陸ノ参夜 わかぬまに
「えー。寧丸が作ったご飯が食べたいなあ」
黒いお玉を持ちながら文句を言う少女に、寧丸は無視して台所に野菜を並べていった。
「我儘言わない。アンタ、ウチがいなくなったらどうやって生活すんの?」
並べ終えて、寧丸が少女の方を向くと丸く膨れた頬が目に入る。少女、とは言えない年齢かもしれないが、中身はずっと少女だな、と寧丸は思った。
「……それに、自分で作ったご飯はいつもより美味しいはずだよ」
そうかなあ、と少女は首を傾げつつ、お玉でまな板に置かれた野菜を叩く。
「ちょ、なんでソレで切れると思ってんの?」
料理も掃除も知らない少女に一から家事を教えるのは苦労した。けれど、ちょっとずつ少女の得意が増えていく姿はかけがえのないものだったと寧丸は思う。
ひとつひとつ教えながら、やっと出来上がった一品目はお味噌汁だった。茶碗の汁をひと口飲み、「上出来!」と少女の賑やかな声が部屋に響く。
「ゆくゆくはお味噌汁屋さんになろうかな」
「前は洗濯屋さんって言ってなかった?」
気合いが入って作りすぎたお味噌汁は、少女の無限に続く「おかわり!」という声であっという間に空になった。
☽
寧丸が魔法少女になれなかった話を聞いて、万が持ち出してきたのはみんなで温泉に行こう、というものだった。
「寧丸の成を守りたいという意志は確かに強い。が、おそらく肩に力が入りすぎなのじゃろう」
「いや、行くにしてもウチは仕事があるし……」
「たまには休め。それじゃいつまで経っても魔法少女にはなれんぞ」
そんなこんなで日付も決まった僕らはあとの三人も誘うことになった。で、とにかく喜ばれた。
「人も怪奇も、温泉を好む者は多い。余も一度試したいとは思ってた」
「温泉……?」ゆきんこは首を傾げる。
「入ると身体がホカホカして、お肌が綺麗になるのよ」
「ほかほか……」入佳の説明に目を輝かせたゆきんこは「寧丸も一緒?」と寧丸に期待の眼差しをむけた。モチロンと彼女は頷く。「ウチも行くよ」
ゆきんこは更に目を輝かせた。
☽
木の階段を列になって下りながら、僕らは食べ歩きを楽しんでいた。様々な香りが漂う、その左右には出店が建ち並び、最下段まで続いている。隣で歩いているうり姫は両手に溢れんばかりの土産を抱え、薬が沢山詰まった紙袋を腕にぶら下げている。薬のオマケで付いてきた大量の紙風船は、現在ゆきんこが手の中で遊んでいた。
「もうそんなに買ったのか」うり姫に聞く。
「薬は土産の定番と聞いた。それと、湯上がりには温泉饅頭が合うらしい」
この日の為に色んな情報を仕入れてきたのだろう。この中でうり姫が一番楽しんでいる。そしてまだ遊び足りないのか、周りを見渡すとまた店を探し始めた。
持ち続けるのも大変そうな土産の山にどうしても目がいく。それに気を取られたか、段差の幅を誤って踏み外した。
「危ない!」寧丸の手が僕の袖を掴む。黒い下駄が数段下まで転がり、身体は何とかその場で留まった。
「……礼をいう」
寧丸が腕を持ち上げてくるのに従って、尻もちのついた身体を起き上がらせる。寧丸は続け様に汚れの着いた服をはたいた。
「階段は転びやすいから気をつけなきゃ。目移りするのが沢山あるから、今日は仕方ないけど、本来なら段差を見て歩いた方がいい。
なんなら、手、繋ごっか」
寧丸が腕をのばし、手のひらを見せた。よく分からず、手と寧丸を交互に見る。「繋がなくても、次から気をつけられる」
寧丸は数回瞬きをした後、「あ、そうだよね、ごめん」と手を引いた。
直後、寧丸の気まずそうな片手に白くて柔らかいものが降って、少し溶けた。
「——寧丸、雪」
ゆきんこの声色が上がって、皆で空を見上げた。曇天から白い雪がふんわり舞い落ちているのを、入佳は腕を伸ばして取ろうとしている。冷たいものが手のひらに落ちると、ゆきんこに見せて一緒にはしゃいでいるようだ。冷たい雪は僕の頬にも触れてきた。真っ白な息が一瞬視界を埋めて、肌に触れた風で身震いする。
「寒い」
「温泉日和じゃのう」
☽
温泉宿は観光地から外れた淋しい場所にあった。宿の周りには鬱蒼とした林が生え、地面には一面広がった真緑の苔の上に浅く雪が積もっている。
「本当にここであっているのか?」
「ううむ……あっているはずなんじゃが」
宿から漏れる灯りは黄色く、営業はしているだろう。けれどあまりの人気のなさに僕らは心配になった。
「入ってみましょう?予約をしているなら、名前を言えば分かるはずよ」
