陸ノ肆夜 雲がくれにし
部屋が急遽変更になったということで、僕らは三人ずつで分かれることになった。部屋決めをした結果、僕と一緒の部屋になったのはうり姫と寧丸だ。
入佳も一緒の部屋がいいというゆきんこの意見が優先され、一時は寧丸もそっち側に行く予定だったけれど、万が成の面倒を見るのは心配だという寧丸がゆきんこに手を合わせた結果だった。万は若干凹んでいたが、ゆきんこは納得したそうな。
部屋に入ると早速、台所に立った寧丸が献立を考え始める。隣の部屋はおにぎり以外作れる人が誰もいないらしく、晩御飯の支度はこの部屋の係になった。
「余も手伝う」うり姫も饅頭を食べる手を止め、率先して台所に立った。神様にやらせるのは申し訳なかったのか、慌てた様子で、「いや、うり姫様は……」と手を振ろうとした。が、寧丸はうり姫が不満そうに横目で見てきたのに気づいて「ありがとう、うり姫。とても助かるよ」と棒読みで言った。ほぼ言わされている。
僕も座って待つのは居心地が悪く、台所に立った。寧丸は顔色を変えて「手伝ってくれんの?」と微笑む。
「まあ、やることないし」
「あんがと。じゃあ野菜切るのをお願い」
まな板の上にはほうれん草が寝そべるように置かれてある。僕はそれを切ろうとして、胸元の装飾から刀を取り出し上から突き刺す。
「えっと、切り方がちが……」
寧丸が何か言いかけたところで、うり姫が手前にあった玉ねぎを無限に剥き続け、みるみる小さくなっていく。
「まっ、待って、二人とも。一から教えるから!」
出来上がったご飯を盆に乗せ、三人で隣の部屋まで運ぶ。出迎えたのは入佳だった。
「万は?」寧丸が聞く。「お洗濯中よ」と返ってきた。全員の服を洗って干すのは隣の部屋の役割だ。
「あたしも手伝おうと思ったのだけれど、そろそろ料理が出来上がる頃でしょうからって」
「そう。ゆきんこも大丈夫そ?」
「元気にしているわ。ありがとう」
ゆきんこが寧丸に会いに来る気配はない。きっと手伝いで忙しくしているのだろう。入佳がお盆を受け取ると、もう一度お礼を言って扉は閉められた。
「ウチらの仕事はおわりっ。部屋に戻ろっか」
大きなちゃぶ台には出来たてのご飯が三人分並べられて帰りを待っていた。寧丸が食べ始め、僕とうり姫も箸を持つ。
「成。早速米粒付いてんよ」
指摘されたので頬に付いた米を取ろうとすると「取ったげる」と寧丸の手が米粒を取った。
「……ゆきんこにも、よくやってるのか?」
「あー、クセなんだよね」
「つまり余にもやってくれる?」
「あ、いや、うり姫さ——、
うり姫はあんま付かなそうだし」
うり姫様と言いかけて慌てて止めた。
「成は綺麗に食べられないと……」
「そ、そういう意味じゃなくて……!」
寧丸が慌て出すと「冗談」と呟いて味噌汁を飲む。うり姫がいうと、どこからが冗談なのかよく分からない。
☽
綺麗に片付けられたちゃぶ台を退かして、布団を横一列に並べる。左右は寧丸とうり姫で、真ん中に僕が寝る予定だ。早速布団に潜ろうと屈みかけると、顔の正面を括り枕が素早く横切って、寧丸に直撃した。
驚いた寧丸がうり姫を見ると、うり姫は投げた直後の姿勢で、しばらく寧丸と目を合わせていた。
「えっと……うり姫……?」
「現世ではこういった遊びがあると聞いた。
——枕投げ、というらしい」
「……枕?」
寧丸が聞き返そうとするのを放って、今度は僕の枕を奪って顔に投げてきた。
——何をするんだ、の意味を込めて投げ返す。
するとうり姫はその枕をまた寧丸の方に投げ飛ばす。寧丸は「なるほどね」と苦笑いすると、段々と乗り気になって僕へ投げた。
「なんで僕なんだ!」
「一緒にやるよ、成」寧丸は自分の枕を手に取って僕に投げる。それをお返しすると、寧丸は飛んできた枕を捕らえてうり姫に投げた。三人分の枕は次から次へ空中を飛び交い、誰かの手に渡ってはまた投げられる。僕は枕に当たらぬよう避けつつ、捕らえた枕をどちらかが隙を見せた瞬間に投げつけた。
「成、本気すぎ!」
「なら、余も本気を出そう」
「ええっ!?」
☽
隣の部屋から微かに楽しそうな声が聞こえたので、入佳は壁の方をじっと見つめていた。すると壁に耳を当てなくとも何となく内容が読めてきた。何か楽しい遊びをしているんだと察した入佳は、隙を見つけてゆきんこちゃんや万さんを連れて混ざりに行ってもいいか考え始める。そこへ丁度、二度温泉に浸かりに行っていた万が帰ってきた。
「お帰りなさい。早かったわね」
「途中で怪奇がわんさか入ってきおってのう。落ち着かなくなってしもうて」
首元にかけた布で顔を拭いながら万がふと足元を見ると、そこで目線を止めた。ゆきんこは洗いたての万の上着を羽織って……というより被って万を見上げていた。
