伍ノ参夜 魑魅魍魎
「多いといったろう?」
「いったけど……!」
ひたすら走ることを余儀なくされた僕らの真横、万は余裕といった調子で飛んでいる。いつもだったら恨めしく思うところだが、後ろから迫ってくる騒音がそんな場合ではないと急かしてくる。駆け抜ける先々の障子が意思を持って自ら道を開けてくれるのが唯一の幸いか、でもなければ今頃後ろの大群に呑まれているところだ。
「多すぎるだろ!」
事の顛末など言わなくとも、この城に入った途端に次々怪奇が襲いかかってきて、手に負えないほど増えてしまった結果、という簡単な話だ。
「あ、あたし、何とかしてみるわ」
そう言って入佳は踵を返し、後ろの大群に花火を打ち込もうと番傘を向けた。……ほんの一瞬足を止めただけだった。
——入佳が呑み込まれた。
「入佳!」
彼女のことに気を取られた一瞬、木綿の怪奇が足に巻きついて、そのまま持っていかれる。
——僕も呑み込まれた。
「——余は天御母神なり」
もみくちゃのなか、頭上から知った声がはっきり聞こえた。
「現世に満つる悪しき穢れを祓ひ清め、汝らを元の穢れぬさまに還すものなり」
溢れ返っていた怪奇は赤い金魚に囲まれ、一斉に光となって消える——。
「うり姫さん!来てくれたのね!」入佳は髪がすっかり乱れて起き上がる。
「万に呼ばれた」
「……助かった」
最悪なことに、先程怪奇に舐められたせいで顔がべとべとだ。どの怪奇か知らないが、もし地獄に行く機会があったら御礼参りをしてやる。
入佳は疲れたのか、しばらくその場でしゃがんでいる。かくいう僕もしゃがんでいたが、閉まっている障子に何気なく目を向けると、その向こうに人影が見えた。芸者がよくしている髪型……つぶし島田というんだったか。その影が見えた。——突然、その障子が開いたかと思えば、長い首が僕を目掛けて襲いかかった。
それを瞬時に斬り捨てる。
「おお、素早いのう。騎馬武者の中に馬なしでも勝てるんじゃなかろうか」
「無茶言うな!」
万がまだ軽口を続ける中、入佳は先程怪奇が出てきた障子の先を覗きにいく。何かを探しているのか、絶えず首を動かしている。
「……どうかしたのか」
「あたしたち、このまま真っ直ぐ進んでいいのかしら」
僕らが走ってきた道は永遠に同じ景色が続いていた。必ず障子があるのもゆきんこの異空間を思わせる。いつまで同じ景色が続くのだろうと不安になるのも無理はない。
「ここは螺旋の坂道。いずれは最上階に着く」
うり姫の突然の発言に僕含む全員が首を傾げると、うり姫は「比喩ではない」と同様に首を傾げた。つまり、ここは文字通り螺旋状の廊下になっているということか。
「——あと、ここで止まっていると、また走ることになる」
急ぎましょうと入佳が手を引き、僕は腰をあげる。勿論、再度あんな目に遭うのは御免だ。
☽
最後の障子を開くと、外に出て回廊が上に伸びていた。真っ直ぐとはとても言い難く、不規則にぐねぐねと動いた蛇が固まった様な形をしていた。かろうじて道にはなっている。
「なんだか、異界に来てしまったようだけど」
「案ずることはない」と、うり姫は先へ進む。
「ワシらも突っ切るぞ」と万も行ってしまった。
仕方なく、僕らも駆け足でその後を着いていった。回廊の外には巨大な狸の置物が浮遊しつつ僕らを監視し、達磨や招き猫といったものも空中に散らかっている。その景色は白く瞬き、反対に僕らは真っ黒い影になって映った。
その終点には木製の立派な戸が置かれ、黒い金属の取っ手を引くと戸は軋んだ音を立てつつ中を開く。入ると、そこは埃っぽい小部屋だった。あらゆる家具の上からこけしが僕らを出迎え、月が伺える丸窓にはてるてる坊主が連なって吊られている。少し入り組んだ階段の上にはまた戸が見えて、僕らは濃い色をした木製の階段を上がっていく。そして戸の前に立った時、うり姫が呟いた。
「月が赤い」
「ほう。うり姫も気づいておったか」
☽