入佳がそう言うので皆は足を進めた。真横の苔むした岩のすぐ足元では、苔に覆われた地蔵が地面に埋もれている。宿に続く階段も緑色に染まりつつあり、先程歩いてきた積雪の緑の庭を一望できた。
——そういえば、ゆきんこが見当たらない。
「あれ、ゆきんこは?」寧丸も気がついて辺りを見た。
どこかではぐれてしまったのだろうか。各々が辺りを見渡し始めると、少女の姿はすぐそこの笠地蔵の隣にあった。彼女より少し背の高い笠地蔵だ。積もっていた雪が雪崩れて、偶然ゆきんこの頭に降りかかったのだろう。のしかかった雪で震えている。
「雪は……重くて、冷た、
……ぷえ」
そこまで言うと、ゆきんこは雪の重さに負けて雪の地面に突っ伏した。
「ゆきんこちゃん!」
ゆきんこを雪から救出し、僕らは宿の中に足を踏み入れた。受付に万が一人で向かっている数分間は他愛のない会話を交わしていると、しばらくして万が帰ってくる。
「ここで間違いないそうじゃ」
万が手をひらひら振って近づいた直後、ゆきんこのくしゃみが玄関に響いた。ゆきんこの寒そうな顔を見て、「早く湯に浸かるとするかのう」と呟くと、万は僕らを部屋へ手招いた。
☽
露天風呂は広々としていて、苔が繁茂する大自然の中に石で囲まれた温泉が際立って置かれている風だった。竹垣の向こうには林が見える。きっと男湯の方もこの素敵な景色が広がっているのだろうと思いながら、入佳は水面に足先をつこうとした。入佳は、岩の影に先客がいるのに気がついてふと目を移した。頭に皿を乗っけた怪奇は、周りの苔と同じ緑色の肌をして肩までお湯に浸かっていた。……目と目が合う。
「ごめんなさい、見つめてしまって。あまりにも静かなものだから、他に誰か入っていると思わなくて」
姿勢を直して無礼を詫びた入佳は、「怪奇さんかしら」と続ける。
「あたしは入間入佳よ。ねえ、あたしも御一緒していいかしら。後から友達も来るのだけど」
しかし怪奇は濁った水底に潜り、姿を隠してしまう。嫌だったのかもしれないと、入佳はもう一度「ごめんなさいね」と詫びて踵を返そうとした。すると突然、水底にいた怪奇は水飛沫をあげて飛び上がり、勢いのまま入佳に襲いかかってきた。入佳の「ひっ」と息を吸う様な声が漏れた後、横から突如突き出てきた刀の先端が、怪奇を串刺しにした。「まあ、成さん!」と入佳の言葉通り、刀を持った成は呆れた目線を入佳に送っていた。
「……何をやってるんだ」
「ご、ごめんなさい」
丁度遅れてやってきた寧丸たちとも合流し、各々が巻いた布を外して温泉に浸かっていく。そんな中、成とゆきんこは「あつっ」と言いながら中々入れないでいる。
「本当に人が入るものなのか?これは」
「入佳もフツーに入ってるっしょ。足先からゆっくり入ってってご覧?」
寧丸に促され二人は同時に足を浸ける。あついと言いつつ何とか肩まで浸かると、ようやく慣れたゆきんこは気持ちが高ぶるまま、ぱちゃぱちゃ泳ぎ始めた。
「こらっ、泳がない」
ゆきんこが寧丸に怒られ、素直に辞めた直後、隣の男湯からは万の声が響いてきた。
「おうい、成〜。溺れとらんか?」
「静かに入らせろ」成は冷たく断った。
しかし、万は止まらない。
「成〜。両手の指を組んで握りしめると火縄銃ごっこができるぞ。一度やってみよ」
「遊ばない」
「成〜。一人じゃ寂しいのう」
「知るか」今度は少し声を荒らげた。
☽
温泉から部屋に戻るまでの道中、うり姫は早速土産に買った温泉饅頭を頬張っている。僕はというと、解いた髪が上手く結べず苦戦していた。
「成。ウチに貸してみ」
「いや、自分でできる」
「いいから」
寧丸は僕から髪留めを受け取って、濡れた髪を軽くとかした。頭はもう任せてしまおうと受け入れた頃、「成。こっち向いて」と寧丸が思いついたように呼んだ。振り向けば「やっぱり」と微笑まれた。「下ろすとよく似てるよ。あの子と」
母のことだろう。普段は髪を輪っかにして結んでいるから、確か人前では、下ろしたところを見せたことがない。
母が髪を下ろしていたことを初めて知った。
☽
真剣な話がある、と少女に誘われて、寧丸は向かい合う形で座布団に座っていた。
「子産みの祈り?」寧丸は少女の言葉を信じられないといった様子で反芻する。けれど、少女の目は揺らがない。
「うん。だから明日から十日は誰にも……寧丸にも会えないんだ」
「やめときなって。十日間断食して、何時間も祈んなきゃなんないんだよ?」
「それでも」少女は強い眼差しを寧丸に向けた。どうしてそこまでして……と言いかけた言葉を飲んで寧丸は、ただ微笑み返した。
「……分かった。頑張れ」
「うん。応援してて!」




