——」
万の胸ぐらを掴み、めいっぱい揺さぶった。
「お前、また最初から知ってて……!」
「ま、まあまて!害はないと思ったのじゃ。それに、客の荷物は盗まないと誓ってくれとった」
「人を騙す狸を信じる奴がどこにいる!」
「狸さんは観光を楽しみたかったのね。ただ、きっとやり方が分からなかったのよ」
……信じる奴が二人もいた。
「じゃあなんだ。この狸に常識を教えてやればいいのか」万の胸ぐらを離し、入佳の方を向いた。頭の後ろで万は「その前に、話を聞いて貰える状態にせんとな」と呟く。
「成。名案を思いついたぞ。
——色仕掛けはどうじゃ」
「はあ!?」と出した声が偶然寧丸の声と被った。
「成になんてこと教えてんの!」
「危険もなく、最も簡単な方法じゃよ」
「まじで言ってんの!?」
しかし、怒りつつ寧丸が何とか説得し直そうとしても万は中々折れない。寧丸は悩んだ末、助け舟を求める。「ねえ、うり姫!うり姫も何か——」
「思考に正解はない。
もし候補者がいないのなら、余がやってもいい」
「そうだったね!アンタはそういう神様だった!」
寧丸の言い方が段々と投げやりになってきている。しかし、万は気にしない様子で薄ら笑みを浮かべ、やがて覚悟を決めた様に自らの襟元を整えた。……覚悟?
「……花魁風で良いかの」
そういえば、いつだれが魔法少女がやると言っただろう。それに気がついて僕と寧丸は慌てて万を引き留めた。右の袖を僕が、左の袖を寧丸が引っ張る。
「待て待て待て!なぜ万がやろうとする!」
「当たり前じゃ。おぬしらにやらせる訳にはいかん」
万は首をこちらに向け、何を言ってるのかと言いたげに首を傾げてくる。こっちの台詞だ!
「そもそも、狸に人型の色仕掛けが通用すると思ってんの?」
寧丸のこの一言に、「それもそうか」と万は納得したようだ。そして再び変身を解く方法を悩み始めるのだった。
けれどずっとこちらの様子を窺っているだけだった狸は、何を思ったのかゆっくり屈んで、カエルの瞳で寧丸を凝視し始めた。
「な、何?なんでウチ?」
カエルの顔は寧丸のすぐそばで止まったまま動かず、じっと見ている。そこへ、万がからかって出た。
「寧丸はまだ魔法少女じゃないからのう。抵抗の弱い方が食べ易いんじゃなかろうか」
「ウチ鬼なんだけど!」
寧丸の反応を面白がっている間、カエルは頭に乗った葉っぱが外れ、自然と変身を解いた。狸の姿に戻って、小さくなったソイツはそのまま背中を向けて去っていく。
「逃げた!」寧丸も気がついて叫ぶ。
そこへゆきんこが小槌を構えて激しく振る。そこから出てきたのは紙風船で、ゆきんこが力いっぱい紙風船を叩くと紙風船は狸へ向かって飛んでいく。
——けれど、飛んだ距離は一寸と一寸だけだった。小槌から出てくるものは必ずしも役立つ物ではないのだろう。泣き顔になったゆきんこに「偉いわゆきんこちゃん!勇気を出してくれてありがとう!」と必死に入佳が頭を撫でている。
僕はすぐに鈴を鳴らして狸の動きを止めようとした。が、怪奇でないと効き目がないのだろう。入佳以外が固まるだけで終わった。
その間うり姫は飛んで追いかけていたが、間もなくして地面を忙しなく見回し始め、「見失った」と呟くのだった。