中は広々とした枯山水の景色が広がり、燃えるように赤い紅葉が格天井に生い茂り、時折、葉が回りながら舞落ちて波模様の書かれた砂の上を彩っていた。その庭を四角く縁側が囲い、壁には丸窓が等間隔で配置され、それぞれ季節ごとの絶景を映し出していた。その中央の壁にある丸窓だけ一際大きく、その中には——
「——ゆきんこちゃん!」
……ゆきんこが、美しい絶景の中に閉じ込められるようにして眠っている。入佳はそれに駆け寄ろうとし、丸窓の横から現れた人影に足を止めた。
丸窓の奥の縁側から現れた人は、肌に雪の白を持ち、唇は紅く髪は漆のようだった。しかし、白のない全眼の目が怪奇であることを決定づけている。
いつも通りではあるが、万は一目見てその正体を見抜く。
「雪女じゃ」
「ゆきんこちゃん!?」入佳が聞き間違えた。
「雪女じゃ」
それが一体なんの怪奇かなど万が説明するまでもなく、女が息を吐いた刹那、紅葉は凍りつき舞っていた葉も重さですとんと落ちた。部屋は極寒の冷気が漂い、縁側も白く凍っている。
「あれを浴びると死んでしまうぞ」
しかし息に気をつければいいという訳ではなく、鋭い氷柱が地面から突き出て僕らに迫りくる。間一髪、刀で食い止める。その後ろに立っていたうり姫が宙を浮いて、続け様に詠唱した。
「余は天御母神なり。現世に満つる悪しき穢れを——」
しかし怪奇が抵抗をはじめ、うり姫を囲うように花のような氷柱が咲き乱れる。うり姫は浄化を強いれず、元いた位置に避難する。
大きく鈴を鳴らし、怪奇の動きを封じた。それと同時に入佳が駆け出し、目眩しの花火を設置。鈴の効果が切れると同時に花火が破裂し、その隙に入佳がゆきんこの救出に向かう。それを邪魔されぬよう、細かく鈴を鳴らそうとした。しかし直後、怪奇は僕の目の前に現れた。息を吹きかけられる瞬間、万が僕を捕まえてゆきんこの方へ投げ飛ばす。しかし僕の脇腹と、入佳の肩に氷柱がかすめた。地面に転がり、点々と真っ赤な彼岸花が生えた。
万は無事だろうかと慌てて振り返れば、——万は絵に書いたように氷漬けにされていた。名前を叫ぼうとすると、くぐもった声で「カッチーンじゃ」と聞こえてきた。……大丈夫ならいいか。
入佳はというと、負傷した肩を抑えてふらついている。あっちを優先しようと駆けだした。けれど、怪奇の方が接近するのが早く、慌てた入佳が顔の前に花火を打った。その火花が当たったのか、入佳はその場に倒れた。
間に合い、怪奇が次の手札を仕掛ける前に入佳を抱えあげ攻撃をかわす。入佳の顔に大きな怪我はなく、おでこを少し火傷した程度だった。
☽
——ここは暗い。土のように冷たくて重い。みんなが、ゆきんこのために戦ってる。入佳の悲鳴が聞こえた。
怖い……怖い……でも、今度はゆきんこが助けに行かないと。でも、ゆきんこは何ができるの?
ゆきんこの勇気で、ゆきんこは何ができるの?
少し前のことを思い出した。
——打ち出の小槌?
——そ。叩くと金銀とかおにぎりとか、欲しいものが何でも出てくるよ
小槌……ゆきんこがいつも懐に仕舞ってる、寧丸からの贈り物。
——随分昔のものだから、もう効力なんてないけどね
——でも縁起物だし、お守りってことで
昔、寧丸から貰ったお守り。ゆきんこをいつも守ってくれる宝物。
……そうだ。ゆきんこは大丈夫。ゆきんこには、大好きなお守りがある。
ゆきんこは、ひとりじゃない!
☽
入佳はまだ目を覚まさず、背負いながらでは避けることに精一杯だった。しかし遂に体勢を崩して尻もちをついたという時。僕らと怪奇の間に巨大な石像が降ってきた。石像は微笑みながら手を合わせる人物の形を成していて——地蔵か?と気づいた時、誰かが万の周りに固まっていた氷を砕く。
「おお。ゆきんこか。助かった」
ゆきんこは身体を小さく縮めながら、震えながらも一生懸命に声を張っていた。
「万。ゆきんこも……ゆきんこも……
成や、入佳みたいな、かっこいい魔法少女になる……!」
そしてもう一度、「万……!」と詰め寄った。驚いた様子の万はやがて微笑んで、僕らと同じ異国めいた装飾品を手渡した。
「強くなったのう。ゆきんこ」
ゆきんこの手のひらに渡った装飾が瞬いて、凍りついた部屋に暖かい膜が張った。