「ゆきんこ。それワシの服じゃよ」
ゆきんこは逃げるように部屋中を駆け回る。そして自分の布団に着くと万の服を掛け布団にして寝た。ゆきんこの布団になると万の服は丁度良い大きさで、ゆきんこの手も足もすっぽり入る。
「構わんが……乾いとらんぞ?」
万が笑って見守る中、入佳はゆきんこの隣に座って話しかけた。
「ゆきんこちゃん。寝る前に、寧丸さんたちが楽しそうな事をしているのだけれど、覗いてみない?」
目を開けて聞いていたゆきんこは、まだ遊べると喜んだ様子で「……行く!」と起き上がった。
「万さんもどうかしら」
「そうじゃの。折角の温泉旅行じゃ」
☽
結局、万たちも枕投げの最中に押しかけてきて、あれから全員が疲れ果てるまで散々遊び倒した。お陰でつい先程までぐっすり寝ていたのだが、寧丸が居なくなっているのに気づいてふと目が覚めた。何となくそれが気になって、僕は白く丸々太った提灯を手に部屋を出た。
畳の廊下は長く、その狭い一本道の両脇に、深さ一尺ほどの溝を紫、青、桃色が発光する小川が流れる。飾りの軒端が付いた、花鳥風月が描かれた障子も溝に沿って連なっていた。
廊下の終着点には勾欄で囲われた広間があった。細い半透明の暖簾は、天井から赤い絨毯まで長く垂れ下がり、奥行きを魅せつつ幾つも重なり合う。魚が描かれた暖簾を次々潜れば、隠された広間の奥が現れる。形様々な提灯が吊り下げられた中央で、寧丸は一人きり、羽衣を揺らめかせ舞っている。
「——寧丸」
舞を止めて、やや伏し目がちの瞳が僕を見て見開いた。「成」と呟いて微笑むと、絨毯に足袋を擦らせながらやって来た。
「何をしていた?」
「舞の練習。めんどいけど、たまにやっとかなきゃ鈍るからさ」
面倒臭いと言う割に、舞は長年の鍛錬が身についた自信のある動きだったように思う。
「わざわざここを選んだのか」
「うん。綺麗で気分上がるっしょ」
綺麗、より先にここは何の空間だろうかと考える。そのうち、寧丸の手が僕の手を掴んで引いた。
「成も舞、やってみる?」
「いや、僕より入佳の方が——」
身を引き寄せられるまま、寧丸の稽古が始まる。舞を踊る際の足の動かし方から首の動かし方は寧丸を真似ながら。指先の動きは寧丸に操られながら、基礎的なもの、というのを教わった。「上手、上手」と褒められたが、寧丸が言う「簡単」はこの日以来信じないことにした。
「——成は将来、なんになるの?」
「将来……?」
「やっぱり、お嫁さん?」
なんでお嫁さんなんだ。というのは置いておき、将来なんて考えたことがない。母の仇討ちが終わって、そしたら、僕は何者になる——?
「母の仇を討ったら、お前が僕を殺しにくるのか」
「えっ、なんで?」寧丸は驚いて目を丸くし、腕を操る手を止めた。
「なんでって……僕は仇討ちの為に生まれ変わったんだろ。なのにその先も生きてるなんて、変じゃないか?」
寧丸は答えない。息を殺してしまうように口をつぐみ、腕を持つ手に力が入る。「そっか。……そんな風に」口の中で言う。
どうかしたのか、何か変な事でも言ったかと聞こうとした。腕にある手が離されたかと思えば、寧丸の腕は僕の肩を巻いて引き寄せた。
「——うわっ」
近くに寧丸の頭があるのが分かった。僕が驚いて漏らした声が未だ微かに音を残している。しかし、やがてそれも消えゆいて、ここがだだっ広い、ひたすら静かな空間であることを思い出させた。
「ごめん」
次に囁いた寧丸の声は震えていた。
「生きてていい。ずっとこの先もアンタは生きていい。だからどうか……もうウチから離れないで」
☽
少女を待つ十日間はとても長かった。空腹が限界で倒れていないか、水を飲むことを忘れたり、貧血起こしてたらどうしようとかあれこれ心配になって、何度もあの家を覗きたい衝動に駆られた。けれどそんな事をしてしまえば、あの子の折角頑張った祈りが台無しになってしまう。だから代わりに、子産みの祈りが成功した祝い……つまり出産祝いの贈り物を十日かけて選んできたのだ。あの子の髪色に良く似合う椿模様が入った寄木細工に、大きな花束。そして、栄養があってさっぱりした食べ物。喜んでくれるだろうか、と、寧丸は玄関の前で親友の顔を想像した。満面の笑顔で祝福しよう——
その思いを胸に、戸を開いた。
——血の臭いが漂った。
地獄で産まれた寧丸にとって血の臭いなんか慣れたもので、こんな不快な気持ちになる事など、今までありはしなかったというのに。この鼻につく臭いがこれほど恐怖になる出来事が、どうしてこのめでたい日に起ころうか!
寧丸が駆けつけた時には親友は息絶えていた。肩から腹までを赤黒く染めたその子は、でんでん太鼓を大事に握りしめ、人形の如く冷たくなってしまった——。




